Otherside | ナノ


▼ 15 情か何か

シスタは悪魔にしたことを冷静に考えていた。
余計に面倒な結果を招くのは分かっていたはずだ。

それなのにキスなどしてしまったのは、ベルンホーンがあまりに自分と親友のことを気にするため、とにかく安心をさせたかったのだ。

でも、そう思ったのは何故だろう。
主人と奴隷の間に、そんな感情は不必要なのに。

あれから数日経ち、ベルンホーンは明らかに調子に乗っていた。夜の寝室では何度も「好きだ」「可愛いぞ」などと囁き、まるで恋人か何かのように情熱的な営みをした。

シスタにそんな意図はまるでない。だが悪魔は信じず、あの美麗な顔で恍惚と見つめてきて、完全に浮かれているようだった。

「なあシスタ。今日はお前からしてくれないのか?」
「今日は? いつもしていない。一度きりのことだろう」
「つれないな。たった一度だけで俺は何を信じればいい? 自信を取り戻させてくれよ」
「お前はいつも自信満々だと思うが、ベルンホーン」

広間で足を組み、読書をする青年に悪魔は絶えず絡んでくる。
体をこちらに向け、企み顔で笑みを浮かべている。

「ああつまらない。お前にもっと構ってほしいな。本なんかよりいい男がここにいるぞ」
「なっ、強引だぞーー」

ソファに押し倒された時、シスタは広間の隅に黒の物体を見つけた。

「!」

驚いて大きな図体を押しのけようとする。
ベルンホーンは腕で囲った体勢のまま青年の視線を追った。

「あれはなんだ、黒いものが……!」
「俺の「影」だ。大丈夫だよシスタ」

しかし悪魔の声はどこかざらついた低音にがらりと変わった。
ベルンホーンが立ち上がると黒いモヤのような影は伸び、フードを被った人の影に変化する。

邪悪な物体なのは分かった。どうやら悪魔の使い魔らしく、シスタは初めて見た存在に目を奪われる。

そいつは魔族の言葉でもない音声をぐにゃぐにゃと発し、ベルンホーンは真剣な様子で聞いている。

ほとんど分からないシスタだったが、何故か「教団」と「魂」という言葉だけが耳に伝わった。

「……ふむ。そうか。わかった、ご苦労」

告げると影は広間から廊下へ戻り、煙になって姿を消した。
振り返ったベルンホーンは興ざめの顔つきで息を吐く。

「すまない、シスタ。仕事だ。地上へ行ってくる」
「……そう、なのか。契約者か…?」

慎重に尋ねると、悪魔は静かに頷き、すでにピリっとした空気をまとい始めていた。
怖さを思い出したシスタはゆっくり立ち上がり、距離を保とうか迷ったが、その前に彼は歩み寄ってきた。

頭ひとつ長身の男が見下ろし、頬に優しくキスをする。

「じゃあ行ってくる。ああお前ともっとのんびりしたかったのに」
「……そうだな。帰ってからも出来るさ。大変な仕事なのか?」
「いや、心配ない。お前は自由に過ごしていていい。気をつけるんだぞ?」

微笑んだ悪魔にほっとしたシスタも同様に告げ、そこで別れた。
すぐに地上へ向かった悪魔は、いったい何をしているのだろうと考えながら。





それから数日、シスタは屋敷で過ごしていた。
食事をし、時々執事の世話になり、たまに庭で紫色の空を見上げる。
悪魔の不在はとくに寂しさはもたらさなかったが、気にはなった。

