セラウェ記憶喪失編 | ナノ


▼ 11 お泊まり

結局その日は風呂を諦めて、大人しく言うことを聞くことにした。
どうせならともう少し飲み進め、後は寝るだけだと考えた俺は、弟が危惧したように酔いが回ってしまった。

「は〜やっぱ雰囲気が良いと酒も進んじゃうよな。なんか楽しいわ、お前と飲むの。……よし、じゃあそろそろベッド行きますか〜」

ふらつきながらクレッドに洗面所の場所を聞き、寝支度を整えるために向かう。
あっ、俺歯ブラシ持ってきてねえじゃん。まさか泊まると思ってなかったしな。

そう思いつつ小綺麗な室内に入ると、すっきりお洒落な洗面台の上に、あるものを発見した。
 
二つの透明なグラスと、色違いの歯ブラシが二本。仲良く並んでいる。

一気に酔いが冷めた俺は、しばらくそこで動きを止めていた。
なんだこれ、誰のだ。
ひとつはもちろん弟のだろうが……いや、普通に考えてもう一方はーー。

ぐるぐる考えながら、何もせずに洗面所を出ようとした。
何でだろう、どうしてよく分からないショックを受けているんだ。
あいつだって普通の成人男子だし、そういう相手がいても、全然おかしくないのに。

すると目の前に突然、弟のシャツがぶち当たった。

「うぐっ」
「あ、ごめん、大丈夫か兄貴。これ、うちにある寝巻きなんだけどいい?」

服を手に優しく訊ねてくる弟の顔が、ちゃんと見れない。
こんな風に動揺して俺は馬鹿か。ガキじゃあるまいし…。

「おう、ありがと。つうかこの服、俺の…?」
「そうだよ。ここに兄貴の服、結構置いてあるから」

にこりと笑うクレッドだが、もはや俺は驚く余裕もなく、礼を言って受け取った。
寝巻きに着替えた後、居間へと戻る。

弟もラフな格好をしてソファでくつろいでいた。俺はどうしても気になって眠れそうになかったため、ある決意を元に奴の隣に腰を下ろした。

「あの、兄貴……寝る場所なんだけど…」
「クレッド。お前、女いんのか?」

突然浴びせられた質問に、当然弟が目を剥いた。

「……はっ? なんだいきなり、いるわけないだろ」
「本当かよ。別に隠さなくていいよ、俺達仲良いんなら話してくれよ」

なぜか苛立ちを募らせながら、横目で奴を見る。
隠す必要なんてないだろ。何でも話せる間柄なんじゃないのか。
そう思って引かずにいたが、クレッドは戸惑いの視線をさ迷わせるばかりだ。

「ちょっと待って。なんか兄貴怒ってる…?」
「怒ってねえよ、なんで俺が怒るんだよ。お前に女がいたところで。まあモテそうだもんな、そりゃそうか」

俺は馬鹿だ。これじゃ劣等感丸出しで僻み根性出すぎの阿呆だ。

「お、落ち着けって。本当にそういう事はないよ、神に誓って。どうしたんだ兄貴」
「……いやいるだろ、だって歯ブラシが二つあったぞ。お前付き合ってる奴いるんだろ。は、半同棲してるような仲なのかよ」

正面から向き合って尋ねると、弟はさらに瞬きを繰り返した。
くそっ。兄貴としての余裕もまるでなくて格好悪いが、無性に腹が立つ。

黙っているとクレッドが、やがて口を開いた。

「あの、それ、兄貴のだよ。二つあるだろ? 緑のが兄貴ので、青色のが俺の」
「……え?」
「本当だ。信じてくれ。二人のだから」
「う、嘘だろ」
「嘘じゃないって。……な?」

