Undying | ナノ


▼ 38 医院にて

「アディル。何をしようとしていたんだ」
 
処置室の外の廊下でシグリエルは尋ねた。落ち着いた眼差しはまっすぐ弟へ向かっている。

「あいつを一人で殺すつもりだったのか?」

核心を突くと、アディルは思い詰めた表情で頷いた。

「俺が兄貴と離れていれば、兄貴は大丈夫だと思った。親父は俺の魂を確かに欲しがってる。でも……目的は、兄貴を苦しめることだ。俺達がそろったときに殺すつもりなのは、変わらないはずだから」

それを聞いたシグリエルは一呼吸置き「……そうか」と口にした。

「お前に本心を言おう、アディル。……俺は仲間を集めながらも、皆どこか気休めだと感じていた。結局は自分ひとりでやるしかないと、そう考えていた。誰も信じられない。自分さえも不確かだったからな」

体を弟に向けて、そっと語りかける。

「俺は生きていく中で、不確かなものしか手にしたことがなかった。俺にとって唯一確かな存在はお前なんだ、アディル。だから失いたくなかった」
「……あ……兄貴」
「でももう、俺の後ろに隠れろとは言わない」

そう告げると金色の瞳が揺れる。シグリエルは弟の手を取って握った。

「お前と一緒に戦うよ。お前の声を、気持ちをちゃんと聞く。だから隣にいてくれ。二度といなくなったりするな」

強く見つめる眼差しには、感情が蘇り悲痛も滲んでいた。
たまらずアディルが兄の胴に腕を回すと、シグリエルは上から覆うようにきつく抱きしめた。

「兄貴……俺も一人で戦おうとしていた。守られるだけなら、俺のいる意味がない気がして、我慢できなくなって」

兄の胸に額を擦りつけ、抑えていた思いに突き動かされていく。

「兄貴はひとりじゃないよ。俺がいる。俺達のために、この戦いのために、体を張ってくれる人達がいる。だから一緒に戦おう。……俺は、あいつを倒したら兄貴と一緒に、また静かに……幸せに暮らしたいんだ」

アディルの口から未来を思う言葉を初めて聞いた。
シグリエルの心は動き、鼓動が響き始める。恐れではなく、ただ弟を想って。

「ああ……俺もそうしたい、アディル。またお前と、同じように……」
「……うん。じゃあ約束だな、兄貴」

その時思い描いた光景を、二人は重なる胸に抱いていた。





アディルは廊下の長椅子に座り、仲間の身を案じて俯いている。だが同時に、ずっと隣にいる兄のことも気になってしょうがなかった。

シグリエルも壁に頭を預け、目を閉じてじっとしている。眠そうだが起きているようだ。

「なあ、寝ろよ兄貴。頼むから休んでくれ。俺のせいで寝てないんだろ、あんた」
「……大丈夫だ。俺はここにいる」

頑固にそう言い、弟の手に自分のを重ねた。アディルの心配な溜息は兄の耳にも届いていた。

それからしばらくして、静かだった廊下に男が通りがかった。それほど飲んだのだろうか、頬がほんのり赤いミズカだ。

彼は兄弟を見て「うわ」とわざとらしく立ち止まった。いつの間にかシグリエルは膝を曲げて横たわり、弟の膝枕で眠っている。
アディルは恥ずかしかったが文句を言える立場でもなかった。

「ここで寝てんのかよ。見ろこの疲れきった顔。こりゃ蹴っても起きねえな」

覗き込んで笑い、弟の方に声をかけた。

「じゃあ俺は行くわ。あ、お前を山ん中で待ち構えてくれてた三人には屋敷に戻るように連絡したからな。ここに連れてきたらまたじいさんうるせえから」
「えっ、あ、わかったーーミズカ! あの、ありがとうな!」
「いいよ。兄貴のこと見とけよ。また苦しいときは来いって言っとけ」

