Undying | ナノ


▼ 39 離脱者

夕方、シグリエル達は屋敷へ戻ってきた。捜索チームの三人とも合流したが、予想通りアディルへの当たりは強かった。

「あッ! てめえこの野郎、よくも勝手なことしてくれたな!! 俺は計画を狂わせる奴が一番嫌いなんだ! おかげで無駄な体力消耗をッーー」
「退いてろ」

最初に突っかかってきた魔術師フィトを押しのけて、隊長ゾルタンが前に出る。彼は問答無用で弟の横顔に拳を叩き込み、殴り飛ばした。

「……ッ」

アディルは覚悟していたため真っ向から受け止める。
だが屈強な銀髪の男は怒りがおさまらず、胸ぐらを掴み上げた。

「お前の仕事はなんだ? 当主の護衛だろう、それが自ら離れてどうする!」

怒号とともに拳を振り上げた時、その腕がシグリエルの五指により止められる。

「二発目は必要ない」
「……黙れ、これが俺達の隊のやり方だ、頭が倒れたんだぞ、こいつには分からせる必要がある!」

元軍人の反論にもシグリエルは引かなかった。すると男は全身に血管を浮き上がらせ、呼吸を荒くして激しい睨みをきかせてくる。

その姿にどこか違和感があった。
シグリエルはよく観察する。隊長の体内外に漂う、薄い煙のような気配を。

「おいちょっと、そこまで熱くなることないだろ。俺のはパフォーマンスだから。あー、このおっさん森にいた時から気が立っててよ。なんか怖えんだよ」
「……いや、死霊の騎士を倒した時からだ」

フィトを正したのは黒ローブをまとったシスタだ。専門知識をもつ彼の言葉が気になったシグリエルは、一旦その場を離れた。
近くにいたサウレスと剣士に、場を見張るように告げて。

別室の客間に移った二人はひっそりと話し始める。

「山で何があった」
「これといっておかしな事はなかったんだが。彼は最初から正しく健全に我々を先導していた。マルグスの刺客が現れた時も、果敢に注意を引きつけて役立ってくれたよ。その際負傷はしたが、かすり傷程度だ」

シスタが思慮深く明かす。
二体の騎士は彼らからすれば容易い敵だったようだが、戦いに参加出来るほどのゾルタンも、ずば抜けた身体能力の精鋭だ。

シグリエルの見立てでは精神力も同様に優れており、先程の雰囲気はやはり彼らしくないように思えた。

「おそらく悪霊がついている」
「なんだって? 本当か」
「ああ。調べてみよう。俺とサウレスでやる。皆にも協力を頼みたい」

そう告げた頃、突然何かが暴れるような物音がした。
すぐさまシグリエル達が仲間のもとへ戻ると、広間の長机がガラス扉にぶつかり破片が散っていた。
隊長は床にうつぶせで剣士に押さえ込まれ、「離せッ」と叫んでいる。

フィトはアディルをかばうように立ち、サウレスは苦い顔つきをしていた。

「どうした。アディルを襲ったか」
「そうだ。こいつ、取り憑かれてるな。まったく次から次へと」

同じく死霊術に精通するサウレスと話し、シグリエルは彼を除霊することに決めた。
皆不測の事態に騒然となったが、言われた通りに準備をする。

「おい、しっかりしろ、ゾルタン! くそっ、なんで!」
「お前は話しかけるな、アディル。彼は今自分のコントロールを失っている。弱みを握られ、他者を傷つけるようにそそのかされている状態だ。悪霊によってな」

弟に忠告した後、シグリエルは一度自宅へと転移した。道具を揃え、屋敷に戻った後は大部屋に移り、中央の寝台へくくりつけられたゾルタンと対峙した。

サウレスとシグリエルは彼の足元へ立つ。他の魔術師二人は寝台の左右で見守り、剣士のゾークには弟を結界で守らせた。

「では始めよう。皆、集中してくれ」

そこから静かな精神統一が始まり、皆の魔力の流れが空間を満たし、シグリエルの霊力も高まる。
黒装束から木製の十字架と聖像を取り出すと、拘束されて眠るゾルタンの足の間に置いた。さらに聖水を体にふり撒き、呪文を唱え始める。

「おいちょっと待て、聖職者でもない君がそんな事をして大丈夫なのか?」

声を上げたゾークにシグリエルは「大丈夫だ、邪魔をするな」と返し詠唱を進めた。

悪魔祓いは、公には教会で任命された司祭にしか認められていない。白魔術師のゾークにはこの方法は神への冒涜と映り、また危険な儀式であることからシグリエルへの影響を懸念した。

