異母弟に会いたいと言われて。 | ナノ


▼ 5

やはり、ここに来たのは間違っていた。異母弟との距離が縮まることに喜びを覚え、気が緩んでいたのかもしれない。

ファースは夕暮れの中、停まっていた車に近づいてくる小綺麗な服装の女性を見た。フロントガラス越しに映った彼女の表情は、明らかにこちらに敵意を向けたものだった。

「ーーちょっと、うちの息子と何してるのよ! 出なさい、あなた誰!?」
「か、母さん、やめろ」

隣から身を乗り出すエリアンの焦る表情を確認し、ファースは青ざめる。女性は運転席の窓を叩き、かなり興奮していた。

「すみません、今出ますから、落ち着いて」

両手を上げてなだめ、シートベルトを外してゆっくりドアを開けた。外に出ると、弟の母親が怒りを露にして詰め寄ってくる。
それを止めようとしたのがエリアンだった。

「どういう関係なの、この子高校生なのよ! 最近連れ回してるのあなただったのね!」
「違うよ、やめろってば! この人は俺の……兄さんなんだ!」

叫んだ弟の顔は強ばり、悲痛に眉を寄せて母を睨んでいた。
女性はふらっと後ろに一歩後ずさる。ファースの顔つきと息子の顔をもう一度見て、声を震わせた。

「どうして、……黙って会っていたの? なぜお母さんに言わないの、……エリアン」
「言っても反対するだろう? 俺はどうしても会いたかったんだよ。……昔から、ずっと」

弟は悔しそうに茶髪を触り、ぐしゃりと掻き上げた。母の恨めしげな眼差しが分かっていたのだろう、彼も見つめ返し空気がこれでもかと張り詰める。

ファースはようやく口を開く機会かと様子を伺った。

「あの、すみません。迷惑なことは分かってます。話が出来たことが嬉しかったんです。俺、もう行きますから」
「……待ってよ、行かないでファース、大丈夫だから!」
「ーー何が大丈夫なのよ、あなたはまだ高校生なのよ、こんな不良そうな大人と付き合うなんて……!! 非常識だわ、何考えてるの!」
「やめ……ろッ、うるさいんだよ、何が分かるんだよあんたに……ッ」

ぎりりと奥歯を噛んだエリアンが激昂して母の肩を掴んだ。そのまま強い力が入るのを横目で見たファースは、咄嗟に弟の手首を掴み、ゆっくり離させた。

「……っ」
「おいおいおい落ち着け、暴力だけは駄目だぞ、とくに親にはな。あと子供もだ」

冷静な口調で伝えるが、心の中では望みもしなかった修羅場に息切れがしそうだった。自分の存在がやはり家庭に暗い穴を作ってしまった。弟のためにもそんな事にはしたくなかった。

真剣な様子と腕に入った力が伝わったのか、エリアンは戦意を失って手を下げた。母は肩を震わせながらその場に立ち尽くしている。

「母さんに何も言われたくない。不倫して家庭を壊したくせに。俺は自分の兄に会いたいだけだ。放っておいてくれ」

低い声で言い放ったエリアンに、ファースは額を抱えたくなった。しかし女の金切り声で目が覚める。

「不倫じゃないわ、私があなたのお父さんと正式に付き合ったのは離婚してからだもの! あなたの両親の関係はすでに悪化してたのよ、私のせいじゃないわよ! 前の奥さんは相当な癇癪持ちだって聞いたわ、あの人だってずっと我慢して、それで耐えられなくなったって言ってたんだから!」
「なんだと…? それ以上最低なこと言うな、このクソババアッ!!」

激怒する弟を反射的に後ろから押さえる。表情は淡々としていたが、ファースは彼女の言い分をさらりとは受け切れなかった。

確かにあの母親は問題がある。それは息子の自分が一番分かっている。しかし他人にそこまで言われるのは、不快感が湧いた。
どうしようもない女ではあるが、子供をその辺に捨てたままにするような人間ではないし、一応あれでも家族なのだ。

