Undying | ナノ


▼ 31 師の使い

エルゲは地下の研究室で書物を読み漁っていた。呼び鈴が鳴り、眼鏡を取って立ち上がる。
一階の玄関扉を開けると、大柄で黒髪を刈り込んだ男が頭を下げた。年は四十代で腰には剣を下げ、軽装備のコートに身を包んでいる。

「久しぶりだな、伯父さん」
「二年ぶりか。急に呼び出してすまなかった。入ってくれ」

居間に招き入れると、男はソファに座っている金髪の娘に手を上げ挨拶をした。不死者の彼女の事情はすでに知っていたが、この隠れ家に来るのは初めてだ。

「ゾーク。元気にしていたか」
「見ての通りさ。酒ででっぷりしたけどな。見てくれこの腹。……ははは。けど伯父さんは顔色いいじゃないか。前より肉付きもよくなって」

安心した甥に対し、エルゲはふっと笑って机に茶を出した。
二人は正面に向かい合い、腰を据えて話し始める。

「それで、頼みってなんだ。伯父さんには世話になってきたからな。なんでも言ってくれよ」
「ああ。……実はな」

事情を説明する伯父をじっと見つめていたゾークだが、徐々に険しくなっていく顔を、最終的に手のひらで抱え深く俯いた。

「……冗談だろう? なんでそんな事に首を突っ込んだんだ。あなたはそういうお人好しタイプじゃないだろ。悪魔が二体だと。それも一体は上級ってな……」

長すぎるため息を吐いた男はもう一度確認するが、伯父は真面目に見据え、懐かしいひりついた気迫のようなものさえ醸し出していた。
ゾークは背もたれに体を預け、腕組みをして聞く態度を示す。

「勝算は?」
「そのためにお前に頼みたいことがある。彼らについていてくれないか。中級悪魔の監視があると私は自由に動けない」

エルゲにはある作戦があった。しかしこの間シグリエル達と別れた時に、それを明かすことは出来なかった。
詳しく説明されたゾークは、今度こそ飛び上がるほどの衝撃を受けた。

「おいおい……どうかしてるよ。うちの家族は皆おかしいってことは自覚してたが。……上手くいかなかったらどうするんだ」
「それでも役には立つさ」

儚げに笑う伯父を見て寂しさが立ち込めた。魂を献上することまで決めている一人の老いた魔術師の姿に。

「分かってくれ、ゾーク。私は彼らに朽ち果ててほしくない。散々苦しみ、こんな形で命を散らすなんて、あまりに惨い。出来ることは何でもしてやりたいんだ」

まるで親のように話すエルゲは、堪えきれない様子で目頭を押さえた。
そして隣に静かに佇むイリスの手を握り、見つめ合っている。

イリスに感情があるという事実が、どんなに伯父にとって幸せな贈り物だったのか。親類として継続的に接してきたゾークには想像できることだった。

「……伯父さん。しょうがねえな。分かったよ。あなたには俺も大きな恩がある。連盟に口を聞いてくれたおかげで食いっぱぐれずに済んだしな。死んだお袋も絶対やってやれって尻を叩くだろう」

肩を竦めたゾークは後ろのポケットから手帳を取り出す。栞にしている写真を机に置くと、エルゲはそれを手に取り見つめた。若かりし頃の赤毛のエルゲと妹、真ん中には幼いゾークがやんちゃに映っている。

「直近の予定はないから大丈夫だ。それで、俺は何をする。身分は隠したほうがいいんだろう? こんなおっさんが違法組織にいきなり近づいたら怪しまれるぞ」
「それは心配ない。シグリエルが依頼している友人のミズカという男に会った。彼にお前を魔術師として送り込んでくれと頼んだから、一度話をしてくれないか」

