ハイデル兄弟 | ナノ


▼  44 親友のキシュア

師匠の家で暮らし始めて約二年。十八歳になった俺の生活は、相変わらずこの荒くれ者の小間使いがメインだった。

戦闘では「俺の邪魔をすんな補助にまわれ」と凄まれ、支援魔法を重点的に学んだおかげで、その道ではかなり役立つようにもなってきた。

日々の家事や雑務に追われながら、使役獣ロイザの世話をしつつ、修行に励む。
今日はそんなハードな毎日の中で、珍しく家事以外はなんの予定もないオフの日だった。

庭で違法薬草の栽培の手入れを終え、台所で師匠専用のお茶の準備をしていると、玄関先からドスドスと廊下を踏み鳴らす足音が響いてきた。

げっ。
師匠の機嫌が悪いみたいだと、もう足音だけで分かる。

「おいセラウェ。これは何だ?」

金髪と同色の男らしい眉の間に、深い皺を寄せた大男が眼前に立ちはだかる。
厳つい手に握られていたのは、一枚の白い封筒だった。

「え? なにそれ、手紙? ……あ、俺宛だ」

差出人の名をよく見て、俺は目を見開いた。『キシュア・シヴァリエ』と流麗な直筆の署名が記されていたのだ。

「おっ! キシュアからだ。師匠、俺の幼馴染の親友だよ。絵描いたりしてて、芸術家の卵なんだ。あ〜久しぶりだ、あいつ元気にしてんのかなぁ」

手紙を受け取りわくわくしながら中身を確認すると、ずらっと長文で埋め尽くされていてぎょっとした。

こいつは代々芸術家を輩出する家に生まれた坊っちゃんで、美術学校に通う二歳年上の男だ。
普段は飄々としているが頼りがいがあり、俺たちの関係は対等だが、昔から面倒見のいい兄貴分のような奴だった。

しかし時々ちょっと心配性な面があるのだ。
前回の俺からの手紙で普段の生活の愚痴を綴ってしまったせいか、キシュアの返事も「大丈夫なのか? お前何やってんだ。俺は心配でたまらねえ」云々かんぬんが長々と記されていた。

修行に専念する為もう一年近く会ってなかったが、相変わらずな奴だなと微笑ましく読んでいると、頭上からギラっとした鋭い視線を感じた。

「……ああ゛? てめえふざけんなよ。俺はこの野郎が誰だろうが心底どうでもいい。だがな、誰がここの住所教えていいっつった? 危機管理能力がねえのかお前は、このバカ弟子が」

手紙を貰っただけで憤怒の面で胸ぐらをつかまれ、叱責を受けてしまった。
目を泳がせた俺はとりあえず平謝りした。

「ごめんごめん。そうだよな、後ろ暗いことしてる師匠の居所は誰にも明かしちゃいけないんだった。今度から気をつけるから」
「……お前全然反省してねえだろ、なんだそのふやけた面は。自分も片棒担いでるっつー自覚あんのか?」
「大丈夫だよ、俺の親友は魔術関係ないただの一般人だから。何の影響もないってーー」

その時、玄関のベルが鳴った。
師匠の眉がぴくりと上がる。すぐにそっちへ向かう男の大きな背に続き、なぜか胸騒ぎがした俺は後をついていった。

ドンドンドンと忙しなく叩かれる扉の前に立つと、信じがたい叫び声が聞こえてきた。

「ーーセラウェ! ここにいるのか? 俺だ、早く開けろ!!」

えっ。嘘だろ、この声って。

まさかの事態に慄き隣を見上げると、無表情に血管を浮き上がらせたままの師匠が、勢いよく扉を開けた。
そこには俺の危惧したとおり、茶褐色の髪色をした、わりと体格のいい長身の若者が立っていた。

