▼ 8 気持ちの芽生え
僕はいつの間にか、人型のロイザさんによって一階の空き部屋に連れ去られた。
壁際に追い込まれ、白髪の隙間から覗く鋭い視線に動けなくなる。
「あ、あのう……ラームのことでお話って、なんでしょう。よく分からないんですけど、とにかくすみません!」
「なぜお前が謝る? そう怯えるな。俺はただお前らに助言をしてやろうと思っただけだ」
無表情で見下ろす彼の意外な言葉に、目が点になる。
てっきり自分達が至らないせいで、お説教されると思っていたのだ。
しかし次の瞬間、僕は予想だにしない台詞に度肝を抜かれる。
「坊主。お前の召喚獣、もうすぐ死ぬぞ」
「…………はっ?」
僕はとても間抜けな声を出してしまった。わけが分からず固まるが、白虎のロイザさんは無反応で落ち着いている。
「幻獣が死ぬというのは語弊があるな。消えるといったほうが正しいか」
「ちょ、ちょっと待ってください、どういう事ですか…? 冗談やめてください、さすがに僕も怒りますよ!」
全然信じてないくせに、僕はなぜかすでに涙目で声が震えてしまっていた。
ひしひしと感じる威圧感と言葉の重みに、完全に気圧されていたのだ。
「俺は無駄な冗談は言わん。感覚的に感じることを述べているだけだ。人間の時間で言えば、あの野良犬の寿命はせいぜいあと半年程だろう。原因は……分からないか? 坊主」
ロイザさんの灰色の瞳にじっと見つめられる。
あと半年でラームが消えてしまう? 意味が分からない。だってあんなに元気なのに。
「なんで……うそでしょう。ラーム病気なんですか? 教えてください、ロイザさん……っ」
「……なぜ生きてもいない幻獣が病気になるんだ。お前は俺の主よりとぼけた奴だな」
人間らしいため息を吐いた白虎が、腕組みをして真剣な表情を作った。
「原因は魔力不足だ。お前から与えられる魔力が足りていないのだろう。端から見ていても奴の魔力消耗は凄まじい。まだ年が若く肉体が安定してないのだろうが…」
冷静に分析する彼の顔を見上げながら、僕は鼓動がうるさく鳴り出すのを感じていた。
僕のせい……やっぱり、そうなのか。
年々ラームから魔力の要求が増えている事は感じていたけど、まさかそれほど深刻な事態に陥っていたとは。
「僕は……ほんとに最悪だ。全然気づかないで、主失格だ……!」
「そう気に病むな、坊主。これから対処すればいいだけの話だ」
ロイザさんに余裕の表情で励まされ、僕は勢いよく顔を上げた。
もしかして、良い対処法を知っていて、こんな僕に教えようとしてくれているのかーー?
「まあ俺もこういった事柄に全く関心はないが、俺の主はお前のことを随分気に入っているようなんでな。セラウェのためだ、放っておけん」
そう言って彼は僕のことをいきなり壁に押し付けた。耳元に口を寄せられ、心拍数がものすごい勢いで上がり始める。
え、何をするつもりなんだ?
怖いよラーム、助けて!
言い様のない不安を覚えて固まっていると、ふいに信じられない言葉を告げられた。
「お前はまだ若いが、奴が主の魔力しか受け付けないとなると仕方がない。……いいか、奴と体液交換をしろ。召喚獣を生かすには、それしか方法がない」
体液交換だってーー?
どこかで聞いたその単語に、僕の頭は一気に混乱する。
しかしロイザさんは、突然眉をぴくりと上げ、何かを察知したかのように体を離した。
扉を見やった後、無言でまた僕に視線を合わせる。
それからすぐに彼の体が白い霧のようなものに包まれ、なんと音もなくその場から消え去ったのだった。
呆然と壁に寄りかかる僕の耳に、扉がコンコンと強めに叩かれる音がした。
まずい。誰か来てしまったのか。
どう言い訳をしようか考えながら扉に向かうと、そこには大きな体をした屈強な男が立っていた。
「……ら、ラーム! なにして、ベッドに居てって言っただろ!」
「すまない、レニ。遅いから心配になった。……何故この部屋にいるんだ?」
さっきまでのわだかまりを引きずったかのように、召喚獣が不安げな表情で問いかけてくる。
ロイザさんとの会話を思い出した僕は、急激に胸が締め付けられた。
しかしラームは僕に近づくと、途端に眉を険しく吊り上げた。
首筋に鼻を寄せ、くんくんと注意深く匂いを嗅いでいる。
「なんだ…? これは、あいつの匂いだ。レニ、ここで何をしていた?」
眉間に皺を寄せて、強い口調で問い正され、僕は慌てて彼の頑強な腕を掴んだ。
「いや、何もーーラーム、大きな声出しちゃ駄目だよ、早く部屋に戻んなきゃ」
自分の焦りを隠し、彼を落ち着かせようとした僕の態度がまずかったのか、召喚獣の表情がさらに険しさを増す。
ラームは何を思ったのか、背をかがめて突然僕のことを持ち上げた。
小さい子にするように彼の腕に抱えられ、目線がものすごい高くなる。
「ちょっと、下ろしてってば、何してるんだよもうっ」
「嫌だ。このまま持っていく。レニの話はベッドで聞く」
子供のようにむくれた顔で言いのけた召喚獣に、僕は二人の個室へと連れて行かれた。
*
数分後。ベッドの上で僕は、怒った顔のままのラームに、両脇に手をついて囲まれていた。
彼の長めの茶髪の髪が微動だにせず、蜂蜜色の瞳がこちらをムッと見つめている。
「ラーム、あの……違うよ」
「違わない。あの白虎と何してたんだ。レニ」
嫉妬に燃える彼の素直な感情を前に、ちょっと内緒話をしてたんだよ、と正直に言えなかった。
だって内容を思い出すだけで、僕は悲しくなってしまう。
そんなの、嘘だよね。
いつも僕の魔力が少ないせいで、彼に大変な思いをさせてしまっているけど、ラーム、消えたりしないよね?