段取りのいい伯父に感心したゾークはあっさりと頷く。
私生活はだらしのない壮年の男だが、仕事に関しては血筋なのか意外にきっちりしている。

そうと決まれば、彼はさっそく立ち上がった。

「じゃあ会いに行くか、その男に。伯父さんも気をつけろよ。一人で大丈夫か? ……いや失礼、二人だな。今度会う時を楽しみにしてるよ」

にっとして手を差し出したゾークに、伯父も微笑み握手をする。
堅い約束を交わした二人は、しばしの別れを覚悟した。





ゾークは間もなくして素材屋の男を見つけ出した。だが聞いていた場所にはおらず、何度かたらい回しにされようやくある魔術師専用酒場に行き着く。

「……君か、ミズカってやつは。一体いくつ店を持ってるんだよ」
「さあ、数えたことねえな。何飲む? そこに座れよ」

飄々とした跳ねっ毛黒髪の店主はゾークをカウンター席に座らせ、グラスを差し出した。
酒好きの男は特殊な味の美酒に機嫌をよくし、事情を話し始める。

「あの爺さんの甥っ子な。ちょっと待ってろ。ーーこれだ。意見を聞かせてくれ」

下の棚を探り数枚の書類を見せる。
ゾークは凝視しながら全てに目を通した。そして五枚あった紙から二枚に減らす。

「いい人選だな。この二人にしよう」
「え? それで足りるか?」
「十分だ」

店主は若干驚いていたが、妖術師のエルゲと会った時に彼の実力はすぐに感じ取った。その甥である男も見るからに魔力は豊富で経歴も申し分ないことから、彼の決定にも納得を示す。

「じゃあシグリエルには俺から連絡しておくよ、決まったって。あんたも入れてな」
「頼む。……ところで、そいつはどういう奴なんだ? 君から見て」

ゾークの話はまだ終わっていなかった。
魔術師の人選も重要だが、最も気になるのは伯父が信頼と情を寄せている悪魔つきの若い男だ。

ミズカは遠慮なく煙草を吸いながら口を開いた。

「どういう奴ね……影のある凄い美男子。……ってそういう話じゃないよな。あいつはなぁ……どことなく母性本能をくすぐるような、そういう空気があるな。生い立ちのせいかも分からんが」
「は?」

眉間に顔を寄せた男の前で冗談めかした店主が笑う。

「変な意味じゃねえぞ。友人として放っておけないというかさ、あんたも分かるだろ、なんとなく」
「つまり軟弱なのか」
「いや強いよ。強くなった。今は弟もいるしな」

ミズカは店内に視線をさまよわせ、思い出したように笑みを浮かべた。
ますます分からなくなったゾークだが、心配され慕われるような人間だということは感じる。

「俺は家がなくなった十五で一から店始めてよ。あいつも十六で全部人生が変わっちまって、苦労してんだよ。こっちも店支えるの手伝ってもらったし、助けてやりたいんだわ。あんたも頼むよ。な」

酒瓶を取り出し、空のグラスに注がれるとゾークはそれを見つめ、飲み干した。
幼い時に父が死に、生活に苦労していた自分を思い出す。それを助けてくれた冒険者の母と魔術師の伯父のことも。

命をかける価値がその男にあるのかまだ分からないが、今のところ理由はある。

「しょうがねえな。この店、いつも俺には一杯ただにしろ」
「三杯にしてやるよ。三人分の感謝だ。ありがとよ、おっさん」

もう一杯ミズカは酒を注ぎ、ここでも男同士の約束が静かに交わされたのだった。





それからしばらく経ったある日の午前。シグリエル達は港町の墓地にいた。
眺めのよい高台に墓石が立ち並ぶ中、喪服を着た屈強な男らが集まり聖職者の祈りを聴く。

ハンガー兄弟は同じ場所に弔われ、二つの棺が並ぶ光景は男達の涙を誘った。皆悲痛な顔で献花をする。
指導役のゼスもそうだ。多くの者と親しい関係を築いてきた幹部の死は、悲しみだけでなく組織に大きな喪失と懸念をもたらした。

葬儀が終わると黒いスーツ姿のアディルは兄とともに後方に立っていた。その場にいなければならないのは確かだが、参加する資格があるのかという思いは沈んだ表情にも表れていた。

「ーーおい、ラノウ。どういうことだ? 俺らは任務に参加出来ないって!」

大役を任されているが、まだ若い部下ジュウドが当主に声を上げた。手下に囲まれる当主にアディル達も向かう。

「説明した通りだ。数がいれば勝てる相手じゃない、今回は少数で行く。お前がゼスの後を引き継げ。……いいか、俺は混乱に乗じて組を潰されるのはごめんだ。どっちかっつうと残ったお前らのほうが大変だぞ? これ以上の損失は許さねえからな。気合い入れろ」