背中をそっと撫でられて固まる。
そんな……とてもじゃないが信じられない。

全身が一気にカァーッと燃え上がった。汗も瞬く間にびっちょりだ。

「ほんとに俺の…? そんなことって、ありえるの?」
「うん。それだけじゃないよ。この家、兄貴のものたくさんある。言っただろ、よくうちに来てくれるって」

優しく言い聞かせる弟に、顔を覗きこまれる。
……なんて恥ずかしいんだ俺は。だって勘違いするだろうこんなの。

しかしクレッドの囁きは終わらない。

「兄貴、俺に恋人がいたら……嫌なのか?」

真剣な蒼い瞳にぞくりとする。弟なのに、妙に色気の滲む目線だ。

「なんだよその質問は……別に俺は…」

口ごもるがクレッドの視線が痛い。なんて答えりゃいいんだよ。
さっきの態度の後じゃ、今さら何を言っても恥ずかしいだろうが。

「でも俺は兄貴に、他に恋人がいたら嫌だよ」

突然の台詞に唖然とする。

弟がまた真っ直ぐに俺のことを見てくる。
俺はこいつのこの眼差しに弱い。昔から、嘘をつけなくなるのだ。

「ほ、他にってどういう意味だ。俺はそんなもんいねえぞ」
「……本当か? 良かった。じゃあ俺が一番今、兄貴に近いな」

微笑みを浮かべる弟を前に、何やら胸がざわめき立つ。
どうしてこいつの言動に、俺の心は揺さぶられてるんだ。

「お前は? 結局どうなんだよ」

話を逸らす風に口にするが、本当はかなり気になっていた。

「そうだな……俺は兄貴以外、自分に近い存在っていないんだ。だから、兄貴が一番なんだ、実は」

クレッドは俺を見つめて、穏やかな笑みを向けた。

まただ。
俺の心の中で、何かが音を立てる。

「俺が一番? 恋人よりもか…? 変な奴……」
「兄貴、なんか顔が笑ってる」
「うるせえぞっ、んなことねえっ」

いや確かに自然と緩んでしまっている気がした。

なぜ俺は喜んでるんだ。やべーだろ。こんな兄貴。
こんな弟も十分やべえが。

一体なんなんだ。
一連の状況が、心の動きが自分でもまったくよく分からない。

「なんか疲れた、俺……もう寝よう、そろそろ」
「うん。たくさん喋ったもんな。じゃあ寝よっか。あ、同じベッドだけどいいよな、広いし」
「……ああ、いいけど。……はい?」

ちょっと待て、またこいつ聞き捨てならないことを言いやがった。

「同じベッドって、いいわけねえだろ、兄弟でアホか! いくつだと思ってんだお前ッ」
「そんなに嫌がらなくても。悪いがここには俺のベッドしかないぞ」
「いや俺ソファで寝るから。布団くれよ」
「駄目だよ、ゲストの兄貴にそんなことさせられないから。じゃあ俺がソファで寝る」
「いやいやその方が悪いって。お前相変わらず頑固だな、言うこと聞けよ」
「兄貴だろ言うこと聞かないの。そうだ、とりあえず見てみてよ」

クレッドに強引に引きずられ、俺は奴の寝室へと連れ出された。

薄暗い中で照明がつけられ、だだっ広い淡色の空間に、確かに大人ふたりでも十分に寝れそうな大きいベッドが置いてある。

カーテンの後ろには眺めの良いバルコニーもあり、まさに素晴らしい一室といえる。

「い、いややっぱりおかしいだろ。まあふわふわで気持ち良さそうだけど、俺寝相わりぃし…」
「ああ、そうだよな。でも大丈夫だよ、俺慣れてるから。な?」

肩に手を置いて、モテ男の様相でなだめてくる弟。
まさかとは思うが普段もここで一緒にーーとか言い出すなよ頼むから。

いくら可愛くなった弟とはいえ、ガタイのいい立派な男だぞ。
おかしいだろ絵面的に。

でも隣でさも当たり前のように、動じてないクレッドを相手にしていると、もはや何が普通なのか分からなくなってくる。

隣で雑魚寝するぐらい、何でもないことなのか…?

「そっか、だよな……お前騎士だし、男同士で寝るのも慣れてるよな。はは」
「え? 慣れてないよ別に、というか嫌だ俺はそういうの」
「ああ? じゃあなんで俺はいいんだよ!」
「兄貴は別だ。むしろ一緒に寝たい。いいだろ?」

こいつやっばりおかしくないか。
俺の理解の範疇を超えている……恐ろしい男だ。
俺は自分でもブラコンの気があることは分かっているが、明らかにそれ以上だ。

今日だけでも物凄い勢いで、驚愕の事実たちが身に沁みていた。

結局その後、理論負けした俺はとうとう弟と同じベッドに眠ることになった。
広いシーツの上で、一人一人の布団もあり、ちゃんと独立して寝れている。

隣をちらっと見ると、弟はうつぶせで顔をこっちに向けて、目を閉じていた。

「おい」
「……なに?」
「まだ寝てないのか」
「もうすぐ寝るよ。兄貴は…? 眠れない?」

クレッドの眠そうな目が面白く感じ、どっちつかずの返事をして、じっと眺めていた。
小さい頃の寝方と同じなのも、なんとなく可愛く思える。

ーーいやいやいや。万が一こんな所を誰かに見られたら終わる。

恥ずかしいなんてもんじゃない。
なぜこいつは平気なんだ。精神力に長けすぎだろ。

「おやすみ、兄貴」
「おう。おやすーー」

言い終わる前に、クレッドが体を半分起こした。
顔が突然近くに来て、心臓が止まりそうになる。

奴の唇が、一瞬だけ、そっと俺の頬に触れた。

そして眠そうな顔でにこりと微笑み、また布団に入り、目を閉じた。

俺はその後、驚きのあまり何も反応出来ず、しばらく眠れなくなってしまった。



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