「いいよ、もう帰るよ」
「……な、ファースっ、ごめん、違うんだ」

エリアンが引き留めようとする。表情は、今まで見たことがなかったほど、真っ青で、唇を震わせていて、不安そのものだった。
きっと弟は自分が離れていくと思ったのだろう。

ファースは母親の前で思いきりエリアンを抱き締めた。
彼の腰が浮くほど、自分の力を見せつけて。驚く弟の頬に、チュッと音つきのキスまでして。
その上さりげなく、「何があっても離れねえよ、約束しただろ?」と耳元で甘い囁きまで行った。

弟の母親は唖然としていたが、気が済んだファースは彼女に一礼をして、その場から離れようとした。
顔が真っ赤になっているエリアンにも手を上げて口元で笑む。

しかし。最後に嵐がやって来たかと思われた。
車へ向かおうとしたファースに、スーツ姿の黒髪長身の男性が近づいてくる。
瞳に困惑を浮かべて、外で口論を繰り広げていた三人に目をやった。

「何をしてるんだ? こんなところで、皆ーー」

一番気まずい思いだったのはファースに違いなかった。なんとなく、何年も会ってなかった父親を前にどうすればいいのか分からない。

外見は中年らしく老けていたが、顔立ちは弟と似て整っていて、身なりも上品に見える。
しかし父はファースに向かってきた。全身を見つめられ居心地が悪い。

「……ファース。来てくれたのか? そうか……エリアンと話をしてくれたのか」
「ああ、そうだけど。もう行くからさ。悪いな、邪魔するつもりはなかったんだ」

そそくさと退散しようとすると、父親にも引き留められた。家に上がってくれと言われ、困り果てる。当然弟の母親の目も気になったし、自分の母親にも悪い気がした。

だが中々この男は強引で、少しだけだからと大きな一軒家に上げられてしまった。
機嫌のよろしくなさそうな母親は、モダンな居間でお茶を出してくれた。

こんな予定ではなかったファースは、最大の気詰まりを感じながら、先程よりも自分が隣にいることに安堵してそうな、まるで忠犬のような顔立ちで見てくるエリアンのことをただ思い、座っていた。

「私、ちょっと外に出てるわね。男同士、ゆっくり話でもしたらいいわ」
「……ああ、そうだな。そうさせてもらおう」

同じく居場所が不安定だと感じたのか、そう話した妻に夫が返事をし、また意外なことになった。 
弟の母親が去り、親子三人が残される。

ファースは重い空気を感じる。エリアンは気を遣って黙っている。
なにか喋ってくれと念じていると、スーツのジャケットを脱いだ父親が、ネクタイを緩めて穏やかな表情をした。

「悪かったね。何か言われたか? 気にしないでやってくれ。心配性なんだ」
「いや、別に。大丈夫だよ。なんとなく分かるから」

目線を動かし、ぶっきらぼうに答えた。母親の立場からしたら、心配なのは最もだろう。夫の前の家庭の子供が近づいてきたら。
自分の子と仲良くなるのも、面白くないかもしれない。

「親父はさ、やっぱり知ってたんだな。俺らが連絡取ってるの」
「ああ、いや……詳しくは知らなかったよ。最初に連絡先を教えたのは僕だったが」

椅子に背をつけ、若干言いにくそうな態度の父。隣のエリアンはもっとしまった、という顔をしている。

「気づいてたの、ファース」
「そりゃあな。住所知ってるの親父ぐらいだろ。でも二回引っ越してんのによく分かったな」

何気なく父親を見ると、彼は白状をした。
ファースは知らなかったが、引っ越しやら卒業やら、何かある度に両親は連絡を取っていたのだという。母親が自分に何かあったら、息子を頼めるようにと。

「彼女と会うことはなかったがね。教えてくれて感謝したよ。……お前にも会いたかったが、結局、あの遊園地の一度きりになってしまったな」

父は少し寂しげに過去を思い起こした。
ファースもその時のことは覚えている。十歳の頃だったか、学校の行事で遊園地に遠足に行った。上級生や友達と行動していたファースだったが、はぐれてしまい、乗り物の影のベンチに座っていた。

