召喚獣と僕 | ナノ


▼ 11 調査の中で

研究所の博士だという男についていった僕は、迷路のように入り組んだ廊下や階段を進み、ようやく地下の広い一室に到着した。

ここが彼の私室だというのは間違いないようで、内部は真っ白な天井と壁、同じ色の家具と観葉植物が置いてあるだけだった。
さすがに研究室には入れてもらえないか…と思ったものの、機会をうかがって雑用をこなすしかない。

「さあ、掃除用具はここだよ。終わったら適当にくつろいで構わない。飲み物はあちらで飲めるし、読書だってしていい。僕はまたあとで戻ってくるから。頼んだよ」
「はい、ありがとうございます!」

白衣姿の彼は一通りの説明をしたあと、颯爽と部屋を出ていった。
本当に簡単な作業だけで拍子抜けする。皆が忙しく業務を行う間、自分だけ特別扱いでいいのかとも思った。

ラームとセラウェさん、大丈夫だろうか。
あの様子だと結局三人とも皆ばらばらになってしまった。

心配は募ったけれど、僕はとりあえず掃除に取りかかった。
かなり部屋が広いから時間はかかりそうだが、何か施設の手がかりがないかと、こっそり棚や家具の引き出しを調べようとする。

しかし当然のごとく防犯はされていて、鍵や結界ですべて頑丈に閉まっていた。
たぶんあの博士も、僕が魔力に乏しい人間だから無害だと考えここで働かせたのだろう。

「はあ……情けないけど。……でも、まだ始まったばかりだ。そうだ、本でも読もう」

掃除を終わらせ大きな本棚にある蔵書を手に取った。さすがに研究者らしく、僕が学校で読んでいた魔術書より高度な分野の書物がたくさんある。

だが不思議なのは、医術関連が多かったことだ。それに、黒魔術の儀式に関する古代文献もあった。内容は難解で僕なんかじゃそもそも理解も追い付かない。

この研究所は何をやっているんだろう。
考えながら、本を調べることに没頭し時間があっという間に経過した。

「おや、君は勉強熱心なんだな。そんなに本を散らかして」
「……あっ! すみません!」

午後になり博士が戻ってきて、僕は慌てて本を元に戻す。
しかし彼は白衣のまま落ち着いた雰囲気で、後ろのソファに腰を下ろした。
片付けたら僕も座るように促され、緊張しつつも言う通りにした。

白髪の男の黒い瞳が、探るように視線を合わせてくる。
息が詰まっていると、突然彼は僕の制服とセットだった仕事用の帽子をそっと取った。

「うわぁっなんですかっ?」
「ふふ。素晴らしい黄金色の髪だね。肌艶もいいし、健康そうな従者もいる。君はとても貧しくは見えないが、こんな場末の職場で働こうとするなんて、何か事情があるのかな?」

その瞳は微笑みを浮かべていたけれど、僕は焦りが顔に出ないように必死だった。
この人はラームが僕の召喚獣だということには気づいてないようだが、なぜか関心を持たれている。僕がうまく返せずにいると、ふっと笑った。

「まあいい。魔術師に品行方正は求められていないからな。皆何かしら秘密があるものだ。……僕も含めてね」 
「えっ?」

聞き返したが、マイペースな博士は僕の反応などどうでもいいらしく、すでに視線を下に移していた。
突然僕の左手首を持ち上げ、まじまじと見つめる。

「ところで、君のこの手首の紋章は、どういった魔術を披露するのだろう」
「……あっ、それは……か、家族の伝統の秘術で、教えられないんです!」

僕はこの日一番の焦りぶりで身を引いた。これはラームを召喚するときの刻印だ。ばれてしまったかと思ったが、意外にも彼は「そうか」と言って興味なさげに話題を終えた。 

しかしその後も博士は何かと僕に親切で、困ったらお金の援助もしてあげようなどと持ちかけてきた。もちろん断ったが、きっと僕のことは金持ちの道楽息子的に捉えたのかもしれない。全然違うけれど。

結局しばらく彼の会話の相手をした後、初日の勤務が終わりとなった。
博士はまた研究室に戻っていき、僕も帰り道の誰もいない廊下を歩く。

迷いそうになりながらもほとんどのドアは閉まっていて、前に進むしかなかった。最後のドアにたどり着き、開けるとなんと出口を覆うような大きな男が立っていた。
長めの茶髪と日に焼けた肌、いつもの薄着の私服をまとったラームだ。

