▼ 16 悪魔を追って
エハルドは転移魔法を唱え、シスタを地上へ連れてきた。二人は山奥の人気のない場所に降り立つ。
いまや魔人となった自分達だから、あまり目立つことはしたくない。
「三年ぶりの人間界の空気か。いや、こっちでは十年ぶりか」
「お前、やけにあっさりしているな。感動とかはないのか?」
「まったく無いね。知ってる奴に会ってもしょうがないしな」
鎧の騎士は転生した姿のため、はなからエハルドは過去を振り返るつもりがないようだった。
「んで、どこへ行くんだ。ここから先はお前次第だぞ」
「分からない。この紋様に傷つけたらあいつも気づくだろうか」
普段ふざけない青年がローブの襟元を指し放った言葉に、騎士は大きく顔をしかめる。
「俺にやれってか? その瞬間に殺されるぞ」
「……そうかな、まあ最後の手段にしておこう」
シスタも何も考えがなくここへ来たわけではない。
あの時、悪魔の使い魔だという黒い影が話した単語が、重要な手がかりだ。
「教団に、魂だって? そいつらがあいつの契約者ってことか。でもお前、どうして使い魔の言葉が分かったんだ」
「さあな、聞き取れたのは一部だけだが。もしかしたら、私もベルンホーンの使役体という位置づけだからかもしれない」
奴隷であるシスタは、地上での移動中に彼の体内にしまわれたことがある。まるで召喚物のように。
悪魔の力は人間に計り知れるものではないが、魔人として転生したと言っても、自分の体は想像以上にベルンホーンに支配されてるのだと考えた。
「お前の体はどうなんだ、エハルド。私とは大分違うのだろうか」
「全然違うぜ。まず俺はトロアゲーニエ様と奴隷契約はしていない。一応完全に独立している、と思う。その上俺は定期的に肉体強化されてるんだ。平たく言えば実験というやつだが、満足してるよ」
騎士は自信を見せて告げる。ともかく自分よりも確実に強そうなこの男は中々頼りになりそうだった。
ひとまずシスタはある人物と連絡を取ろうとする。
悪魔被害救済組織の同僚だ。彼には以前、自分は辞職するとだけ伝えていた。
転移した二人は、静かな住宅地にある事務所へと向かった。
午後の暖かい陽気の中、こじんまりとした囲いの庭で寝転んでいる男がいた。彼はサボり魔の職員だ。
「レオン。仕事はどうした?」
「えっ……? シスタ!!」
ずれた眼鏡を直し、天然パーマの男は縁側に正座をして見上げる。
現れた男二人の異様な雰囲気をすぐに感じた。
「何があったんだ……お前、なんだか……肌が真っ白だし、さらに人間離れした綺麗さで……それにそちらの人は……ひぃ!」
強面の騎士に怯えている。現場調査や被害者のケアには熱心だが、この男は怖がりだった。
事情を話すとさらに度肝を抜かれる。
「ちょっとまってくれよ……なんだいその頭がいっちゃってる物語は……。お前、大丈夫なのか? 悪魔の配下になったって……まさか俺達を滅亡させに来たんじゃないよな!? ふ、復讐で!」
「そうじゃない。お前に調べてほしいことがあるんだ。ここ最近、力を広げている悪魔崇拝教団を教えてほしい。最も要警戒の組織を。私はしばらく離れていたから情報が古いと思うんだ」
胸をなでおろした同僚はすぐに頼みを聞いてくれた。シスタと再会したのはもう一年以上ぶりだ。
縁側に座り、エハルドは大人しく待っていた。
やがて調査書を確認させてもらい、シスタは頭に入れる。あのベルンホーンと関係をもつほどのものは大体目星がついた。
「すまないな。レオン。助かったよ」
「いいさ。問題になったら知らない悪魔に脅されたって言っとくからさ。……それよりあのでかい騎士、本当に信じられるのか? お前脅されてるんじゃ。あと上級悪魔! 本当に冥界なんかで生き抜けるのか」
「心配いらないよ。あそこにいる彼は私の親友だし、一番信用できる。それに私が世話になっている上級はどこか……イメージとは違うんだ。今回も何かあったのかもしれない、様子を見に行きたくてな」
