Undying | ナノ


▼ 40 嫉妬心

赤夢湖への出発が迫っている。その前に討伐隊の六人は、入院している仲間の見舞いに行った。
院長のゲインズには大所帯で来るなと怒鳴られたが、そこを頼み込んでアディルは真っ先に当主の個室へと向かった。

「ラノウ! 大丈夫か、ああ、あんたのこんな姿……くそっ、すまねえ俺のせいで……すまねえラノウ!」
「…………俺ごとベッドを揺らすな馬鹿力。まだ痛えんだよ体が」

当主は疲れ切った表情だったが、血色は前より良く傷跡も回復傾向にあるようだ。
自分を囲むローブ姿の男達に、小高い枕からやさぐれた表情を向ける。

「死神みたいな恰好しやがって……俺の組の奴が全員脱落とは、情けねえ」

無論自分の惨状が最たるものだという失望を表すと、皆思い思いに憐れみの眼差しをした。
ラノウはうまく動かせない手をそばにいるアディルの腕に乗せる。

「取り返せよ、お前ならやれる。泣き言は全部終わってからにしろ。……ついててやれなくて、悪いな。アディル」
「……うっ、うぅっ、ラノウっ!! あんたの仇は絶対に取ってみせる!」
「オイ俺が死んだみたいな雰囲気出すな」

上半身に抱きつかれ苦しがっていた当主だが、目線をシグリエルに移した。

「皆を頼むぜ、兄ちゃんよ。俺はこのザマだ。お前らのために祝杯の準備して待っててやるからな」
「……ああ。それはありがたい。ラノウ、あんたの組の大きな喪失に心からの哀悼と謝意を示したい。……この戦いは俺が終わらせる。大人しく待っていてくれ」
「おいおい……やけに言葉尻に力がこもってる気はするが……まあいいか」

当主は笑うと咳込み、いつもはお喋りな友人を確認する。

「サウレス。お前のことは別に心配してないが……気をつけろよ。そこの魔術師たちとも協力してな」
「まあなんとかやるさ。お前はここですやすやと寝てろ」
「……それがそうもいかねえんだよ。あのじいさん、早く出てけってうるさくてよ。もっと贅沢な部屋にしろって言っただけでキレやがって……俺は組の頭だぞ? こんなちっぽけな狭い部屋で何をどうしろとーー」

ぶつくさと文句を言い始めた壮年の男に皆が閉口する中、黒ローブのシスタがあることを指摘した。

「君の点滴がもうすぐなくなりそうだ。私が看護師を呼んでこよう」
「おお、助かるわ」

彼が出ていこうとした時、男達でいっぱいの白い病室に良い香りをまとう女性が現れた。
セミロングの金髪で、色っぽいメイクをした瞳の大きな看護師だ。

顔は全く愛想がないものの、ぴたりとしたミニスカートのナース服で、無言で点滴を換える様は男達の視線をさらった。

「えっ……すげえ可愛い。おいあんた、ラッキーだな。こんなスケベそうなギャルにお世話してもらって」
「へへっ、そうだろ。俺も驚いたぜ、闇医者のとこに若い美人がいるとはーー」

完全に聞こえる距離で話すフィトと当主だが、他の面々は気まずそうだった。
シスタの注意も聞かず盛り上がっていると、彼女は黙って当主の肩を押さえ、体温計を口に入れて測定し出て行った。

「なあ見たか今の、普段話しかけても何も言わねえんだぜ。あの子お口が聞けねえのかな? そこがまたエロいんだけどよ」
「……当主。君はいくつだ? あんな自分の娘でもおかしくないような年の女性のことを、下品な目線で話題にするとは……」

この中でもっとも硬派であろう剣士ゾークが口を挟むと、アディルは若干ほっとした。
当主は尊敬する人間だが、女関係にだらしなくその悪ノリには頭を抱えることが多かった。

「またまた、あんたも本当は好きだろ。男同士だ、隠すんじゃねえよ、な? もちろん女はそれだけじゃねえけどな、若い娘は最高だ、そうだろが」
「…………まあそれは否定しないが……」
「しねえのかよ! あんた最低だな!」

