I'm so happy | ナノ


▼ 17 彼らの行方

ああして弟に怒られてしまったものの、俺は機を見計らい行動に移すことにした。もうちんたら催眠などをやってる時間はないのだ。

クレッドには騎士の名を教えてもらったため接触しようかと思ったが、感づかれたらどんな行動に出るか分からないし危険すぎる。

本当はルカに頼み騎士に妙な術がかけられてないか確かめられればいいんだが、物理的に難しく問題がさらに悪化してもだめだ。

「やあ、セラウェ君。一気に事態が動き出したようだね。ハイデルから凄まれてわざわざ僕も来てあげたよ。必ず成果を出してくれたまえ」
「分かってるよ。あんたも忙しいんだろうけどな、今日は俺の勇姿を見なきゃ損だぞ」

司祭に珍しくやる気を見せつけ、持参した紫のマントの準備をする。このあと少年アイルをユーリに連れてきてもらい、事情を話して潜入を実行するのだ。

ひとまず騎士のことはファドムとクレッドに任せ、俺達は組織の実態を明らかにすることに注力した。

路地裏で待っていると、行商に扮した剣士ユーリが戸惑いがちの丸眼鏡の少年と現れた。彼を捕まえ早速話をする。

「え……っ? どういうことですか、お兄さん……」
「本当に申し訳ない。俺とこの男は教会の魔導師と魔剣士なんだ。お前を操り組織の動向を探っていた」

何も知らずショックを受けたアイルは、開口一番こう叫んだ。

「そんな……でも、俺が捕まったら、孤児院の皆が食べ物に困ります…!」

殴られても普通に振る舞っていた奴が、目に涙を浮かべ前のめりになる。司祭が鋭い瞳で少年を見下ろした。

「君は犯罪組織に加担していると知っていたのかい?」
「……い、いえ……でも、悪いことをしているのかもという事は思いました。何も教えてもらえないから、分からないけど……」
「ふむ、そうか。嘘は言ってないみたいだ。安心したまえ、君はひとまず教会で保護しよう。孤児院の子供にも目をかけてあげるから」

司祭は聖職者らしく言葉尻を優しくすると、新任のジス先生に任せると約束し俺達は安心した。

「でも、お兄さん。俺に変身するなんて魔術師ってすごいですね。気をつけてください、リズドーさんは結構怖い人なんです」
「ああ、大丈夫だよ。怖い人は色々見てきてるから。……つうかお前、俺に洗脳されてたのに心配なんかすんなよ、悪かったなほんとに」

俺はせめてもの償いとして、まだ治り切ってない奴の顔の殴り痕を回復魔法で治してやった。
光の粒に包まれて一瞬目をつぶった奴だったが、効果に気づき顔を触り驚いていた。

「ありがとうございます。……俺、もう悪いことはしません。罪を償って、今度は本当に人の役に立てることをします」

後悔の念を滲ませ、だがはっきりと決意を述べた奴に俺も頷いた。こんなガキを利用する組織を野放しにしてたまるか。

「じゃあ僕は彼を送っていこう。ユーリ、君はセラウェ君が帰ってこなかったら突入してくれ。彼の安全を最優先に。変身の効果は一時間しかないみたいだからね」
「ああ、任せてくれ。……それにしても、この魔界製のローブすごいな。本当にこんなものが存在するのか。司祭、あなたも見たことがあるか?」
「いいや、こういうものは他にも存在するが、魔界製のはないな。僕は聖職者だから、本来触れてはいけないんだよ。だが確かに練度の素晴らしい物質だ。僕が使えば一日は使用できるんじゃないか?」

魔術に精通した二人が俺の変幻自在ローブを見てあれこれ言っている。どうせ俺はごく短時間しか使えねえよとやさぐれたいところだったが、まあ事実なので仕方ない。 

このマントを被ると使用者は好きな姿形、はたまた透明にもなれるのだ。魔界の高位術者によって特別に織り込まれた為、一介の魔術師には決して気づかれない代物である。

「ほら見てろよ、……じゃーん!」

アイルの全身を真似ることに集中し、俺はあっという間に変身してみせた。昨日練習のためにロイザに変身したときもそうだったが、かなり精巧に本物に近く出来ている。

「うわっ、すごい! 俺だ! 気持ち悪い!」
「気持ち悪いとはなんだ。ははっ。完璧な仕上がりだろう。じゃあ行ってくるわ、お前の休憩時間もう終わるからな」

俺は皆と別れ、何食わぬ顔で組織のアジトに向かった。調査結果とアイルの証言により、内部や人々の様子なども全て頭に入っているのだ。

建物はボロくくすんだ白壁の二階建てで、そこの一階は作業場、二階は客用の応接間になっている。
一階の裏口から入ると男達がさほど多くない箱を仕分け業務していた。
その中の一人に呼ばれ、俺は二階のリズドーの元に行くように言われた。