彼の発言は同僚には些か甘く聞こえた。すでにあちら側にシスタが行ってしまったかのような、侘しささえ感じられる。
背を向けて聞き耳を立てていたエハルドもまた、親友の言葉を安易なものとして受け取ったのだった。
「じゃあ出発するか。この街まで転移できたのはいいが、連中が拠点にしてる廃教会まで走っていくのは骨が折れるからな」
自信を見せた騎士は、その場に魔界の馬を召喚させた。
シスタは目を見張る。軽々と地上へ転移したのもそうだが、説明通り昔から遥かにレベルが上がった親友の力に。
馬は魔族仕様に厳つい鎧装飾をされていて瞳は赤く光り、瘴気をまとっている。単なる移動用だけでなく戦闘能力もありそうだ。
「すごいな……お前はもはや完全な魔族だ」
「何びっくりしてんだ、お前もだろ。ほら乗れよ」
笑顔の騎士に尻を押し上げられ、シスタは後ろに乗って掴まる。
馬で駆け出し、ものすごいスピードに振り落とされないよう必死だ。
そんな中気になる言葉を告げられた。
「なあ、あいつが残忍なことをしてる所に出くわしたらどうするつもりだ。だからあいつもコソコソやってるんだろう」
「……私にはなんとも言えない。だが、奴が何かに巻き込まれてる気がするんだ。ならばじっとしてられない」
エハルドは納得できない顔つきのまま、親友と森を走り抜けるのだった。
◇
一方、ベルンホーンは地上で何をしていたのか。
黒い影からの知らせは、まもなく魔術師らが儀式を行うというものだった。
地上には、常に多数の黒い影を察知されないように配置している。それらは怪しい動きがあると、冥界にいるベルンホーンに伝えてくれるのだ。
悪魔召喚は書物や魔法陣を使った特別な儀式によりなされる。
古文書に名を記された悪魔などは、自分の位に合った魔術師に呼び出されることもあるが、ベルンホーンはとくに目立つことが好きではない、いわば隠れた上級悪魔だ。
それに勝手に呼び出されるなど許しがたい行為なため、こうして自ら地道にめぼしいものに目をつけている。
マルグスとバイルが召喚をした時もそうだった。
人間は自分がやってのけたと思っているが、隠れた悪魔が奴らを見極め、その時に現れただけだ。
当時、本当はベルンホーンの目当ては天才的な魔術師バイルだった。しかし彼は誠実さゆえにマルグスにやられてしまい、結果的にベルンホーンは残された者と契約した。彼の魂をまず手に入れるために。
今回はどうなるだろうか。
教会で儀式の準備をしている黒魔術師達を、壇上の椅子に座って眺めながら、上級悪魔はじっとこらえて待っていた。
「おい、早く死体を持って来い! それで全部か?」
「いやまだです、あと数十体、スレ二族の末裔の者達があります」
「早くしろ! 今日の満月の夜中三時きっかりに召喚が行われるんだ、遅れたらお前のせいだぞ!」
リーダー格の男が若手の尻を叩き作業させる。
縦長の窓が全て黒い布で覆われ、おびただしい蝋燭の火が灯る教会には、黒装束でフードつきの男達が二十人ほどいた。
かなり規模の大きな悪魔崇拝教団だ。
騎士団などの目を逃れ、ここまで準備した段取りは褒められたものだが、透明になって彼らを観察するベルンホーンの顔つきは渋い。
ここに来て地上の時間でもう一ヶ月近くなる。長命の魔族にとって時間が流れる感覚は早くとも、そろそろ飽きてきた。
冥界に青年を置いてきたことを後悔するが、仕事場に入れるのは好まない。
だからよさそうな魂をもった人間が現れるまで忍耐強く観察していたのだが、出入りする男達はまあまあなレベルだ。
オーラからたいしたことのない過去や動機、野望や能力の限界が知れていて、わざわざ自分が契約しようと思えるほどではなかった。
全員殺したとしても、程々の価値の魂がたくさんあったところでベルンホーンは喜ばない。
数ではなく、希少なものと出会い手に入れたいのだ。
「教主様。支度が終わりました」
「では始めよう。皆、位置につけ」
肘をついていたところに、夜が来て教団が儀式を始める。
彼らのトップにいる指導者が現れ、遺体が積み上がった魔法陣の前で詠唱を始めた。