フィトが爆笑しながら剣士の肩を叩いている。アディルも呆れたが、ふと気になって兄の様子を見た。

シグリエルは何かを考えてるのか、いつものようにあまり読み取れない表情でただ立っている。

そこへ、あの彼女が戻ってきた。しかしなんと、皆は初めてその声を聞く。

「シグリエル。ちょっと来て」

看護師と視線を合わせた兄は、部屋を出て行き一瞬場が静まる。
大声で当主たちがまた反応する一方、アディルは唖然とした。

「え、なんだよ! あの子喋れんのかよ、声も可愛いなぁ!」
「お前、すごく元気じゃないか。はしゃぎすぎだろ」
「いやだってよ、今の見たか? 兄ちゃんと旧知の仲みたいな関係一瞬で醸し出してたぞ。……いてててっ、動いたら肋がッ」

女っ気のないことを我慢出来ない当主の態度はわかるが、その内容にアディルは柄にもなく、無い鼓動が鳴りそうだった。

「……あー、そういや兄貴、前に入院してたって言ってたもんな。そん時から知り合いなんじゃねえ?」
「そうなのかよ、もっと若い時か? もはや犯罪だな。……でも年的にはおかしくねえか、ハハ。一発ぐらいやってても」

ラノウの下品な一言がやけにアディルに突き刺さった。
自分で言ったことだが、兄の当時の様子が気になってくる。

個室の窓のカーテンの隙間から二人が話しているのが見えた。シグリエルは後ろ姿で表情が分からないが、あの看護師はリラックスした顔つきで時折薄っすらと笑い、会話をしていた。

「ただの知り合い同士だろう。偏見かもしれないが、シグリエルはそう簡単に心を開くタイプではないと思うがな」

剣士が腕を組み、ちらりと弟を見て頷いた。
単純にも安心しそうになったアディルだが、なぜそんなぐるぐるとした思考になるのか自分でもよくわからなかった。

やがてシグリエルが戻ってくる。
男達の好奇な視線に気づくと、ただ見返した。

「なんだ?」
「何話してたんだよ、あの美人と。いいねえ若い色男は。俺なんか終始無視だぜ、お前より確実に金あんのに。……あっそうそう、お前あの姉ちゃんと知り合いなら一回ぐらいお願いしたことあんのか?」

当主にニヤニヤと邪推されたシグリエルは立ち止まり、すぐに答えないでいた。

「…………何を言っている」
「あれえ、あやしいな! お前らどう思う? 俺は他人のこういう話が大好きなんだよ」
「はあ、お前の変わらぬ低俗さのせいで同情が薄れてきたよ。閉じ込められてよほど鬱憤が溜まってるのか、ラノウ」

失笑まじりに見物をするサウレスの横で、アディルが落ち着かない態度で声を上げた。

「あ、俺ちょっと小便行ってくるわ」
「ああ? お前なんもでねーだろ」
「うるせえバーカッ、あんたのそういうとこ俺たまにすげえ嫌いなんだよ!!」

精一杯の悪態を当主につき、アディルは全速力で病室から抜け出した。
当主はぽかんとし、「俺なんかしたか?」と本気で首をひねっていたが、その後もしつこくシグリエルに絡んでいた。

「お前とは話が通じないから俺に容態と治療方針を伝えてきただけだ。……アディルはなぜ様子がおかしかった?」

眉をひそめ兄が尋ねると、ふと目があったもう一人の冷静な男シスタが答えてくれた。

「彼は繊細なんだろう。兄弟のそういう話が聞きたくないという感覚は珍しくないと思うぞ」
「ふんふん、確かにな。じゃああいつの前でああいう話は遠慮してやろう! 一番若いのに不死者になっちまったしさ、もう色々出来ねえつらさもあるだろうよ。可哀想にな」

全く反省しているように見えないフィトだったが、親同然の気持ちでいた当主もはっとなった顔をする。

「あ、そうか。もしかしてあいつ、……やべえ、まったく頭から抜けてたわ。そうなのか? シグリエル」

しおらしい壮年の男に対して妙な怒りが湧いたものの、シグリエルは答えに困る。
弟の生殖機能に関しては、プライバシーだというのはもちろんだが、それ以上にそんな事をこの男くさい面々に自分の口から話したくなどなかった。

