▼ 32 集結
皆が講堂のホールで酒を飲み始める中、個室では男達が会合をしていた。
組織側は当主のラノウと側近のジャスパー、魔術師のサウレス、兄弟の五人だ。傭兵のまとめ役であるゾルタンは後から合流予定だった。
ミズカにより派遣されたのは、若い金髪の身軽そうな魔術師フィト、黒髪をなでつけた身綺麗な男シスタ、そして中年の魔剣士ゾークだった。
それぞれ自己紹介をしたが、専門が違い普段交わることのない男達な為にまだ溝が出来ていた。
「おい兄ちゃん、本当に大丈夫なんだろうな」
「彼らは実力者だ。ミズカの目利きは確かで、俺より余程信頼できる。……お前はどう思う、サウレス」
「あー。文句ないな。調査書にも目を通した限りは」
白髪の男が紙をひらひらとやった時、灰色の腕がローブからのぞく。ぎょっとした視線が一瞬注がれるが、それ以上に若い魔術師が前のめりになった。
「俺のこと勝手に調べんじゃねえよ、人権侵害だろ!」
「うるせえガキだな。仕事相手の調査は基本だろうが。……お前、若い割に戦績すごいな。魔物退治の専門家か。悪魔はやったことあんのか?」
「悪魔をただの魔物に括るなっつうの。まあ二匹かな」
フィトが話すと隣の黒ローブのシスタが口を出す。
「はっ。どうせ下級だろう」
「なんだと? じゃあてめえはどうなんだよ」
「私は無謀な戦いは挑まない。中級は二度見たことがあるが、彼らは関心を示さず去って行った」
「なら偉そうにすんじゃねえ!」
吠える若い男との口論が始まり、剣士は頭を押さえ振る。
当主はシスタに対し尋ねた。
「お前に手を出さなかったのか?」
「ああ。余程のことがない限り、悪魔は契約した者以外の魂は狩らないとされている。献上品は別だが」
付け加えた言葉に皆は苦い顔つきをした。やはり先ずはマルグスを始末することが先決だ。
話を聞くと、この魔術師は北方の魔術協会に所属している者で、悪魔に被害を受けた者達の救済に当たっているという。
「……あなたは? 失礼だが調べさせてもらった。教会に勤めていたそうだな。聖職者だったのか」
シグリエルに問われたゾークは、太い腕を組んで否定した。
「いいや、ただの雇われだよ。教会の連中と組んで、中級は一度滅ぼしたことがあるが。こちらも相当の痛手を負った」
彼が明かした話は重かったが、初めてその場の皆に希望をもたらした。
しかしシグリエルが詳しく聞くと、教会側は十数人が亡くなり、生き残ったのは一人の聖職者とゾークのみのまさしく死闘だったと判明した。
「そうか……どうしてまた、そんな過去がありながら今回協力してくれるんだ?」
「……ふむ。ただの人助けさ。俺ももうそれほど若くない。最後の花火ってわけだな、はは。死ぬ気はないけどな」
ガタイのよい剣士が無精髭を触り、不敵に笑いかける。
「へえ。あんた一番使えそうだな。僕は全然期待してなかったが、三人とも中々良い腕を持ってそうだ。ゾーク。今は栄誉連盟に所属してるんだって? 凄腕じゃないか」
「そんなことはない。栄誉とは名ばかりの泥臭い仕事を時折請け負って生計を立てている。俺は自営なんでね。君達もそうだろう?」
他の魔術師を見回した剣士に、皆も頷く。
ここまで話して、皆作戦に参加する意志があると認めた当主は側近に目をやり荷物を三つ持ってこさせた。
ジャスパーは「皆さん、こちらをどうぞ」とどっさり音を出して手持ち鞄を長机に置く。
飛びついたのは若い魔術師フィトだ。開けると札束が溢れ出した。
「うおおおお! これだけあれば三年は遊んで暮らせるぜ! 俺はやる! よろしくな、気前のいい当主のおっさん!」
「せいぜい半年だろ。これは前金だ。標的を倒したらもう半分出す。あんたらもそれでいいか。……ちなみにこれを持って逃げたらうちの奴が地の果てまでおっかけて殺すからな。嫌なら今辞退してくれ」
落ち着いた声音で脅すラノウの前で、誰も異を唱えなかった。
そこで目を輝かせているフィトと、金に大きな反応をしなかったシスタに近づいた者がいる。アディルだ。
「あのよ。一応聞きたいんだが、あんた達はどうして協力してくれるんだ? すげえ危険な任務だぞ。本当にいいのか」
フィトは開口一番「金だ! それ以外ねえ」と答えた。
対してシスタも、迷いなく「純粋な好奇心と知識欲だ。こうでもしないと上級の力にはお目にかかれない」と言った。
アディルにとってはあっさり金と言われたほうが共感出来たが、関係のない者を巻き込む瞬間を実際に目にすると、心が重たくなった。
シグリエルはそんな弟の気持ちが分かる。
どのみち、これは最初から言おうとしていた。
「皆、聞いてほしい。マルグスを倒す中で、致命傷を負った者は迷わず逃げてくれ。それぞれ使命を持った者は別だが、俺達に命まで賭ける必要はない。奴は俺がトドメを刺す」
そう言った瞬間、場は静まった。
新たに加わった二人は周りの出方を伺った様子だったが、剣士のゾークは躊躇いなく頷いた。
「分かった、そうさせてもらうよ。勝ち目が全く無いと判断したら俺は引く。ただ、この面子だったらいい線行くと思うぞ。お通夜になるのはまだ早いぜ、若い兄ちゃんよ」
男はそう言い、初対面のシグリエルの肩をばん!と叩いた。
驚いた拍子によろけそうになったが、彼の気合いは皆の表情を柔らかくした。
「そうだ、俺達なら勝てる! そんで俺は残りの金ももらう! 誰か死んだらそいつのもくれ!」
拳を握り叫ぶフィトには皆失笑していた。
その後、腹を決めた者達は席に着き、作戦会議を行った。
口火を切ったのはこの中で悪魔について最も知識のある黒魔術師シスタだ。
「シグリエル。君の前でこんなことを言うのもなんだが、悪魔との契約は普通、リスクが高すぎる上に馬鹿らしく、正常な人間はしない。そして悪魔と長く付き合うことも珍しい。契約終了や精神崩壊で人間はすぐ死ぬからだ」
それ故に悪魔そのものに対する情報も、あまり出回ってはいないという。儀式はある程度の実力を持った魔術師により秘密裏に行われ、ひっそりと終わっていくためだ。
「肝心の力だが、簡単に言えば下級の十倍以上の強さが中級、そして中級の三倍以上の強さを上級悪魔は持つとされる。上級自体は、その姿を見た者はほとんどいない。文献にも記述が乏しく、どれも数百年以上も前のものだ」
話を聞く魔術師らはもとより、武闘派の当主らはどんどん渋い顔になっていく。
「そのベルンホーンってやつが気まぐれを起こしたら俺らはひとたまりもないってことか。神に祈るしかねえな、もう。そもそもなんでその上級様が地上に下りてきてんだよ」
「……おそらくマルグスが儀式集団を作ったときに、転生先の男バイルとともに召喚したんだ。天才的な魔術師だった彼の魂や、俺とアディルの母親の魂も奴は捧げ、力を強めていった……そして弟に呪詛をかけ、その魂さえもーー」
奥歯を噛むシグリエルの話を、皆険しい顔で聞く。
剣士は弟を観察した。自分の知る不死者と外見は遠くないが、生者と遜色なく動いているアディルのことを。
「君は、では彼に作られたんだな?」
「……ああ。そうだよ」
ゾークは立ち上がり、アディルのそばにいってじろじろと見下ろした。その白い手を取って確かめようとした時は、思わず兄に止められそうになる。
「おい」
「悪い悪い。よく出来ている。……いや失礼。とても綺麗だという意味だ」
「……確かに。私も見ていいか?」
「俺にも見せてくれ!」
新参三人が集まってきて、アディルは勝手に体を触られたり確かめられた。兄はまるでいい気はしなかったが、弟は何か参考になるならと、そのままにさせた。
「おい! 脱がせんじゃねえよ! 誰だボタン外したやつ!」
「俺だ。すまん」
苦笑したゾークはシャツを戻してやる。だがその間に彼は調べていた。どれほどの悪魔の力の侵食が、アディルの体に起こっているか。
驚いたのは、手首に刻まれた知らぬ言語の文字だ。これは経緯を聞いた通りゲーナの民族の印らしいが、不思議な力を発しており、彼の生まれのせいもあるのか、侵食が制御されているようだった。
「シグリエル。悪魔に会わせてくれないか。君にもある程度情報開示を求めたい。俺達の安全のためにも」
ゾークに言われ、シグリエルは同意した。
片腕を横に広げると、その指先からバチバチと稲光が生まれ、鋭い閃光音とともに伸びる黒い煙から悪魔ディーエが姿を現した。
皆同時に息を呑む。
身体的特徴は人間と大差ないものの、黒い革服をまとった悪魔は長い黒髪を振り、整った冷たい顔立ちをニヤリと歪ませた。
「へッへッへッ。いきなり俺を召喚すんじゃねえよ。これじゃあ俺がお前の下僕みたいじゃねえか。最近機嫌の悪いシグリエル様よぉ」
赤い舌をだらりと出した悪魔に魔術師らは身構える。
「こんな低俗そうな奴が中級…? 確かに力は凄いが…」
「なんだとこのナルシスト野郎、テメエ等のタマなんか俺が一捻りで潰せんだと教えてやろうか、あぁ!?」
「私を脅しても無意味だぞ。お前達の手口には精通している。脅迫、誘惑、洗脳、欺瞞は効かない」
「あーそうかい、そんな信用できねえ悪魔を味方につけなきゃなんねえ小者達も可哀想になぁ、せいぜい俺様の機嫌取っとけ! ハハハッ」
不快に眉を上げるシスタだが、真剣に反応したのはシグリエルだった。
「黙れ、ディーエ。彼らは仲間だ。冥界で位を上げたいのならお前がひれ伏すんだ。……覚えておけ、俺はお前に服従しない。飼い主はこの俺だ」
そう言って悪魔に伸ばした手をぐっと握る仕草をする。
すると途端にディーエの動きが奪われた。唖然としたのは悪魔自身だ。
シグリエルは力を誇示する様に、ほとばしる棘付きの雷光をディーエに絡みつける。鋭い音と光が弾ける最中、こう叫んだ。
「奴は死なない、拘束しろ! 力を試せ!」
そう言われ、魔術師の面々はどよめいた。
サウレスとゾークは迷わず手を掲げ詠唱を行う。二人が放った拘束魔法は悪魔の体を取り巻き、悲鳴をあげさせるまで縛り上げた。
残りの二人も拘束を開始する。側近のジャスパーも当主の指示を受け参戦した。全方位から魔法を浴びた悪魔は力を加速させ、抵抗の意志を見せる。
だがそれを押さえつけたのはシグリエルだった。
「あッ、あぁ゛ッ、てめえ、何考えてやがるッ」
憤怒に満ちた唸り声を上げる悪魔を無視し力を強める。すると予想外に魔術師達の共鳴が強く、拘束力はどんどん巨大化していった。
シグリエルは試したかった。ここで敵わないようなら、マルグスを捕らえることは出来ない。
拘束が効いたことで、悪魔の魔力が弱体化していく。
「おい、これあいつ死んじまうんじゃねえのか!」
様子を見守るラノウの横で、アディルの体は震えだした。見覚えのある挙動に目を見張るが、当主は体を押さえようとする。
「待て、落ちつけアディル! お前の出番じゃねえ!」
「う、うぅっ、あぁああ」
シグリエルは悪魔の力をぎりぎりで制御していたが、きちんと弟のことを見ていた。だから心の中でこう語りかけた。
『アディル、大丈夫だ。心を鎮めろ。俺と、ゲーナの民がついている』
そう語りかけられて、黒い瞳のままアディルは筋肉が隆起した肉体を保持した。
「あ……兄貴……ッ」
しかしシグリエルにも異変が起こる。皆の拘束の威力が増すごとに体が痺れ身動きが出来なくなってきた。
まるで自分が標的になったごとく。
そこで防御に転換する。「拘束を強めろ」と余計に号令をかけて。
魔剣士も魔術師も、限度が近づくまで力を手のひらから絞り出した。悪魔はもう声を出すのみで、白目になり意識は遠のいているようだ。
そしてついに、シグリエルにも限界がきた。
「グッ、……うぅっ、ぐっ、あぁッ……」
「やめろ、兄貴、もういい!」
アディルが当主の腕を抜け出し兄のもとに駆け出す。
発現させていた悪魔は、シグリエルの対角線上から消えた。
同時にふらりと倒れ込む兄を、弟は受け止める。
シグリエルは目を閉じ、完全に気を失っていた。魔術師らも力を使い果たし、後方にふらついている。
「兄貴! しっかりしろ、起きろ兄貴!」
頬を叩く弟の声は、ぼんやりとシグリエルの片耳に聞こえていた。
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