▼ 1 素直な兄 (弟視点)
今日は兄が三日ぶりに、あの男の家から帰ってくる日だ。
団長としての業務を無心で務め終え、俺は急ぎ足で自室へ戻った。
早く兄の顔が見たい。この腕に抱きしめたい。
そわそわしているとベルが鳴った。
もう来てくれたのか? 瞬時に嬉しくなったが、いつもは合鍵で入って来るのにおかしい。
「兄貴?」
扉を開けると、信じ難い光景が俺を待ち受けていた。
「あっクレッドさん、こんばんは〜……」
口を開いたのは兄の弟子のオズだ。
だがその隣には、褐色の男に抱っこされ、首に腕を回して寝入っている兄がいた。
「なに……してるんだ……あに、き……」
茫然自失で問いかけると、オズが隣の男を肘で小突いた。
男は兄の使役獣の白虎だが、人型をしている。
「おいロイザ! 早くマスター起こせよ、クレッドさんがショック受けてるだろ!」
「俺に言われても困るな。こいつがずっと離さないんだ」
口論する二人の間でもすやすやと眠っている兄を見て、俺は倒れそうになるのを堪え腕を掴んだ。
「兄貴起きろよッ」
ぐいっと強引に引っ張ると、「んんー」と寝ぼけた声を出して兄が顔を上げた。
半目で俺を見たかと思えば、途端にぱっと表情が輝き出す。
「クレッド……!」
そのまま腕を使役獣から離し、俺の方に手を伸ばして体ごと移ろうとしてきた。
慌てた俺は、癪なことにそいつから兄を譲り受ける様にして抱きかかえた。
兄は俺の首に手を回し、顔を頬に擦り付けてくる。
「ど、どうしたんだ兄貴」
明らかに様子が変だ。動揺しているとオズが深い溜息をついた。
「マスター、あんた恥ずかしくないんですか、男から男に渡り歩いて。……あっ、クレッドさん。そういう事なので、マスターが正気に戻るまでしばらく預かって下さい。よろしくお願いしますっ」
早口で告げ早々と立ち去ろうとする弟子を引き止める。
「オズ、どういう事だ。兄貴に何があった?」
「いやそれは……俺もよく分かんないんですけど。お師匠様の家で秘伝の術の実験体になったらしくて。あ、でもいつか元に戻ると思いますから」
弟子が引きつった笑顔で告げる間も、兄はむにゃむにゃと俺に抱きついている。
二人の前で恥ずかしがり屋の兄がこんなこと、普通は有り得ない。
「あの男、やっぱり兄貴に妙な真似を……ッ」
兄の師に対し猛烈な怒りを吐き出すと、怯えたオズが使役獣の腕を引っ張り「お邪魔しました!」と叫んで逃げ去って行った。
部屋に戻り、居間のソファに降ろそうとする。
だが兄の腕は俺の首に絡まったまま、離そうとしない。
「兄貴、大丈夫か?」
「平気だよ。でも俺、お前から離れたくない」
ほんのりと顔を赤らめて、じっと目を見つめてくる。
どうしたんだろう、こんなに素直に気持ちを伝えてくれるなんて。
どきどきしながら俺は兄を抱き上げ、ソファに腰を下ろし、俺の膝の上に座らせた。
恥ずかしがって逃げるだろうと予想したが、兄は俺にぴったりと寄り添い身を預けてきた。
「……兄貴、寂しかったのか?」
「うん。ほんの何日かなんだけど、長く感じた」
「俺もそうだよ。一日でも兄貴がいないと、だめなんだ」
耳元で告げると、ぎゅっと抱きしめられた。頭を撫でられ、急に照れが襲ってくる。
俺が黙っていると、微笑みを浮かべた兄が顔を覗き込んできた。
「可愛い、お前。やっぱ好き……」
ゆっくりと顔を近づけられ、そのまま兄に唇を奪われた。
甘い言葉と行動に不意を突かれてしまう。
うっとりとした表情で、短いキスが繰り返される。
あまりの愛らしさに、俺は兄の体を支えたまま、ぼうっと身を任せていた。
だが兄の積極的な振る舞いは、それで終わりじゃなかった。
「はぁ、はぁ、俺……お前とえっちなことしたい」
