▼ 5 おかしな召喚獣
その日は初日ということもあり、先輩のセラウェさんに建物内を案内してもらって時間が過ぎた。
アルバイトは週に4日ほどで、次の出勤は明後日の予定だ。
何をやらされるのかはまだ全然分からないけれど、ひとまず無事に帰宅することが出来てホッとした。
「……まぁ、あんまり無事でもないんだけど。ラームのせいで変なとこ見られちゃったし」
「どうしたレニ。元気がないのか? ご飯もっと食べるか?」
屋敷の食事室で二人並んで夕食を食べていると、隣の召喚獣がまたちょっとズレたことを聞いてきた。
はぁ。もう今日の大事件忘れちゃったのかな。
こういうマイペースなとこは羨ましいけど。
「なんだぁ? レニ、やっぱこいつ何かやらかしたのか」
突然奥の部屋から聞こえてきた声に、僕はビクッとして振り向く。
すると朝と同じガウンを羽織った父が、見慣れたあくびをしながら現れた。
「お父さん、まだ同じ格好してるの。だらしないなぁ。頭もボサボサだよ」
「だって仕事区切りつかねえんだもん。また後で続きしないと…」
疲れた顔で向かいに腰を下ろし、皿に盛られたパンを行儀悪くつまんでいる。
「んで、何があったのか教えろよ。トマスはちゃんと優しかったか?」
「うん。伯父さんはいつも通り反応に困る感じだったけど……あ、そうだ! 団長さんと魔導師の先輩がねーー」
僕はやや興奮気味に今日の出来事を説明した。もちろんラームとの事は伏せて。
「あー、その兄弟なら俺もあいつから聞いたことある。団長が弟なんだろ? すっげえブラコンらしいぞ。兄貴の任務に危険がないか、毎回厳しいチェックが入るんだってよ」
「ええ! そうなの? ハイデルさんってお兄さん大好きなんだ。タイプは違って見えたけど、やっぱ仲良いのかなぁ。でも確かにセラウェさんってすごくいい人そうなんだ!」
魔術師同士趣味や気が合いそうだと話すと、父が生温かい目で僕の頭を撫でてきた。
「そーかそーか、よかったな。先輩にはうまく取り入っといて損はないからな。ついでに団長にもお世話になっとけ。あ、怖そうな騎士には近づくんじゃないぞ。お前は可愛い顔してんだから、そこんとこちゃんと気をつけろよ」
何の話に向かってるのかよく分からないけど、こう見えて心配性な父に「はいはい」と頷いておく。
「ラームがいるから大丈夫だよ。騎士さんにも負けないぐらい大きかったよ、あと絶対強いし」
「……レニ。そうだ、俺は強いからレニは心配いらない、チャゼル」
急に瞳を輝かせ宣言する召喚獣に、僕と父が顔を見合わせて笑った。
「よし、んじゃ頼むな。つうかお前達もう風呂入った? 俺あとで長風呂するから先入ってくんない?」
「えっ、また? もうお父さんいつも長すぎだよ、死んでんじゃないかと思っちゃうもん」
「おいそういう時は様子見に来いよ。危ないだろーが」
ぺちゃくちゃ喋りながら夕食を終え、一日の疲れを取るためにも、僕と召喚獣は父の言うとおり入浴をすることにした。
*
僕たちの寝床である塔にもバスタブはあるけれど、二人で入るにはちょっと狭いため、よく使うのは屋敷の大風呂のほうだ。
ラームは水浴びが好きで、僕も父に似てお風呂好きなので、日課のように体を洗ってあげているのだ。
けれどこの日の召喚獣は、なんかおかしかった。
「……んっ? なんでラーム人型なんだよ!」
僕が先に入り湯船にお湯を溜めていると、後ろから突然、筋肉ムキムキの全裸の男が戸を開けて入ってきた。
日に焼けた肌がまぶしい戦士のような体躯に、太く長い手足。薄っぺらい子供体型の僕とはまるで違う姿に、目が釘付けになる。
「今日はそうする。駄目か?」
「ええ……だめ、じゃないけど……」
でも僕には、大人の男と入浴する趣味なんてないんだけど。お父さんとももう何年も一緒に入ってないし。
普段は単純思考のラームだけど、動物だからか、時々何を考えてるのか分からない。
ため息をついてあんまり見ないようにしながら、僕は自分の体を洗い始めた。
でも召喚獣は、湯けむりの中でじっとそこに立っている。
「何やってるの、ラーム。早く体洗いなよ」
「なぜだ? いつもはレニが洗ってくれる。だから待っている」
その言葉に泡をぶくぶくさせていた僕の手が止まった。
信じられない顔つきで彼を見ると、無垢な蜂蜜色の瞳に見つめ返された。
「洗うわけないだろっ! いつもは狼だからだよ! なんで僕が大きな男の体洗わなきゃいけないんだよッ」
「……そうなのか。知らなかった。でも俺は自分で洗うの慣れてない。どうすればいい?」
慣れてないって、そんなわけあるか?
と思ったけど確かにこの姿での水浴びは、ほとんどした事がなかったっけ…。
「はぁ。じゃあ僕の真似したらいいよ。背中は洗ってあげるから」
「ありがとうレニ。髪も洗ってくれるか?」
図体のでかい召喚獣を小さな椅子に座らせると、自然にもう一つお願いしてきた。
それぐらいならいいか……そう思った僕は甲斐甲斐しく言うとおりにした。
「レニ。俺もお前の髪を洗う」
「えっ僕の? じゃあお願いしようかな」
位置を入れ替わって、わしゃわしゃと頭を泡立てられる。
あれ?
