▼ 11 隠し場所
後日、初任務を終えて移動許可が下りたルカと共に、俺はある場所を訪れた。最初はまさかと思ったが、鬱蒼と茂る森にある木製住居の前にいる。
「……お前、馬鹿じゃねえのか。なんでよりによってこんなとこに大事なもん隠してんだよ……」
「俺の知る限り、お前の師匠のもとが一番安全だったんだよ。ほら入るぞセラウェ」
奴に強引に引っ張られ、すごく嫌々ながら師の玄関扉を叩く。ああもうここに来た時点で新たな事件勃発確定なんだよ。こいつはあの男と程よい付き合いしかしてないから分からねえんだ。
「おーい師匠、開けろ! 弟子の俺だよ! 居留守使ってんじゃねえぞ!」
苛立ちから偉そうにドンドン叩いても誰も出てこない。約束もしてねえし当然か。逆にラッキーかもと思っていると、やがて中から一人の男が出てきた。日に焼けた肌に黒髪の、これまたむさ苦しい男ナザレスだ。
「ああ……セラウェ。久しぶりだな。おっさんに用か」
「そうだよ。ってなんでお前人型許されてんだ。師匠いるか?」
やけにいつもよりテンションの低い奴を不審に思いながら、ひとまず中に入れてもらう。ルカが文献類を預けたのはもう四年ほど前で、ナザレスとは初対面らしかった。
「へえ、あのおっさん男に鞍替えしたのか? あんたパートナーってやつ?」
「気色悪いこと言ってんじゃねえ。セラウェのダチじゃなかったら蹴り入れてんぞお前」
クールにあしらうナザレスをじろっと見る。居間に案内した後頑なに動こうとしないし、やはり何かおかしい。
「なあ師匠どうした。まさかなんかやらかして捕まったのか? つうかお前、もしかして腹減ってんのか」
「……はは。あんたやっぱり優しくてよく気がつくよなぁ。そうだよ、すげえ腹空かせてんだわ。なあ、魔力くれねえか…? 少しでいいからよ」
急に目をぎらつかせ、奴が迫ってきたので顔を背ける。だがこんな野郎でも裏では可愛い黒兎なのだと考え、俺は仕方なく魔力を恵んでやることにした。
奴を座らせて額に手をあて、魔力供給をしてやる。奴の浮ついた顔がなんかむかついたがとりあえず終えた。
「あーっ……うますぎセラウェ……こってりしたおっさんの飲んでると胸やけしてくんだよな。その点あんたのはあっさり甘みがあっていくらでも吸いたくなるっていうかさぁ…」
「キモい言い方してんじゃねえ! ほらさっさとあの男呼んでこいよ!」
「……いや、それはよ……難しいっつうか。今だいぶ憐れなことになってるからな、メルエアデのやつ……」
髪をぽりぽりと掻き言いづらそうにぼやくナザレス。俺はようやく異常事態を悟った。普段なら俺等がここで色々好きにやってると絶対に現れて横槍を入れてくるはずだ。だがいくら待っても来ない。
「おっさんどこにいるんだ? 俺等も重要な用があるんだよ。会わせろ」
ソファでやり取りを傍観していたルカも何かを感じ取ったのか、真剣な面持ちで口を開いた。やがて観念したナザレスは俺らを師匠のもとに連れて行ってくれた。そこは一軒家の奥まった部屋のひとつで、広々とした師匠の自室だ。
ノックして中に入ると、眼前に信じられない光景が広がる。師匠の巨体が余裕で入る大きなベッドの上に、奴は横たわっていた。力なく天井を見上げ、獅子のような見事な金髪と同色の瞳は、朧気な雰囲気をかもしだしていた。
「……えっ? 師匠……? うそだろ……」
そもそも寝ているとこすら滅多に見たことない人間の、こんな無防備で生気のない姿を初めて目にして、俺は愕然とする。
「あんた、死ぬの……? うそだっ、いやだっ、死ぬな師匠ー!!」
叫んだあとに膝から落ち、師匠にすがりつく。
しかし怒りの鉄拳も飛んでこないことから、さらなるショックが襲った。
「……おい。寝てるだけで俺を殺すな、バカ弟子」
「し、師匠! よかった、喋れるのか……!?」
懐かしささえ感じてくる奴の低音を聞いて少しだけ安堵した。だが声に張りがなく、明らかに病気状態に見える。俺達は何故こんなことになったのか問いただした。風邪はおろか、毒にも呪いにもかかったことのなさそうな男だから見当もつかなかったのだ。
「あの女だ……俺から魔力を一時的に奪いやがった。あんのクソアマ……っ……一対一なら俺に敵うわけもねえ……大所帯の魔法師団つれて寝込みを襲いやがって……ッ」
