店長に抱かれたい | ナノ


▼ 28 ご挨拶

ほぼ毎日店長の家に入り浸るということが許されて以降、俺は明らかに浮かれていた。しかし新たな波乱は着実に近づいていたのである。

「あれ? 店長。スマホが鳴ってますよ」
「……あっ、そうですね。すみません、ちょっと失礼します」

仕事が終わり、二人で彼の部屋で過ごしていた頃、レオシュさんは重い腰を上げて寝室に消えた。
なにやら話し声が聞こえる。内容は分からないが、彼にしては珍しくはっきりとした口調でーー時おり口論している。

しばらくして戻ってきた店長は言葉少なにソファに座り直し、軽くため息をついた。俺は心配になって体を横に向けた。

「大丈夫ですか? なにかあったんですか」
「いえ……なんでも……」

眉間に皺をよせ、あの温厚なレオシュさんが考えを巡らせている。
俺が入っちゃいけない問題かと思いためらっていると、彼がこちらに向き直る。

「すみません、ロキ」
「いえっ。……なんでも話してくださいね、俺なんかじゃ頼りにならないかもしれないけど」

俺にとってはすべてにおいて完璧な彼であっても、そりゃ人間なのだから仕事の悩みだったり人間関係など色々あるのかもしれない。

心配な思いが伝わったのか、店長は眼鏡の中の瞳を一度伏せて、俺を見つめた。深刻そうな様子に息を呑む。

「ありがとうございます……とても心強いです、ロキ。……ですが、実はさっきの電話は父からで」
「えっ!? お父さんっすか!?」
「はい。最近しつこいのですよ。一度君を家に連れてこいと……」

苦渋の顔つきのレオシュさんを差し置き、俺は目を最大限まで開けて力がみなぎっていた。
旅行で会った彼の弟と甥からは、なにやらヤバイ人らしいという噂のお父様だが、その方自らご指名を頂くとは。

「なーんだ、そんなことでしたか。なんでどんよりしてるんですか、店長! ぜひ行きましょう、さあ早く!」
「……えっ? でも、私は反対で……」
「え? や、やっぱ俺を見せるの恥ずかしいですか? 今から間に合うか分かりませんが、一生懸命取り繕ーー」
「違いますよ…! 君は、非の打ち所がない人です。私の…大好きな人なんですよ」

なぜか、だから会わせたくないとでもいうように、レオシュさんは俺のことをぎゅっと抱き締めた。
こんな大人できちんとしている彼が恐れる相手とは、いったいどんなものなのだろうか。

若くてまだ愚かな自分は、それでも軽やかで明るい気持ちを抑えられず、「大丈夫ですよ、俺お父さんに挨拶したいです、頑張りますから!」と彼を一方的に励まし続けた。



そして運命の日はやって来る。
二週間後の休日の昼下がり。俺は店長の実家にいた。
ここは閑静な住宅街にある、広大な庭付きのお屋敷だ。

天井が高くクラシックな家具や骨董品が並ぶ広い居間で、俺とレオシュさんは椅子に座り待っていた。

「もうすぐ旦那様がいらっしゃいますから、少々お待ちくださいね」
「はっ! ありがとうございます、待たせていただきます」

テーブルにお茶とお菓子を用意してくれた中年女性の家政婦さんに礼を言い、緊張から深呼吸をする。
隣をチラ見すると優しい微笑みと目が合った。

「ロキ。今日はスーツを着ているんですね。とても似合っていて素敵ですよ。それに今日は一緒に来てくださって、ありがとうございます」
「いえいえそんな。レオシュさんこそシックな装いで一段と素敵です」
「そうですか? 普段着なのですが…私も君に合わせればよかったかな」

にこりとこぼす彼を見て少し安心する。本当は自分の緊張よりも親子関係のほうが気がかりだったため、店長が穏やかな様子でよかった。

どんな人が来るのだろう。
話によれば彼の父親は70代前半で、長年企業勤めをしていたが、今は家政婦さんを雇ってここで独り暮らしをしているらしい。

ドキドキ胸が高鳴っていると、しばらくして居間に長身の男性が現れた。
白髪だが黒シャツの上からでも体格のよさが分かり、年齢よりもかなり若々しい。

なによりその容貌を一目見た俺は衝撃を受ける。
眼鏡はなくとも鼻筋の通った精悍な顔立ちが、レオシュさんそっくりなのだ。目付きは彼よりやや鋭い印象だが。

「ようやく来たのか。遅かったな、レオシュ」
「すみません。お店のほうが忙しいもので」
「ほう? いつまであんなチンケな店をやるつもりだ? まったくお前は、なんのために国家公務員になったのか。前の職場を自ら放棄するとは……どうにかして戻れないのか」