両ポケットに手を突っ込み、何事もなかったかのように普段通りな素材屋の男は、颯爽と告げて去っていった。




施術が終わったのは午後を過ぎた頃だ。
処置室のガラス戸から小柄な老人、ゲインズが出てきた。白衣姿で朝より権威ある医者に見える。

アディルが駆け寄ると、寝ぼけ眼の兄も起き上がった。

「先生! 二人は大丈夫か?」
「ああ、心配いらん。だが全治はかかる。丸一日は寝かせておけ」

焦りと安堵が混ざりながらも、アディルは許可を得て処置室に入っていった。

ゲインズはそんな兄弟とは反対方向の廊下を歩いていく。突き当りの書斎に入ろうとしたら、途中にある休憩室でひとり、物憂げにテーブル前に座るサウレスを発見した。

白衣の老人はまず机に広がる酒瓶を見て憤怒する。

「また! あのミズカの奴が勝手に酒盛りしただろぉ!」
「ゲインズ。うまくいったか?」
「あぁ? 当然だ。…まあ少しばかり、面倒だったがな。後遺症も出ないはずだ。……あの、なんといったか。ゾークか。思ったより使える。あいつに後処理は任せたぞ」

サウレスは心底ほっとし、緊張していた心をようやく緩ませた。剣士にもここまで世話になるとは正直思えなかったほど、かなり見直していた。

まだ医者に礼がしたいと、白髪の魔術師は同席を誘う。しかめっ面の老人ではあったが、例のことを思い出し従った。

「あんたには感謝してもしきれないな。僕がこんなことを言うのは珍しいんだ。頭を下げるのがとても嫌いでね。でもあんたは優秀だから納得してるよ。約束も必ず守ろう。世話になったな、ゲインズ」
「ふぅむ。ここまで上からの物言いで礼を示す人間も珍しいが、まあいい。さっきの話を詳しく教えろ。シグリエル達に何があった?」
「ああ、それか。本人に聞けばいいんじゃないか。知り合いなんだろ」

グラスに酒を注ぎながらサウレスが問うと、医者は言葉に詰まった。

「まあなんだ、聞きづらくてな。ワシはもう少し若い頃のあいつを知っている。あのがめつい商売人が連れてきた時の、今よりさらに生気が乏しい様相の、痛ましいあいつをな……あんまり可哀想なことは尋ねたくないんだ」

自分と同様冷たいと思っていた医者の、突如見せた甘さにサウレスは驚いた。
結局、それならと肩をすくめ経緯を説明する。シグリエルが凄惨な親を敵に持ち、弟のために戦っていることを。

ゲインズに聞くと、ミズカは友人の過去や悪魔について元々知らなかったらしい。シグリエルは自分のことを話すタイプではないのだと言った。

「でも、あんたは感づいてたのか?」
「薄っすらとはな。あいつを診たことがあるんでな。だが確証はなかった」

全てを知り、考え込む医者の様子にはやけに人間味があった。だからサウレスはもう少し深く探ろうとした。

「ゲインズ。あいつを殺そうと思ったことはないのか」

今日のやり取りから、この医者の独特な思想を思い出した故の質問だった。

「いいや。ワシはシグリエルの命は奪わない。死にたがってるように見えるが、あいつは本当は生きたいんだ。……その理由が今日わかったよ。たった一人の、大事な家族のためだったんだな」

老人は眼鏡をかけ直し、口を結んで腕組みをした。





シグリエルとアディルは、ラノウが眠る個室にいた。
まだ側近の処置は終わっておらず、当主をじっとそばで見守る。

心を痛めて黙っている弟に、シグリエルは声をかけなかった。しかしやがて、弟のほうが後悔を口にする。

「俺は大馬鹿者だ……皆を危険に晒して」
「……当主を襲ったのはマルグスの刺客だ。全ての隊が同種の敵に襲われた。俺の追跡物を辿ってな。だから俺のミスだ。……だが、そうしてでもお前を見つけたかった」

はっきりと告げると、弟に見上げられた。
その額をそっとさすってやり、表情をよく見る。

「当主は生きている。それを喜べ、アディル」
「……ああ……そうだよな」

頷いた弟が、段々と冷静さを取り戻していく。

二人が会話を交わしていると、突然扉が開いた。医者との話を終えた青ローブ姿のサウレスだ。

アディルは一瞬身構える。先程までは騒然としていて向き合う時間がなかった。
当主の最も近い友人であるこの男には、激しい怒りを浴びても全く不思議ではない。

「あ……サウレス。……悪かった」
「どうした、僕に怯えているのか? まったくお前は。だからガキなんだ。威勢はいいが、失敗してちょっと怒られると泣き顔になって。だから僕は子供が嫌いなんだよ」

嫌味を言う白髪の男は、正面のベッドに横たわるラノウを見つめた。
だが不思議と、怒りや悲壮感が彼には漂っていない。

「一番悪いやつは、僕かもしれんがな。……僕は今、正直ほっとしているんだ。これでもう、こいつは戦闘に参加できない。死なずにすんだってことさ。……よかっただろう?」

サウレスの黒目が息をのむアディルの視線を貫く。
シグリエルは何も言わなかったが、同じことを思っていた。こうなってしまえばもう、アディルが誰か大切な人間を失うことはない。

「…………っ」
「別に怪我を喜んでるわけじゃないぞ。死にそうになったのは事実だ。だがラノウは自分の力で生き残った。…まあ、優秀な部下がいたしな。……シグリエルが言った通り、僕達はラノウが助かったことを今は喜ぼう。なあ、ガキ」

魔術師は軽くあしらうように告げると、用は済んだとばかりに部屋から出ていった。

アディルはなんとも言えない気持ちで当主を見やる。
後悔の念は一生消えないだろうが、今はただ、ずっと慕ってきた大切な主人が目覚めることを願っていた。




それからしばらくして、側近の治療も無事に終えたと男の看護師から伝えられた。ゲインズは他の往診があるらしく、すでに姿がない。

兄弟とサウレスはジャスパーの部屋にも通され、様子を見ていた。眼鏡を外し傷跡のある顔で、当主と同様に患者衣で眠っている。

「ラノウが倒れたことはまだ組の連中には伝えていない。周囲にも影響が出るからな。しばらくは面会謝絶だ。僕らはひとまず元いた屋敷に戻る。分かれた三人と合流するぞ」

サウレスに同意するシグリエル達のもとに、疲労困憊の表情で剣士が現れる。
彼は容態の安定している側近に胸を撫で下ろした。

「ふう。本当に骨が折れるよ。皆、俺の働きを褒めてくれないか?」
「おっさん! ほんとにありがとな、あんたがいなかったら二人とも、いや俺も……!」
「待った待った。少し座らせてくれ。腰が痛い。……ああ、俺はもう四十後半なんだ」

勢いのある若者をなだめた後、個室の椅子にどっさりと腰を下ろし背中を伸ばす。

朝方の戦闘後に、より多くの精神力と魔力を使う治癒行為を行ったのだから、さぞ疲れただろうと皆も思いやった。

「酒が飲みてえ……。サウレス、君から良い匂いがするな」
「僕はもう飲んでしまった。屋敷に戻ってから慰労会をしよう。ゾーク、あんたの働きには正直驚かされたよ。今のところ文句なしだ。僕の目に狂いはなかったようだな」
「はは、そうかい……それは喜ばしいが」

まだぼうっとした目つきで天井を仰ぐゾークは、ちらりと自分に冷静な瞳を向けているシグリエルを見やった。

「弟から話を聞いた。疑ってすまない」

素直な謝罪には目を見張ったが、ゾークは顎髭をこすりながら念を押す。

「本当に君から俺への疑いが晴れたか?」
「…………」
「おいおい、勘弁してくれよ、俺は不眠不休で頑張っているんだぞ?」
「いやあんた昨日は結構寝ただろ、俺を縛りつけて」
「それは仕方なくな、君を見失ったら俺だって帰るに帰れないだろう。まったくこの兄弟は……面倒の見がいがあるってものなのか」

太い腕をがっしりと組んで唸った中年の剣士は、そう前向きな結論を出して肩を落としたのだった。

シグリエルはまだ完全にこの剣士を信用したわけではない。
新しく加わったばかりの仲間なのに、自分達の領域にすでに入り込み、馴染みつつある剣士のことを注視せずにはいられなかった。



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