Undying | ナノ


▼ 41 伝えたい ※

医院を出た後、一行は魔術協会の息がかかった安全な宿へ泊まることが出来た。準備を万全にしたらいよいよ出発の予定だ。

だが夜になってもアディルは兄のそばにいなかった。昼間の出来事が尾を引き、逃げ込んだのはこの男の部屋だ。

「やあアディル。どうしたんだ一体。また護衛が必要だとか言わないでくれよ」
「言わねえよ。おっさん、ちょっと休ませてくれ」

湯上りの剣士ゾークはバスローブを羽織ったまま目を丸くする。構わず入ってきて窓枠近くの椅子に座る青年を見やりながら。

「自分の部屋で休めばいいだろう。俺は今から一人で晩酌をな」
「兄貴が来るだろうが。あんたは飲んでていいよ」

暗い窓の外を眺め、素っ気なく言われる。
二回りほども年の離れた男は唸り声でベッドに腰を下ろした。

「あのなあ、また俺が怒りを買うことになるぞ。君の兄さんは結構怖いんだ、知ってるか?」
「……俺の兄貴は優しいよ。いつでも」

ぽつりと述べたアディルの顔は曇っていて、ゾークは少し心配になる。
事情は推し量れるが、この短期間で意外と懐かれていることを差し引いても、二人の関係に深く関わっていいものかどうか分かりかねていた。

ゾークはひとまず服を着て、自分は下で買い込んだ酒を飲み、ソファに寝そべる弟にも好きにさせていた。
そして時間が経った頃、また来客が現れた。

覚悟をして玄関へ出る。すると自分よりやや背の高い金髪の男が立っていた。黒装束を脱いだ部屋着だが、整った冷淡な顔立ちに見据えられるだけで妙な緊張が生まれる。

「やあシグリエル。君の弟ならいるぞ。先に言っておくが俺は彼の好きにさせていただけでな」
「入っていいか」
「ん? ああもちろん」

若干警戒心を感じつつも、兄のほうは一言いって室内に足を踏み入れた。そのまま部屋の隅にいるアディルを見つける。

「アディル。ここにいたのか。一緒に戻らないか」
「あとで帰るよ。自分の部屋に」
「……お前と話がしたい。俺の部屋に来てくれないか」

シグリエルはいつもより気を遣った言葉遣いで話しかける。だがアディルは不機嫌でいることがまるで義務かのように、口を結んで取り合わなかった。

剣士は、たとえば自分が父親だったら口を挟んでいたかもしれないが、二人の姿を歯がゆい気持ちで見守っていた。

「しつこいな。もう俺行くわ。おやすみ、兄貴。ゾーク」
「……おい、ああ、おやすみアディル」

一人だけ答えたゾークは行ってしまった青年の背中を気まずく見送った。取り残された兄の横顔がなんとも不憫に見える。

「君、なにかしたのか?」
「……していない……と思う」

シグリエルが弱気な表情で金髪をくしゃりと触るさまを、ゾークはただじっと見つめた。

「まあなんだ、そういう時もあるさ。そこに座れよ、少し酒でも飲もう。これは一番弱いやつだ。君は苦手だと聞いたから」
「……俺は別に弱いわけじゃない。普段飲まないだけだ」

じろりと言ったシグリエルは、驚くべきことにさっきまでアディルが座っていたソファに腰を下ろした。どうやら誘いに乗るらしい。

気を良くしたゾークは普通の度数のものを注ぎ、グラスを渡した。二人離れたところで向き合い、酒を飲む。

「本当に心当たりがないのか? 最初、彼は拗ねてるだけなのかと感じたが……そうでもないのかな」

ゾークは控えめに尋ねた。
グラスを握るシグリエルは考え込んだ表情をしている。

「あいつが何に怒っているのか分からない。あいつが知りたいことにも答えた。……あとどうすればいい。何が足りないんだ、俺には。……愛を伝えるだけじゃだめなのか」

独り言のように明かす若い男を、ゾークはまじまじと見つめる。
そこまで赤裸々に話してくれるとは思ってもおらず、自身もなにやら腹が据わってきた。

「ふむ……そうか。まだ付き合いの浅い俺でも、君から彼への愛情はとても感じる。アディルも君が好きだから、あんな風な態度を取ってしまうんだろう。……シグリエル。怒りの裏にはたいてい不安や心細さが隠れてたりするものだ。彼はそれを君に伝えたいが、色々な思いが邪魔して出来ないんじゃないか?」

