▼ 25 聖騎士の助け
巡礼地の一つである聖堂は大規模なもので、参列が礼拝堂の入り口まで続いていた。
僕らは司祭のターシュさんとともに職員に報告をし、襲撃の一報は瞬く間に界隈へと拡がった。
その場から出発する予定だった馬車らは一旦停止し、警備の見直しと増員が図られる。こんな事件が起きても決して巡礼中止にはならないのだ。
「では私は礼拝に参りますね。皆さん、過酷な道中ですが大変ご苦労様でした。しばしの休息を取られてください」
「はい。司祭もどうかお気をつけて」
聖騎士のセルゲイさんとともに彼を見送る。しかし司祭は去り際、ふと僕を見つめた。
「レニ君? 顔がぼうっとしていますね。気分はいかがですか」
「えっと、大丈夫ですよ。さっき力を使い果たしたからか、少し疲労があるだけで」
時間を奪ってしまったらまずいと手短に告げるが、彼は突然僕の額に掌を当ててきた。
「いえ、使い果たしていませんよ。それどころか溢れそうですね、君の魔力。体も熱っぽいようです」
「え!?」
そう言われるとそんな気がしてしまい、ぐらりと目眩が襲ってきた。また後ろによろけると、騎士が支えてくれた。
「ーーおっと、大丈夫か?」
「ふむ。彼を運んで休ませてあげてください。少し心配です」
「分かりました。お任せを」
「い、いや、大丈夫なので! …わぁあ、下ろしてくださいセルゲイさん!」
訴えたのだが、問答無用で横抱きにされてしまい余計にぐらついた。任務に区切りがついたからだろうか、体の怠さと熱を感じ、実際どんどん具合が悪くなっていく。
僕は恥ずかしげもなく、その後眠るように気を失ってしまった。
男性に持ち上げられるなどラーム以来だ。
気づかないうちに聖堂内の奥に連れていかれ、円形の窓が並ぶ室内のベッドで休んだ。
眠った時間は長くはないはずだが、やがて目を開ける。
まだ深い夜の中、僕を見下ろしていた人を見て驚愕した。
「お……伯父さんっ」
「目覚めたかい、レニシア。ああ……可哀想に。大変な目に合わせてしまったな」
そんな落ち込んだ声音を聞くのも初めてで、体を起こそうとする。
しかし優しくベッドに戻され、白装束の彼は近くの椅子を引いて僕の髪をとくように触れた。
心配をかけてしまったようだ。仕事中なのに様子を見にきてくれるとは。
「トマス伯父さん、僕達黒魔術師に襲われたんです。他の人達は大丈夫でしょうか」
「ああ。実はね、各地で他の隊もいくつか被害にあったんだ。今は警護を強化している。君は十分力を使ってくれた、今はゆっくり休みなさい」
そう伝えられてまだ緊張はあったが、少しだけ肩の荷が降りる。
司祭の伯父はこの場所で緊急会議に出たあと、ここに寄ってくれたらしい。
早く戻ってくださいとお願いしたが、名残惜しそうな感じだった。
「分かった分かった、もう行くよ。しかし参ったな、今さら僕は職場で身内をそばに置くという事の本当の意味を理解したよ。ハイデルのことを言えないな」
眉間に皺を寄せ、だが僕には微笑みを見せようとしてくれていた。
「とにかく今日の任務は終了だ。この部屋を使っていいから、また明日会おう。……そうだ、出発間際のターシュと少し話せたんだが。ラームの声が聞こえたらしいね。彼も直に出てきてくれるといいんだが」
「あ……はい。そうなんです。僕もずっと、考えていて」
あの時のことを思い出すが、もう召喚獣の声は聞こえない。
頭にも心にも霧がかかったように、暗くなっていく。
でも、僕はやっぱり信じることにした。
馬車での呼びかけは、ラームの意思に違いないからだ。
「では僕はこれで。ーー君もありがとうな、セルゲイ。僕の甥が世話になったよ」
「いいえ。我々のほうこそ彼に助けられました。自分はしばらく護衛いたしますので」
「ああ、助かるよ。レニシア、きちんと休むんだよ」
お礼を言って伯父と別れたのだが、扉付近の暗がりに騎士のセルゲイさんが立ってくれていたと知り慌てる。
「わあっ、ありがとうございます! 僕はもう平気ですよ、お仕事に戻ってくださいセルゲイさんっ」
「そうだな。呼ばれたらすぐ行くよ。次の警護までは少し時間があるんだ。……レニ、本当に大丈夫か?」
制服姿の長剣を携えた聖騎士が、様子を伺いながら近づいてくる。
その問いにドキリとした。
さっきの戦いを思い出し、まるで記憶が鮮明によみがえっていくように手足が震えてしまった。
「あ、あの……っ」
「無理しなくていい。初めての実戦のあとは俺も覚えがある。だからちょっと心配でな。少し話していいか」
優しい騎士はそう言い、椅子に腰を下ろした。
彼は言葉を選んでいるようだったが、僕を気遣おうとしてくれていることが伝わった。
「まず君に礼を言いたかったんだ。君と……その召喚獣にもだな。二人のおかげで大きな被害を受けずに済んだ。敵はかなりの手練れだったよ。奇襲がうまくいっていたら、状況は大きく変わっていただろう。だから任務は成功したんだ。レニ、君が悔やんだり気にする必要はないんだ。いいな?」
「はい……」