「弟のことを面白がるな。心配もするな。そういう態度があいつを傷つけるんだ。……それと俺のことも話題にするな」

アディルを変えた自分に言う権利はないと思いながらも、忠告したシグリエルは部屋を出て弟のことを探しに行った。

残された男達は悪魔つきの男の冷酷な表情に、密かに背筋が冷えていた。





考えなしに逃げてきたアディルだったが、入り組んだ院内の廊下を歩いていると、あの女性の香りが嗅覚を刺激してきて無意識に追った。

辿り着いたのは角にある喫煙室だ。病院の屋内にそんなものがあっていいのか知らないが、ガラスの壁によりかかるナース服の女が一服しているのが見えた。

ブロンドの彼女の緑の瞳と目が合い、アディルは意をけっして中に入る。

「よお、どうも」
「…………」

看護師は無言でちらりと見た後、また宙に向かって煙を吐いていた。

「あのさ。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

アディルは慣れてもないナンパのような素振りだと思いながらも、軽々しく声をかけた。
女性は自分よりも何歳か年上の大人っぽい美女だ。だがきっと兄よりは年下だと思う。

背はアディルより少し低いぐらいの長身で、体は細いのに胸と尻は形よく出ている。

「…………あんた俺の兄貴とヤッたの?」

その魅惑的な肉体を前にしていたら、つい直接的な問いが口から出てきてしまった。まずい、と思っても顔には出さずに余裕を醸していると、女は近づいてきた。

失礼な問いに怒るでもなく笑うでもなく、わざとらしく煙を顔に吹きかけてくるが、アディルはむせずに受け止める。

赤いぽってりとした唇が近く、男としての興奮を些か刺激されながら。

「ねえ。アンタ不死者なんだよね。性欲あるの?」

妖艶な表情にそう尋ねられ、不意を突かれたアディルは戸惑った。
ひょっとすると、返事をすれば自分の問いにも答えるのかもしれないと考えた。

「ああ。あるけど」
「そうなんだ。じゃあ性行為は出来る?」

アディルは顔をしかめた。それを見た女は今度は分かりやすく笑みを作る。

「個人的な質問だって? アンタが今訊いたことも同じことよね。気になるならシグリエルに聞けば? 答えてくれるか分からないけど」

目は笑っていないのにくすくすと笑い声が聞こえ、アディルは苛立ちを感じて部屋を出た。
あの看護師が兄の名を親し気に呼んでいることにも、なぜか動揺してくる。

「……はあ。くだらねえ……」

廊下を足早に歩き、どこへ行こうか迷った。次はジャスパーを見舞おうと思っていたが、もう少し間を置かないと今は気が立ってしまっている。

そう考えて勝手に屋上へ向かった。
階段を上った先の両扉には、頑丈な鍵が外されている跡があった。不審に思い足を踏み入れると、そこには黒装束の後ろ姿があった。

気配に気づいたシグリエルの金髪が振り返る。

「アディル。やはりここに来たか」
「なんで兄貴が先にここにいるんだよ」
「お前は高いところが苦手だが、屋上が好きだったからな」
「……もう苦手じゃねえよ」

幼い頃の話をする兄に不貞腐れながらも、アディルが近くに行くと兄は笑った。

「どうした、疲れたか」
「別に」

素っ気ないアディルの隣でもシグリエルは動じず、弟の瞳を探ろうとする。
その視線にさらに落ち着かなくなったアディルは、広がる大空を見ながら明かした。

「……あの子に聞いちまったよ。兄貴とヤッたのかって……」

言いながらどれだけ自分が無作法な阿呆なのかと分かるが、兄の反応が知りたくて横目をやった。すると兄はさすがに瞳を不自然に動かし、言葉に詰まった。

アディルの鼓動は鳴らないが、緊張を感じる。しかしシグリエルは想像と違う反応を見せた。

「なぜそんなことを知りたがる? お前、ああいう……女が好みなのか」
「……はあ? なんで俺の話になるんだ。あんたのこと聞いてんだろ」

むすっとした顔で向き直る弟に対しても、はっきりと答えない兄の様子は、はぐらかしているように見えた。

「俺か? 俺があいつと行為をしたかどうか、か」
「そうだよ」
「していない。昔、迫られたことはあるが断った」

ようやくはっきりと答えを述べた兄の顔を、アディルはじっと見る。その顔はまだ疑ったままだった。