「ラーム!」
「レニ! どこに行ってたんだ、心配したぞ!」

召喚獣はすぐに僕のことを両手で抱き上げ、下から見つめて抱きしめた。僕は人目を気にしたが誰もいなくて静かだったため、素直に受け入れた。

「ごめんね、心配かけて。僕は大丈夫だよ。ほんとにただ掃除しただけだから。ラームは? 問題なかった?」
「ああ。ない。倉庫で大きな荷物を運んだ。途中でお前を探しに出たが、どこも閉まっていて進めなかった」

彼は悲痛な表情で僕の頬を撫でた。かなり不安にさせてしまったと知り、申し訳なくなって謝る。

「でも言いつけをちゃんと守って偉いよラーム、ありがとね」

大人しく手を繋がれて自分達の寝所に戻る。
茶狼は僕の言葉に眉をきゅっと寄せたまま、あんまり心配が解けていない様子だった。

部屋に戻ってもまだ僕達以外誰もいない。鉄格子の小さい窓からは日が暮れるのが見え、もう夕方だ。
僕は朝以来あげられてなかったラームの食事を与えることにした。

鍵つきの洗面所へと向かい、二人で魔力供給の準備を行う。誰かが戻ってくる前にさっさと終えなければ。
僕はまだ慣れない環境の緊張感もあり、そう思ってしまっていたのだが、ラームは違った。

洗面所に入るなり、また僕の体をひょいっと持ち上げる。
彼の腰ほどの高さの棚の上に乗せられ、唖然とした。僕は小柄だが16才だし、子供扱いされるのは不満がある。

「ちょっと、どうしたんだよラーム、怒ってるのか?」
「レニにまた匂いがついてる。他の男の匂いだ」

はっきりとそう苦情を告げ、険しい顔つきで僕の首もとを大きな手のひらで触ったり、鼻を近づけてくんくんと嗅ぎとる。

今は人型で体格のいい成人男性に見えるが、彼は元野性の狼だ。
だから問答無用で嫉妬心を露にして確かめてきた。

「ま、まってよ、ラームのご飯は……っ」
「すぐに食べる。でも、その前に教えろ、レニ。どうしてあいつはレニに触った。レニに何かしたのか」

僕の名前を連呼し、肌についた他の人間の匂いを消し去ろうと、なんと上から舌で舐めてきた。
ざらりとした感触が首や僕の手首にまで這って吸い付き、びくびくと身もだえる。

「やぁっ、もう、ばか、ラーム、こんなとこでだめだってばっ」
「場所は関係ない。俺はいつでも確かめる」
「だめだよ! 今任務中なんだよ!」

声をあらげて嗜めると、ようやくむすっとした顔が僕の瞳を捕らえた。

「ラーム……大丈夫だよ。ちょっと興味持たれただけで、何もないから。ただの掃除係だよ。それより僕、ちゃんと部屋の中とか調べたんだ。あんまり成果ないけど…」

少ししょんぼりしながら、彼の柔らかい長めの茶髪を触り、優しく撫でた。
そのまま口を近づけ、頬を手で包み込んでキスをする。

僕から積極的に魔力供給をすると、ラームはぴたりと大人しくなった。
かと思えば、体をぐっと寄せてきて、腰に腕を回しもっと深いキスをしてくる。

恥ずかしい舌を絡めるやつも、結構慣れてきたつもりだったけど、こんな外でするのは中々ないから羞恥が襲った。

「ん、う……」
「…………レニ……美味い」

呟いたラームが恍惚の表情で息をはあと吐く。無事に久しぶりの魔力を与えられたらしい。

「……レニは頑張っている。俺も応援している。……でも、やっぱりそばにいられないのは心配だ。気を付けてくれ。あと、何かあったらすぐに俺を呼ぶんだぞ」
「うん。ありがとう。絶対そうするよ」

まだ火照る体を彼の胸元に閉じ込められながら、僕は伝えた。本当は彼のほうが心配だけど、初任務はまだ始まったばかりだと、決意を新たにした。

だが僕らが二人でこそこそ過ごしていたのは、やはり良くなかったらしい。突然外からドンドン!と扉が叩かれ、鍵もがちゃがちゃ開けられそうになったので慌てて部屋から出た。