二階に入るとそこだけ綺麗な家具とソファが置かれている。掃除も行き届いていて、すでに中年の客が一人いた。彼はもうすぐ帰るようだ。

「どうですか。そろそろ心の準備を?」
「ええ……覚悟が出来てきましたよ。ここへ来ると落ち着くんです。……けれど、次に進まねばね。では、『審判』をください。待ってますから」
「ーー素晴らしい。あなたの決断はきっと報われることでしょう。神の名のもとに。では一報をお待ちください」

奴らの不穏な言葉に俺は聞き耳を立てながらも、茶コーナーのそばで作業する。男は会話の途中でも茶をすすり、穏やかな様子で喋っていた。

客が帰り、リズドーは扉を閉めて俺に向き直った。

「ふふっ、これでまた一人送ることが出来た。……おいお前、俺に茶を入れろ。普通のやつだぞ」
「あ、はい。……元気の出るやつじゃなくていいんですね?」
「だからそう言ってんだろうが! 俺はまともなんだよ、一緒にすんじゃねえ!」

さっきの態度とは別人のように悪態をつき、俺をなじる。
そう言われたが俺は元気になる茶を出した。低いテーブルに置くと、ふんぞり返る小太りの男が下品にすすって飲んだ。

「あの、リズドーさん。俺この仕事でもっとあなたを支えたいんです。雑用だけじゃなく、名簿の管理とか。そういうの得意なんで頑張りますよ」

忠実な若者を装い、身を乗り出して自分を売りこんだ。

「てめえ……まだ懲りてねえのか? この間箱の中開けやがって、こそこそ何企んでやがる! 名簿売って金儲けしたいとか思ってんのか、無駄だよそんなもんねえからな。すべてあの方の頭の中で管理されてるんだ」

吐き捨てたあとに奴は茶を飲み干し、そばに立つ俺を横目で見て笑う。

「世間知らずの貧乏人が。お前はただ奴隷のように言うことを聞いてりゃいい」

なんだとこの野郎。怒りがわくと同時に奴の台詞に間接的に傷つく。
俺も道具のように少年を扱った。だがこの男も相当のクズだ。

「あの方って誰ですか? リズドーさんもその人に使われてるだけなんじゃ……」
  
はは、と変な緊張から奴を嘲笑ったのがまずかった。
奴はカッとなり俺の胸ぐらを掴み突き飛ばす。

「う、ぐぁっ!」

やばい、蹴られる。地べたに転がり身を守ろうとした。
だが男は俺の腹に問答無用で蹴りを入れる。とっさに無詠唱の聖力を使い、全身を防御した。

「いてぇ!」

ほんとは痛くないが奴にボコボコにされる。全くもっていい気分ではなく、俺はなんとかやり過ごそうとした。
こいつの裏には逆らえない何かがいるんだ。暴かなければ。

そう思っていると、階下の階段から物音がした。人の足音が近づいてきてリズドーは乱暴を止める。
扉が開き、その金髪長身の見目麗しい騎士に見下されて俺は床の上で身じろいだ。

「大丈夫か?」
「……あっ、平気です…」

そいつはクレッドだった。私服で一般人に扮している。
弟は俺を見て眉をひそめ手を貸して引っ張り起こした。わざわざここに来るとは、少年が俺だともう気づいているはずだ。怒りに滾る表情を抑えてるのがわかる。