シグリエルは普段の彼らしくもなく、ふっと笑いをこぼす。

「本当だ。お前がなぜそこまで気になるのか分からないが、嘘じゃない」
「……なんで俺が気になるのか、マジで分かんねえの? あんた」

仏頂面を見せるアディルに対し、シグリエルは段々本当に当惑してきた。

「……アディル? どうして怒る。俺は本当のことを言ったぞ。お前に嘘はつかない。……なるべく」

兄の言葉の端々にも沸々と反応する弟に気づかず、シグリエルが顔を近づける。その時香ってきたものには気がついた。

「……煙草の匂いがする。どこでつけた」
「別に。香水の匂いはしないか?」

弟の頑な態度にしびれを切らした兄は、思わずその筋肉質な細身を抱きしめた。
黒髪を鼻でどけて耳元を嗅ぐと、びくりとアディルは大人しくなる。

「いや、しないな。ネメニアと話したのか」

合点のいったシグリエルは、今度はすんなり看護師の名を呼び尋ねた。

「……俺の勘違いだったらすまないが。俺とあいつはそういう関係じゃない。お前は当主の下世話な話に毒されすぎだ」

穏やかな声質で、話題のことはどうでもいいかのように、シグリエルは口元と鼻をずらして弟の匂いを楽しむ。

「ちょっ……離せってっ……何考えてんだよっ」
「お前の考えこそ、教えてくれ。俺はどんな事よりもそれが知りたい」
「うるせえな、俺のこと馬鹿でガキだと思ってんだろ、あんたも!」

アディルは無理やり兄の腕から抜け出し、駄々をこねる子供のような赤らんだ顔で睨んだ。

シグリエルは呆気に取られる。
まるで捕まらない猫のような弟の姿が、何年も会っていなかった兄の自分にとっては新しく映った。

「そんな事は思っていないが、お前はまだ十八だ。それなのにしっかりしている。この間の俺の醜態を忘れたか?」
「……ッ。兄貴とは話がかみ合わねえ。もういいよ!」

唸ったアディルは乱暴な態度で屋上から走って消えてしまった。
シグリエルはしばらく呆然と立っていたが、俯いた金髪を掻き上げる。

あんな風に怒らせたのは初めてだった。まるで手がつかず、自分の言葉も通じなかった。

欠陥があるのは自分だ。弟はおそらく間違っていない。
そう思いつつも、どうすればいいのか分からず空を見上げた。





アディルはその後、一人でジャスパーの部屋に向かった。廊下を歩く間、兄への問いがどんどん溢れてくる。
あの看護師への嫉妬心はもうどうでもいい。自分は十一の時から孤児院育ちで、その後組織に入ったため、男達の乱れた貞操観念はよく知っている。

でも、なぜ兄は自分を抱くのだろうか。
最終的にそう聞きたかったが、出来なかった。嫉妬に駆られて無様な時に、追い打ちがかかるような怖い質問など出来っこない。

きっと兄は「愛しているからだ」と言うだろうが、それだけで男の自分を抱くとは思えなかった。
自分も兄への愛から全て受け入れ、兄のすべてを欲したくせに。

「……ああ、アディル。来てくれたんですね。すみません、私のところにも」

届けられた花瓶の花を見やった眼鏡の男が、目下の自分にも丁寧に会釈をした。当主の部屋より若干小さな個室だが、思ったよりも元気そうで安堵する。

「まだ皆ラノウのとこにいるのかよ。なげえな」
「話すことがたくさんあるんでしょう。いいんですよ、自分のことは」

気遣う側近の男は体を起こそうとしたが、やんわりと止めて寝かせた。

「ジャスパー、無事でよかったよ。ごめんな、俺がまた迷惑かけて。……そんなんじゃ済まないけどさ」
「……アディル。なるようにしかなりませんよ。まだ若いあなたは気に病まなくてもいいんです。私なんて、どれほど人に心配や迷惑をかけてきたか。それでもこうして生きてるんですから」

微笑もうとする彼を見てアディルの胸がちくりと痛む。
皆自分を励まし、鼓舞しようとする。でもそれは、自分達兄弟が文字通り未来を背負っているからだと分かっている。

死んだ仲間も、ゼスもエルキも、敵を倒そうと前を向いてくれた。
隊長のゾルタンやジャスパー、当主だって。今も一緒に同じところを見てくれている。

「……俺、頑張るよ。勝って帰ってくるから。ジャスパー、ラノウのことよろしくな。たぶんあんたのほうが、先に治りそうだし」
「はい。当主のことは任せてください。あなたもサウレスさんと、シグリエルさんと、他の皆さんとも……一緒に気をつけるんですよ」