立っていたのは、不機嫌そうな若い青年二人だ。同じ魔術師なのは分かっていたけれど、僕達をバカにした様子で睨み付けてきた。

「おい、占領するなよ。俺達も疲れてるんだ」
「あっごめんなさい!」

僕はすぐに大きなラームの背中を押し、道を空ける。さっきは気づかなかったが、仕事終わりの彼らは柄が悪そうな態度で大声で話をしていた。

おずおずと隅のベッドに帰ると、ラームは仏頂面で壁を背にして室内を眺めた。皆ばらばらに帰ってきていて、近くに座っていた中年男性の他に、僕達はセラウェさんの姿を探した。

彼はしばらくしてどんよりした面持ちで帰還した。
僕らは急いで駆け寄り迎える。なんだか一番疲労が滲んでいて心配になる。

「大丈夫ですかセラウェさん! どんな目に合ったんですか!」
「いやー……最悪だわ。ひたすら魔石に魔力練り込んだり妙な護符作ったり、数人で魔術式の詠唱チェックしたり……こんなに疲れたの修行時代以来だよ。……いやあれよりはマシか…」

遠い目で呟く先輩にお水を差し出し労る。僕は自分だけのうのうと簡単な作業をしてたなんて言いづらかったが、室内での夕食後に自由時間があり、その時に三人そろって調査の経過を話し合った。

他の魔術師たちが皆広間や自由室で過ごしている間、僕らは部屋の隅で肩を寄せる。

「黒魔術の文献やら、医術書ねえ……明らかにきな臭え禁術でもやってんだろうな。俺達のとこはでかいホールで百人単位の魔術師共が作業させられてたぜ。休みなく魔力を搾取されて皆ヘトヘトだ。やつら、何かに利用して秘密裏に殺したりでもしてんのか? ゴミのように扱いやがって」
「そ、そんな、もしそうなら大事件じゃないですかっ」
「おう。教会と騎士団はかなり危険なことやってる非道集団が相手だからな。お前も覚悟しといたほうがいい。本来なら俺達に任せるような案件じゃない気がする、このレベルは。……ああ、いつ騎士団が投入されるんだよ、早くしてくれよっ」

早くも発狂しそうなセラウェさんだったが、経験値の差からか僕よりもまだまだ余裕があるように見えた。
段々と恐ろしくなってくる。もし博士が裏で非道なことをしてるなら、生きて帰れるのだろうか?

「……いや、大丈夫大丈夫。気をしっかり持たなきゃ。えっと、ラームはどうだった? 何か変なことあった?」
「いや……ああ、ひとつだけあった。倉庫の中にはたくさん荷物があったが、一部のものは全く匂いがしなかった。……まるで、意図的に消してるかのような雰囲気だった」

太い腕を組み、訝しんで首をひねっている。
僕も先輩も注意をする。どういうことだろう、完全にその荷物怪しすぎる。

「うーん。でも厳重に封じられてて中身なんて見えないよね…」
「無理矢理壊して中を見るか? 悪いことをしてたらすぐに捕まえればいい」

当然という顔で召喚獣に提案されたが、僕達はすぐに却下してまだ様子を見るだけだとお願いした。
彼らの悪行は止めなければならないが、確証がない限り焦って行動するのは禁物だ。

皆悶々と考えつつも、一日を終えて眠りについた。




そんな日々が数日、一週間と続いていく。
この任務は潜入捜査のため、最初から数週間単位ではあると覚悟していたが、思ったよりも警備は厳重で機密情報も絶対に僕ら労働者には漏れないようにしており、難航する。

このタコ部屋に籠っていると、段々精神も疲労してくる。
僕はセラウェさんやラームと異なり比較的簡単な雑用しかしていなかったが、それでも手応えの少なさに焦燥も募っていた。

家族とこんなに長く離れるのも久しぶりだ。
父には教会のしごき合宿があると言って連絡も取れないことを伝え納得してもらったが、寂しくなってくる。

ラームはそばにいて支えてくれるけれど、彼は運搬係として重宝されているようで、一番帰りが遅くなることも多かった。

ある日のことだ。夕食後、皆疲れてベッドに横たわったり、部屋で自由に過ごしていた。
セラウェさんは寝息を立てて眠っている。僕も他の数人とは話もせずに、布団にくるまり寝そべっていた。