ベルンホーンはつまらなそうにそれを眺めていた。
自分の気配に気づいた者すら、これまで人間の中には一人しかいなかった。
冥界へ連れて行った後に裏切り、始末した男だ。
苦い思い出にまどろみながら、時計の針が午前三時を示す。
そろそろ決めなくては。
残念ながら当ては外れたため、指導者を除いて皆殺しにしよう。
そう考えた時、ベルンホーンの瞳の中がカチカチと反転する。ヘビのように縦に開いた瞳孔が、周囲に何か大きな気配を感じとった。
一瞬胸が踊ったが、それは同族のオーラをもつ二体だった。
一方は自分がよく知る輝かしい魂と連動した肉体だ。
「おお、現れてくださった、貴方が我々が待ち望んだ栄光の上級悪魔ーー」
跪いていた指導者が立ち上がり、黒い霧に包まれた銀髪の男ベルンホーンをその目に映す。
だが同時に、教会の扉が勢いよく開かれた。
指導者は振り向き、フードの男達も騒然となった。
あきらかに高位の魔力を持った騎士とローブ姿の青年だ。魔術師らは異教徒取締りの騎士団による突入だと思い込んだ。
「敵だ! 教主様!」
「くそっ、上級悪魔よ、どうか私と契約をしてください、この者達を始末する力をーー」
そうすがった指導者の男の首は、青年の目の前ではねられた。
頭がごろごろと転がり、教団員の阿鼻叫喚が広がる。
「ベルンホーン、やめろ!」
シスタは壇上の悪魔に叫ぶ。だが敵とみなされた二人に魔術師らが襲いかかってきた。
「くっ!」
長剣を抜き出した騎士が応戦し、シスタも魔法を放ち戦う。そうしながら魔法陣と積み上がった死体の存在に気がついた。
これは悪魔召喚の場だったのだ。
魔術師と戦う二人の前で、ベルンホーンの仄暗い緑の瞳は、底から沸き上がる怒りに細められていた。
彼は壇上から階段を一歩ずつ下りる。そのたびに騎士と青年を囲む魔術師らの体に穴が開き、血を吹き出して倒れた。
築き上げた黒装束の死体の間から冷たい顔で現れるベルンホーンをシスタは呆然と見やる。
「ああ、ああ。シスタ。なぜお前がこんなところにいる」
「……やめろ、もう止めるんだ、ベルンホーン……ッ」
「なぜ? これは俺の獲物だ。だが……殺すつもりはなかったよ。お前がそこの騎士と現れなければな」
平然と嘘をつき、青年の目の前に到着した時は、すでに全員が死んでいた。
「彼らは……お前を呼び出したのか」
「いいや。俺が目をつけて見張っていたんだ。最後の最後に良い魂が現れるんじゃないかと期待してな。……でもこういう意味じゃない」
わざとらしく悲哀を浮かべた上級悪魔は青年の頬を触った。
瞳はぎろりと騎士へ向かう。エハルドは剣を構えたまま睨み間合いを取っている。
「だからお前はこんなに長い間、地上へいたのか。目当てを待ち望みながら。魔法陣の遺体はどうした」
「俺が知ると思うか。こいつらが勝手に高く高く積み上げていったんだ」
ベルンホーンは様々な遺体を見下ろし笑った。
こんな捧げ物など、自分にはなんの意味もないかのように。
青年は目元をひくつかせ、拳に力を入れる。
「なんだよ。こいつらを殺したことも気に食わないか? 身の程知らずのつまらん連中だ。見てみろ、これだけ男達が揃っていながら、全てを合わせてもお前の魂の百分の一の価値もない」
シスタは限界だった。
自分の愚かさを思い知る。
「うるさい、魂、魂と。お前は狂っている!」
するとベルンホーンは笑みを消した。
青年の顎のラインを長い指でなぞりながら、くいっと上向かせる。
「シスタ。俺はお前のことを愛しているが……俺の仕事の邪魔はするな」
冷えた声音で瞳を捕らえられ、鼓動が胸の奥でドクドクと反響する。
「見たくないものをわざわざ見に来て、好きなように非難する。お前はそんなくだらない輩と同種ではないはずだ。……まだ分からないのか。俺には人間の命など、どうなろうが知ったことじゃない」
シスタは期待が外れたようにショックを受けている。
そんな青年に構わず、悪魔は一転して愛おしそうに目を細めた。
「だからお前は特別なんだ。こんな下等な奴らとは違う」
魂が?