俺の親友は突然の巨体の登場に対し、口を大きく開けている。

「なっ……あんた誰だ。……でけえ」
「てめえこそ俺の家に何の用だ。……まさかこいつのダチで、わざわざこんな辺境まで会いに来たとか言わねえよなぁ?」

地響きのような低い声が発せられ、いきなり俺の首に師匠の太い腕が絡んできて、ぐぐっと締められる。
呻きながら必死で振り解こうとすると、目の色を変えたキシュアが、突然師匠に飛びかかった。

「てめえ、セラウェに何すんだッ! 離せよおっさん!」
「ぐぅぅっぐるじいっ」
「何もしてねえよ。普段通りのスキンシップだろうが、なぁバカ弟子」

俺の弟との対面時もそうだったが、師匠はこうしていつも俺の周りにいる奴に対し、威嚇行動を取ってくるのだ。
相手をからかいたいのか馬鹿にしたいのか、いや両方か、全ては自分の優位を力で見せつける為なのだが。

「つうかお前芸術家なんだってな。手は大事にしとけよ。俺にちょっと触れただけで壊れちまうぞ?」

嫌味ったらしく言う師匠がその腕を掴み上げると、キシュアは唸り声を上げた。
だが俺を捕まえた男は、無視して俺を引きずっていき、居間のソファの上にぼんと投げ入れた。

隣にどかっと偉そうに腰を下ろした師匠は、目の前まで追ってきたキシュアを下から睨みつけている。
俺は首をさすりながら、この変な空気を打破しようと口を開いた。

「き、キシュア。お前……来てくれたんだな。嬉しいよ、ありがと。疲れただろ、床で悪いけど座ってくれ」

声をかけると親友は師匠に向けていた鋭い視線を外し、俺の言うとおりにテーブル前の絨毯にあぐらをかいた。
納得いかないような顔だが、俺のことを心配そうな目で見ている。

「なんなんだよ、ここ。お前、この家でその男と暮らしてんの? 身の回りの世話とか全部やらされてるって、本当か?」

ひいっ。
頼むから今俺の愚痴内容を暴露しないでくれ。後でどんな目に合わされるか怖すぎる。

「いやいやいや、大したことしてねえし。師弟関係ならそういうの結構普通というか」
「そーだよ。弟子っつうのは言わば師の所有物だからな。界隈のことを何も知らない他人のてめえが口挟むことじゃねえ」

いや師匠の場合は完全に俺ルールだろう、と横でふんぞりかえる男に脳内でつっこむ。

思えばこの時から師匠が俺を「所有物」呼ばわりし始めたのだ。崇拝してた頃なら阿呆みたいに喜んで受け入れてたかもしれないが、さすがに俺も一言言いたくなった。

しかし先にキシュアの表情が一変した。

「……他人だと? 俺とこいつはちっちゃいガキの頃から一緒なんだよ! あんたよりも全然長え! だいたい年下の親友がいきなり変なおっさんに惚れて家出ちまったんだ、心配すんのは当然だろうが!」

声を張り上げて本気の顔で言ってくれたのは嬉しい。だがなんかちょっと間違ってる。

「……キシュア。お前そんなに俺のこと……でも変な言い方すんなよ、俺は師匠の力に入れ込んでただけで…」
「あーうぜえ野郎。男のくせにギャンギャン喚きやがって、耳痛え。ていうかセラウェ、もうこんな時間だ。俺の昼飯まだ? 俺専用の茶も飲みたいんだけど」
「へっ。あー、はいはい。昼飯ね……」