「紹介で来たんだが……青き秩序のだ」
「……おお! あなたもそうなのですか? どうぞどうぞ、素晴らしいお客様だ」

一転して態度を変えたリズドーは、弟が客だと信じ込みソファに案内する。

「おい君、茶を出して差し上げろ」
「はい」

俺はポットからお湯を注ごうと準備する。こっそり普通の茶を入れようとしたのだが、時間がかかっているのを短気なリズドーに睨まれ、奴は俺のそばに来てどんと押した。

「もういい俺がやる、どんくさい奴だな」

奴は勝手にあの茶葉を使いクレッドに出してしまった。
唖然とする俺だが、弟は怪しまれないためか普通にそれを飲んだ。

「なるほど。精神的にも精力的にも強そうなあなたのような人がね……不思議ですよ」

リズドーは思慮深く勝手に喋り、弟は茶をすすりながら奴をじっと見る。

「金は必要か? 俺は急いでいるんだ」
「おお、そうでしたか。しかしお金は要りません。これは慈善事業ですから。我々はあなた方をただお救いしたいだけなのです」

慈善事業? こいつらはおかしな宗教団体のつもりなのか。
それにしてもこんな施設まで用意しておいてタダなんて虫がいい話があるわけない。

「覚悟ができたら教えてください。それまで何度でもここに足を運んでいいですから」

男は弟にそう言い、似合わぬ善人らしい微笑みを浮かべた。

「そうか……それはありがたい言葉だ。……だが、ひとつだけ気になっている。最後はどうなるんだ? 俺は、安らかに、救われるのだろうか……?」

静かな弟の言葉にこの場の注目が集まる。

「ええ、もちろん……あの方の慈しみにより、皆、幸福の中であの世に旅立ちます。何も心配は要りませんよ、聖騎士どの」

リズドーは自分の言葉に高揚感を滲ませ告げた。
恐ろしい自白を聞き背筋が凍りつく。クレッドはそれを聞いて立ち上がり、奴を見た。

「分かった。俺も覚悟が固まったよ。また来よう」
「はい! ありがとうございます。ではお待ちしておりますよ。ーーおい、お客様を下までお見送りしろ」

命じられた俺は弟とともに部屋を出て階下へ向かった。裏口から外へ出て、二人は向き合う。

「クレッド、まじでやべえぞ。早く捕まえないと」
「ああ。今日でこの事業所は終わりだ。……兄貴の話はあとでな」

険しい表情で語る弟の焦燥は俺に向かい、頬をそっと撫でたあと、奴は団長の顔つきに戻った。
俺もマントを脱ぎ自分に戻る。建物から離れ足早に歩いていくと、ユーリが心配げに待機していた。

「ユーリ! 隊を呼べ、突入させるぞ!」
「……ああ! 分かった!」

奴は事前にクレッドと話をつけていたのか、すぐに転移魔法を使いそこから消えた。ほどなくして、路地裏の影から物々しい鎧をまとったソラサーグの団員らが行進してくる。

あっという間に奴らのアジトを取り囲み、静かな住宅街は喧騒に様変わりした。

「ソラサーグ聖騎士団だ! 大人しく投降しろ!」

剣を抜き一階にも二階にも騎士らが押し寄せ、なんの武力ももたない男達は次々に捕らえられ、「や、やめろ、離せ!」と抗いながら馬車に連行されていく。

まだ解決したわけではないが、リズドーから重要な証言は得られた。ここから騎士団の尋問が始まるのだ。
隊員らの指揮をとるクレッドを見やると、奴はふと遠くに視線をやった。何かに気づいたみたいで、目を怪訝に細める。

「あれは……あいつか?」

団長は部下に声をかけ、自分はすぐにその人物のもとに向かった。黒髪の若い騎士だ。アイルに聞いた特徴に似ている。

「だ、団長……!」
「モリス! 待て!」

駆け出したクレッドに恐れ、青年は逃げ出した。俺も慌てて二人を追いかける。しかし足が早すぎて、路地を走り抜けるうちに見失いそうになった。

突き当りの平地に出る。奥には緑に囲まれた川があり、若い騎士はそこを突き進もうとした。
クレッドが近づこうとしたとき、その場には待ち構えるようにファドムがいた。長めの黒髪に研ぎ澄まされた青い瞳の、第一小隊長だ。

奴は団長よりも先に部下に近寄った。

「……な、なぜあなたが……ファドム隊長……!」

騎士は怖気づいて後退るが、容赦のないファドムは彼の肩を掴み地面にどさりと押し付けた。

「ぐ……ッ」
「お前が心配でわざわざ来たんだ。それほど意外か? モリス。お前こそ何が目的であの場所にいた」

押さえられ騎士は無抵抗で歯を食いしばった。

「あなたに殺されるなら本望だ。殺してくれ……」

弱々しい声が聞こえてきて俺は胸が痛くなった。騎士の顔色や言葉は完全に病んでいるように感じた。

「馬鹿野郎が。大事な隊員の命を奪う上官がどこにいる。お前は何がそんなに苦しいんだ。俺には話せ、すべて」

いつもは無表情な隊長が悲痛に顔を歪め、部下の手を引いて起こした。その場に膝をつき、厳しくするどころか心に寄り添ってみえる。

「う、うッ……俺は、駄目な人間なんです……ッ……第一小隊にいる価値もない……あなたや、他の騎士達のように何かを成し遂げられることもなく、……一年前の、あの任務で……俺のせいで、彼らが命を落とした……後悔してもどれだけ心の中で謝っても、過ちは消えない……っ……俺は……消えたほうがいい人間だ!」

