▼ 53 酔っぱらい兄
俺はその夜珍しく、吹き抜けの広い空間に大勢の客が賑わう、大衆酒場にいた。
そして隣には、生意気な年下の黒魔術師イスティフが座っている。
そう。俺たちは同僚として仲良く仕事終わりの酒を楽しんでるーーわけではない。
今日は騎士団の奴らが主催した、『祝・大規模任務終了パーティー』なのだ。
わいわいガヤガヤ楽しそうな騎士たちを冷めた目で見ながら、俺はグラスの酒をちびちび飲んでいた。
「イスティフ。お前全然飲んでねえじゃん。酒代はあいつらの奢りだぞ、飲まないと損だぞ。一番高いの頼めよ」
「……兄ちゃん、馬鹿か? 飲みすぎてあんたみたいにぐわんぐわんになったら、ナンパ出来ねえだろ。俺には計画があんだよ」
妙に真面目な顔でテーブルに頬杖をつき、鋭い眼光を店内に配らせている。
ナンパって……。やっぱおちゃらけたこいつとはソリが合わねえ。
「くっだらねえな。お前は見境無しか? 一応同僚と上司の前だぞ。よくもそんなことが……」
「皆酒が入ってて周りなんか見てねえよ。ほらセラウェ、あっち。ハイデルも女の子に囲まれてるぞ。あ〜羨ましい。良いよなぁイケメンで騎士で団長だもんなぁ。そりゃモテるわ」
俺も暗いイメージの魔術師なんかやめて騎士になりゃ良かったわ、などとイスティフは溜息を吐いた。
だが俺は奴のセリフに違う意味ですんげえ落ち込み気分が襲って来た。
そうだ。
俺の弟、クレッドは酒場の隅にある幹部席で、他の騎士達とひっそり酒を嗜んでたにも関わらず、いつの間にか女性に取り囲まれチヤホヤされていた。
くそ。俺はまたこんな嫌な光景を目の当たりにしなきゃなんないのか。
悪夢が蘇る。
あのみっともない嫉妬事件。あれだけは繰り返してはならない。
今の俺たちはさらに強い絆で結ばれ、愛し合っているのだ。
ちょっと女の影があったところで、俺の心はびくともしない。
「ねえねえ、やっぱりハイデルさんっていつ見ても素敵よね〜恋人いるのかしら」
「そりゃいるでしょう、居ないわけがないわよ。でもそれでもいい! あの方の側にいられるなら二番目でも三番目でもいいわ!」
「きゃー! 私もー!」
テーブルの間を颯爽と通り抜けた、娘たちのお喋りが聞こえた。
恋人? ここに居ますよ。
あいつは複数人と付き合うような男じゃないけどな。俺だけだけどな。
ムカムカしながらグラスの酒を何杯もあおった。
横目で弟を確認しようとすると、女たちに埋もれて姿が見えなかった。
「くそっ!」
「おいおい兄ちゃん、弟との格差に腹立つのは分かるけどさ、飲み過ぎだって。顔真っ赤だぞ?」
「うるせえッ。お前だって結局ナンパ成功してねえじゃねえか、俺と同じ地味グループって認めろよ!」
訳の分からない絡み方をし、時折「はいはい。分かった分かった」と年下の男になだめられたが、俺はグラスを口に運ぶのを止めず、気がついたら泥酔状態になっていた。
「ひっく、……ひっく……はぁ……俺、酔っちゃったみたい、……あはは」
テーブルに顔を突っ伏し、熱くなった体をわずかでも動かそうとする。
だがふわふわと意識が飛んでいき、ちゃんと力が入らない。
「えっ。もう? 早すぎだろセラウェ。あー、ほら、じゃあ酒は終わりな」
「いやだっ! まだ飲むんだっ!」
なぜか俊敏に起き上がった俺は、取り上げられそうになったボトルをひしと胸の中に抱き、イスティフに牙を向いた。
「はぁ? 駄目だって、あんた弱えじゃん。ぶっ倒れるぞ。どうすんだこれ……そうだ、向こうのロビーで休んどけよ。俺が連れてってやるから。な?」
そう言って黒魔術師は立ち上がり、俺の腕をぐいっと引っ張ろうとした。
「んあぁ! 何すんだよっ、ここでいいから! まだ休みたくないってば、……ああっ!」
揉み合ってるうちによろけてしまい、奴の胴体に事故的に抱きつくように掴まってしまった。
「ほれ見ろ、全然大丈夫じゃねえし。いいから行くぞ」
肩を抱かれ、無理やりその場から連れ去られようとした時、なにかおかしいと気がついた。
いつもだったら、俺が他の奴に絡まれてると、あいつがすぐに来てくれるのに。
また無視かよ。
酔った頭でも、そんな傲慢な考えがはっきりと頭に浮かび上がる。
……もういいよ!