テラスでお茶を飲んでいると親友からの魔法鳥が届く。

『シスタ、今お前の主人いないんだって? ちょうどいいから会おうぜ。お前に話したいこともあるんだ』

驚いたが、自由に過ごしていいと言われていた青年は誘いを承諾した。執事にその旨を話し、二人で落ち合うことにする。

冥界と魔界は特別な空のルートを通らなければならず、奴隷の身分であるシスタにはそれが出来なかったため、魔界に住む騎士の親友にこちらに来てもらった。

彼は何度も仕事や護衛で冥界に来たことがあるらしく、慣れてもいた。
町外れの自然公園に向かうと、噴水そばに鎧姿の金髪の男がいた。

「シスタ!」

手を大きく振られ、口元を上げたシスタは近づいていく。

「大丈夫か? 護衛は?」
「そんなものはいない」
「おいおい、必要だろ。つけてもらえよ」
「大事にはしたくないんだ。あいつも今日のことは知る由もないからな」

肩を竦める黒髪の青年を騎士は見下ろす。未だ見慣れぬ白いローブの襟元を指で引くと鎖骨が見え、白い紋様があった。

「なあ、この前も気になったんだが、見られてると思ったら言えなくてな」
「……気づいてたのか? 監視に」
「って、やっぱりされてたのか、あの野郎。この模様はなんだ?」
「それは奴隷の証だ。前は首輪だった」
「首輪だと? 悪趣味な奴だな」

苦い顔で非難したエハルドはなぜ今はこれなのかと聞いた。しかしシスタには答えようがなかった。身軽で服にも隠しやすく、また守護の役割もあるらしいため損はないと思ったが。

二人は樹木の下の長椅子に座り、話をした。
やはり面と向かって近況や昔話に花を咲かせるのは、伝言よりも有意義だ。

しかしエハルドが去ったあとの世界については、家族の深い悲しみと、それから長い時間をかけて彼らが死を受け入れ、今もきちんと生きているという事しか伝えられていなかった。

エハルドも家族の安否にはほっとしていたが、自分が犯した罪は決して消えないという事も受け入れていた。

「これを言われたくないだろうが、私と違ってお前にはたくさん大事なものがあった。だから未だに考えることがあってな」
「そうか。完全に分かる必要はないさ。……俺はただ、お前がいなくなった後のことが怖かった。お前のことが……だから……ああ、俺が言う資格はないよな。結局お前に同じ思いをさせてんだから」

エハルドは言葉にしにくい気持ちを整理しようとする。

「俺を追ってきやがって、馬鹿野郎と言いたいところだけどさ。……お前にまた会えて嬉しいよ。ごめんな、シスタ」
「いいさ。私もだ。こうなってしまったものは仕方ない。この世界で互いに生き抜かねばな」

二人はまるで昔魔術を切磋琢磨して学んだときのように、共通の答えに落ち着いた。
騎士はやや強面の精悍な顔立ちをにこやかに変えた。

「それでさ、すごいんだぜ。トロアゲーニエ様が休暇をくれたんだ。十日間も。今までほとんど休みなく働いてきたから休みなさいってさ。本当にあの人はいい人だよ。魔族とは思えない」

シスタは驚く。なんでも友人との再会に祝いの気持ちを添えてくれたようだった。
エハルドも大層乗り気で、自分と色々したりして過ごしたいと話した。

「私も嬉しいが、いいのだろうか。今はベルンホーンがいないんだ」
「だからチャンスなんだろ? 俺に付き合え、シスタ」

肩を抱かれ、考えたあとに頷く。
許される範囲内で行動すれば、問題ないだろうと考えた。



それから連日エハルドに会いに行く。
ずっと冥界で過ごすのは気分が滅入ると言われてしまったため、魔界へ連れて行ってもらったのだが、彼の魔族への馴染み方には素直に驚かされた。

カウェリネス公爵家に仕える騎士として品行方正に暮らしているかと思いきや、転生前と同じく遊びや冒険を好み、自由時間は好きに過ごしているようだった。

街でも常に鎧姿で暑苦しいものの、紋章付きのこの鎧ならば不遇な扱いはされないらしい。

シスタはエハルドに魔道具の商店や昼の酒場にも連れていってもらった。
普段ベルンホーンが行かないような下町の眺めは新鮮で面白い。上級悪魔にも様々な層があるようで、ごちゃついた酒場では人々は酒を嗜みながら高度な魔法を使ったボードゲームなどに興じていた。

