▼ 88 ロイザの居場所(白虎視点)
暗闇のあたたかい場所にいる。
慣れ親しんだ人間の肌は、なかなか心地よいものだ。
ドスドスと部屋の外から、オズが足を踏み鳴らす音が聞こえた。
「マスター、起きてください! お客さんですよ!」
俺の耳がピクリと動き、布団の中でもぞつくが、怠惰な主が目覚める気配はない。
さっきからずっと、すーすー寝息を立てている。
「……あっ、一人で大丈夫ですか? じゃあ俺下でお茶いれときますね、クレッドさん」
そいつの名を聞いても、俺は至って落ち着いている。表向きは。
内心何か面白いことが起きるんじゃないかと、期待は膨らむのだが。
扉が静かに開かれた。
大柄の男がそっと顔を覗かせる。
「兄貴……?」
気配を消して布団にもぐりこんだ俺に気づいてないのか、完全に油断している。
襲いかかろうかとも思ったが、我慢して大人しくした。
「起きて、兄貴。……家でもかわいい寝顔だな。ちゅーするぞ」
小僧の甘ったるい声に幻獣ながら寒気がする。
セラウェの心臓はとくとくと寝てる時の音のままで、まだ夢の中だ。
兄を襲うつもりなのか、小僧が上に覆いかぶさってきた。
セラウェが腕をぴくりと動かし、そのまま俺をぎゅっと抱きしめる。
「んー……ロイザ……気持ちいいお前……」
主がそう呟いた瞬間、場の空気にピシリと激しい亀裂が走った。
不気味に男が口を閉ざしたかと思うと、勢いよく布団を剥ぎ取られる。
ベッドに横たわった俺は、セラウェの細い腕に巻きつかれていた。
ちなみに片足も俺の胴体に乗っている。
「貴、様ぁ……ッ」
甘い雰囲気はどこへ行ったのか、怒りに燃える奴の蒼い瞳が小気味よい。
「なんだ? 俺と主の安らぎの時間を暴き出すな、小僧」
格上の余裕を見せつけ、ゆったり半身を起こして告げた。
とっさに人化しなかった事は、俺の優しさだ。感謝するがいい。
「んん……な、に……もう朝…? ロイザ……」
「いや、もう昼だ。セラウェ。起きるか?」
「……んー……もうちょっと……俺まだねむ」
「兄貴!! 起きろ!!」
「へっ…………うわああぁぁぁッ」
セラウェが飛び起きた。
いつもは起きてすぐ半分の目が、ぱっちりと弟の面を捉える。
「え? え? クレッド? 何やってんの、俺の部屋で」
「オズに昼食に招かれただろ。やっと起きたのか兄貴。……ていうかいつもこんな風に寝てるのか」
膝をつき、ふてくされた顔で兄の頬をしつこく撫でている。
主は途端に不抜けた面構えをした。悪いことをごまかす時の表情だ。
「いや、別に、これは誤解で……だってさぁ、俺モフモフ好きで……こればっかりは……」
「そうだぞ小僧。人の趣味にケチをつけるとは、お前何様だ。俺達の長年の習慣に口を挟むな」
「んだとこの野郎、えらそうに……だいたいいくら獣と言ってもな、兄貴、そんな格好で……ーーは? なんだこれ、ガウンの下、何も着てないのか…?」
ぴらっと服の裾をめくった弟に、主の絶叫が響き渡る。
共鳴する俺の心にも衝撃が伝わった。
「やめろ馬鹿ッ! 見えちゃうだろうが!」
「バカはどっちだよ兄貴! 信じられないぞほぼ裸で! 初めて家行った時と同じ格好じゃないか!」
「うるせー! 平気だよ別に、こいつただの動物なんだからッお前考えすぎなんだよ変態すけべ!!」
「男は皆すけべなんだよ、この獣だって本当はいけ好かない男の姿してるんだぞ、安心できるか!」
「おい。あれは社会生活を円滑にする為の仮の姿であり、俺の本来の姿は白虎だ。勘違いするな」
「うるせえ黙ってろクソ白虎!」
小僧が口汚く俺を罵る。
ほう。この男、兄の前では普段いい子ぶった振る舞いをしてるようだが、どうやら荒々しい雄の姿も隠し持ってるらしい。
まだまだ楽しめそうだ。
一段高い所から今後の展望に思いをはせていると、ようやく兄弟喧嘩が終了したようだった。
二人がはあはあ息をつきながら、見つめ合っている。
「……悪かったよ、クレッド。……でもこの格好は譲れねえ。パンツ邪魔なんだ。見逃してくれ、頼む」
「…………そうか。確かに俺と寝るときも履いてないよな。……けどな……」
「なんだよ、怒ったのか? もう怒んなってば。他のことなら譲歩するから。なぁ、クレッド……ゆるして」
セラウェが甘い声を出している。
めったに聞けない声色だ。この小僧は、それほどの価値があるというのだろうか。
「仕方ないな……俺のわがままだって分かってるし……今は我慢する」
幼い顔立ちを作り、主を抱きしめる小僧。こいつは何様だ。
しかしセラウェはほっとした表情になり、満足げに腕の中に収まっている。
「ありがとクレッド。お前優しくて好きだ」
「……俺も大好き。兄貴のこと」
二人の周りを生温かい空気が包み込む。
さっきまで激しい言い争いをしていたというのに、互いに愛を囁き始めている。
これは一体何なのだ。
疲れを知らない幻獣が、こうも疲労を感じるとは。ついていけん。
「げっ。ロイザいたんだった。……あんま見んなよ、恥ずかしいだろっ」
「ふっ。俺とお前の仲でいまさら何が恥ずかしいんだ? 心が常に繋がり合ってるというのに」
「…………兄貴。俺やっぱりこいつムカつくんだが。なんか一々癪に触る奴なんだよな」
それはお前も同じだ、と高貴なる白虎の視線で告げてやる。
そもそも自分の居場所を半分明け渡してやってるのは、俺も同じなのだ。
少々頭のおかしい小僧も馬鹿ではない。重々その事を承知しているはずだがーー。
「じゃあ下いこっか、兄貴。そうだ、忘れてた」
無邪気に告げた後、俺の前で兄の頬に接吻をした。
また主の心がぐうと収縮し、顔が真っ赤に染まる。
「なっなんだ? ばかお前っ」
「口じゃないんだからいいだろ。ほら早く起きて」
セラウェの手を引き、俺をちらっと視界に入れて「どうだ」と雄々しい顔を見せる。
……やはりこいつは馬鹿かもしれん。というか子供だ。
呆れて重くなった腰を持ち上げ、俺は部屋を後にする二人についていった。
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