すると私服の父が歩いてきた。小さい子供と手を繋いで。
それは四歳のエリアンだった。覚えてないと思ったから、弟にこの話はしていなかったが。

「あ、お父さん。その子誰?」

ファースは当時から淡々とした子供で、言い方を代えれば喜怒哀楽が少なく冷めていた。
今なら偶然の可能性は低いと思うのだが、その時は普通に出くわしたと思ったのだ。

「ファースの弟だよ」
「ふぅん」

リュックをそのままにして立ち上がり、父親の膝の裏でもじもじしている男の子を見る。ファースはその子に声をかけた。

「ねえ、お母さんたち、喧嘩してない?」

少し身を屈めて尋ねると、彼は目を丸くした。でもすぐに首を振り、「ううん。してないよ」と答える。

「そっか。よかったね」

ファースはなぜかほっとして、笑った。ませた子供ではあったが、あまり深くは考えていない。ただ気になったことを聞いただけだ。

父は密かに仰天した様子だったが、エリアンに服の裾を引っ張られ、下を探した。

「お父さん…?」
「ああ。お兄ちゃんに挨拶しような、エリアンも」
「……うんっ。こんにちは、お兄ちゃん」

今さらそう言ってきた弟に、ファースは吹き出した。
それに、兄だって。意味が分かってないんだろうなと思った。

でも、不思議と反感は湧かなかった。
この子は元気そうだし、大丈夫そうだな。
そんなことを考えながら、この後わりとすぐに友達が現れるまで三人の時間を過ごした。



ファースは、この遊園地の出来事の一年ほど前に母に尋ねられたことがある。「父親に会いたいか」と。
両親は幼い頃に離婚をし、正直父親との記憶はなんとなくしかない。母より穏やかで、優しそうな感じ、という印象だけだ。

その時は「別に」と素っ気なく答えた。喧嘩の雰囲気だけははっきり覚えていたので、また親は口論になるだろうし、自分がその一因になるのはうんざりだと子供心に考えたのだ。
だから会うことはなかった。

「すまなかったね、ファース。僕のせいで……」
「謝んなくていいって。昔のことだ。それに俺、こんなピンピンしてるからさ。それより…」

今さら過去のことを掘り返したところで、振りかかることを受け流してきたファースに得るものはない。
そんなことよりも、父親に話したかったことはあった。

「こいつと連絡とらせてくれて、ありがとな、親父。中々いい奴だ。兄貴気分も悪くないぜ」

照れを隠すためにエリアンの肩を強めに叩き、隣の弟がよろけた。
端から見たら暗い話で、自分も相当変わってるかもしれないが、異母弟と仲良くなれたのは、自分の人生で思わぬ収穫だとすら感じていた。

正面にいる父も、あまりにカラッとした雰囲気の息子に驚いた様子だったものの、ふふっと笑みをこぼす。

「お前がそう感じてくれることは、僕も嬉しいよ。ありがとう、ファース。でもな、エリアンがどうしても兄に会いたいって、何度も伝えてきたんだ。お前の気持ちもあるだろう? だから悩んだんだが……結果的によかったみたいだな」

そう言って兄弟を微笑ましく見つめる父に、エリアンはまた口をつぐんで縮こまっている。
父はやがて椅子から立ち上がった。

「じゃあ、僕もしばらく席を外すよ。二人でゆっくり話すといい」

優しく声をかけて、また上着を羽織り玄関へ向かった。そのまま妻を探しに行くようだ。

人間関係は楽じゃない。ファースの心にも、男同士の間では問題がまとまった安堵はあったが、自分の母親にはこのことは言う必要はないと思った。少なくとも今は。

家族とはいえ、個々には気持ちもあるし、そっとしておいた方がいい事柄もあるのだ。

「よし、じゃあお前の部屋行くか。なんかすげえ罪悪感あるが、こんな上がり込み方して」

ははは、と弟を振り向くと、ようやく静かだった弟が動く。

「あっ、……うん! いや俺のせいだし、こうなったの……ファース、ご、ごめーー」
「ばあか。終わりよけりゃいいだろが。さあ早く案内してくれ」

弟と二人きりになり気分が大きくなったファースは、弟の背を引っ張り上げて、その背についていくことにした。



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