ハイデル兄弟 | ナノ


▼ 3 洗濯する兄

「あーもう、マスターってばまた服脱ぎ散らかして。靴下とか下着とか、廊下に落ちてますよ! ……あれ? これ、誰のだ? ロイザのでもないな……」

洗濯室でいそいそと作業している俺の背後から、騒々しい弟子の声が聞こえてくる。
だが今、俺は珍しく手が離せない。

大きな丸い桶に水魔法で水を注ぎ、渦巻いた水流を作っている。
中にはすでに衣服と洗剤も入れた。
そう、俺は騎士団領内の仮住まいで、自ら洗濯しているのだ。

「うわっ何してんですか。洗うものがあるなら俺やりますよ」
「ああオズ。いや、これはいいんだ。クレッドのだから」
「……えっ?」

右手をかざしながら魔力を投入し、真剣にすすぎ洗いをする。

「じゃ、じゃあこれクレッドさんの下着? うわぁどうしよう!」

妙に色めきだった声を上げて、俺の弟の下着を握りしめる弟子をキッと睨みつける。

「おい何いつまでも触ってんだ、早くこん中に入れろよッ」
「はいはい分かりましたよ。ただの冗談でしょ」

呆れ顔でこぼし、オズが洗濯桶にポイっと衣類を投げ入れる。

「マスターって結構世話好きなんですね。甲斐甲斐しく洗っちゃって……」
「ああ? うるせーな。あいつが家政婦に洗ってもらってるとか言うから、普通に腹立つだろ。他人だぞ?」
「俺だって他人のマスターの身の回り全部やってますよ」

ジト目で言われ、冷や汗が流れてきた。
え、なに。なんか俺に不満があるの?
ここに移り住んでからというもの、最近あんまり師として修行の面倒とか見てなかったからかな。

「そ、それはさぁ。一種の伝統だからね。俺も師匠のこと全部やってたからね、はは」
「別に良いですよ。俺家事好きですから。でもマスター面倒くさがりでしょう、それなのにクレッドさんの事やってあげてるなんて……ふっ」

オズがにやついた笑みを見せた。
この野郎。やっぱ俺のこと馬鹿にしてやがる。
そりゃそうだよな、こんな姿を弟子に見られるなんて、完全に頭が湧いている。
その前に弟との関係がバレた上で普通に日々を過ごしているのも、相当イカれた状況だ。

でもいっか、俺今すげー幸せだから。

「ははっ……」
「なに? マスター気持ち悪っ」
「うるせー! さっさと出てけよ邪魔すんな!」
「いや俺も今からここ使うんです。ていうか、クレッドさんの服どこに干すんですか? うちもう空いてる場所なくて」

オズに困り顔で告げられる。
確かにこの地下の洗濯室と外のバルコニーは、すでに他の服で埋まっていた。
風魔法で乾かすことも出来るが、俺は外で日干しされた良い匂いの洗濯物が好きなのだ。
同じ家で育った弟もたぶんそうだと思う。

「じゃあいいや。クレッドのとこで干すわ」

何気なくそう決めて、全て洗い終わった後、騎士団本部内にある弟の自室へと向かった。






大きなカゴに洗い終わった衣類を入れ、転移魔法で扉の外に着いた。
ちゃんと物干し用のスタンドも重いけど持ってきた。
鍵を開けてすぐの居間を通り、外のバルコニーへと向かう。

日の光を全身に浴び、弟の服を一枚一枚愛情を込めて干していく。
ふと、下方に広がる庭園を闊歩する騎士たちの姿を見かけ、俺は一体何をやっているのだろうと自問する。
だが浮かれ気分の今の俺には、さしたるダメージもなかった。

「よし。終わったぁ!」

満足げに叫び、ひと仕事を完了した俺は一度家へと戻った。


夕食を取り、クレッドに会いに再び部屋へと向かう。
別に家事を褒めてほしいとかじゃない。けれど弟のために何かをしてやるという事が、今まであまり無かった気がする。
わくわくする気持ちを胸に帰りを待っていた。