涙を垂らして嗚咽し始める騎士に、自分まで引きずられ目元がにじむ。この騎士は、任務での後悔を引きずって立ち直れなくなっていたのだろう。

「お前は必要な人間だ。必要でない人間など、俺の隊にはいない。……なぜそれが分からない。つらいなら休め。ただし絶対に戻ってこい。そのまま消えることは俺が許さん。俺達は一蓮托生だ。任務の後悔はお前だけのものじゃないぞ。俺も背負っている。隊長だから、口には出せんがな」

ファドムは騎士の頭を触り、ぐしゃりとなで上げた。

「団長。そうだろう。こいつは俺達に必要な人間だ。弱いから不要なんじゃない。仲間にそれは関係ないんだ。お前だから必要なんだ。それを一番に理解しろ」

奴の力強い言葉にクレッドが頷いた。

「そうだぞ、モリス。俺達の団に不要な者は誰ひとりとしていない。俺もファドムも、仲間のことを愛している。口が裂けてもそんなことは言えないが……騎士とはそういうものだ。モリス、お前も俺達の大切な仲間だ。だからどこにも行くな。……お前のことは、時間がかかっても俺達の場所に戻す。俺達は必ずそうする」

団長がそう熱のこもった言葉を告げると、騎士は大つぶの涙を流し、大人らしくなく声を上げて泣きじゃくった。
俺はクレッドの真っ直ぐな横顔を見つめる。奴の瞳は薄く濡れていたのが分かった。

部下の姿にここまで心が揺さぶれている弟を見たのは、初めてだった。




騎士は騎士団に身柄を確保される。
彼は特別な罪を犯したわけではないかもしれないが、聖騎士である身で犯罪組織に関わったことは事実だ。正式に調査が終わり次第、処遇は下されるようだった。

ファドムは他の騎士とともにモリスに同行し、俺とクレッドはともに馬車で騎士団領内へと戻ることになった。
向かいに座る奴は心ここにあらずといった表情で、小窓の外を見つめている。

弟にかける言葉がない。部下が人知れず苦しみ、あんな風な選択をしたと突きつけられたのだ。

「……兄貴……」
「……あ、ああ……」

突然弟の瞳が俺を捉え、俺は思わず腰を上げて奴の隣に座った。肩をそっと抱いて寄り添いたくなる。

「兄貴のおかげで、ここまで辿り着いた。ありがとうな。……それと、ごめんな。辛かっただろう、一人でこんな大変な任務に携わって……あの時は心配で、頭に血がのぼって、兄貴の真剣な思いをないがしろにしてしまった……」

悔いるように呟く弟の体をついがしりと支える。

「な、何言ってんだよ。俺は分かってるから、お前が俺のことすげえ考えてくれてるの。俺がわがままなだけだよ。今日だってお前が来てくれたからうまくいったんだぞ。あいつら捕まえて、騎士も助けてーー」

一生懸命伝えると、張り詰めていたクレッドはじわじわと力が抜けた表情になり、俺のことをぐいと胸に抱き寄せた。
その力の強さがこいつの色んな思いを物語っている気がした。

背中を優しく触り、しばらく言葉もなく二人で抱き合う。
人間は誰でも弱さを持っている。俺は物理的に弱いが、強く見える人間だって、底に抱えてるものは皆似たようなものなのだ。
だから人は、誰かを必要とするのかもしれない。


互いに黙って寄り添い、しばらく馬車に揺られていた。
だが、クレッドがふと何かを察知して腰を上げる。窓の外を確認して、すぐに前方の御者台にいる騎士に向かって戸を叩く。

「おい! どこへ向かっているんだ? 方向が違うぞ!」

え?
俺も何事かと窓の外を見ると、人気のない公園付近にゆっくりと馬車が停止した。クレッドは私服だったが、馬車内にあった長剣を持ち扉を開けて外に降りた。

俺もあとを追うと、夜になり薄暗い景色が目に入る。
そして御者台にいたはずの二人の騎士は、ゆらゆらと背を揺らしていた。

「なっ、様子がおかしいぞ」

俺達は彼らに近づく。すると騎士らはどさりと前の台に頭をもたれて倒れた。すぐさま弟が声をかけて意識を確認する。どうやら気を失っているようだった。

「やばい、敵襲かもしれねえ!」
「兄貴ーーそばを離れるな」

クレッドが警戒を最大限に強め俺を守りながら周囲を見守る。
しかし、暗がりから現れた人物に目を見張る。それは絶対にこんな場所にいるはずのない少年だったからだ。

「……お前、なにしてるんだ。アイル」

声が震える。予想もつかなかった。
不気味に佇む黒髪の少年が静かに近づいてくる。すぐに別人だと分かった。

「君か。術をかけたのは」

少年の声ではあるが、出し方がまるで異なり、寒気すら感じた。クレッドは剣を構え、俺を後ろに追いやろうとする。
だが俺は恐ろしさよりもこいつが肝だったのかと、うまく言えないもどかしさを早く払拭したかった。

