Otherside | ナノ


▼ 18 看病

朝に目覚めたあと、シスタは隣で寝ているベルンホーンを横目で見た。
ゆっくり起き上がり、自分の部屋に静かに戻っていく。

カーテンを閉めきりベッドに横になるが、体の火照りは消えなかった。
浴室に行って冷たいシャワーを頭からかぶり、浅く息をつく。

体内にまわった熱と下半身の疼きが治まらない。
ふらついて洗面台に手をつき、やむなくブルードを呼んだ。

「どうなさいましたか、シスタ様」

浴室の外から声をかけられ、「入ってくれ」と頼む。
裸で調子が悪そうな青年に目を見開いた老執事は、すぐに椅子を用意し布を敷いて座らせた。

シスタは幼い頃から使用人による世話に慣れているため、裸のまま腰を落とす。
背の高い精悍な顔立ちのブルードは心配げに、タオルを膝上にかけもうひとつでシスタの体の水気を拭い取った。

「お体を乾かしますのでお任せを。熱があるようですな」

額にひんやりした手を当てられ頷く。
青年は恥を忍んで質問をした。

「あなたに聞きたいことがある。昨日、ベルンホーンに媚薬を使われた。薄いピンクの小瓶だ。魔界で手に入る、高価なものだと言われたんだが……効果がどれぐらい持続するか分かるか」

執事は手を止め、やや恐縮した表情で口を開く。

「左様でしたか。きっとそれはリピウムという薬です。魔族が三日三晩寝ずに行為に耽るために作られたもので、効果は通常三日過ぎれば薄まりますが、どのぐらいの量を使用されたのですか」
「さあ……どれほどかな」

普段は冷静な受け答えの青年を執事は心配して見やる。

シスタには何も分からなかった。思い出したくない淫靡な記憶だけが残り、快楽にあらがえない情けない姿しか思い浮かばない。

人格を失うまでの弱さはシスタにはなかったが、この状態が長く続くのは避けたかった。

「ベッドに横になるよ。すまないがーー」

立ち上がり、ふらついた青年を執事は支え、優しく服を着せる。
それから僭越ながら、その体を持ち上げてそっとベッドへと運んだ。

グレイヘアの執事は年を感じさせない体つきで、確かにシーツの上に横たえてくれる。

「シスタ様。しばらくお休みください。残念ながら、この場合症状緩和のための薬しかございませんが、このブルードが誠心誠意お世話させて頂きます」
「ああ、ありがとう……部屋には好きに入ってくれ」

安心したシスタは、彼の存在に感謝して眠った。

どのぐらいの時間が経ったのか分からないが、一度執事が来て、薬を飲ませてもらったことは覚えている。

問題はそのあとで、目覚めたらベッド脇の椅子にベルンホーンが座っていた。
足を組み、美しい容貌が困ったような表情で自分を見下ろしている。

「なんでここにいるんだ……」
「お前が心配だからさ。熱は大丈夫か?」

額に手のひらを当てられ、その温かさに体がまた反応しそうになった。
冷静に努めたシスタは答えず、視線をそらす。

「俺ではなく老執事に看病させるとは。あの化石に小言まで言われたよ。か弱い存在の扱い方をまだ知らないのですか?だとさ。あれは怒ってたな、珍しく」

ベルンホーンは悪いことが見つかった少年のように開き直り、大股開きで身を屈めた。
シスタのことを少し拗ねた面持ちで、心配げに見つめている。

「悪かった。お前へのお仕置きは間違っていないが、少々やり過ぎた。お前は自分の専門分野のわりに、体の耐性がもろいようだ。それとも、まだ転生して日が浅いためか……」

思案する悪魔に、シスタは段々と苛立ってくる。

頬に指をのばされ、快感を思い出して拒絶しようとする。すると悪魔は軽く笑った。

騎士のことを聞きたかったが今はよくない。

シスタの気持ちは不安定だ。この男は危険だと今更考える。問題は肉体が犯されることではなく、感情面にあった。

昨夜悪魔に言われた通りだ。彼の性質を、ずっと自分に都合よく当てはめようとしていた。

「別にいいさ。私はお前の奴隷だ。何をされようが、どうだっていい」

奴隷だということを強調し、距離を取らなくては。

「強がるなよ。昨日のお前はもう少し素直だったぞ? すべて嘘じゃないだろう?」
「覚えていない」
「ああショックだ。あんなに可愛らしかったのに」

全てが意地悪な戯言に聞こえる。
この悪魔はきっとまだ怒りがくすぶっているのだろうとシスタは感じた。

しかし、急にこんなことを言い出す。

「あのな。考えたんだが、昨日は俺もひとつの思考が抜け落ちていた」
「……なんだ」
「お前は俺を心配したと言ったな? ひょっとして、俺が他の魂を見初めると思ったのでは? それで居ても立ってもいられなくなったのだろう」