ゾークは彼の性格に合わせ、なるべく論理的に話をした。
すると目の前の青年は顔を上げ、聞き入っている。

「不安……? そうなのか」
「俺が見た限りだぞ。なんだか寂し気だったからな。外で二人でいた時よりも、芯が揺らいでいた感じがするな。さっきは」

ふとシグリエルの中に心当たりが蘇る。だがそれは、すっかり終わったと思っていたことだった。

「自分にとって些細なことでも、あいつにとっては大事なことだったのかもしれない。……俺はきっと、言葉足らずな上に考え足らずなんだ。いつもそうだ。六つも年上の兄のくせに、あいつに甘えている、結局……」

そうやって悩む姿が、ゾークには彼が兄弟としての関係と、それとは異なる関係の差に無意識に戸惑っているようにも映った。

「いいじゃないか。なら今度は、君が甘えさせてやればいい。兄弟だからこうするべきと決まってるわけじゃない。いろんな形があるし、最終的には一対一の人間関係に収束するんだ。……まあ、俺が偉そうにいう事でもないけれどな。あんまり自分を責めるなよ、シグリエル。君は十分良い兄さんだと思うぞ。長年生きてきた俺が太鼓判を押そう」

身を乗り出し、悩める青年の肩をぽんと一回叩く。シグリエルにはその感触がどこか懐かしいものに感じて、素直に剣士を見つめた。

「変だな。あんたのことは正直、あれ以来敵視していた。でもこうして話をしていると、雰囲気が不思議と……落ち着いてくる。なにか術でも使っているのか?」
「はは、そんな恐れ多いことはしないよ、君にはな」

苦笑するとシグリエルもふっと笑い「冗談だ」と述べた。
それを見たゾークは真実が喉まで出かかる。初めて彼への親しみと、幾らかの罪悪感がわいた。

それからしばらく二人は会話をしていたが、やがてシグリエルが立ち上がる。

「ごちそうさま。突然来てすまなかったな」
「いいさ。もう行くのか?」
「ああ。アディルに謝ってくるよ。正直に話をしてみる」

棘が取れたような顔つきで、もう一度礼を言い青年は去っていった。
ひとり残った剣士は自分のグラスを持ち、ベランダへ夜風に当たりに行く。

「ハア。おかしいな。こんなはずじゃなかったんだが……あなたがあの二人を気にする気持ちが分かる気がするよ、伯父さん。……あなたを騙すような子たちではないよな。一生懸命生きようとしている、純朴な青年達だ」

寝静まった街並みに向かって独り言をこぼしていた。
そんな時、空からあるものがこちらに向かってくることに気づいた。

ゾークはほろ酔い気分でそれを捕まえる。自分が少し前に放った魔法鳥だ。
戻ってきたということは、受取人には届かなかったということだ。

「……伯父さん、今どこにいるんだよ。話したいことがたくさんあるっていうのに」

そう呟いて、舌になじむ酒を再びあおった。





シグリエルは一度考えたが、弟の部屋へ行かずに自室へ戻った。
すると真っ暗な部屋で、黒い人影と金色の瞳だけが際立って見え、息を呑むと同時にほっとした。

「アディル。来てくれたんだな」
「……鍵が開いてたから」
「開けておいたんだ。お前がいつでも入ってこれるように」

こういう面が弟の愛しいところだと感じながら、穏やかな笑みを向けると、アディルは「不用心だな」と皮肉っぽく口元を上げた。

ソファにいる弟のそばに腰を下ろして向き合う。
背もたれに腕をかけ、今度は逃げられないように見つめた。

アディルは目線を逸らしたが、ここにいるということは望みはある。

「お前の気持ちをいつもうまく考えられなくて、悪いと思っている。……ネメニアのことが気になるか?」

心にあったことを尋ねるとアディルは押し黙った。そんな様子からシグリエルは改めて話をした。

「お前に言ったことはすべて本当だ。だが、言いづらかったことも実はある。……初めて会う者に知られるのを嫌うから教えなかったんだが……あいつは元々男なんだ」

そう告げると、アディルの目が飛び出るかというぐらい驚愕した。
そのまましばらく硬直するが、兄は無駄な冗談を言うタイプではないと知っている。

「……マジなのか? 女にしか見えないが」
「ふっ。そう言われればきっと喜ぶだろうな。……ネメニアはゲインズ先生の施術を受けて今の姿になった。数年前の話だ」

シグリエルは過去を思い起こしていた。

「俺があいつを知っているのはほとんど、男の姿の時だ。入院していた当時実習生で俺の世話をしてくれた。顔は同じだが、黒髪で眼鏡をかけた地味な少年だったよ。口を開けば今と同じ、生意気だったけどな」