「そうだよ、俺だ。あんた魔術師か? こいつを操ってるのか」
「くくく……この体を動かしているというのは事実だが……彼は数ある中の人形にすぎない」
「てめえ……ッ……何人殺しやがったッ! 目的はなんだッ!」

声を張り上げて怒りを表す。だがアイルの顔をした奴は無表情で俺達をただ見ていた。

「簡単に殺す、という言葉を使われるのは心外だ。私は彼らを救ったのだ。死にたがっていた彼らを、苦しみからすくい上げ、もう二度とこの苦しみの世に生まれ変わらないように……」

奴の声が脳に響いてくるかの如く、ぐらぐらと意識を揺らす。精神攻撃を受けているようで、俺は隣の弟に思わず掴まった。
近くでは剣が一層力強く握られ、まっすぐなクレッドの横顔が映る。

「お前は……何者だ。たとえ人が死を選ぶことになろうと、お前が命を奪うことは、ただの快楽にすぎん。救いではない」

クレッドがそう声を振り絞ると、アイルはその場にふらりと倒れた。俺達は身構える。後ろから人影のようなーーいや、真っ黒い闇そのもののような大きな塊が動いてきた。

「なっ、なんだこれは!」
「兄貴、動くな!」
「そう恐れなくていい。私はーー死神だが、死を望まぬ人間の魂は狩らない」

影の奥から発せられる不気味な声質に、俺達は愕然とする。
死神……? 嘘だろう?

「信じていない瞳だな。だが本当だ。自ら苦しみに喘ぎ、自分の意志で私のもとに命を捧げる人間の魂のみが、私が求めるものなのだ」

奴の表明を聞くうちに、俺は頭を抱え、どうしようもない気分に襲われた。人々はこいつの言う通り、渡された紙に記された場所に向かい、命を失ったのだろう。

その場面を想像するだけで、心がずたずたに引き裂かれるような思いがした。

「もういいよ……クソ野郎……消えろ……二度とこんな事するなっつったって、お前は聞かねえんだろうこのクソ死神がッ! 死ね! お前が死ね!!」

現実が重すぎて俺は発狂した。涙が止まらず打ちのめされていく。
クレッドが同じ怒りに滾った状態で向かおうとするが俺は力の限り引き止めた。こいつには敵わないからだ。少なくとも、俺達二人だけでは。

「他人のためになぜそこまで怒るのだ。死にたいと思う人間を止める権利は誰にもない」
「うるせえ消えろッ! 今日仲間が死にそうになってたんだよ! てめえのようなクソ野郎がいるから……ッくそがッ」

言葉にならず感じたことのない敗北感が襲う。

「ああ、分かったよ。消えればいいんだろう。どのみち君達を殺す気はないし、教会の聖剣でもなければ私を殺れない」
「ならばお前はいつか必ず俺が殺してやる」
「くくく……君が絶望に落ちた時になら、私のほうから会いに行こう。聖騎士」

そんな時は絶対に来ねえ。俺は恨みに歪んだ顔を上げた。

「お前、どうして現れた。わざわざ種明かしに来たのか。寂しがりやな死神だな」
「そうじゃない。君に言いたかったんだ。この人形を、大切に扱ってくれてありがとう、とね」

黒い影はゆっくり動き、アイルの体を覆うように曲がった。俺は反射的に「やめろ!」と叫ぶ。

「ただの人形なのに、君はやたらと話しかけ、これを気にしていた。私の術が時々影響を受けるほど、それはこれにも通じていたようだ。……だから処分するのをやめたよ」

影はそう言うと、煙のように空に舞い上がっていく。
俺とクレッドはそれを見上げた。最後まで無力感を感じながら。

影が消え去ると、俺達はアイルに駆け寄り容態を確認した。
人形だとか言っていたが、こいつは生きている人間だ。
数ある不幸の中でこの少年を助けられたことは良かったことだった。

「帰ろう、兄貴。奴はもう去った」
「ああ……そうだな。行こうぜ」

言葉少なに交わし、俺達は今度こそ騎士団領内へと帰路を目指した。



prev / list / next

back to top



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -