▼ 28 覗き穴
覗き穴を作る方法を教えてもらい、俺は朝まで特訓をした。複雑な呪文は繊細な唱え方が求められ、何度もやり直した。結果、俺の技量ではこんなものを生成するのが精一杯だった。
「なにこの穴、ちっちゃ。目ん玉ひとつでしか覗けねえぞ」
呪術師エブラルとはかなり差があるものの、騎士達のいる別荘の居間がぼんやりと映っている。
夜中教えてくれたエブラルは、起床後に俺の成果を確かめてくれた。
「ふむ。すごいですね。こんなに短期間で意識を飛ばせるとは。やはりセラウェさん、禁忌魔法のように犯罪じみたもののほうが得意なのでは?」
褒め言葉として尋ねられ答えに困る。否定はできない。まぁそれは師匠の仕込みのせいなんけどな。俺だって最初から陰気な魔術師を目指したわけじゃないし。
奴によると、この監視魔法は対象の空間をよく知る者じゃないと仕掛られないらしい。俺は地理や空間能力が特別得意というわけでもないが、感受性や知覚能力は豊かなほうなので相性はいいようだ。
「それでは魔法を完成させましょうか。感度と視野をよくするために、結界内のポイントに術をかけます。これは現場でしか出来ませんので、行ってきてください。あなたのことですから、見つかるなとは言いませんが、この装置がバレたらダメですよ」
えっ。奴の急な指令に絶句する。
ここにきてすごい大変な潜入任務である。あいつらにバレずに俺の術を設置できるのか?絶対無理そうなんだが。
汗タラタラで了承する。ここまで来たからには会得して監視を続けたい。決行は今日の夜中、皆が寝静まったあとだ。
今はまだ渦にすらなってない穴だし、エブラルのように同時にたくさん仕掛けることも出来ないが、俺の重要な第一歩だ。頑張ろう。
合宿の遂行というよりも、完全に研究目的にすり替わっていたが、俺は燃えていた。
そして夜中の二時すぎ。早寝早起きの騎士達は確実に寝てるだろうと考え、俺は静かに転移魔法で別荘内の居間に降り立った。
室内は暗く、ひんやりしている。一面のガラス戸から夜空と月明かりが照らすだけだ。
俺はとりあえず広い居間の四方に向かって詠唱を始めた。別場所で発動する監視魔法と共鳴させ、精度を強化するためだ。
最後のポイントである部屋の隅に佇み、精神集中していると突然信じられぬことが起きる。
「…………兄貴?」
声は静かだったが、振り向くと弟が唖然と立っていった。
やっばーー。
俺は喜びよりも姿を見られたことに対し固まる。
クレッドは部屋着で中庭に続くガラス戸から入ってきたようで、かなり驚いていた。たまたま夜の空気を吸っていたのだろうか。
「あっ、これは、その」
俺が焦っていると、奴は何も言わず俺の近くにきて、そっと手を握り外に呼び出した。
連れられて戸を閉め、二人で向き合う。
「兄貴、無事だったんだな? 心配したよ」
そう言って眉を寄せ、俺の頬を触る。堪えきれなくなったのか、そのまま腰を引き寄せられ、分厚い胸へと抱きしめられた。
「うぉ、クレッド……っ」
「ごめんな。あんなひどい事言って、俺は最低だった。ごめん……!」
強く抱擁を受け、奴の久しぶりの温もりと匂いに頭がぐらつく。
「平気だって。俺こそ悪かった。お前の気持ち考えないで、勝手なことばっかして。いつもそうだけど」
反省して顔を見る。弟の表情からは完全に怒りは消えており、ゆっくりと首を振った。
「いや、兄貴はいつも優しい。自分以外のことを考えてる。俺のはただの焼きもちだよ。それと……不安だった。相手があいつだったから……いつもと違う反応をしてしまった」
正直にもらすクレッドに胸が掴まれる。俺は一連の自分の言動を後悔した。こいつを一番に考えなきゃいけなかったのに。甘えてたのだ。
二人で少し話そうと言い、近くの長椅子に並んで座る。
「本当にごめん。もうあんなことしねえ。あいつ、あの時泣いててさ。確かに心配なんだけど、お前が嫌なことはもうしない。そんなの当たり前のことなのにな、友達でもだめなもんはだめだ」