「……え!?」
驚きのあまり大声を上げてしまった。
兄がきょとんとして見上げる。しかしすぐに俺の胸に顔を埋め、甘える仕草をする。
「なあ、駄目? 俺もう我慢できない」
情けなくも固まる俺に、猫のように体をすり寄せてくる。
ーー駄目なわけがない。むしろ望むところだ。
まっさらな頭に卑猥な思考が一瞬にして舞い降りるが、ひとまず冷静になった。
やっぱり兄がおかしい。
メルエアデにかけられた秘伝の術とは、一体何なんだ。
まさかとは思うが、奴の家でもこんな状態になってたんじゃ……
「兄貴。あいつの家で何したんだ? ひどい目に合わなかったか?」
「えっ。ううん。楽しかったよ。師匠、すげー優しかったんだ」
嬉しそうに話す兄を見て訝しんだ。
兄はメルエアデと過ごした数日のことを語り始めた。
遺跡めぐりなどの冒険をし、家では豪勢な食事を振る舞われ、ゆっくり過ごせたと満足そうだった。
心の狭い俺は若干の腹立たしさも募ったが、兄が例のごとく奴に過剰に世話を焼かされることがなかったと知り、胸を撫で下ろす。
だが問題はその後だった。
「そんで師匠、俺がクレッドのこと本当に好きなのかって何度も聞いてきて、そうだよって何回も教えたんだ。怒った顔してたから、師匠のことも好きだよって言って抱きしめてあげたんだよ。そしたらーー」
ぺらぺらと勢いが止まらない兄の言葉に、驚愕する。
好きと言って抱きしめた、だと?
「なに、してるんだ兄貴、そんなことしたら駄目だろッ」
一気に頭に血が上り、理屈も何もないまま怒鳴り散らした。
すると兄は目を丸くした後、何故かすぐに笑顔になった。
「なんだよクレッド。焼きもち焼いてるのか? お前可愛いすぎ」
「……そ、そういうんじゃなくて」
兄の指摘は事実だが、腹の虫が収まらず目を逸らした。
ここまでの流れでなんとなく推測ができた。
今の兄は、術によっていつもより素直で、正直な言動を取ってしまっているのかもしれない。
きっとメルエアデの目論見に違いない。
俺は深いため息をついた。
兄が悪いわけじゃない。術をかけた奴が悪い。
「機嫌直せよ、クレッド。俺が一番好きなのは、お前だよ」
俺の髪を撫でて、あやすように優しく声をかけてくる。
嬉しい。俺だって好きなのは兄貴だけだ。
でもまだ複雑な気持ちがおさまらず、無言で兄に抱きついた。
兄は小さな吐息を漏らし、ぎゅっと体を密着させてきた。
そのまま抱き合っていると、もぞもぞと体を動かし始める。
「クレッド……まだ?」
耳のそばで色っぽく尋ねられ、意識が揺らいでいく。
しかし兄はたたみかけるように、俺の耳たぶをぱくりと口に挟んだ。
小さな舌の愛撫を受け、身が悶える。
「あ、兄貴……っ」
「お前ここ弱いよな、すぐ真っ赤になって、可愛い」
くらくらしてきた。
こんなに積極的にきてくれることは、数えるほどしかない。
自分の中で邪な考えが沸々と湧き出す。
ふと昔のトラウマを思い出した。
あの時も兄の師によってかけられた術のせいで、兄は普段と違う行動をとり、翌日には記憶が全て無くなっていた。
今回もそうなるのだろうか。
いや、もし忘れてしまうんだったら、普段お願い出来ないこともしてもらえるんじゃーー
大切な兄に対して何を考えてるんだ俺は。
最低だ、そんな聖騎士にあるまじき行為。
今までの行いを棚に上げ、さらに妄想が止まらなくなる。
けれど自分の不埒な思考は全て、こんなに可愛く、色めき立った兄のせいだ。
「早く、俺として……クレッド」
もう一度兄の淫らな誘いを受け、俺は即座に雑念を振り払い、決心した。
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