まったく想像もつかなかった事実を明かされ、弟の瞳は揺れる。

「お前にすぐ言わなかったのは、あいつの秘密だったということもあるが……正直に言うと、当時のあいつはお前の年頃と近くて、少し重なっていたんだ。弟も成長して、このぐらいになったのかと……想像して、接していた。……お前が考えるような気持ちはまったくないが……なんとなく、言えなかった」

そこまで話し、シグリエルは弟の腕をそっと握る。

「勘違いをさせたならすまない。そういうわけで、あまり無下にできないというのはある。……だが俺が大切に思っているのはお前だ。それだけは知っていてくれ」

アディルは呆然と兄のことを見つめていたが、やがてこくりと頷いた。

「……悪い。俺、なにも分かってなくて。……あのさ、でもネメニアは……兄貴のために、女になったのか…?」

本音では困惑を抑えられないままの弟の様子が伝わる。
しかしシグリエルは肩をすくめた。

「そうではないと思うが。昔から綺麗になりたいと言っていた。いつしか自分で決めたんだろう。俺があの姿のあいつに会ったのは、二年ほど前のことでな。その間のことは知らない」

淡々と話す姿は、あくまで個人の話だと、そもそも兄としてはそのことにあまり関心がないように感じられた。

「そうなんだ……ごめん、兄貴。俺はただ…嫉妬したんだ。彼女、すげえ美人だし、兄貴と仲良さそうだったから」

告白する弟の頭を触ると、恥ずかしそうにしていたがもう逃げなかった。

「アディル。そんなことをお前が感じる必要はない。……可愛いけどな」

さらりと言った言葉に弟の目が点になる。
あまり、というか初めて聞いたような気がした。

さっと染まった頬をシグリエルはあやすように撫でている。そうされると、自分の弱さがどんどん溶かされ、さらけ出される感覚がした。

「本当は少し…怖かったんだ。俺は身体も心ももう成長しないだろ。だから兄貴に置いてかれちまうんだって思ってさ」

ぴたりとシグリエルの指が止まる。
弟の不安の居所がわかり、胸が急激にしめつけられていった。

「お前の身体は年をとらないが、心はいつでも成長する。お前の誕生日を毎年祝おう」
「……覚えてるのか?」
「覚えてるに決まってるだろう。毎年数えてきた。やりきれない気持ちで。でもこれからは違う。一緒に過ごす年月となっていくんだ。それを俺は心から願っている」