機嫌よさそうに結論を出される。
馬鹿なのかと思ったが、彼らしい発想でもある。

しかしシスタは愚かなことに、完全に否定もできなかった。

「安心しろ。俺は本気だと何度も言っているように、お前以上の魂はないよ」

懲りない男の姿が目に映る。
どこまでも自分本位な、魂に目が眩んでいる悪魔。

なのに神経に障った。感じたことのない部分にずるずると入り込んでくる。

「これからも私以上のものに出会わないと、なぜ言い切れる。ならば証明しろよ」
「お前は本当に……度胸のある男だな。やはり奴隷は俺なんじゃないか?」

ベルンホーンは冗談めかして笑う。

「それでは愛の証明は、俺の課題にしよう。きっとお前を満足させてやる」

腕を組んで自信をみせる男とは反対に、シスタはうつむき、疲れた様子だった。
心細い、温もりを求める手をだらんと伸ばす。それを悪魔の大きな手に握られる。

なぜだろうか。
ベルンホーンに前と同じように、どうして普通に触れてほしいと思うのか。まるで虐待をうけた者の寂しさのように。

「ベルンホーン……もう薬は嫌だ。普通に抱いてくれ」

横向きに寝返りを打ち、そう呟いた。

思わず悪魔の胸が切なくときめく。台詞が状況が、倫理的におかしいとすら思わない。まっすぐ青年への愛しさが増していく。

「わかったよ、シスタ。俺も本当はお前を自分の手だけで気持ちよくしたい。昨夜はお前があまりに強情だから意地悪をしてしまったんだ」

髪を撫でて、ようやく素直に折れたのだった。





しかしその後もシスタの媚薬熱は引かず、もう五日目となった。
心配が募ったベルンホーンは、魔法薬や病の研究者トロアゲーニエを訪れた。

宮廷に仕える彼はその日邸宅の研究室におり、客人のエアフルト公爵家三男を快く迎えた。

大きな四角窓を背にした書斎机の向こうで、白衣を整え丁寧にお辞儀をする。

「ようこそお越しくださいました、ベルンホーン様。あなたが我が研究所に来てくださるなんて、僕は感激です!」
「それはよかったな。俺も君の呑気な顔を見ると不思議と元気が出てくるよ。今日は頼みがあって来たんだ」

嫌味も通じない無邪気な老け顔の青年は、事情を話す男に驚いていた。あの日の経緯を騎士には何も知らされてなかったらしい。

「媚薬を使ったのですか? ああ、可哀想に……」
「そうさ、とてもかわいそうな事をしてしまった。俺も日毎反省している。だがな、そこの後ろに仏頂面で立っている木偶の坊のせいでもあるんだ。だから助けてくれないか?」

天井まで届く大扉のそばには、白銀の鎧をまとったトロイエが無言で立っていた。
きちんと護衛の職務を行っているのだろう。

どの面下げてとベルンホーンは思ったものの、ここは同格の公爵家の邸宅だ。無礼な真似は控えたい。

優しい性格ながら魔族の性質を熟知しているトロアゲーニエは彼を落ち着かせ、「お待ち下さい」と丁寧にそばの作業台で調合を始めた。

その間、客人はソファに腕をかけ、珈琲を片手に好き勝手に喋る。

「ーーというわけで、俺はシスタと仲直りが出来たつもりだったんだが、まだ絶賛嫌われ中だ。やっとあいつからのキスを得たところだったのに、次は当分先になりそうだよ」
「そうなんですか……恋とは難しいものですね。僕はその、あまり経験がないのでお役に立てないのですが……すみません」

丸みをおびた金髪を掻きながら、小柄な青年ははっとなる。
静かに仮面をつけて立っている騎士を見やった。

「すまないね、トロイエ。君もシスタのことを好きだという事を知っているのに、話を聞くのはつらいだろう」
「……トロアゲーニエ様。今その話は……」

天然な主人に対し、文句を言えない騎士の気まずさが悪魔にも伝わり鼻で笑う。

「僕は長年ベルンホーン様のファンで、彼が頼ってくれるなんて夢にも思わなかったから、つい浮かれてしまって」
「はい。私は構いません。あなたの事をお守りするのが一番の使命ですから」

トロイエは胸に手を当て、本心から忠誠を誓う。

「はっ。素晴らしい絆だな。だがトロアゲーニエ卿、奴隷に気など使うなよ。こんな奴、もっと顎で使ってやればいい」
「彼は奴隷ではありません! 僕は大事な仲間だと思ってるんですよ」

真摯な台詞を悪魔は悪気なく笑い飛ばす。
自分と同じく人の魂に魅入られた者にはこだわりや信念があり、聞く耳をもたない。
それが本人にとっての宝だと信じているからだ。