真摯に言い聞かせられ、泣きそうになる。教会も騎士団も出会う人がいい人ばかりだ。
「今日会ったばかりの僕に、ありがとうございます。……本当は今も怖くて。初めてだったから、一人で戦うの。……あっ、いえ皆さんと戦えて本当によかったんですけど、いつもは茶狼がいて…」
僕はゆっくりと体を起こし、本音を告げてしまった。
すると騎士は腕を組んで考える素振りをする。
「そうか……彼はまだ出てきそうにないのか?」
弱気になり頷いた僕の頭に、意外にも励ましの前向きな声がかけられた。
「どんな奴なんだ? よかったら教えてくれないか。俺も力になれればいいと思ってな」
思わぬ提案に瞬きする。この騎士さん、本当に優しい人だ。
普通の人に召喚獣に興味を持ってもらえたことも、嬉しくなった。
「ありがとうございます…! あの、ラームは素直で感情豊かで、時々頑固なところもあるけど、言うことはよく聞くし、とっても良い狼なんです! どんな任務でもいつも一生懸命になってくれてーー」
親バカのような気持ちでつい言葉が止まらなくなる。
「そうなんだな。俺も領内で見かけたことがあるんだが、見た目は強そうですごいガタイだったけど、喧嘩もふっかけてこないし、落ち着いていて問題なさそうに見えたよ。獣のイメージとは違ってさ」
セルゲイさんは任務の時よりもさらに気さくに話してくる。召喚獣を褒められた僕は喜び調子にのってうんうんと頷いてしまった。
「実は白虎の、あの男いるだろう? 団長の兄上様が飼っているーー」
「あ! ロイザさんのことですか?」
「それだ。彼は結構好戦的なタイプでな。騎士団でも有名なんだよ、問題行動が。けど君の獣は違うようだな。団内でも強そうだと噂にはなっていたが」
自分は対戦に興味はないけれど、と加えつつ関心をもった様子でセルゲイさんは語った。騎士団に少なからず影響を及ぼしていたとは、やっぱりロイザさんもラームもすごいのかも。
その後も彼から色々話を聞く。
そういえば僕を気にかけてくれたロイザさんは、人手が足りず外での戦闘任務に駆り出されているらしい。
恐ろしく強い人らしいので心配ないと思うが、単独で行動出来るのはやはり先輩の獣としても尊敬する。
「はあ。ラーム、どうしたら出てきてくれるんだろう」
「うん……そうだよな。……っあ! 良いことを思いついたぞ。獣なら餌で誘きよせるのがいいんじゃないか?」
爽やかに目を輝かせて言ってもらえたが、僕は少し汗が出る。
「あっ……僕が餌なんです。彼は普段魔力を食べるので」
「あ、ああ。そうか。悪い、無知なもので。……ではどうすればーー」
唸りながら親身になってくれる騎士を見て、僕はあるとんでもないことを思いつく。
この人、スラッとして引き締まった若騎士だけど、かなり体が大きい。
もしかしてーー。
「セルゲイさん、あの突然ですけど、僕のこと友情のハグで抱き締めてもらえませんか?」
「え?」
「いきなりすみませんこんなこと! でもラームは本当に焼きもち妬きで、自分以外の強そうな人が主の近くにいると怒っちゃうんです」
何を言ってるのかという感じだが、僕は大真面目だった。
今日初めて会った人に頼む事柄でもない。しかしラームの声が聞こえたし、もうちょっとだと希望を捨てられなかったのだ。
「そんなことでいいのか? 分かった。じゃあやってみよう」
彼も少し戸惑ったはずだが、わりとすんなり受け入れてくれた。
ベッドに座る僕の隣に寄ってきて、静かに腰を下ろす。
青い制服をまとうがっちりした胸板に、顔を引き寄せられた。
頭ごと抱かれてむぎゅっと結構しっかりめに抱擁される。
セルゲイさんは黙って僕の頭を撫でた。
その優しい手つきに、自然と涙がにじんでしまう。
ラームとは全然違う匂いがする。
でも体つきや温もりで、思い出してきてしまった。
「……ううっ」
「レニ? どうした、大丈夫か…?」
「あ……会いたいよう、ラーム……」
十六才にもなって、子供のように涙が溢れてくる。
騎士に顔を確認され驚かれたが、彼は再び僕をぎゅっと抱き締めてくれた。
「大丈夫だ、もうすぐ現れるよ。泣くな。な?」
優しい声に包まれば包まれるほど、悲しみが襲ってきた。
彼の制服についた滴を拭おうとすると、セルゲイさんの体がぴたりと動かなくなった。
彼の視線は、僕の後ろへと移り、大きく目を見開いている。
「あ……レニ。うそだろ、本当に出てきたようだ……」
「……えっ?」
僕は振り返る。そこには、白いモヤとともに日に焼けた体躯の大柄な男が立っていた。
長めの茶髪に精悍な顔立ちをした、人型の召喚獣だ。
「ら、ラームっ!!」
叫ぶと同時に、茶狼の唇から消え入りそうな声が聞こえる。
「そいつ誰だ……? どうして抱き合ってる。レニーー」
浮かんだ表情は怒りなどではなく、あの時と同じように自信が消失してしまった彼だった。
でも僕は立ち上がり、無我夢中でラームの腕の中へと飛び込んだ。
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