伝えながら焦燥に駆られて、まだ足りない気になる。

「アディル。俺の気持ちに対して、何も不安に思ったりするな。そうさせてるのは俺だと分かっている。……だが、どれだけお前を愛しているか、どうすればお前に伝わる?」

顔を寄せ、唇を重ねた。ソファにゆっくり押し倒す。
間近で見つめ合い、アディルの緊張した顔が火照る。

「あ……兄貴」
「なあ、どうすればいい。こんな時、俺は、お前を抱きたくてたまらなくなる。口ではうまく伝えられない」

シグリエルは上から体を抱きしめた。弟の耳元に顔をうずめると、服の裾を引っ張られる。

「そのぐらい、俺を愛してるってこと……?」

問う声は少し震えていて、たまらず「そうだ」と囁いたシグリエルは腕に力をこめる。

そのまま反応がないことが気になり、ゆっくり顔を上げた。アディルは夢現のようなぼうっとした顔つきで見返している。

「……大丈夫か? おい、アディル」

心配して起き上がろうとしたが、離れたくなくて弟の体も一緒に抱き起こした。
兄の腕の中にアディルは寄りかかり、こう呟いた。

「すげえ泣きたい気分だ……」

シグリエルは静かに混乱に陥る。表情を見ようとするも腕で拭うように隠されて、鼓動が不規則に鳴った。
また自分はおかしな事を言ったのかと恐れがわく。

「それは、悪い意味か?」
「…え? ちがーー」

何を思ったか、シグリエルは弟を横抱きにして立ち上がった。

「う、おっ、なにっ、やってんだよ!」
「お前の願いを聞かせてくれ。信じてもらえるためなら何でもする」

告げる横顔は焦りが混じる真剣そのもので、気づけばアディルはベッドへと運ばれていた。

「な……なんでもって、おい」
「何でもだ。お前に俺の愛を証明したい。今すぐに」

手を取り、唇のそばへ持ってきて触れさせた。
アディルは答えが見つからない。驚きと喜びとパニックが同時に訪れていた。

そんなことも知らずに、シグリエルの想いは急き立てられる。

「いや、普通に……だ…抱いてくれ」
「…………それだけじゃ、足りないだろう?」

甘い声で尋ね、後ろから抱きしめて頬にキスをする。
アディルは恥ずかしさや嬉しさで言葉がしぼんでいった。
何が起きてるのか、分からなくなった。

だからしばらく兄の腕に囲われて、大人しく口づけを享受するしかなかったのだった。



その夜はいつもと違う風に時間が流れた。二人とも半裸で、アディルはシャツだけ羽織った状態で横から兄に抱き抱えられている。

「寒くないか?」

兄が問うと、赤らむ顔で頷く。弟の体温はほのかに温かい。とくに中は、心地良い。
指で広げ濡れたところをくちゅくちゅと擦っていると、色づいた声がもれる。

「俺、兄貴の手が好きだ……」
「そうか…? 初めて聞いたな」

驚きつつもシグリエルは嬉しく感じたのか、さらに丁寧に愛撫を続ける。
いつもこの手に施術されるからだろうか、アディルは妙に意識してしまっていた。

「ん、ん……あぁ……」

けれどシグリエルはまだ自身を挿れない。挿れてほしいけれど、手の愛撫もいい。自分のために動く優しい指先が、アディルは気に入っていた。

「ここも一緒にしようか」

兄の妖艶な声音が突然耳元で告げ、ペニスも弄られる。すると全身敏感になっていたアディルは、両手であっと言う間に達してしまった。

「兄貴……口も……して」

後ろにいる兄の唇に、口を開けてキスをねだる。二人は濡れた舌を絡めて重ね、吸い合った。
徐々に開いていく太ももがシグリエルには誘うように映る。

「挿れていいか、お前と繋がりたい」
「ん……」

今までにない距離感で、丁寧に挿入をする。アディルには、後ろから抱えられて安心するのにじわじわ大きな快感が広がる不思議な感覚だった。

「あっ……んぁ……んんっ」

シグリエルが腰を揺らす。
弟の開いた脚が合わせてぐわんぐわんと跳ね、淡い窪みには兄のペニスが出し入れされやらしい音を生む。

「ひっ…あぁっ……あ……気持ち、いい…っ」
「……本当か? ではもっとしよう」

お腹に片腕をぐっと回し、さらに奥深くに当てていく。

「あっ、あっ、あっ」

ずちゅずちゅ突いていきアディルの快楽を探って自分のものにしようとした。

「イクっ」

叫ぶと同時に中が痙攣する。
シグリエルはいつもは同時に達したくなるが我慢をした。

まだまだ弟をいかせたい。向かい合って重なりゆっくり腰を動かす。
抱きしめたまま密着し、丁寧に焦らず律動した。

互いにいくときはまるで愛があふれるかのようだった。
そういう行為なのだと改めて自覚する。

「愛しているんだ、アディル。俺がこうして抱くのは、お前だけだ……」

肩、首筋に口づけをして吸いつき、耳元で吐息混じりに伝える。
手を握り、二人の指を絡ませる。全身の末端までつなぐ感覚に視界を奪われそうだった。

「何度でも言うぞ、お前は俺のすべてだ。……この命が尽きるまで、俺はお前だけのものだ。他には何も、誰もいらない。お前から離れることも、もう二度とない。……分かってくれるか」

心の中にしまっていた気持ちを全てさらけ出す。
シグリエルにとって、アディルへの想いだけが真実。それが生きる意味であり、希望だった。

「……ありがとう、兄貴……俺、嬉しいよ」

予期せぬ言葉で腕を伸ばされ、照れたようにはにかむアディルを身体ごと覆う。
こうしてシグリエルの誓いはさらに、二人の繋がりを強固にした。




その後の風景も、またいつもとは異なるものだ。
シグリエルは薄闇の中で横たわり、紫の瞳をじっと開けている。

自分の腕に巻きつき、目を閉じている弟を観察していた。

「不思議だな。眠いか…?」
「分かんねえ……満たされた、感じ……」

アディルは呟き、一瞬ぼんやりこちらを見るが、シグリエルは額にそっとおやすみのキスをした。
完全に目を閉じた弟を腕に抱く。少し寂しい気持ちと、分かち合えた喜びに安堵して。

「アディル……」

弟との再会後、多くのことが起こったが、自分の一番大事な部分はずっと満たされていたと実感する。
そうすると今度は失うのが怖くなるのだと、シグリエルは初めて知った。

もっと弟と一緒にいたい。生きたい。こうして幸せを胸に感じて。

願いが膨らんでいく。夢だと思っていたのに、シグリエルは実現させたい気持ちに突き動かされていた。



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