▼ 36 頭が痛い
最近のクレッドは連日の会議や短期出張のせいで、いつにも増して忙しそうにしていた。
あまり会えない日が続き、なんとなく寂しくなった俺は、団長室に書類を届けるという弟子の用事を奪い取り、昼休みをねらって弟に会いに行った。
「おじゃましまーす」
扉を叩いた後返事が聞こえたので、遠慮なく室内へと入った。
書斎机に視線をおろしていた弟が顔を上げ、目元に笑みを浮かべる。すぐに立ち上がって俺のもとに向かってきた。
「兄貴、来てくれたのか?」
「うん。はい、オズから書類頼まれてーー」
言い切る前にがばりと広い腕の中に収められた。
仕事中だと思いつつ、久しぶりの温もりに口元が緩んでいく。
「クレッド……あの……」
もぞもぞと身じろぎすると、弟が俺の肩に埋めていた額を上げ、じっと見つめてきた。
けれどその端正な顔立ちが突然、ぎゅっと眉根を寄せて苦痛に歪んだ。
「おい、どうした?」
「……ああ。最近ちょっと、頭が痛いんだ」
「え!? うそ、大丈夫かよ」
驚きのあまり慌てふためいてしまう。
体の調子の悪さなどをめったに申告しない弟だから、尚更心配になった。
そわそわして額に手を当てると、クレッドは少し気恥ずかしそうに目を動かした。
薬を飲んだか聞いたが飲んでないという。
医術師に見てもらったか聞いたら、なぜか眉に皺をつくり首を横に振った。
「兄貴、ここの医術師っていったらイヴァンだぞ。俺は絶対に奴を頼りたくない」
「……え。そうか、あいつか。ま、まあ気持ちは分かるけどさ。俺心配だよ」
「大丈夫。忙しいと時々こうなるんだ。また落ち着くから……」
弟はまるで俺に抱きついていると治るとでもいうように、しばらくそうしていた。
頬に触れるしなやかな金髪を撫でながら、俺はひとり思案していた。
すると一つの考えが閃く。
弟と束の間の一時を過ごした後、とりあえず騎士団領内の仮住まいへと戻った。
台所で食事の支度をする弟子と、居間のソファ下に寝っ転がる使役獣にただいまを告げた後、二階に駆け上がり、研究部屋となっている一室に入った。
引き出しを片っ端から開け、目当ての魔法薬を探す。
そう、クレッドに自作の頭痛薬を渡そうと思ったのだ。
教会に入る前は魔術師仲間や師匠のツテなどで築き上げた独自のコネクションをもとに、違法スレスレの魔法薬を作っては売りさばいたりしていた。
異常な集中力からくる高精度の調合品は、自己の才能を認めざるを得ないほど評判も上々で、もっぱら高値で売れた。
あれならきっと治るだろう。
そう思い数十分かけて見つけ出した頭痛薬は、古びてちょっと腐っていた。
「あーあ。これじゃ駄目だわ。もっかい作り直さねえと。……でもここじゃ設備足りねえな。はぁ、一回自宅に帰るか」
ため息をついて独り言を言うものの、胸のうちは使命感に燃えていた。
弟が心配だ。
それに俺はどんなときでも、弟の役に立ちたいのだ。
まれに見るやる気を備え、一階に駆け下り弟子に夕食を弁当箱につめてもらい、俺は数百キロ離れた自宅の研究室へと戻った。
まあ転移魔法で一瞬である。
その日は様々な薬草や鳥獣骨の粉末、ガラス機材に囲まれながら、完徹で頭痛薬を作り上げた。
マジで一睡もしていない。クレッドの為ならばと血走る目を時々押さえ、ほとんど休憩もせずに完成させた。
「出来たぁーッ!」
両手でバンザイをした後、手に十数粒の錠剤を入れた袋を握りしめ、俺は速攻で仮住まいへと戻った。
約一日ぶりに会う弟子には「マスター、目のクマ凄いですよっ」と仰天されたが、構わず俺は家を飛び出し、その足で騎士団本部にある団長室へと向かった。
「クレッド、俺だよ、入っていい?」
コンコンコンとしつこく扉を叩き、興奮がおさまらず勢いよく開け放った。
ちょうど扉付近にいた弟はびっくりした表情で、駆け寄る俺のことを両腕を広げ受け止めた。
「あっ兄貴、大丈夫か? どうした、そんな急いで」
「出来たんだ! これで頭痛いの治るぞ、はいっ」
胸に錠剤の袋を押し付けて、目を丸くして俺と薬を交互に見やる弟に微笑む。
事の経緯を説明しながら、症状が治まるまで一日一粒飲むといいと教えた。
「すごい……作ってくれたのか、俺のために」
クレッドはなぜか弱々しく呟き、蒼い瞳を潤ませた。
頭痛のせいで色々脆くなっているのかと心配しつつ、頭を撫でた。
「だってお前のこと心配でたまんなかったから。これ、結構評判良いやつだったし、きっと治るよ。お前の症状聞いて少しアレンジしたから、よく効くと思う」
「兄貴……ッ!!」
ぐううっと力強い抱擁をされてフラつきながら、俺より興奮状態となった弟の背中をさすり、優しくなだめた。