ラームのやつ、洗うのうまいじゃないか。大きな手で気持ちのいいとこを掻いてきて、かなり丁寧に洗ってくれている。
不思議に思いながら、ふと僕たちはなにを仲良く男二人で洗いっこしてるんだろうと我に返る。
「出来た、レニ」
「あ、うん。ありがーーぅぶうっ!」
突然ばしゃばしゃ上から水をかけられて、鼻や目にも水が入ってしまい、ゴホゴホと咳き込んだ。
すると後ろからガッと強い力で抱きかかえられ、すぐにラームに顔を覗き込まれた。
「……レニ! 大丈夫か、苦しかったか」
「苦しいよ! もう、かける前に一言いってよラームのバカ!」
そういえば僕は、こうやって時々加減を知らない召喚獣の犠牲になることがあるんだった。
「悪かった。今度は気をつける。……レニ、目が真っ赤だ。痛いか?」
「大丈夫。石鹸が入っちゃったから……」
本当はかなり目がしみた為、その後何度か洗い流した。心配そうに見つめるラームの手が、僕の頬にそっと当てられた。
「どうしたの、ラーム。もう気にしないで、大丈夫だよこのぐらい」
にこりと笑うと、ゆっくり彼の顔が僕に近づいてくる。
そのままほっぺたを舌でぺろっと舐められた。
「んあっ」
驚いた僕は思わず固まる。
どんな些細なことでも、ラームは何か思うことがあると、おもむろに僕の顔を舐めてくることがあるのだ。
まるで慰めるかのように、狼という獣らしく、親愛の情を示すかのように。
「ちょ、ちょっとラーム、人化した時にしちゃ駄目だってば」
「でもレニが心配だ。舐めるだけならいいだろう?」
いいわけない。大人の男に舐められるなんて、どんな状況なのかと冷や汗が出てくる。
でも召喚獣の思いを突っぱねることも出来ず、しばらくされるがままになった。
するとラームの舌が突然、僕の唇の上をぺろりとなぞった。
「んっ。…………な、なに!?」
目をぱちぱちさせてラームを見ると、彼はなにやら顔を上気させて、僕の目をじっと捉えていた。
混乱してすぐに言葉が出なかったが、さすがにそこはおかしいだろと文句を言おうとすると、今度は身を乗り出したラームに唇を重ねられた。
「んんん!」
信じられない。
やりたい放題の召喚獣の胸板をぐっと押して、強引に顔を離す。
「さっきから何やってんだよラーム! ご飯の前に魔力もあげたばっかりなのに、なんでキスするんだよ!」
恥ずかしさのあまり体が急激に火照りだし、僕は思いきり召喚獣を叱りつけた。
するとラームの瞳がわずかに揺らめいた。何かを訴えるような真っ直ぐな眼差しをしたかと思うと、僕の体をくるりと反転させた。
後ろから長い腕が回され、ぎゅっと抱きしめられる。
「どうして怒るんだ、レニ。俺は、試したかっただけだ」
え。試すって……何を?
頭がはてなマークになっていると、召喚獣はすくっと立ち上がった。
僕が声をかける前に、彼はぽつりと「先に出る。レニはゆっくりお風呂に浸かれ」と言い、寂しげな後ろ姿のまま浴室を出ていってしまった。
意味が分からない。
ラームのほうこそ、怒っちゃったのだろうか。
とりあえず僕は体を流した後、少しの間考え事をするため、湯船に体を浸らせた。
でもやっぱり召喚獣のことが気になり、早めに出て体を拭き、彼の後を追った。
屋敷を出て塔に戻ると、ラームは明かりもつけずに、ベッドの上に寝転がっていた。
薄い部屋着のまま、扉に背を向けて体を丸めている。
「……ラーム。何すねてるの? まだ髪の毛、濡れてるよ」
シーツの上に乗り上がった僕は、未だに彼が人型でいる事には触れずに、水気のついた茶髪を撫でた。
僕が肩にかけていたタオルを彼の頭にのせ、優しく拭き取る。
するとラームはこちらに向き直り、じっと物言いたげに見上げてきた。
「もう寝たいの?」
「ああ。このまま寝る。ここに来い、レニ」
腕を広げて僕を招こうとするが、ちょっと待ってほしい。
なんでだ? 寝るときはいつも茶狼と決まってるのに。
ふわふわの毛に抱きついて寝るのが、僕の毎晩の楽しみでもあるのだ。
でも喧嘩はしたくない。今日はラームも知らない人と会ったり話したり、疲れてるはずだから。
「ねえお願い。獣化してよ、ラーム」
「いやだ」
「やだってそんな……わがままだよっ」
「レニ、何でもしてくれるって言った。嘘ついたのか?」
大の男が僕より遥かに子供っぽさを見せ口を結ぶ。
「確かに言ったけど、今それ関係ないでしょう?」
「関係あるぞ。絶対に関係ある」
だめだ。今日の召喚獣はおかしい。すごく頑固で聞く耳を持たない。
諦めの早い僕は、もうこのままでいいかと早々に観念した。
「分かったよ。今日だけだからね、いい? ラーム」
「おやすみ、レニ」
「ちょっともう、何さっさと寝てるんだよ!」
じたばた腕の中でもがいても、召喚獣の逞しい腕には勝てなかった。
仕方がなく僕はその夜、分厚い体にくっつかれるのを我慢して、眠ることになった。
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