眼鏡の中年の男は、ゆっくりと手を差し出し、アディルと握手をした。
堅く交わした約束は何度目かのものだが、よりいっそう自身の心を強くする。




それは確かだが、部屋を出たアディルの心は依然としてすっきりしない。
こんな大事なときに、なぜ兄にあんな風な態度を取ったのか。

「本当に俺って、アホガキとしか言いようがねえ……」

肩を落として歩いていると、廊下の奥の部屋からサウレス達がぞろぞろと出てきた。

「よお、繊細坊や。僕らは今からジャスパーを見舞うが」
「俺はもう行ってきた」
「最後に当主のところにも顔出せよ」
「へいへい」

軽く受け流して院内を歩いていく。すると今度は、遠くから四人の男女の話し声が聞こえた。
アディルは気配を消し、こっそりと会話を聞く。
休憩室にいたのは院長のゲインズと看護師の男、あのネメニアという女、そして兄だった。

「ーーでは当主にはなるべく療養を勧めてください。無理をして来られでもしたら困るので」
「ああ、分かっておるよ。そう気を揉まんでもあの男は見た目よりかなりダメージを受けている。涼しい顔してるがな。見上げた生命力だ」
「組の頭ですもんね。すごいっすよ、見ましたあのガタイ、綺麗な細マッチョっていうんすか? あの年でモテるだろうなあ〜金もこの医院何個も買えるぐらい持ってるだろうし。……あっミズカさんとどっちが金持ちなんだろう」
「お前なあ、ガタイの良さなら自分が一番だろうが。雄々しい風貌のくせにミーハーな奴め」

看護師の大男に注意する院長と、甲高く笑う声が聞こえてきた。

「金持ってるのはミズカのほうでしょ。あいつあんまり使わなそうだし。いつも寝間着姿だよね」
「いやネメさんが美意識高すぎるんですって、私服もすげえ可愛いし!」
「ふふっ。嬉しいけどいくら褒められてもアンタタイプじゃないから」

冷たい女に対する男の悲鳴が聞こえて、なんだか真面目な医療関係者の姿とはかけ離れた内容にアディルは頭が痛くなった。

だがそこに、呼び出しのベルがけたたましく鳴り響く。

「またあのおっさんだよ。この前アタシのお尻触ってきて、ぶん殴ってやろうかと思ったんだけど」
「駄目だよネメちゃん、君が殴ったら今死んじゃうから。ねっ? 大人しくワシのいう事聞くんだよ」
「はーい院長。じゃあ今度欲しいバッグがあるんですけど、いいですか?」
「もちろん! 何買っちゃおうかなあ。シグリエル、最近の若い子の好み、お前教えてくれんか」
「……こそこそと俺に聞かないでください。なんでもいいんじゃないですか」
「えーつめたーい! アンタのプレゼントのほうがアタシ嬉しいのにぃ!」
「ネメちゃん? それどういうこと?」

皆の仲良さそうな会話を聞き、アディルは混乱した。
兄はこの人達にかなり気を許してそうな雰囲気だ。そう感じた弟は、その場を淋しげに去ろうとした。

けれど、当主の相手を男の看護師に任せたネメニアは、歩き出す兄についていくように会話し始めた。

アディルは慌てて遠ざかり、廊下近くの階段下に隠れた。
気になったのは事実なものの、思わぬ形で二人きりの会話を聞いてしまった。

「ねえ、アンタの弟。可愛いね」
「……あいつに何を言ったんだ。からかうのはやめてくれ」
「いいでしょ。昔アンタに振られて悔しかったんだからさ。……ねえねえ、今のアタシなら相手してやってもいいって思う?」

彼女は甘えた声を出し、いつの間にかその答えをアディルも息をひそめるように待っていた。

「……ふっ。まだそんなことを言っているのか。お前ならすぐに相手が見つかるはずだ」
「いないよ、他にいい男。アタシこんなに努力したのに。アンタが入院した時も下の世話までやってあげたのにさぁ。冷たくない?」
「ただの仕事だろ。……まあ、看護師としてはお前も成長したようだな。手際はよくなったみたいだ」
「そうかなっ? へへっ」

二人は想像以上に親しく会話していた。アディルの気持ちが落ちていく。
兄はもっと、冷たくあしらうものかと勝手に想像していた。

可愛がられるような立場の存在は、自分だけだと。
思い上がっていたことが恥ずかしく、けれど知らない女に微笑みを向けるシグリエルが腹立たしくも感じた。

こんな自分は嫌だ。感情すら未熟すぎて嫌になる。

アディルは黒い陰りを心に感じながら、静かにその場を離れた。



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