「すごいな、種族は違っても普通の生活だ。懐かしさすら感じるよ」
「ははっ。お前もお坊ちゃんだったが、あの公爵家は格が違うからな。どうせいつも贅沢してんだろ」

自分も高貴な家に世話になっているくせに、エハルドはからかって笑う。

そんな時、酒場の主人がテーブルに来て大きな袋をどん!と置いた。厳つい風貌の魔族に見下され、シスタはなにか自分たちが悪いことをしたのかと危惧する。

しかし彼は騎士にこう言った。

「ほらよ、トロイエ。冷凍庫に残った今月分の肉だ。自慢のソースもついてるぜ。持って帰れ」
「ありがとう親父さん。助かるよ」
「へっ! 宮廷の飯よりうちの方が美味いに決まってんだ、お前は魔人だが良い舌を持ってやがるからな。助け合いよ」

にやりと笑って二人に酒の大瓶までくれた主人は、他の客に呼ばれ去っていった。

「あの人強面だけど優しいだろ? 普段宮廷や屋敷で出される料理は素晴らしいんだけどな、俺は平凡な生まれだから無性にこういうのが食べたくなるんだ」
「そうか。それでお前、お裾分けしてもらってるんだな。自炊もしてるのか?」
「たまにな。俺の飯が美味いのはお前も知ってるだろ、シスタ。今度食わせてやる」

にっこりと笑う親友に頷く。
とある魔族の優しさにも胸が温かくなったが、なによりエハルドが逞しくこの世界で生き抜いているのだということにシスタは安堵し、感慨深くもなった。



こうして連日楽しく出かける一方で、シスタには少し悪い気もあった。
なのでその日も午後六時には帰宅していた。

「お前は小さな子供か。門限があるとは参った」
「一応だ。ベルンホーンが帰って来るかもしれない」
「ああそうですか。いない時ぐらい忘れろよ」

呆れられる中屋敷に帰宅しても、今日も悪魔はいない。
こんなことがあるのだろうか。今日で一週間だ。
さすがにおかしいと思い始めた。

執事に聞いても、何も知らないと言われるだけだった。
契約は当人同士しか知り得ないため当然である。それに忠実な執事は簡単に他者に教えたりもしないだろう。

「シスタ、本当はうちへ連れて行きたいが、俺は普段屋敷の敷地内に住んでて、たまに宮廷に寝泊まりしたりしてるんだ。さすがに難しいよな。お前のとこへ行くのも駄目だし。いつも外っていうのも疲れてきたか」
「いや、私は大丈夫だよ。お前がいれば十分楽しい」

翌日にも街の喫茶店で親友へ笑むシスタだが、時折見せる陰りにエハルドは気づいていた。

「じゃあなんで時々浮かない感じなんだ? お前」
「……ベルンホーンが、帰ってこないんだ。心配ないと言ったのに。何かあったのかもしれない」

もうすぐ十日になる。あちらでは一ヶ月近く経過していることになるのでは。
そう伝えるとエハルドは怪訝な顔をした。

「そんなに気にすることか? 悪魔は自由奔放だろ。平気で嘘をつくし、何かに縛られたりもしない。簡単に信じるなよ」
「お前だって、主人をいたく信頼してるじゃないか。彼も上級悪魔だぞ」
「トロアゲーニエ様は変わってるんだ。彼は特別だよ、人のような心を持っている。俺は三年一緒にいるんだぞ? お前はたった数ヶ月だろ、あいつに取り入れられてるんじゃないのか?」