初っぱなからお説教が始まり俺は面食らった。店長はいつものことなのか、ほぼ表情を変えず「戻れませんし、戻る気もないんですよ」と淡々と話していた。

「そんなことよりお父さん、今日は私の大切な人を紹介したいのです。彼が前にお話した、ロキ・ハーミットさんです」

俺に笑顔を向けて伝えてもらい、いよいよ出番かと気合いが入る。

「はい! 初めまして、アーミスさん。今日はお招きくださりありがとうございます。ロキ・ハーミット25才です。レオシュさんと本格的にお付き合いをさせて頂いております。不束者ですがどうぞよろしくお願いします!」

立って一礼をし頭を上げた。するとお父様に鼻で笑われた。

「ふん。なんだお前は。ノコノコとここまでやってくるとは。お前のような小僧がこの年の男と真剣な交際だと? どうせ金目当てだろう?」
「……えっ。いや、金じゃなくてレオシュさん目当てなんですけど……」
「嘘をつけ。こいつを騙せても俺の目はごまかせんぞ。ゲイだかなんだか知らんが、体を使って中年をたぶらかすとは、なんともまぁふしだらな小僧だな」

蔑みの目が突き刺さり、俺は不覚にもゾクぅッとしてしまった。
まさか初対面でここまで罵られるとは。
いや、レオシュさんとそっくりの顔だからって身震いしてる場合じゃない。

言い返さねばと思ったら、先に店長が切れていた。
怖い顔をして椅子から立ち上がり、「無礼な上に真実でないことを言うのは止めてください」と冷静に口にする。

「そういうことを言うために呼んだのですか? やはり来たのが間違いでした、行きましょうロキ」

彼は俺の手を引き、その場から立ち去ろうとした。
いつも温厚で人の話によく耳を傾けてくれる店長だ。きっとこういうことも初めてじゃないのだろうと感じた。
しかし俺は、まだこれからだと考えていた。

「ま、まってください、俺は諦めませんよ…!」
「えっ?」

彼を引き留め、とりあえず父のアーミスさんに向き直る。

「あの、お父さま。僕も遠路はるばるやって来たのでお茶を一杯だけでも飲ませていただけないでしょうか」

下手に出て何度も頭を下げると、お父様はまだ侮蔑の瞳を緩めることをなかったが、顎で椅子を指し示した。

「図々しい奴だな。ふん、そこに座れ」

そう言われてまた腰を下ろす。隣のレオシュさんは戸惑っていたが、俺はただでは帰れないと腹をくくっていた。

「まずお父様も気になっているかもしれませんが僕らの馴れ初めなどーー」

親子がピリピリしているため場を繋げようとぺちゃくちゃ喋った。
しかしアーミスさんは興味なさげで全然聞いていない。高価そうな葉巻をふかしていて、またその姿がとても絵になっている。

だが口を開いたと思ったら攻撃的だ。

「レオシュ。火遊びはお前の年の半分で止めておけ。こんな若造に良いようにされて、恥ずかしくないのか。それにだ、もう何度も言わせるな。孫はどうするつもりだ。お前には長男としての自覚がないのか?」

繰り出される言葉に、俺は実感が分かず目が点になってしまった。
レオシュさんは瞳を暗くしたまま、父親を険しく見据えている。

でも、そうだよな。俺のほうがあまりに無頓着すぎたのだ。

「ええと、さすがに孫は僕にも産めないといいますか、すみません、はい」
「はっ。そんなことは分かっている。まあ、俺にもひとり孫がいるんだがな。ニコルはだめだ。父親に似てだらしがなさすぎる」

そこまできっぱり言う祖父の彼に引く。
口を挟む間もなく、彼の長々とした言葉は続いた。

「レオシュ。お前もこの小僧と無駄な関係を続ける気か? お前さえやる気になればまだ間に合うぞ」

彼はそう言い放ち、初めて口元を愉快そうに上げた。
それを見て柄にもなく俺は胸がちくりとする。こういう事柄を迂闊にも今まで深く気にしたことがなかった。

一方でレオシュさんは静かに激怒していた。
うつむかせていた頭をゆっくりと上げる。

「もういいですか。……本当に、最低ですね。私は子供をほしいと思ったことがないんですよ。目指すべき父親というものが分からないからです。自分の考える幸せに私を当てはめようとするのは止めてください。私はもう、自分の幸せを見つけていますから」

