Otherside | ナノ


▼ 19 親友の気持ち

シスタの熱は引き、看病や服薬の甲斐あって体も回復した。
ベルンホーンはあれから普段通りに見える。冥界では地上の残忍な姿はさっぱり消え、素でいるようだ。

実際はどちらも彼の素なのかもしれないが。

あんな目に合ったというのに、シスタは悪魔のことを考えるのをやめなかった。
熱に浮かされ、自分からまたキスしたことも覚えている。

物思いに耽っていると、遠くから何かが飛んできた。

「あれは……またあいつからの魔法鳥か。しつこいな」

口元に笑みを浮かべ、バルコニーの上空から舞い降りた水色の魔法鳥を捕まえる。
送り主はエハルドで、自分が倒れている間も毎日のように来ていた。

『シスタ、大丈夫か? 早く返事しろ。心配だ。お前に会いたい』

親友のメッセージに返信をする。
最近はベルンホーンがずっとそばにいたため、送る隙がなかったのだ。

でも今は久々に外出していて時間があった。
それから一時間、青年は自室でゆっくり過ごしていたのだが、昼になると窓に石ころが当たる。

何事かとバルコニーに出ようとすると、大柄な男が黒い軽装備姿で立っていて目を疑った。

「……なにやってるんだ、お前! 不法侵入するな!」
「いやお前が返事くれたもんだから、嬉しくなってさ。入れてくれよ。騒ぐと逆にまずいぞ」

金髪の屈強な騎士はわざとらしく降参のポーズをとり、室内に入れてもらった。
幸い執事は来なかったが、初めて自室で二人きりになる。

騎士は広い純白の部屋を興味深く眺めた。

「ここが悪魔の部屋? やけに爽やかというか……お前は真っ黒が好きなのにな」
「あいつの趣味だ。ここは私に用意された自室だがな」

ベッドに腰かけ、この部屋に不似合いな雄々しい男を見上げた。
その瞳は訝しんでいたが、一連のこともあり追い出すことはしなかった。シスタも親友のことが気になっていたのだ。

「やっぱり密室だと安心するな。ここには今、元人間しかいないんだぜ」
「ふふ。そうだな。お前と二人だと、昔を思い出して落ち着くよ」

シスタは少年時代のことを思い出し、懐かしそうにエハルドと振り返った。



あれは魔術仲間の親友が急に山へ行くと言い出し、何度も止めたがしつこいので仕方なくついていった時のことだ。

一日かけてのぼった隣県の高山の頂上に、封印された石碑を見つけた。親友のエハルドがお宝目当てに掘り尽くすが、何も出てこなかった。

「ああー! なんでだよ、何もないじゃないか!」
「だから言っただろう、お前は師匠に騙されたんだ。いつも好きな修行しかやらないから、お灸を据えられたんだよ」
「くそっ、信じた俺が馬鹿だったよ! こんな純粋な少年に嘘つきやがって、あの好色ジジイ!」

十七歳のエハルドはスコップを放り投げ、汗だくの茶髪をがしがしと掻いた。樹木の下に寝転がり、力尽きて夕焼けを眺める。

大柄な体躯のくせに中身は子供のような年上の男を、黒いローブ姿のシスタは呆れて見つめた。
こんなことは一度じゃない。親友は冒険心だけが詰まった無鉄砲な男なのだ。

「……ごほっ、けほっ」

見届けた安心からか、シスタが胸を押さえて咳き込む。
するとエハルドは焦って立ち上がり、彼を近くに座らせた。

「大丈夫か? お前具合良くないのか、どうしてついてきたんだよ」
「見張り役がいないと、お前は何をするか分からないだろ。今度こそ帰ってこれなくなるかもしれない」

エハルドは困ったようにシスタの黒髪を撫でる。
この年下の少年は、遺伝性の病気で家族を亡くしている。いつも弱音など吐かない強気な性格だが、自分には小さな頃からなついて離れなかった。

そんな幼馴染を見て反省し、エハルドは素直に「無理させてごめんな」と謝った。
するとシスタは大人びて笑う。

「私は無理などしていない。けれど悪いと思うならおんぶして帰れ」
「へいへい分かったよ。って無理だろ、いつものノリで言うな! ここまで来るの大変だったんだぞ!」
「自業自得だ」