シスタはむっとなった。
冷静に考えれば体の関係もある悪魔に、肉体も精神も溺れてコントロールされていると思われても不思議ではない。

「私達はそういうんじゃない。勘違いするな」
「……私達? お前どうしたんだよ。まさかあいつに気があるとか言うなよ」

かっとなり睨んだが、すぐに返答がなかったシスタを前に騎士は憎しみのこもった顔つきをした。
拳を握り、魔族特有の冷たい怒気を放ち始める。

「ふざけるなよ、お前は俺が、俺のほうが、お前のことを……ッ」
「なに…言ってるんだ、お前まで馬鹿なことを言うな!」
「ーーシスタ!」

シスタは無視してその場を離れた。
店の隅で転移魔法を使い屋敷へ戻る。自室に帰り、ベッドに倒れ込んだ。

天井を見て頭をぐしゃぐしゃとかきむしる。
あのエハルドの表情は知らない顔だった。

もううんざりだ。
なぜドロドロしたものになる。自分たちを取り巻くものは、まっさらで、美しい感情ではなかったか。
もっとシンプルで、綺麗で純真なーー。

「ベルンホーン……どこにいるんだ」

なぜこんなにも心配なのか。
魔族は人とは違う。頑丈で、自由で捕まらない。

もしかしたら、他にもっといい魂を見つけたのかもしれない。
それならそれでいい。自分の目的は果たしたし、どんなに身勝手な考えだろうと、そういう契約をしたのは自分だ。

だが、あの悪魔の戯れにすぎない言葉を信じている自分も確かにいた。
彼は何かに巻き込まれているのではないかと。

あの中級との地上での戦いを思い出す。
悪魔の狙いは他にあったが、皆を助けてくれたのも事実だ。

シスタはたった短い期間だが、ベルンホーンに何かが起きてもどうでもいいと思えるほどの気持ちでは、もういられなかった。
だからこの胸騒ぎを、しまいこむことも出来なかった。



翌日、シスタは準備をしながら考えていた。
地上へ行こうと思う。だがその方法が分からない。
同じ世界内で転移をするのとはわけが違う。上級悪魔ならば冥界、魔界とともに容易なのだろうが。

悩んだ挙げ句、執事に相談しようと思った。彼なら無理やり命令だと迫れば可能性はあるかもしれない。
だがその時、屋敷の門に人が現れた。

玄関へ向かったシスタに老執事が伝える。

「シスタ様。騎士のお客様です。どうなさいますか」
「エハルドだな。すまない、通してくれ」

言うことを聞いてくれた執事は、鎧の騎士を広間に案内した。二人きりになり、緊張した空気が流れる。

「なぜここへ来た。許されないぞ」
「悪いな。だがあのままじゃいられないだろ。……シスタ、お前あの悪魔に本気なのか?」
「頼むから、くだらないことを言うな。お前まであいつみたいになったのか」

強い口調で非難したのに、どうなんだと肩を掴まれる。
中々引かない男に仕方なく口を開いた。

「嫌いじゃない。あいつは悪い奴じゃないんだ、エハルド」

そう告げただけで何かを悟られ、大きく肩を落とされる。
シスタはさらに酷な発言をした。

「お前、地上へ行ったことはあるか」

騎士は苛立ちをこらえる顔つきで目を大きく開いた。

「ないさ。なぜだか分かるか、お前に会いたくなったら駄目だからだ。だから顔まで変えて俺は生まれ変わったんだ!」

声を張り上げる親友の覚悟がそこにはあった。

シスタは愛情に満ちた切ない顔つきを向けている。
だがそれは、昔から親愛によるものだとエハルドには分かっていた。そのぐらいの大きな愛でこの世界に来てくれたということも。

「エハルド……それでも私はお前に会いたかった。その姿でも関係ない。お前だと知っている」
「わかってるよ……」

シスタからの愛はすでに証明されている。
そのためさらに、今この時胸がしめつけられた。

「もういい、話はあとだ。地上へ行くんだろ?」 
「出来るのか?」
「出来ないなんて言ってないだろ。……くそっ、一緒に行ってやるよ。これじゃ昔と役割が反対だな。無茶する俺を止めるのがお前だったろうに」

シスタは三つ年下だ。
当時から十年たった今、ようやく二人の関係が年相応になってきたと騎士は自虐もしたくなった。

執事には告げず二人は出発する。
シスタは本能に急かされるように、悪魔の行方を追っていた。



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