ラーム、早く帰ってこないかな。魔力供給は人目を盗んでやっているけれど、普段より時間がないため量は圧倒的に少ない。
それでも頑張って協力してくれている彼に感謝がわく。

「……おい、お前寝てんのか?」

突然後ろから声をかけられて、僕は驚いて振り向いた。
二段ベッドの柱に手をかけ、青年がいやらしい笑みでじっと体を見下ろしてくる。

「どうしたんですか?」

僕は嫌な雰囲気を感じとり、起き上がって後ずさった。
彼は初日に僕とラームが洗面所にいるのを見て文句を言っていた若者だ。
もう一人の仲間らしき人に「そっちは起きてるか?」と声をかけ、セラウェさんの頭が「まだだ」と小突かれるのを確認する。

なんだろう、この人たちおかしい。
恐れがわいて僕はセラウェさんに声をかける。しかし深い眠りに落ちているようで中々起きなかった。

青年が下段にある僕のベッドに乗り込んできて、いきなり覆い被さるように近づいてきた。

「や、やめろっ、何するんだよ!」
「お前こういうの慣れてるんだろ? いつもあの大男とイチャつきやがって。可愛い面してっからなぁ、ここの上の奴らにも気に入られるの簡単そうだな」

下品な笑いをこぼし、暴れようとする僕の腕をぐっと掴んで押し付けてきた。とんでもない言いがかりだ。
男が制服のシャツに手を入れ、肌を触ってきたときに僕は叫んでしまった。

「やだ! 触るな! セラウェさん起きて、助けてえ!」

じたばたともがいていると、「んあ?」という寝ぼけた声とともに向かいで黒髪が動く。のっそりと起き上がった彼は辺りを見回し、こちらの異変に気づいたようだった。

「なっ、何してんだこの野郎! そいつから退けッ!」

先輩の怒鳴り声が響く。室内も騒然となり始めた。
セラウェさんが僕の上の男を剥ぎ取ろうとすると、もう一人が彼の背中を捕まえ、腕を押さえて動きを封じた。

男は彼の暴れる体と口を塞ぎながら「詠唱なんかすんじゃねえよ、動くな」と笑っている。

どうしよう、大変なことになった。そこへ様子を見ていた中年の男性が声をかけてくる。僕は助けを求めたが、彼はこう言った。

「騒ぎを起こすなよ、見つかったら金が全部没収だ。俺には妻も子供もいるんだ、静かにしてくれ」
「うっせえんだよジジイ! こんなクソみたいな所じゃしょぼい金しか払われねえんだ、ちょっとぐらい楽しみねえとやってられるかよ!」

犯人たちは吐き捨てるも楽しそうに笑ってまた僕らに向き直る。
だめだ。皆狂っていると思ってしまった。
敵わない武力はもちろんのこと、魔法を放とうにも騒ぎになったらまずいし、そもそも僕じゃ勝てるかも分からない。

社会の厳しさと非情さを身をもって知る。
もっと訓練して、鍛えておけばよかった。
心の中で泣きそうになると、召喚獣の顔を思い出す。

何かあったらすぐに呼べと言ってくれた、優しいラーム。
ーーそうだ。僕にはまだ彼がいる。一番心強くて、力も強い主人思いの茶狼が。

「……ラームっ、助けて、今すぐ来て!!」

男に体をまさぐられながら、思いきり声を張り上げた。左手首の紋章に視線をやり、口早に召喚呪文を唱える。

すると辺りにぽつぽつと赤い光が浮かび始めた。
それらは渦をまくように中心に集まり、まばゆい光となる。

瞬時に空間を吸収するかのごとく現れたのは、茶色い毛並みが風に靡き、ぴんと耳を鋭く立たせ、瞳を怒りに染め上げた巨体の狼だった。

「グルアァァアッーー」

彼はすぐに僕らの状況を見て察知したのだろう。
激しいうなり声と咆哮を上げ、恐ろしい牙を見せて威嚇をした。

それは想像以上の怒りだった。僕が彼の姿を見て安心するよりも先に、獣化したラームは興奮状態に陥り、なんの躊躇いもなく男の肩にがぶりと噛みついた。



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