脳内で勝手にブチ切れた俺は、イスティフの腕を振り払い、走り出した。
「ちょ、兄ちゃん! 走んなって、どこ行くーー」
「クレッドのとこだっ」
子供のような振る舞いで叫び、俺は宣言通り弟たちが飲んでいる遠くのテーブルへと向かった。
女性たちに「ちょっとすみません」と背後から亡霊のように声をかけ、道を空けてもらう。
しかし、そこにはいつの間にか、他の騎士たちの姿はなかった。
丁寧な微笑みを顔に張り付かせたままのクレッドが、たった一人でたくさんの女性の相手をしていたのだ。
突然現れた俺に気づき、目を丸くする。
「兄貴……!」
「クレッド。俺一人じゃつまんない。お前と一緒に飲みたい」
その光景を見てきっと目が据わっていただろう俺は、ずんずんと前へ進み、長椅子へ座る弟の隣に、無理やり腰をおろした。
女性たちの「こいつ誰だよ」的な唖然とした視線が突き刺さるが、酒ってほんとに恐ろしい。
全てがどうでもよくなり、自分の欲求第一になるのだ。
俺は弟の腕に捕まり、上目遣いでその蒼い瞳を見上げた。
「なぁ、駄目……?」
「駄目じゃないよ、兄貴。来てくれて嬉しいな。一緒に飲もう?」
なんとクレッドは途端に目元を緩ませ、まるで俺を邪険にすることなく、優しく笑いかけてくれた。
当然周りはざわつき始める。
「ハイデルさんのお兄様? 本当に?」
「ねえ、びっくり。弟さんかと思ったわ。でも、なんだか……可愛いらしくない?」
「そうそう、顔が赤くなってて、可愛い〜」
はい?
なんか変な言葉が聞こえてきたんだが。
まぁ明らかにリップサービスだろうが、そう言われて悪い気はしない。むしろ稀少な体験で少し嬉しかった。
俺は酔っ払い状態だったので、適当にぺらぺらと愛想よく彼女たちに挨拶をした。
だが調子にのった俺の肩を、隣の弟が強く抱いた。
「ええ。俺の兄は酔うとすごく可愛くなるんですよ。素面でも十分可愛いけれど」
他人の前で甘い言葉を連呼され、頭がぐらついた。
こいつ……何考えてんだ?