たがそんな心配をよそに、サウレスも祈りを重ね始め順調に作用していく。
ゾルタンの体は細かく震えだし、動きは次第に激しくなった。残りの魔術師二人が拘束魔法を強めるが、屈強な肉体は怒りの発作で抵抗している。

「離せ……ッ……俺を……解放しろッ」

シグリエルは答えずに彼の近くへ行き、胸元に手を当てて聖霊への救済を祈り続ける。
それから十字架で憑依者に祝福を与え、神の名を口にしながら悪霊を追い出す儀式名を宣言した。

手慣れた光景を皆、内心疑り深い目で見ていた。どう考えても悪魔つきの男による詐欺的な行為であり、そもそも彼についている悪魔は苦しくもなんともないのかと疑問だった。

「アッ、アぁあッ、ぐっ、う、うッ、やめろ、頭が割れる…ッ」

ゾルタンは実際に苦しみに喘ぎ始める。シグリエルは対象を悪霊と認定し、その数と名前、なぜ憑依したのか、この状態はいつまで続くのかを訊いた。

問いに全て強引に答えさせられた霊は、引っ張られるように肉体から浮かび上がり、姿を見せた。

それは単体のかなり強い力を持つもので、戦時中に山中で命を落とした兵士だとわかった。

「彼から離れろ。お前の行き場はここではない」
『嫌だ……ッ……俺はあいつらを許さない……信じていた俺を嵌めて、惨い殺し方をした奴等を………呪ってやる、憑き殺してやるんだ……ッ』

遠くにいたアディルの目にも、以前ラノウに憑依していた死霊のように、憎悪に喚く悪霊のおそろしい表情が映った。
後ずさりし、自分とはまた異なる「人ならざるもの」に戦慄する。

「そうか。ならばお前は、ただ俺に滅ぼされるがいい」

突如そう呟いたシグリエルに悪霊は異常な気配を感じ取る。聖職者だと思っていた金髪長身の男は、目の前で聖像と十字架を燃やし、灰にした。
そしてまったく違う言語を唱えると、彼の背後から黒くどんよりとした巨大な影が生まれた。

『なっ、あ、アぁあッ! あんたは、あんたは、悪魔だったんだな!? 俺達と同類だ! 頼む、殺さないでくれ! 俺はあんたの配下になる、だからどうか、その輝かしい名前を教えてくれよ! なんでもする、なんでもするから!』

態度をがらりと変えた悪霊にも耳を貸さず、シグリエルは悪魔の力を宿した手を突き出し、その白い煙をより深い闇の死霊達に吸い込ませ、貪り食わせた。
瞬間の耳をつんざく不快な声と露骨な残酷さに、魔術師の面々も一瞬顔をしかめる。

悪霊が消え、背を反ったままゾルタンはどさりと寝台に落ちた。

「おい、なんだそれ。簡単でいいな、悪魔の力とは。最初からやれよ、儀式なんて必要あったか?」
「あるさ。無理やり引きずり出せば彼は死んでいた。それだけ強い霊だった」

陰鬱な声を発したシグリエルは、重い息を吐いた。
簡単には済んだが、横たわる憑依者にとってはまだ完全に終わりではない。

一度霊に取り憑かれた人間は、その後の人生にも少なからず影響を受ける。当主の場合は些末な霊だったため精神に影響がなかったが、今の霊は侵食スピードも速く、急を要した。

この隊長のように精神力が高いものほど抵抗力を発揮し、取り憑かれる可能性は低い。だが一度素質的なものが合致し、感情が共鳴すればずるずると蝕まれる。それが悪霊の怖さなのだ。

そう説明すると、真剣に聞いていたフィトはこう切り出した。

「そういや昨日教えてくれたんだけどさ。このおっさん、昔の任務で部下を一気に三人亡くしたらしい。自分の判断ミスだって深く悔やんでたよ。それのせいで、色々思い出して飲まれちまったのかもな……」

同情的な視線が集まる。シグリエルも納得した。
部下の失踪に加え、当主の致命傷。これらの事柄により彼に精神的なダメージが蓄積され、そこを死霊に付け込まれたのだろう。