しかしベルンホーンにとってのシスタは本当に特別な存在だった。

「トロイエ。お前の堅固な性格には脱帽するよ。媚薬話を聞いても一切たじろがないとは。お前ははたして本当にシスタを愛しているのか?」
「……私を焚きつけても無駄ですよ、エアフルト様。私はシスタの命が大事なのです。それを守るためならば、あなたに歯向かうことはしません」

悪魔は白けた顔になり、懸念を浮かべる主人を見やる。
ベルンホーンは失望した。この騎士が本気で向かってくれば、殺す口実が出来るのにと。

「はあ。今更兄上の気持ちが分かってきたぞ。やる気のない男というのが、これほどつまらないとは。……もっとも俺は油断などしないが。……薬、ありがとうなトロアゲーニエ卿。このお礼は必ずするよ」

にこやかに笑み、得た物と引き換えに金貨の入った袋を置いてベルンホーンは研究室を出た。




帰宅すると、すぐに青年の自室へ向かった。
ここ数日仕事はせずシスタのそばにいる。
一見甲斐甲斐しく世話する恋人のようにも見えるが、不健全な関係には変わりなかった。

「シスタ。薬をもらってきたぞ。トロアゲーニエが作ってくれたから、きっと効くはずだ」

ベッドに横になる青年を支えて起こし、水とともに粉薬を飲ませる。

「どうだ?」
「……たぶん、大丈夫だ」

シスタはぽとりと額をベルンホーンの肩口につける。
とても弱々しい姿だ。普段そんなものを感じない悪魔に、罪悪感がつきまとった。

「エハルドもいたか…?」
「ああ。いたな。護衛の仕事をしていた」

その一言でシスタはかなり安堵したのが分かった。
ベルンホーンは青年を抱き寄せ、しばらく背中をさすっていた。

これは病ではない。媚薬の効果が長引いているのだ。
だから物憂げで濡れたシスタの青い瞳を見るたびに、ベルンホーンは劣情を感じた。

だが、我慢していた。
これ以上傷つけたくはないと、自分らしくないことを思って。

代わりに顎を取り、ゆっくり口づけをする。抵抗する気力もないのか、シスタは大人しく悪魔に口を食まれていた。

「私を抱きたいか……ベルンホーン」
「俺の答えは分かりきっているだろう、どうしてそんな事を聞く」
「もう四日していない。最長記録だな」

どこか他人事のように呟く青年を、眉をよせて覗き込んだ。

「俺はそこらへんの魔獣じゃない。お前が好きだから抱いているだけだ。気持ちからくるものだよ。だから今は堪えてるんだろ」

そう伝えても、ぼうっとした上目遣いに悪魔は弱い。

「抱けばいい……ほら」

頬に指を伸ばされ、それを優しく握ったが、色気を放つ青年の姿が目に毒でベルンホーンは眉を下げる。

「どうしたんだシスタ、お前らしくないぞ」
「体がだるいんだ。お前に抱かれればすっきりすると思った」
「いいや、危険だ。今の俺はお前と違ってすごく元気だからな。……心の中は心配でいっぱいだが」

後悔して胸に抱く。
誘われて断るのも変な感じだが、体を休ませるべきだという考えに完全に切り替わった。

「そんなことを言うとはな……よほど心が折れたか? トロイエは無事だ。ぴんぴんしてるよ」

気詰まりした悪魔は初めてその事に自分から触れた。

「お前と俺のことに口を出す気はないと言っていたが……信じられると思うか?」
「信じられるさ。私もそれを望んでいる」

まっすぐな青い瞳は、だから騎士には手を出すなと言っているようで。ベルンホーンは再びシスタへの執着心と独占欲に呑まれそうになる。 

「だからベルンホーン、私のことも信じろ。私はお前以外の何者にも所有されない。お前が私を欲するかぎり、お前のものなんだ」

本当にそう思っているのか?
確かめたい衝動に駆られる。

「それを信じてほしいなら、またお前からキスをしてくれ。……俺がしなきゃならない証明よりも、よほど簡単だろう?」

提案すると、シスタは身を乗り出し、赤らんだ顔を傾けて悪魔に唇を重ねた。

そんなことでベルンホーンの気は和らぎ、またもすべてを許してもいい気持ちになるのだから、この青年は恐ろしい。

「シスタ……お前の口づけは、俺を簡単に黙らせる。もっと使え……」

うっとりして囁くと、シスタはもう一度ベルンホーンに口を寄せた。
甘いキスをして、細身の体が一回りおおきな体に倒れ込んでくる。

「ん、シスタ……!」

混乱と喜びに湧いた悪魔は青年の体を受け止め、シーツに沈んだ。
胸に乗ったまま、シスタは眠気がおそったのか目を閉じている。

「なんだよ……すごく期待しただろう……俺をドキドキさせるなんて、本当にお前くらいだぞ、シスタ」

ベルンホーンは寝息を聞きながら、青年の黒髮を優しく触り、鼓動を静めようとしばらく抱きしめていた。



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