自戒の念をこめて強調する。ルカに対しては真摯に接するが、誤解を招くことは徹底的に避け、適度な距離感をもって付き合うと力説した。
するとクレッドも若干申し訳無さそうな顔をしていたが、納得してくれた。
「それで、今はエブラルのところにいるのか? 解放されたのか」
「いや全然。あいつの部屋に監禁されてるよ。あ、でも平気だぞ。俺も魔術を教えてもらっててさ。無駄な時間ではないわ。まあここには戻っちゃダメなんだけどな。ちょっと野暮用が…」
お前にこっそり会いにきたと言えばよかったのかもしれないが、やっている所業を考えると罪悪感が募りさらに嘘つけなかった。
「でもお前に会えてすげえ嬉しい」
本音を言って笑うと、クレッドも柔らかい笑みでほっとしたように頷いたのだった。二人で見つめ合うが、俺はそわそわと腰を上げる。
「やべえ、そろそろ行かないと。エブラルに見つかるかも」
「……ああ。そうだな。戻った方がいい」
思えば俺のこんな行動が結界を張っている張本人にバレないわけがないと弟も分かっているはずだが、特に突っ込まずにいてくれた。
「兄貴、この合宿が終わったら、また会えるよな?」
「おう! うまくいけば明日会えるんじゃないか? ここまで来たらあいつも皆合格にしてくれるよ。大喧嘩さえしなければ。休暇楽しみたいっつってたし」
「よし、わかった。じゃあ最後まで気合いれて頑張るよ。兄貴も気をつけてな」
今回俺達は、何度こうして二人きりで短い逢瀬を交わし、別れたのだろう。
早くまた一緒に過ごしたい。二人だけで。
そんなことを別れ際に思っていると、クレッドが顔を寄せて、耳元にそっと囁いた。
「俺の部屋にも来てほしい。待ってるから」
宿でのことを言ってるのだと体温が上がってくる。俺は快く了承し、奴にまたハグされたあと、その場を去ることになった。
◇
宿の部屋に戻り、再び仕事人になった俺は心を鬼にして監視魔法を発動する。穴は掌サイズぐらいになっていた。だが夜だから薄暗く、はっきりは見えない。
また起きた後に確かめよう。
あくびをしながら部屋に戻り、休むことにした。
数時間後、エブラルに起こされる。居間に向かうと、奴はすでに自分の渦を発動させていた。中には起床後の騎士達が炊事や身支度など準備をしている中、ルカだけがぼうっと突っ立っている。
「なに、どうしたの?」
「見てください。彼の様子。視線が結界に向かってます」
えっ。焦った俺は注意深く確認する。
すると、昨日俺が細工をした場所に奴は歩き出した。まさか、見破られたか。
「……おかしいな」
「何がだ?」
呟いたルカの背後から、急にクレッドが声をかける。緊張が走ると、二人は特にいがみ合う雰囲気ではなく、仕事モードの顔つきだ。
「ここに、誰か来たのか。呪術師以外の奴だ」
「…………」
弟は不自然に黙る。やば。これバレる流れだろ。
ルカのやつ、さすがに俺の発展途上な術式の気配に気づいたらしい。
魔術師同士だからそれは仕方ないが、昨日あんないい感じで別れた弟に俺の悪行が見つかるのはーーすげえきつい。
「どうしてそう思う?」
「結界がいじられている。元々短期間では解除出来ない完璧なものが張られていたが、今は綻びが生じている。俺の予想では、あいつしか出入り出来ないんじゃないか?」
ルカが視線を合わせ、渦の中から目が合い俺は叫んだ。
「ひっ! やべえ、ばれた! 俺のせいで!」
「そのようですね。セラウェさん、あなたの監視魔法を発動させてください」
師匠2号に命じられ、俺は素早く詠唱をした。すると黒い穴が現れ、しかも昨日よりも段違いに彩度がよくなりはっきり見える。
あいつにはバレたがかなり術式が上達したと俺は喜んだ。
「そうか……ちなみに侵入したのが兄貴だとして、何をやっていたんだ?」
「……分からんが、これはおそらく監視魔法の一種だ。エブラルの術を見に来たんだろう。勉強のためか、それかもう学んだか……あいつのことだ。やってるだろうな」
あー!! 馬鹿野郎、断定すんじゃねえ!