怒りに滾る師匠を見て震える。とうとうやられたか、この男も。恨みは方方で買ってそうだから自業自得だとは最初思ったとはいえ、詳しく話を聞いて仰天する。
「なんだと? おっさん、ファルドゥーニが来たのか」
「そうだ。どこから知ったのか、お前が俺に預けた古文書を狙ってな」
俺とルカは顔を見合わせる。やっぱり、あの封印物と関連があったのだ。この間の任務できっとルカのことを詳しく調べたのだろう。でもこいつと師匠のことにまでたどり着くとは、本当に恐ろしい集団だと戦慄する。
「マジでやべえよ、そんであいつに渡しちゃったのか?」
「馬鹿野郎。俺が口を割るわけねえだろうが。文献は全部他の場所に隠してある。俺しか知らねえ場所だ」
奴の言葉に盛大に息を吐いた。さすが腐っても師匠だ。
こんな風に身を挺して約束を守るとはいいとこあんじゃねえか。
「だがここに来たってことはもう筒抜けかもしれねえからな、ルカ。お前に場所を教えるから取りに行ってこい。解除は出来んだろ」
「ああ、ありがとなおっさん。助かったよ。あの女がそこまでする理由は分からねえけど、すごいもんが隠されてんのかもしれねえ。急がねえとな」
ルカが魔術師の顔で意気込むと、なぜか師匠はハッと呆れたような息をもらした。
「じゃあセラウェ、俺はしばらく解読に当たるわ。完了したらお前も呼ぶからよ」
「おう頼むわ。そんじゃ俺は、しばらく師匠についてるよ」
ちらっとベッドの男を見やると、奴は変な顔をしていた。なんだよその失礼な面は、せっかく心配して世話をしてやろうとしてるのに。
「何か不満か? こんな状態の師匠放っておけないだろ。ちゃんと飯食ってんのかよ。トイレは? ナザレスにやってもらってんのか?」
「……馬鹿が。俺は老人じゃねえ。今は温存してるんだ。最低限の動きは出来る」
「ほんとかよ」
訝しむと師匠はゆっくりと体を起こして片手をついた。肩で息をしてるしマジでつらそうだ。魔力が減るだけでこんな状態になるのか?
疑問に思って問うと、師匠のように急に膨大な魔力を制限されると身体に異常をきたすらしい。その量が大きければ大きいほど反動が強いようなのだ。
「かわいそうに……確かにあんたはひどい奴だけど、ここまでしなくてもいいじゃねえかよ。あの学長、なんなんだ? 個人的な知り合いとかなのか?」
「別に……」
素っ気なく答える師匠の姿がやたらと弱々しく見えて、居た堪れなくなった。俺ですら怒りが湧いてくる。
ルカの師匠は殺されてしまったが、俺なんてこんな師の姿を見てるだけでどうしようもない気分になるのだ。
あいつの無念はどれほどだろうか。
胸のもやもやを感じながらもその後、俺達はルカを見送り一軒家に残された。
ナザレスは腹が満たされたからか、俺が留まることになって嬉しいのかやたらといつもの調子が戻ったようだった。
「なーなーセラウェ。あんたいつまでこの家にいんの? すげえ嬉しいんだけど。暑苦しい男二人暮らしに天使が入ってきたみてえだな」
「おい俺も男だぞ忘れんなよ。まあ知らねえけど、師匠が回復するまでは側にいてやるよ。お前も手伝ってくれよ、あのおっさん重いからさ」
「わかった、なんでも言えよ」
胸を張って笑う奴に調子が狂う。とにかく俺はさっそく家の家事を軽くしながらナザレスを従えて買い物に出たり、それから慌ただしい時間を過ごした。
病床まで食事を持ってって師匠に食べさせようとしたが、プライドが許さないのか師匠は躍起になって自分で食べていた。
そんな姿を見つめて胸が苦しくなりながらも、弟子として世話を全うしようとする。
夜になり、俺はあることを師匠に尋ねた。
「おい。あんたどんぐらい風呂入ってないんだ? 全然臭くないけど」
「……お前な、その失礼な口を塞ぐぞ。俺は綺麗好きだって知ってんだろうが。毎日シャワー浴びてるわ」
「でもめちゃくちゃ時間かかってるけどな。親切な俺が手伝ってやるって言ってんのに閉め出されてよぉ」
「うるせえお前は黙ってろナザレス」
口だけはいつものうるさい感じが戻ったようだが、憐れに思った俺は助けてやることにした。意外にも昔背中を洗わせていた過去があったためか、師匠も俺にはやらせてくれる事になった。
平時ならば互いにいい歳だしこんな場面は訪れないだろう。だが今はこの人は助けを必要としている。だから俺も気まずさを忘れて一生懸命大きな体を洗ってやった。