でも弟に言われるのは特別で、すげえ幸せな気分になる。
「何言ってんだよ、恥ずかしいこと言うなって……っ」
「本当のことだろう? ああ、でもやっぱりちょっと飲み過ぎだな。俺は心配だ、兄貴。少し休んだほうがいい」
なぜかきゃーきゃー言う女性達の好奇の目に晒されながら、俺を抱き寄せすくっと立ち上がった弟に、手を引かれた。
テーブルから離れ、手を繋いだまま店内を横断するが、男たちの笑い声や喧騒に包まれた中で、誰も俺達を気に留める者はいなかった。
奥の廊下へと進み、人気のない階段の上へと連れられる。
「クレッド、どこ行くんだよ」
まだぼんやりとして階段に足がひっかかり、倒れ込みそうになると、弟が慌てて俺をしっかりと抱きしめた。
俺と同じ段差まで来たクレッドは、突然俺のことを後ろの壁に押し付けてきた。
さっきまでの笑みは抑えられ、真っ直ぐな瞳で見つめられる。
「兄貴。何考えてるんだ? あんな可愛い振る舞い、外でしたら駄目だよ」
そう言って、顔を傾け、ゆっくりと唇を俺の口に重ね合わせた。
外でいきなりキスをされ、びっくりして固まる。
「んっ、ん」
制服の袖を掴み動きを止めようとするが、口づけは強まるばかりで、息をするのがやっとになる。
舌が入ってきたところで俺は奴の胸を押しのけようとした。
体が離され、息を荒げた様子で見下ろされる。
「な、何してんだ。誰か来たらどうすんだって」
「だって我慢できない……あんな顔で、見つめられたら」
余裕のない声を漏らし、真剣な目に捉えられ必死に抵抗する。
だが弟の力強い胸板に挟まれ、全然抜け出せない。
「待って。もう少しだけ、いいだろ。兄貴……」
「んあぁ……だめ……だっ」
「どうして? もう酔い覚めたのか? つまらないな……さっきみたいに、俺に迫ってよ」
掠れた声音で囁かれ、ぐっと腰に腕を回された。
俺は別に酔いは覚めてない。
俺だって、弟の表情とか声とかそういうのに、欲情する時があるんだ。
揺らいだ理性に身を任せ、諦め混じりで自分から体を寄せた。
「……じゃあ、もっとキス、して」
「ん…? 分かった、……もっとするね」
安心したようににこりと笑んだ弟に、髪を撫でられ、びくんと肩を震わせる。
抱き合いながら熱い唇を、何度も交じらせた。
いつ誰に見つかるか分からない場所で、こんな事を続けていいわけがない。
クレッドは俺の首筋に顔を埋め、ちゅぅと吸いついてきた。
家にいる時よりも興奮状態で、痕がついてしまいそうなぐらい執拗にされる。
でも俺はそんなにも弟に求められている事が嬉しくなってきて、気がつくと夢中でしがみついていた。
「はぁはぁ……もっと、……ん、んっ、可愛いって、言って……っ」
普段は絶対に言わないようなお願いが、口をついて出てしまう。
顔を上げた弟は耳まで赤く染め上げていた。
「あぁ……かわいい、俺の兄貴……すっごくかわいいよ……」
うっとりした表情で目元まで赤らめ、またきつく唇を塞ぐ。
もっと近づきたくなり、服が邪魔だとでもいうように、互いの体をぎゅうぎゅう押し付けた。
立ったままでも腰が重なると弟の高ぶりを感じる。
治めることなんて出来ないのに、俺は止めたくなくて両腕をクレッドの首に回し、無我夢中で口づけを求めた。
その時、ガタン、と物音がした。
階下の廊下から、数人の男たちの賑やかな声が響いてくる。
動きを止めた弟の腕の中で、俺は心臓バクバクで息をひそめていた。
クレッドは静かに俺の手を握り、さらに上階へと誘った。
薄暗くしんとした階段の最上段で、腰を下ろす。隣に座ろうとすると、腰を引っ張られ開いた足の間に座らせられた。
「うあっ」
「こっちのほうがいいな……もっと続きしよ、兄貴」
後ろから抱かれて首にキスされ、びくついた身をよじり、顔を向かい合わせた。
また自然に口づけを交わし始めてしまう。
舌を吸われる苦しさに、息も絶え絶えになりながら、俺は懸命に自分の舌も絡ませた。
「ふぁ、あ、くれっど……きもち、いい……」
「……うん、俺も……だよ、兄貴の口、気持ちよくって……何も、考えられなくなる」
息継ぎの途中で、弟がキスに甘い声をのせて囁いてくる。
まだふわついた心が、二人で唇を触れ合わせているだけで、徐々に満たされていく。
ずっとそうしていたくて、クレッドと離れたくなくて、俺はただ腕の中に火照った身体を預けたままでいた。
それはやがて弟が焦れたように「もう家に帰ろう? ここじゃ無理だ」と焦燥の顔つきで俺に告げてくるまで、長く長く続けられたのだった。
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