「……だめだよ……やだよ……」
気づくと僕は目に涙を溜めて、召喚獣の男らしい精悍な頬を撫でていた。
するとラームが大きく目を見開く。
「レニ? どうしたんだ。何故泣いている……?」
「泣いてない…」
「いや、涙が出てるぞ。俺のせいか? ……ごめん、レニ。もう怒らない。泣かないでくれ」
僕は全然違うことで悲しくなっているのに、急に焦りを浮かべた彼の優しい声に、また心が揺り動かされる。
「ラーム、僕とずっと一緒にいて……いなくなったりしないでね」
「当たり前だ。俺はずっとレニと一緒だ。小さい頃から約束してる。絶対に守るぞ」
彼がよく使う「守る」という言葉が、僕の胸にずしんと響く。
そうだ。
泣いてる場合じゃない。僕は茶狼の、ラームの主なんだ。
ロイザさんが言っていたように、契約をしている主の僕しか、彼を守ることが出来ないんだ。
そのためだったら、僕は何でもするって前に誓ったじゃないか。
「ありがとう。僕もラームのこと守る。約束するよ」
言葉に出して、ぽっと染まり出した彼の頬をもう一度優しく撫でた。
召喚獣は知っているのだろうか、自分の状況を。
それとも無意識的に、本能的に、近頃ずっと僕の魔力を強く欲していたのだろうか?
僕はまだ弱くて、なんとなくこの場で聞けなかった。
でも勇気を出して、初めて自分から行動に移そうと思ったのだった。
「ラーム……こっちに来て」
「……うん?」
僕をどこかうっとりした顔で見つめる彼の顔を両手で包み、自分の口を近づける。
ちゅっと押し付けて、そのまま数秒目を閉じていた。
ラームは固まっていた。
けどこれだけじゃ足りないんだ。教えてもらったように、体液交換ーーつまり唾液交換をしなければならない。
僕は心を決めて、口を開けた。
ゆっくり舌を出すと、それまで動かなかったラームの唇が開かれ、大きさの違う舌が現れる。
「……んっ……う…」
二人の舌がゆっくりと絡み合い、唇がもどかしく触れ合った。
恥ずかしくて死にそうだ。
ほんの数十分前まで、僕は召喚獣に同じことをされて、あんなに怒っていたのに。
きっと変に思われてるだろう。
でも僕は本気だった。
こうすることでラームが助かるなら、何回でもする。毎日、どんな時だって、その覚悟がある。
「……は、あ…………レニ……どうしたんだ」
召喚獣は、さっき交わした初めての大人のキスの時よりももっと、顔を赤らめて呼吸を浅くついていた。
そんな余裕のない彼の様子を見て、僕も胸がドキドキと変な風に高鳴るのを感じる。
「だって、ラームが大事だから。これが僕の気持ちだよ」
そっと告げると、ラームの瞳がわずかに揺らめく。
ゆっくり顔を近づけ、僕の様子を伺うように瞳を覗き込んでくる。
「レニ。本当にいいのか? もう嫌じゃないか…?」
「……うん。大丈夫だよ、ラーム。さっきは怒ったりしてごめんね」
後ろ髪に優しく触れると、彼が狼の時のように目を閉じ、気持ち良さそうに喉を鳴らす。
それから僕の体に懐くように、上からぎゅっと抱きしめてきた。
これでいいんだ。
これでもう、僕の大事な茶狼は安全だーー。
単純な僕はその事実をすっかり信じ込み、じんわりと安心に包まれながら、彼の体を抱きしめ返した。
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