「なあ師匠。あんたが将来年取って自由が利かなくなった時も、俺がこうしているから心配すんなよ。あんたは嫌かもしれないけどな、俺はやるからな」
「……何言ってやがる。いつもは俺が助けてばっかだろうが。こんなものは一過性のもんだ。調子に乗るなバカ弟子」
はいはいと相手しつつ師匠の金髪も洗ってやる。黙っていれば男も惚れるほどの美男子なのに、その破壊的な性格からこの人は一人だ。愛する者もたぶんいないしこの先もそうだろう。
だから俺だけは、許せる距離感でずっといてやるつもりだった。
「セラウェ、お前……ルカの師匠が殺されたことに感化されてんだろ。安心しろよ、俺は死なねえ。……まあ、こんな姿じゃ説得力ねえけどな、今は」
「ばっ、そんなこと思ってねえよ別に。確かにあんたは殺しても死なねえし。……つうか死ぬなよ絶対! そんなのありえねえからな」
動揺して若干目が潤んできてしまった。この男が死ぬ時なんて俺は考えられない。普通に俺より長生きしそうだしな。
考えを悟られまいと話を変える。
なぜルカの師匠のことを教えてくれなかったんだと聞いたら、特に言わなくていいとあいつに言われたんだそうだ。
ルカはああ見えて責任感は強いほうで、いわば弟分の俺は心配かけまいと遠ざけられていたのかもしれない。
そんな話をしてるうちに、突然浴室のドアが粗雑に開いた。振り返るとなんと、ナザレスが全裸で普通に中に入ってきた。
俺は目が点になり、奴の下半身をつい目に入れてしまった。
「よおお二人さん。長くねえ? 何仲良く話してんの。俺も入れてくれよ」
「……てめっ、出てけよ! 呼んでねえんだよバカうさぎ!」
兎は何も悪くないが中身は同じだ。ついでに二人の体の逞しさも貧弱な俺には羨ましく映りなんかムカついた。
「まあまあ、おっさんが弱ってるときしかこんなチャンスねえだろ。…あれ? あんたなんで服着てんのセラウェ。濡れてんぞ、脱いじまえよ」
調子に乗った奴がきもいモノをぶら下げながら俺に近づいてくる。師匠はマジで力が出ないのか、いつものように凶暴な態度には出なかった。
「覚えてろよお前……俺が元気になったら最初に締めてやるからな……汚えもん隠せこのヤロウ」
声だけは怖く俺も若干びびる。ナザレスは余裕の笑みで「わーったよ。つうか俺等皆コレついてんじゃねえか」と宣いそのまま浴槽に飛び込んで「はぁ~最高の湯」と満喫していた。
「おい。そういえば、お前の弟はいいのか? ここに兄貴が入り浸ってるなんて分かったら、また悔しがりそうだな」
師匠が初めてその日小気味よく笑いを浮かべた。
「ああ? 後で連絡するから大丈夫だよ。心配いらねえって」
「……そうかねえ。はっ。俺だったら天敵が寝込んでたら絶好の機会と見て迷わず襲うがな」
「なんだと? あいつはそんなことしねーよ! 優しい奴だからな。あんたと一緒にすんじゃねえっ」
言いながらそわそわしてきた俺は、すくっとその場から立ち上がった。
「おっ、セラウェ。一緒に入る? ここ来いよ。俺の膝の上空いてるぞ」
「結構だ。もう終わったからお前あと師匠のこと頼むわ」
「えーっ。キレてるおっさんと風呂に二人きりにすんじゃねえよっ」
お前が勝手に入ってきたからだろうがと毒づきながら、俺は急いで脱衣所に出て体を拭いた。もうこんな夜になってしまった。早くクレッドに連絡しないと。
念のため昔使っていた俺の部屋に向かい、通話装置である魔石を取り出して弟に連絡する。もう仕事は終わってるだろうが、あいつは部屋にいるだろうか。
ほんの少しの間のあと、弟は通話に出てくれた。
「ーーもしもし? 兄貴か」
「クレッド! 悪い、もっと早く連絡したかったんだけどさーー」
安堵した俺は今日の出来事を包み隠さず弟に話した。一連の事件の進展もあるかもしれないし、またいつ学院側が攻撃してくるかも分からない。弟は真剣に聞いてくれて、納得もしてくれた。
「そうだったのか……それで、兄貴は今メルエアデのところにいるんだな?」
「ああ。ちょっと心配でさ。全然いつもの師匠じゃねえんだよ。まぁ口は達者で元気だけど。俺は任務も入ってないし、しばらくここで手伝ってやろうと思うんだ」
話していてなんとなく申し訳なさが募る。ただでさえ最近ルカとの付き合いがあり、弟との時間が減っていたのだ。何も言わない奴の優しさに甘えていたところもある。