しばらくして、ゾルタンは彼の部屋で目覚めた。儀式前の活力的な男の姿は見る影もなく、疲弊した視線がさまよっている。

「俺は平気だ、行かせてくれ……違う、アディル。お前のせいじゃない……失敗は誰にでもある……取り返せるんだ。……お前は取り返せる、そうだ、取り返せ。……だが、俺は……俺のせいで皆……ああ、クソッ……情けねえ……ううっ」

うわ言のように繰り返し、嗚咽する。
アディルが手を握るが、顔は青白く汗ばんでいて、目には隈があり精神が不安定だ。
彼をこのまま参加させるべきではないということは、誰の目にも明らかだった。

「ゾルタン。今のお前じゃ無理だ。赤夢湖はそこらの山より余程危険な場所でな、死霊の宝庫なんだよ。だが恥じるな。常人より少し飛び抜けてる程度じゃ、間に合わないっていうだけさ。……だから僕らに任せておけばいい。お前も、当主も」

肩を叩き、サウレスは「おつかれ」と無情に声をかけた。

ゾルタンはこれから専門的な医院へ送られ、しばらく療養をする必要がある。部屋を出てからシグリエルは皆にそう説明をした。

「精神の問題は少し厄介だ。だが、彼ならきっと回復するだろう」

結論を出すと剣士もこくりと同意する。

「シグリエル。それにしても、若いのに君の手腕はたいしたものだ。きっと教えた者の腕がいいのだろうな。……いや失礼、父親のことを言ったんじゃないぞ」

本気で失言をしたと頭に手をやったゾークだが、シグリエルは素直に頷いた。

「死霊術を受け入れられるようになったのは、ある人の教えのおかげだ。俺は勝手に師と呼ばせてもらっているが。……だが、今のは自分の経験も活かされている」

自らの事を珍しく話し始める青年に、ゾークだけでなく皆も耳を傾けた。

「ミズカの事業所に入ってまだ新人だった頃、俺も同じように任務で悪霊に取り憑かれたんだ。ひどい経験だった。自分を見失って、危険な行為を繰り返していた。……俺はもともと暗いから、そこに付け込まれたんだろうが……今日訪れたゲインズ先生に世話になって、当時長く入院をして、ようやく治ったよ」

それを聞いたサウレスは笑うこともなく「……なるほどな。だから彼はあんなことを」と神妙に呟いた。
皆は反応に困っていたが、アディルだけは兄の腕を引き声をかける。

「そんなことあったのかよ、あんた一体どんだけ苦労してるんだ。……あとな、兄貴は暗くないぞ、べつに」
「そうか。そう思うのはお前だけかもしれないが」

兄が微かに笑うのを見て、アディルは不謹慎にもどきりとした。
でも本当だ、兄は元々明るい性格で、よく屈託のない笑顔も見せてくれた。

「んで、危険な行為って一体何したんだ? まさかエロ系?」
「あまりくだらないことを言うな、フィト。私まで低俗に見られる」
「はあ? お前になんも関係ねえだろ! お前みたいなすまし顔が一番むっつりなんだよ! だから今反応したんだろ!」
「誰かこいつを黙らせてくれ。数日ずっと一緒で疲れてるんだ。君のせいだぞ、アディル」
「わ、わりい」

謝るしかない不死者の姿と、まだ口論を続ける若い魔術師らを、いつの間にか周りの皆は呆れの伴う苦笑面で見ていた。





長い一日が終わり、シグリエルは自室に戻ってきた。屋敷の一階ではまだ男達が慰労会なるものをしており、時折大声が響く。

ともに先に抜けてきたアディルは、兄の部屋のベッド隅で背を丸めていた。

濡れた黒髪から滴が落ちたとき、ちょうど後から風呂を出たシグリエルが近づいてくる。
アディルの頬をそっと手で触れると、確認するように少し上向けた。

「……ん?」
「いや、……泣いているのかと思った」

言ってすぐに後悔したシグリエルの表情がわかり、アディルは「残酷なこと言うな」と笑った。

隣に腰を下ろし、先に弟の髪をタオルで拭いてやる。
声をかけようか迷ったが、結局気持ちに従った。

「アディル、あまり気に病むな」

今感じている鬱々とした気分がなくならないことは、シグリエルには一番よく分かっていた。
それでも「大丈夫だ」と言ってくれる人間が必要だということも。

「…………兄貴」

また泣きそうなのかと思ったら、アディルは兄の膝に置いていた手で、ぐっと強く拳を作った。

「親父を殺す……絶対に許さねえ」

闘志を口にした弟に、新たな恨みが加わったのだと悟った。
当然だ。今まで何人もの仲間を殺され、今回は最も近い関係の離脱者が三人出た。

「ああ。俺達で殺そう。必ず」

弟の頭を自身の胸に引き寄せ、あやすように撫でる。
ラノウのことで頭がいっぱいなアディルを、そうやって肌で感じていた。

悪魔の力を手離せば、弟への独占欲も消えるだろうか。
そんなことは死ぬまで起こらないのに、シグリエルは夢想する。

今、悪魔は自分を見ているはずだと思った。

本当は当主が視界から消えることになり、喜んでいるんじゃないか?と愉悦して。
追跡物を餌にマルグスが引っかかると、最初から分かっていたんじゃないか?といやらしい猜疑の目で。

シグリエルの歪んだ思考が止まらなくなる。

あんな奴、本当は死んでもよかったと思ってるんじゃないか?
いや、死ねばよかったんだ。ずっと弟を家族のように扱って、自分から奪う男なんてーー。

「違う! 俺はそんなこと思っていない、勝手なことを言うな!」

シグリエルは頭の片側を押さえて声を張り上げた。
弟の大きく見張った目が突き刺さり、動けなくなる。

「ど……どうした。大丈夫かよ」
「……すまない。あいつの、またディーエの戯言だ」

そう言って立ち上がり、浴室へ消えようとする兄を、当然弟は放っておかずについてきた。

ついさっき悪霊に憑依された仲間の姿を目の当たりにしたのだ。アディルはようやく本当の意味で、悪魔憑きの兄の精神状態がどれほど苦しみに苛まれるものなのか、想像するに至っていた。

「なあ、ちょっと兄貴、待てって。平気じゃないだろ」
「平気だ! いいから俺にーー」

構うな、と言いそうになって我に返った。
自分を見上げるアディルの顔が、小さい時傷つけた弟の顔と重なった。

「……違う、違うんだ。間違えるな。……もう、間違えるんじゃない。俺の大切なものは……弟だけだ……」

シグリエルは自分に言い聞かせ、さらに情けなく見える涙も堪えた。
今一番つらいであろう弟に、また重荷を背負わせようとする自分が許せなくなりながら。

だがアディルは、たまに揺らぐ時もあるが、芯は強くしっかりとした青年だ。
そう成長したことを兄は知らなかった。

「兄貴、好きだよ。あんたを愛してる。だから心配ないよ」

口を震わせながら弟が伝えてくる。シグリエルは涙を隠すように弟を抱きよせた。
そのままぎゅっと抱擁をして、顔をもう片方の手で拭い、また優しい温もりを確かめる。

しばらくそうしていたが、シグリエルは弟の手を引いてベッドにもぐりこんだ。

何を言っていいか分からず、そのまま寝てしまおうと思ったのだ。子供のように。

「えっ、寝るのか? 俺ら頭乾いてねえけど」

不貞腐れて寝るのは兄らしくないと思ったが、前にもあったと腕の中でアディルは思い出す。
だから大人しく目をつぶった。

「……アディル。俺はもう少し、兄らしくなりたい」

ふと呟くと、弟は吹き出した。シグリエルは本音であり弱音でもあることを漏らしたから、複雑な顔だ。

「どういう意味だよ。あんた以上に俺の兄貴らしい人いるか?」
「そういう意味じゃない……俺は、幼稚だ……」

暗い表情のシグリエルは気づいていない。弱音に聞こえることも、兄の言葉で伝えてくれることが、いかにアディルが嬉しく思うかを。

「幼稚じゃねえよ。兄貴は大人だよ。色々考えすぎなだけだ。……だからまだ、俺にキスすらしてくれねえし」

冗談めかして、でもさりげなく不満を伝えると、シグリエルの瞳は揺れた。
弟の唇を見つめる。吸い寄せられるように、そっと自分の口を重ねた。

ほのかな温かさが共有されて心が落ち着いていく。

「今日は……このまま寝よう。これ以上お前に格好悪いところを見せたくない」
「……ははっ。そんなことないだろ。まあいいけどさ……」

さっきまでの重い空気がうそのように、二人は静かに目を閉じた。
アディルは時折こっそり瞳を開けて確認するが、兄は睡眠が必要なようだ。

「アディル。お前がいると……よく眠れる……」
「そりゃよかった。……俺も兄貴が寝てるの見るの、好きなんだ」

小さく明かすが、寝息が聞こえてきた。
それを合図に、いつものように胸の深いところへ体をもぐらせた。

そうして眠りが必要のないアディルも、心を安らげるのだった。



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