金髪を煩わしそうに掻き上げる師匠の命令に、つい条件反射で腰を上げたーー恥ずかしい場面を親友に見られてしまった。
目が合って変な体勢のまま固まる。

「……セラウェ。お前、俺は真剣に話してたんだけどな。なに完全にこの男の妻みたいに馴染んでんだよ」
「ち、違う違う。変なこと言うな、これはついいつもの癖で」

いつもはからっとした笑顔を見せる幼馴染の顔が、さらに険しくなったその時だった。
ずっとこの場にいなかった、二人目の問題男が姿を現したのだ。

「セラウェ、腹が減った。グラディオールの飯の前に、俺のをくれ」

白虎ではなく人化した褐色のロイザが、俺達の会話を聞きつけ見計らったかのように廊下から現れた。
森で暴れてきたのか、服は汚れ、顔にも泥がついている。

「あ! ロイザ、お前家に上がる前に風呂入れって言っただろ! そんな汚して、また師匠に怒られるぞ、俺が!」
「俺は風呂は嫌いだと言ってるだろう。物覚えの悪い奴だな」
「ったくしょうがねえな、じゃあ後で俺が一緒に入って洗ってやるから……」

普段通りのやり取りをしながらハッとなった。
やべえ、これじゃまたキシュアに誤解されーー

俺の懸念をよそにロイザはソファに腰を下ろし、離れたとこに座る師匠に「俺の許可なしに汚えナリで座るんじゃねえ」と脅されていた。

二人を無視して恐る恐る親友に視線をやると、奴は肩を小刻みに震わせていた。

「セラウェ……誰だこの、異国の武闘家みたいなマッチョは……。一緒に風呂入る仲なのかよ、この家、なんなんだよ。お前、こんな偉そうな男二人に……どうしちゃったんだよッ!!」

キシュアが立ち上がりブチ切れた。
俺は慌てて親友の怒る肩を押さえ、興奮を静めようと努めた。

「ちちち違うんだって。こいつはその、俺の……ボディガードみたいな役割でさ。そうそう、マジで遠い異国からやって来た良いとこのボンボンなんだ。だからちょっと態度でかいけど、悪い奴じゃないから。なぁロイザ」
「……ボディガード? そうだな。俺はセラウェと主従の誓いを立てた身だ。この中でもっとも弱者ともいえる主のことは、俺が護ると決めている」

弱者って。なんかこいつ一言余計じゃないか。

この惨状を近くで眺めていた師匠は、俺達のやり取りを見てムカつくことに爆笑していた。
だがキシュアは、まるで納得しない様子でロイザの前に立ちはだかった。

「主従ってなんだ。何のロールプレイだよ。……お前までセラウェに変なことさせてんのかッ」
「ふっ。随分と耳の悪い人間だな。俺はセラウェを護る立場だと言っただろう。俺の主を虐げてるのは隣の男だけだ」

ああ、また俺のバカ正直な使役獣が、火に油を注ぐようなことを言っている。

「おいてめえロイザ、調子乗ってんじゃねえぞ。それともまた俺に、お前専用の特別な躾を施して欲しいのか?」

冷えた目で師匠が睨みつけると、使役獣は無表情で黙りこみ俺を見た。
助けを求められてるようで頭を撫でてやりたい気持ちが湧いたが、お前自業自得だからなそれ。

しかしまだ俺の親友の怒りは収まらない。

「おっさんは黙ってろよ……大体あんた、少年のセラウェをこのまま家に置いといていいと思ってんのか、淫行で捕まるぞッ!」
「はぁ? てめえの頭の中どうなってんだ? ったく、芸術家だかなんだか知らねえが想像力逞しすぎだろ。お前も大変だなぁ、セラウェ。過保護な親友にストーカーされて」

そう言って嘲りの表情を向けられ、我慢の限界がきていた俺は、意味がないと知りつつ精一杯睨み返した。

「もう、師匠も余計なこと言うなって! ……キシュア、この二人相手にしてもしょうがねえから。俺達とはちょっと次元が違うんだよ。なぁ、二人で積もる話もあるし、俺の部屋に行こう」

俺はこれ以上その場にいるのがきつくなってきて、親友の手を引っ張り、居間から抜け出すことに決めた。
まだ絡んでこようとする師匠を振り切り、なんとか自室へと向かった。



廊下を早歩きで進みながら、止まらない溜息を押し込もうとする。
まさかこいつが師匠の家までやって来るとは。俺ですら見つけるの大変だったのに。

さっきの必死な態度からも、よっぽど心配してくれてたのだろうと、段々申し訳なさが募ってきた。

自室に連れて行き、俺がベッドに腰を下ろして頭をうなだれると、前に立ったキシュアは俺の髪をぐしゃぐしゃとかき回してきた。
やめろよっと言いながら避けると、親友も疲れた様子で俺の横に座った。

「……お前さ、セラウェ。あいつらマジでなんなんだ。体格からしてヤバイ奴らだろ。大丈夫なのか? 変なことやらされてないか?」

妙に真剣な目で顔を覗き込まれ、どきりとした。

「平気だよ。お前が考えてるような事よりはマシだ。たぶん」
「はっ? なんだよそれ。余計に心配させるような事言うな」

キシュアは足を組んだり伸ばしたり、落ち着かない様子で、時折頭をぶんぶん振ったりしていた。

「だってさ、お前の師匠って、あの時の男だろ? 妙な術かけられて、意識失ってただろお前。俺とクレッドがどんだけ焦ったか、分かってんのかよ」

突然弟の名前を出されて、俺は心臓が掴まれたかのように動揺した。

もちろん覚えている。
俺が家を出る前の話だが、廃屋で魔術師仲間と儀式を行っていた際、俺は進んで師匠の秘術の実験台になった。

約束したのにも関わらず中々帰宅しなかった俺は、心配した弟にキシュアとともに迎えに来てもらったのだ。
その夜クレッドと、仲違いの発端ともなった、運命的な一夜を過ごすことになるのだがーー。

当時の俺は自分が弟を傷つけたことも、弟が何を考えていたのかも全く知らず、ただ距離が出来てしまったという事を、心の内で嘆いていた。

「あの時は悪かったよ。今は俺も気をつけてるからさ、大丈夫だよ。こう見えて師匠の取り扱い方も前よりは分かってきてるし。……なぁ、そういえばお前、クレッドに最近会った?」

気になっていたことをさりげなく尋ねてみた。

昔はキシュアの弟を含めた四人で遊んでいたのだが、俺が家を出ると決まった辺りから、弟は素っ気ない態度を取るようになり、段々とその機会はなくなっていったのだ。

「いや、会ってねえ。あいつも騎士学校で忙しいんじゃないか? カナンとはたまに会ってるみたいだけどさ」
「そっか。まぁ元気ならいいんだけど……」

キシュアは俺の肩を自分の肩でどすっと小突いてきた。

「気になるんなら会えばいいだろ。弟なんだから。つうかお前家帰ってんの? なんかさ、俺の親父が時々探り入れてくるんだよな。たぶんお前の心配性の親父さんから言われてんだろうけど」

俺の親父。
その一言だけで、強い頭痛が襲ってくる。
当時、弟との微妙な関係以上に頭を悩ませていたのが、俺の魔術の道をよく思っていない父の存在だった。

「あー、だから親父に会いたくないんだよ。お母さんとは手紙やり取りしてるから大丈夫。でも家には一回ちょこっと帰ったきり帰省してない」
「はぁ。お前ちゃんと帰れって。家族ってのは顔見せるだけで安心すんだからさ。な? セラウェ」

子供にやるように大きな手で頭を撫でられると、つい昔のこいつを思い出す。

本当の兄は年が離れてるので、あまり近い存在には感じない。でもキシュアは、昔からこうやって側で俺をよく見ていてくれた。

「……ああ、分かったよ。じゃあ一回帰るか。面倒くさいけど」
「そうしろ。クレッドともちゃんと仲良くしとけよ。あと終わったら俺んとこにも来い」

最後は背中をばんっと叩かれ、ひりひり痛くて擦りながら奴を見ると、キシュアはにこりと笑顔を向けてきた。
気のおけない親友の笑みに、なぜだか気持ちが和らいだ俺は、帰省に向けて一人小さな決意をするのだった。



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