弟の俺のイメージが崩れるだろ!!
憤慨したが事実なので切れる権利はない。だがさすが俺の兄弟子だ。
感心していると、奴は呪文を唱えて解除しようとした。
「おい、何をやってる」
「いらねえだろ。こんなもん。呪術師はともかく、あいつには力を分からせねえと」
「待てよ。別にいいだろう、兄貴が見ていても」
「はぁ?」
思考の飛んでいるクレッドが奴を静止し、ドン引きの眼差しが向けられる。
しかしルカは普通に一箇所を解除し、俺の監視魔法の精度が遮断され落ちた。
「なっ、やめろって! そんなに自分の力を見せつけたいのか?」
「そうだよ。何が悪い。つうかお前頭大丈夫か? 他人と兄貴に覗き見られてんだぞ。悪趣味にも程があんだろうが。まぁ魔術師なんてそんなもんだが」
「他人は嫌だが兄貴なら別に平気だ。かわいいと思わないか、陰でコソコソそんなことを」
なぜか機嫌の良さそうな弟に俺も若干引いたが、そういやずっと前こいつ俺に見られてたら興奮するとかなんとか言ってたよな。やっぱ常人じゃねえ。
「なんなんだお前……常人じゃねえよ……」
「常人に団長も兄貴の弟も務まらないんだよ。とにかくもう止めておけ。監督権はあっちが握っているんだ。勝手な真似をしたらお前もこの場で会議にかけるぞ」
最後の脅し文句が功を奏したのか、ただ引かれただけなのかルカはもう何も言わなかった。結界の術もそのままにされ、なんとか俺の渦も生き残る。
「はあ~よかった。ギリギリ回避出来たな、エブラル」
「ええ。ナイスアシストですね、ハイデル殿。お二人も普通に会話出来るようにまでなりましたし、個人的にはアーゲンの力量も間近で測れて良かったです。ありがとう、セラウェさん」
え?なんだこいつ、俺をまた利用したのか?
怪訝に見やるものの、自分も得をしたし場が収まったことは収穫だ。
俺達はこうして合宿のよき終わりを予見した。
翌朝、俺とエブラルは別荘に向かった。
中庭には騎士達とロイザ、ルカが一列に並び、すでに帰還準備をしていた。
監視魔法を二つ稼働させて最終日も覗いていたが、思ったよりも奴らは和気あいあいと過ごしており、別に問題も起こらなかった。
少しつまらないなどという不謹慎な意見は置いといて、肩の荷は下りる。
「お疲れ様でした、皆さん。このメンバーでよくぞ耐えきりましたね。私も見ていましたが、素晴らしい連帯感で各修行も乗り切り、感動しましたよ」
胡散臭い台詞を吐きながらエブラルが微笑みで称える。
「そうそう。皆すごかったな! 俺は早々に脱落してしまい申し訳なかったが、皆の頑張り見てて俺もすごいと思ったよ。さすがソラサーグ聖騎士団!」
手を叩くと疑り深い顔のルカを筆頭に、騎士達が困惑気味に「見てた?」という顔をする。俺は慌てて否定をしてごまかした。
クレッドは制服をびしっと着込み、凛々しい顔立ちで背筋も伸ばしている。
「では我々の処罰は済んだということでいいだろうか。エブラル。監督して頂き感謝する」
「はい。どうも。あなた方はこれで解放されます。残りは二日しかありませんが、宿でゆっくりなさってください」
奴の号令を合図に、俺達の奇妙な合宿期間は終わりを告げた。
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