「わかった。心配だしな、そうしてやったほうがいいと思う。でも、兄貴も無理、しないでくれ。俺は正直、それが一番気がかりだから……」
そう言ってくれたクレッドの優しい表情が浮かび、なんだか胸がぎゅっとなってきた。こいつ、師匠とは本当に仲が悪いし、どんな気持ちでそれを言ってるのだろうと思ったのだ。
今すぐ顔が見たくなった俺は衝動的に、「ちょっと待って、一回切るわ」と言って通話の魔力を切断した。
間際に「え?」と焦る弟の声が聞こえたが、すぐに転移魔法を使い、師匠の家から騎士団本部の最上階へと降り立つ。
光の粒が立ち込め、現れたのは驚く弟の姿だった。
部屋着で居間にいた奴は、魔石を手に立って話していたようだった。
「兄貴……! 来てくれたのか? 大丈夫か、今」
俺はこみあげるものを感じながらクレッドの胴に抱きついた。
いきなり何をしてるのだと思うものの、奴は驚きつつも俺のことを真っ先に腕に抱きとめてくれた。
「悪い、いきなり来ちまって……」
「いや。嬉しい。すごく」
頭ごと柔らかい手つきで抱擁され、ようやく俺は落ち着きを取り戻す。やっぱりこいつは俺の一番の元気の源だ。
「あいつ、そんなにまずい状況なのか?」
クレッドは心配した表情で俺を伺い、近くのソファに招いて話を聞いた。俺はこいつの顔がただ見たかっただけなのだが、心労が重なってここにやって来たと思ったのかもしれない。
「うーん……分からない。あんな師匠初めて見たからさ。まあ話によれば力は戻るらしいけど……俺、あの学長に会いに行こうと思って。だってひどいだろ、あのままじゃ」
話してるうちに、今思いついたことをつい喋ってしまった。こいつの顔を見て気が大きくなった感もある。
すると弟の顔色が変わる。
「ファルドゥーニにか? ……危険だ、兄貴。俺も行くよ」
「ああ、やっぱそうだよな。……って、ええ!? お前もっ? だめだよ、一騎士団の団長が行ったら誤解を招くかもしれねえし!」
「だが兄貴一人でなんて絶対行かせられないだろ。頼むから行くときは俺に声をかけてくれ。な?」
奴は真剣な様子だった。そんなつもりではなかった俺は困ってしまい、単純に師匠ごめんと思いながら迷い始めてしまう。
「なんでそこまでしてくれるんだよ、お前の立場もあるだろ。師匠のことは俺がなんとかするから大丈夫だって」
「そう兄貴が言うのは分かるが、兄貴の大事なことは俺の大事なことでもある。力になりたいんだ」
奴の真摯な決意を聞き口ごもった俺は、そっと髪を撫でられていた。
「でも、情けねえよ。いつもお前を頼ってばっかでさ…」
「何言ってるんだ、いつも兄貴を頼ってるのは俺のほうだ。毎日兄貴のこと思ってるぞ。俺の心の支えであり、力なんだ。兄貴は。……だからこそ、心配にもなってしまうんだけどな」
クレッドが遠慮がちに微笑む。対して俺は気恥ずかしすぎて言葉が出ない。気を使われてか、奴はこんなことを言い出した。
「そうだ。メルエアデのことで手伝える事あるか? なんでも言ってくれ。……まあ、あいつは嫌かもしれないが。俺がいたら」
自虐的に笑い、また言葉を綴っていく。
「……あ、別に弱った姿を近くであざ笑おうなんて邪悪な気持ちはこれっぽっちもない。本当だ」
マジで焦りながら弁明する弟が段々俺には面白く映ってきた。
「逆にそうしてくれたほうが師匠の負けん気も出るかもしれないけどな。でもよ。お前、無理してないか? そんな気使うことないぞ。あのおっさん元気になったら後悔するぞ」
「ははっ。そうかもな。……でもまあ、これは本音だ。あんな男でも兄貴の師匠だからな。元に戻って欲しい気持ちはあるんだ。自分でも不思議だが。不甲斐ないあいつはあいつじゃないだろう」
確かにその通りだと納得する。
なんだかこいつと話していて、気分が軽くなってきた。やはり俺も色々不安だったのだ。
「あー、お前がいてくれて良かった。力強いし癒やされるし……好きだぜクレッド」
「……本当か? 嬉しいよ、兄貴。俺の気持ちは……知ってるよな?」
そう言って弟は顔を傾け、俺の口元にそっと唇を重ねる。熱さが伝わり、俺は奴に抱きしめられたままキスをされた。
知ってるに決まってるだろ。
本当は最近ちょっと、寂しさもあったけど。
それは言わずに、俺達は束の間の二人の時間を味わっていた。
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