凄みのある低音で当主が命じると、部下は反論をぐっとこらえて飲み込んだ。
だがその視線が墓地の入り口に佇むローブ姿の男二人と剣士に注がれ、険しくなる。

「でもよ……あいつらはなんだ? 本当にあんな弱そうな奴らと一緒に行くのか、あんた。心配だ」
「ははッ。魔術師への偏見はやめろよ。あれは兄ちゃんからの推薦だ。少なくとも今回は役に立つ。希望だがな」

肩を叩かれた青年はそのままアディルに視線を移した。部下たちと一斉に向かっていく。

「おい、アディル」
「…あ、ああ。皆には申し訳ねえ。ラノウのことはーー」
「お前が守れよ。俺達も普段なら引けねえが、今はお前のほうが頑丈だ。……ちっ、悔しいぜ。前と逆転しちまったな」

ジュウドは後輩の胸を遠慮なく拳で突くと、皮肉っぽく笑った。
そのままアディルの首を引き寄せ、力強い抱擁をする。そして「ちゃんと帰ってこい、二回目もな」と真面目に激励したのだった。

シグリエルは弟が言葉に詰まりながらも、しっかりと頷くのを見る。

こんな時でも誰一人自分たち兄弟を責めず、熱い仲間意識をもって当主に集う者達には正直驚いていた。たいていは個人主義の魔術師からすれば尚更だ。

男達がぞろぞろと近くの講堂に入っていく。そんな中、参列していた当主の家族がアディルに近づいてきた。
幼い双子の男の子が駆け寄り、いつもの癖でアディルは背を屈め受け止めた。一人は這い上がってきた為慣れた手つきで抱える。

「アディル!」
「おおっちょっ、待て、暴れるなって」
「お母さんが言ってたよ、帰ってきたらご馳走作ってあげるって。シェフが!」
「はは、それはありがたいな。楽しみだ」
「ねえアディル、今度はパパ何日いないの? ちゃんと帰ってくるよね?」

もう一人の少年が手を握って尋ねると、アディルは子供を下ろし、しゃがみこんで彼の目をまっすぐ見た。

「ああ、必ず帰ってくるよ。今回も心配ない。二人でいい子にしてるんだぞ。戻ったらまた絵本読んであげるから」
「うんっ、約束ね!」

元気な二人はその後も「いつまた日焼けするの?」などと弟に質問し困らせていたが、三人の楽しそうな様子をシグリエルはじっと見ていた。

活発なほうの少年はそんな静かな男が気になったのか、黒装束を恐れることもなく引っ張る。

「なあなあおじさん、暑くないのこの服」
「……暑い。我慢してるんだ」
「なんでだよ。脱げばいいじゃん」
「魔術師はこういうものなんだ。君のお父さんもいつも派手なシャツをはだけさせてるだろう? 悪く見せるために」

シグリエルが無表情で告げると、子供達はけたけたと笑った。アディルも吹き出す。
自分に不似合いな光景が少しだけ懐かしくなっていると、背後から両親がやって来た。

ラノウは子供二人を一気に抱き上げ、頬にキスをしている。

「変なこと吹き込むんじゃねえよ。パパは悪者じゃないぞ〜悪いやつをまとめてやっつけてるんだ」
「ええっ、信じられなーい」

アディルは仲睦まじい彼らを見つめ目を細める。切なさのまじる瞳には、絶対にこの家族を壊してはならないという覚悟も宿っていた。

妻のイグノヴァは黒い妖艶なワンピースの装いで、保護眼鏡を取りアディルを抱きしめた。

「ラノウをお願いね。くれぐれも気をつけて」
「はい。任せてください、奥様」

抱擁を受けた弟に続き、彼女はシグリエルを見上げる。
やや憂いを帯びていた目つきは一転、にこりと明るいものになった。

「ねえ色男さん。これが終わったらあなた絶対うちの店に来なさい。なにか発散させたほうがいい気がする。……うちの男達と仲良くしてあげてね。皆いい子なの」
「……ああ、知っている。お気遣いありがとう。あなたも気をつけて。全てが済んだら、改めて謝罪と挨拶に伺おう」
「いいわよそんなの。ラノウといれば揉め事は日常茶飯事。今回は一味違うかもしれないけど」

淋しげに微笑む当主の妻の姿は印象的だった。
その後、遠くに魔術師らと佇んでいるサウレスを見つけると、彼女はぱちりとウインクをして去っていった。



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