二人は結局笑い合い、帰り道を仲良く帰る。
そんな日常が昔は続いた。



それから四年後、エハルドが自分の病気を治そうと悪魔に命を売ってしまうとは、その時のシスタは想像もしなかった。

でも彼は、シスタがいなくなった後の世界を考えると辛くて仕方がなかった。
逃げたくて、守りたくて、悪魔に願うしか道はなかったのである。

そして今シスタ・レイズワルドは昔とはまったく違う、洗練された大人になった。
これまで何度も疲弊しながら、一人で頑張って生きてきた。

親友はどうなったのか、どこかで生きているのか。
もしまた会えたら、何を話そうか。責め立てて、残されたつらい気持ちをぶつけようか。

そう考えていたのに。
冥界では、さらに想像のつかなかった事態が待っていた。気づけば悪魔の性奴隷だ。

「……後悔はしていない。感情は頭で整理できる。私は大丈夫だよ」

ふと独り言のように話したシスタの目を見て、エハルドは彼の手を握る。

「そうは見えないけどな。俺には本当の気持ち言えよ」
「なにをだ。私が言えるのは、私はお前の言う通り馬鹿だということだけだ」

納得しない騎士は真剣に青年を見据える。

「でもお前の考えは、まだあの悪魔寄りだ。薬まで使われて、なんでそんな風にいられるんだ? お前らしくないだろ」
「……うるさいな、誰のためだと思ってるんだよ」

怒りを滲ませて吐き出しても、その言葉事自体に強さはなかった。
それを見透かしたエハルドも頭に血がのぼったのか、シスタの腕を悔しそうに掴む。

「俺のためか? お前があいつのことを考えてるのは、俺のせいなのかよ」

シスタは腕を振り払おうとした。しかし逆に押さえ込まれ、騎士にベッドの上に押し倒されてしまう。

目を白黒とさせるものの、見下ろす険しい瞳はどこか切なげで、力は抜けていった。

「なにをする、離せ」
「……お前はこんなに無防備だったんだな。成長しても体は細いし、そりゃあんな獰猛そうな男相手には簡単にやられちまうよ」

シスタはかっとなって動こうとするが騎士に本気で封じられた。

「私はお前に会いたくて悪魔の奴隷になったんだ!」
「今もそうか? 地上に追いかけに行ったり、ひどいことやられてもあの男の肩持ったり……俺のことなんて見てないじゃないか」

エハルドは上体を屈めて、親友の唇にキスをした。
同時に腰を押し付け、器用に舌を絡めてくる。

「ん、んっ……や、めろ……っ」

押しやるが、分厚い胸板はびくともしない。シスタは悪魔よりも重くどうしようもならない体躯に手こずった。

「シスタ……」

首に唇を這わされ、シャツの中に手を入れてまさぐられる。

「こんな体にされたのか……? 俺は悔しい……大事なお前があんな男にいいようにされて。なあ……俺が元の自分だったら、お前のことをもっと……引き止められたのかな」

それからもエハルドは勝手に熱いキスを施す。
暴れようとする体は意図せず火照り、誰でもいいのかとシスタはショックだった。
それをきっとエハルドにも悟られていることに。

「ふ……ざ、けるな、目を覚ませ…ッ」

このままじゃ駄目だ。全てが変わり、終わってしまう。
そう思ったシスタは、のしかかっている親友の硬い腹筋に拳を当てた。

一心不乱に呪文を念じる。

「おい、腹に力を入れろ……!」
「ーーえっ?」

騎士の体が浮き上がり、同時に起き上がったシスタはそのまま彼の腹部に拳を突き出し、ふっとばした。

「っ、ぐぅうッ!!」

すごい音で後ろの壁に体を打ち付けた男は腹を押さえ、痛みに喘ぐ。
想定より強い力が出てしまったが、意識を失わず立ち上がろうとする相手にシスタは感心した。 

「頑丈だな、お前。魔人じゃなかったら大変だったぞ」
「………お、前なぁ……ッ」

一瞬闘争心がむき出しになろうかという騎士の前に立ち、シスタは彼の胸ぐらを掴んで凄んだ。

「いいかよく聞け。キスぐらいで気が済むなら何度でもしてやる。けれどお前と体の関係をもつ気はない、お前は私のたった一人の大事な親友なんだ!」

見たこともない形相に押され、エハルドは言葉を失った。

「……本当は、そばにいてほしかった。たとえ残りの時間が短くても、私はお前に最後まで一緒にいてほしかったんだ…!」

シスタは涙を堪えて訴えた。
親友はすでに目を真っ赤にし、泣いていた。
再会した時のように、ぼろぼろとまるで少年みたいに素直に。

彼はゆっくり体を起こすと、今度は両腕でシスタを抱き込んだ。

「ごめん……ごめん、シスタ……」

そう言うのが精一杯な親友の背を、きつく抱き返す。

「いいさ、許してやるよ。私もお前を追って、こんなことをした。お前を苦しめるつもりはなかった……ただ、もう一度会いたかったんだ。すまない」

二人ともこれまで多く傷ついたが、正直に気持ちを曝け出したら、また形が少しずつ戻っていくような気がしていた。

そうして自分達の心を癒やしていくと、信じていた。

親友の気持ちを突っぱねたのは、恋仲になる気が全くないというシスタの意思だけではない。

無論ベルンホーンから守る意図もあった。
すべて自分が招いた種だが、あの悪魔に狙われたらエハルドは命を落とすだろう。
もう二度とそんな事は起きてほしくなかった。

「お前、あいつが好きなんだろ……?」

親友のことを考えていたのに、悪魔のことを指摘され、シスタは瞳を伏せる。

「分からない。この気持ちが何なのか……ただの情か、共感か……うまく言えない」

シスタは何かを探す眼差しで語る。

「私はどうなってしまったんだろう。……最近、おかしいんだ。あいつのそばにいると、心が迷って、乱れる」

親友の隣に座りこみ、頭を預けた。
エハルドも視線を落としたが、そんな悩めるシスタの手をぎゅっと握り、そばを離れなかった。



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