自分という存在を見ているのか?
シスタにはどれも分からない。
悪魔の本質を見ようとしていなかっただけなのか。
この気持ちの置き場はどこにやればいいのだろうと、絶望感が押し寄せてきた。
シスタはベルンホーンの瞳の中に囚われ、ふらりと意識を失い倒れた。
少しやりすぎたかと思いつつも悪魔は、そんな彼の体を腕に受け止める。
騎士はただ、そこにいる。
悪魔の動きを待ち受けるかのように。
「トロイエ。お前がここに連れてきたのか。なんということをしてくれたんだ。はぁ。またシスタを怒らせてしまったじゃないか」
子供をあやすように黒髪を撫でる悪魔を、恐れと蔑みが混じる瞳で騎士は見ている。
「……シスタはあんたを疑っていた。ずっと自分を騙してるんじゃないかってな。それが事実だと、今日分かったわけだ」
エハルドは嘘を言い、悪魔を攻撃したかった。
大切な親友の肉体と精神に悪影響を及ぼしている邪悪な存在を。
しかしベルンホーンは片眉を上げただけで、形良い口元は余裕の笑みを崩していない。
「ほう? だからわざわざここまで見に来たのか。だが騙すとはなんだ? シスタは俺を信用してくれていたのか。ふふっ。可愛いやつだ」
「そうじゃない!」
怒りに滾る騎士に、ベルンホーンは手のひらを突き出しその体を壁に向かって吹き飛ばした。
大きな音で背中を打ちつけた騎士は、うめいて瓦礫の中に落ちる。
「馬鹿な奴め。浅はかな若造が、俺の所有する魂に触れられるとでも思ったか。……はは! 馬鹿というより憐れだな。この先何百年も俺に大事な男を寝取られた苦しみに喘ぐのだから。シスタは罪な男だ。まるでお前を痛めつけるために転生したようだな?」
ベルンホーンの高笑いが教会に響くと、エハルドは剣を地面に突き刺して這い上がり、悪魔の視線を得た。
「誰がお前なんかに……シスタは俺の大事な……親友だ」
「この期に及んで、まだ友だというか。お前達は悪魔の俺より大うそつきだ」
呆れ返る男の口先はまだ止まらない。
「トロイエよ、お前もそれほど阿呆じゃないだろう? お前が何かすれば全てを失うぞ。「親友」も主人も、立場も命も。……そしてシスタもな」
うっすらとした笑みで忠告をする。
腕に抱いたシスタは何も知らず意識を失っている。
「シスタをどうするつもりだ……?」
「完全に俺のものにするのさ。邪魔な騎士などが安易に触れられないようにな。お前には全てを捨てる覚悟などないだろうが、俺にはある。愛するこの男に捧げる覚悟がな」
優しい目つきをしたベルンホーンは騎士の目の前でシスタの唇にキスをした。
騎士がまた歯向かってくる前に、同時に地上からも姿を消した。
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