夜遅く、ガチャっと鍵が開く音がし、俺はソファから飛び起きて扉へと駆け寄った。
びっくりした顔をする弟に飛びつき、胸に頬をくっつける。

「おかえり、クレッド」
「ただいま。兄貴」

見上げるとにっこり微笑むクレッドの姿があった。
両腕にすっぽり包み込まれ、髪にそっとキスをされて、一気に安心感で満たされる。

「待っててくれたのか、遅くなってごめんな」
「平気だよ。お前だってこんな夜まで、疲れただろ」

仕事終わりの弟を労い、制服から部屋着に着替えるのを待って、ソファへ腰を下ろす。
俺の肩を抱いて、すぐに変な手の動きをしようとしてくる弟を押さえ、俺は口を開いた。

「なあなあ、俺、お前の洗濯もの全部洗ったよ。明日には乾くよ」
「本当に? ありがとう兄貴。たくさんあったし大変だっただろ。ゆっくり休んで……」

言いながら首筋にキスしようと近づいてくる。
俺は迫ってくる肩を追いやり、弟の視線をバルコニーに向けさせた。

「大丈夫だって、結構楽しかったから。ほら、見て。あそこに全部干したんだっ」

得意げに述べると、俺と同じ方向を見ていた弟の表情が一変した。

「……え!? 兄貴、ここの外に干したのか!?」
「そうだけど。なんで?」

クレッドがソファから飛び起き、すぐにバルコニーのガラス扉を全開にした。
綺麗に並べられた服を前に、何故かわなわなと震えている。
えっなんかまずい事したのか、俺。

「ちょっ、駄目だ兄貴! 全部外から丸見えだ、恥ずかしいだろッ」
「へ? 何が恥ずかしいんだ? こんな最上階まで遠くて見えないよ」
「いやここにいる奴らは皆まともじゃない、誰が見てるかわかんないんだよっ」

必死な形相で迫ってくる弟に唖然とする。
見えたとしてもたかが洗濯物なのに、そんなに個人的な情報を晒すのは嫌なのか。
いやそれとも、団長としてのイメージの問題か。すっかり忘れてた。

「ごめんクレッド。俺、デリカシーがなかったみたいだ。楽しくてつい浮かれちゃって……」
「えっ。いや違う兄貴、別に責めるつもりじゃーー」

しょんぼりと目を伏せると、クレッドにぎゅっと抱きしめられた。

「俺のほうこそ取り乱してごめん。分かった、じゃあ部屋に干せばいいから」
「部屋干し? 俺は外干しがいいんだよ。お前だってそうだろ?」
「は? 俺は別にそんなのどっちでもいいよ」

……どっちでもいいだと?
大切な問題だろうがッ。

分かっている。人の洗濯物にまで自分のやり方を押し付けて、俺は傲慢な男だ。
けどなんだろう、無性に腹が立った。

「もういいよ! バルコニーの洗濯物、全部空間魔法で外から見えないようにカモフラージュしてやるから、それでいいだろ!?」
「な、何怒ってるんだ。ていうかそんな事、兄貴に出来るのか?」

はあ? まるで侮るような弟の物言いに余計に苛立つ。
俺は冷えた怒り顔で詠唱を始め、魔法を発動させた。

「ほらよ、これでもう見えねえぞ。満足かコラ」

高い位置にある奴の胸ぐらを掴み、ぎりっと睨みつける。
俺の凄みに押された様子のこいつが、愛する弟であるのは変わりない。
だが今の俺は完全にヒートアップしていた。

弟の蒼い目が若干潤み始め、ふるふると俺を申し訳なさそうな顔で見てくる。

「うん。ごめんね兄貴。せっかく俺の為にしてくれたのに。俺、いつも自分の事ばっかりで」

しゅんとした表情でまっすぐな気持ちを述べられ、途端に胸がぐっときてしまう。
掴んでいた胸ぐらをぱっと離し、誤魔化すように優しく撫でた。

「ち、ちげーよ。俺がお前のこと、結構気にするタイプって分かってなかったから。……今度からちゃんとパンツも隠すから。ごめんな」
「……兄貴ッ!」

突然上から激しく抱きすくめられ、目が点になる。
いつも思うことだが、俺には弟の感情の起伏がいまいちピンとこない。

「え、なに? 今感動する要素あった?」
「だって兄貴優しい……。また俺の服洗ってくれる?」

弟が遠慮がちにお願いしてくる。
そんな透明な瞳に見つめられたら、お兄さんは「うん」としか言えない。

「もちろん洗うよ。だからもう、俺以外に頼んだら駄目だぞ」
「分かった。兄貴だけにやってもらうから」

クレッドの真摯な言葉を受けて、途端にほっとする気持ちが湧いた。

はは。なんか俺の独占欲も、こいつに負けず劣らずになってきたな。
自分に呆れながら、ぽんぽんと弟の頭を触る。

こうして俺はその後、ずっと弟の洗濯物を担当することになったのだがーー
オズの言うとおり、普段だらけている俺だけど、好きな相手に対しては色々とやってあげたくなる。

でも俺の場合はやっぱり、こいつが特別に可愛い弟だからなんだ。



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