そう言って立ち上がり、今度は俺の手をしっかりと握って父親に振り返る。

「彼はーーロキは私にとって何よりも大切な人なんです。それだけはあなたにも伝えておきますね」

レオシュさんは一言だけ告げて、居間から立ち去った。
俺は長い廊下で、一生懸命彼についていく。

「い、いいんですか、レオシュさん」
「はい。もう帰りましょう」

彼の横顔は明らかに陰を落としていた。
驚いた家政婦さんに別れを告げ、俺達は屋敷を出て車に乗り込む。

車内は静まり返っていた。運転席でフロントガラスを見つめ黙っている店長。あまりの重苦しさに声をかけづらい雰囲気だった。

やがて落ち込んだ彼に謝られるが、自分は大丈夫だと伝えた。
己の性質のせいもあり、俺は罵られることには慣れている。それよりも傷ついた顔のレオシュさんを見る方がつらかった。

「あの……俺、考えてみたら勝手でしたよね。子供の話とか……俺が相手じゃ、無理だし」

苦渋に考え、切り出した。レオシュさんはああ言ってたが、俺は何も知らず、考えが回っていなかった。申し訳ないと感じる。
だが彼のほうが思い詰めた顔をしていた。

「ひどいことを、ごめんなさい、ロキ。君が気にする必要は何もありません。ひとそれぞれ、皆自由で、他人には関係のないことなのですから。……しかし、私の話ですが……さっき言ったことは本当なんです」

レオシュさんは俺に自らの心を開いて話してくれた。
きっと進んで見せたくない事柄だったのだと感じる。

お父さんに話したことは本音だと告げられるが、将来を真剣に考えるなら、俺は彼の可能性を奪っている。
相手が俺じゃなければ…。やはりそう考えてしまった。

「違います。他のどんなことよりも、君と一緒にいたいんですよ。叶うのならば…。しかし子供のことだってそうです、私にとっては君の考えが一番大事ですから。今は色々な方法がありますし、……君の実子や、養子という考えだったり……すみません、先走っていますね」

そう気遣ってくれた彼により話題が俺に移り、つい瞬きをする。深い話に少し想像してしまった。

勿論簡単に決められることではないが、そこまで見据えてもらえていることに感激する自分もいる。
だが自分というよりも、レオシュさんの子供がいたら……そう考えたらせつなくなった。

「あの、あなたとの将来をすごい真剣に考えてるんで、この際俺も正直に言いますね。俺子供あんまり好きじゃないんすよね。兄弟もいっぱいいたし、そういう感情わいたことなくて。まあまだこんな年だからかもしれないですけど……。甥とか姪はすごい可愛いですけどね」

気恥ずかしい話題だったが、真摯に聞いてくれるレオシュさんに語った。

「変なこと言っていいですか? レオシュさんは要らないって言ってましたけど、俺が女だったら、あなたの子供すげえほしくなっちゃいそうです。だってあなたが大好きですから」

思いついた本音を、俺はあくまで明るく伝えた。彼は驚き、瞳を揺り動かしている。
かと思えば、その力強い腕にきつく抱きしめられた。言葉が出ないようだ。

「俺、わがままですみません。でも俺も同じです。どんなことより、レオシュさんと一緒にいたいです。あなたが前に言ってくれたことですが……二人きりでもいいです。いや、二人きりがいいです」

狭い車の中で、俺達は見つめ合った。
レオシュさんはじっと俺を見据え、「はい」と返事をして唇を震わせた。

なんとなく彼が結婚に後ろ向きだった理由がわかった。
俺の家族まで大事に思ってくれるレオシュさん、弟や甥のことも真剣に向き合って付き合ってきた彼だ。

責任感が強い彼が慎重になるのも分かる。
俺ができることは、変わらずそばにいて、できるだけ幸せを感じてもらえたら、支えられたらな、ということだった。

そう思うと、逆境に思わぬ力が湧き出てきて、身を乗り出して彼を抱き締めた。

「大丈夫っすよ。確かにすみません、ちょっと面倒くさいお父さんっぽかったですけど、いつか改心するかもしれませんし」
「無理ですよ、あの人は……君は、優しすぎますよ、ロキ…」

抱き締め返され、弱気なレオシュさんに胸がきゅっとなる。

「元気だしてください。言ったでしょう、あなたには俺がいます。ずっと一緒ですから!」

励ますと、眼鏡ごしの瞳にじっと捕らえられ、不意にキスをされる。
車でそんなことをされたことがなく、俺はつい大声を出してしまった。

「ええ! ちょ、こんなとこで、大胆すぎますっ。大丈夫ですか店長、そんなにストレスがっ?」

慌てて彼のおでこを遠慮がちに触ってみた。少し熱くて心配する。
同時に笑い声が聞こえた。

「君が好きです。ロキ……」

ようやく彼のささやかな笑みが見れた。一発で自分を幸せにしてくれるその言葉に対し、「俺も店長が大好きです」と胸一杯で返事をした。

俺達の関係は、ある意味周りに受け入れられなくて当然なのかもしれない。
でも俺は、彼のお父さんに対してまだ諦めきれていなかった。



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