「ありがとう。でも使うのもったいないな。全部取っておきたいぐらいだ」
「何言ってんだよ、早く飲めって。またいつでも作れるからさ。まあ必要ないほうが良いんだけど」
「……わかった。じゃあ大事に飲む」
薬がもったいないなんて変な奴だなと思いつつ、嬉しそうにする弟が可愛くて、ほんわかした気持ちになりながら二人で見つめ合った。
そんな時、真横から伸びた視線を、ぞわりと肌に感じ取った。
ものすごいスローモーションで目だけを動かすと、制服を着た茶髪の美形騎士の姿が映る。
騎士はソファの背にだらしなく上半身を預けたまま、頬杖をついてニコリと笑んだ。
「セラウェ。それ、君が作った魔法薬なのか。俺にもくれないか?」
「ゆ、ゆ、ユトナ……!」
やべえ。
いまの恥ずかしいやり取り、全部見られてた。
徹夜明けでアドレナリンが出っぱなしのあまり、周りの状況がまったく目に入らなかったのである。
「おまっ、ふざ、何見てんだよっ」
「君ってほんとに可愛いよな。ああ、ハイデルが羨ましいよ。俺もそんな風に尽くされたいものだ」
顔を熱くしながら震える俺をよそに、騎士がおもむろに腰を上げこっちに向かってきたので身構える。
同時にクレッドが俺を覆い隠すように抱きしめてきた。
「団長。それは俺に見せつけているつもりか?」
「そうだ。お前には意味がないと知ってるが、俺がそうしたいからしてるんだ」
よく意味が分からない会話だが、俺は疲労が溜まってることもあり、静かに弟に抱かれていた。
すると弟の肩のそばで、ユトナの中性的な美しい顔に覗き込まれる。
「セラウェ。目がぼんやりして、疲れてるみたいだ。昨日は寝かせてもらえなかったのか?」
「……あ? 話聞いてただろ、ずっと作業してたんだよっ」
「そうか。一人で一生懸命頑張ってる君の姿は、さぞ可愛らしかっただろうな」
目を細めて変態的な会話を進めようとする騎士から、ふいっと顔を背けた。
ぐっと抱擁する力が強まり、またクレッドが怒りを示しているのだと分かる。
「おい。俺の兄貴にあんまり可愛い可愛いと言うな。殴られたいのか」
「怖いな。そんなにカッカするなよ。また頭が痛くなるぞ、ハイデル」
「……ああ、分かったぞ、ユトナ。俺の頭痛が治まらないのはお前のせいだ」
聞いてるだけで疲れてきた。
この騎士がいるなら、これ以上ベタベタしないほうがいいだろう。
残念に思いつつ俺は弟の腕から離れようとした。
「兄貴……? もう行くのか?」
「うん。お前仕事中だろ。そうは見えないけど。……クレッド、あんま無理しないでちゃんと休めよ」
途端に寂しそうな目をする弟をなだめ、その場を去ろうとすると、ユトナに引き止められた。
嫌な予感が過ぎったが、とりあえず振り返る。
「待って、セラウェ。君の魔法薬、中々よさそうだ。良かったら、俺にも何か作ってくれないか」
「……へ? 何かってなんだよ。……俺は催眠薬とか催淫薬とか、そういうのは作んねえぞ」
真面目な顔で妙に目だけをギラつかせる騎士を牽制した。
勿論そういった系統の最高水準品を作ったことはあるが、こいつには渡してはならない気がする。
騎士はニッと怪しげに笑った。
「ふふ。催淫薬か……面白いこと言うね。俺のイメージどうなってるんだ?」
腕を組んで分からない、といった風に首を傾げるが、お前のイメージなんて変態鬼畜で固められている。
怯えつつ睨みつけると、こめかみに血管を浮き上がらせた弟が間に割り込んできた。
「ユトナ。兄貴に変なもの作らせようとするな。俺が許すと思うか」
「別に団長の許しはいらないだろう。騎士として魔導師の彼に頼みたいと思ってるんだから」
騎士が弟の前に立ち、珍しく挑戦的な顔で言い放つと、クレッドがぐっと奥歯を噛んだ。
なんだこの雰囲気。
俺は弟の痛みを和らげたかっただけなのに、どうしてこんなことに。
「とにかく駄目だ。……ユトナ、薬が欲しいなら一粒やるよ。兄貴が俺に作ってくれたものだから、ものすごく嫌だが」
「はは、どうしたんだ。ハイデル。珍しく自分から折れるなんて、そんなに俺がセラウェと関わるのが嫌なのか?」
「当たり前だ。まぁお前だけじゃないけどな。近づく男全てが嫌だ」
ちょ、何を言い出すんだこいつは。
びっくりしてクレッドを見上げると、逆に心配げに見つめられ戸惑ってしまう。
まさか俺も奴の頭痛のタネになってんのか?
「セラウェ。君の弟は最近のストレスが重なって、随分弱気になってるらしい。面白いね」
「お前なぁ、こいつを虐めんなよッ」
一連のゴタゴタを知ってるような口ぶりに冷や汗をかきながら、俺は騎士に食ってかかった。
ユトナは楽しくてしょうがないという風に笑顔で俺の相手をした。
「仕方がない。本当は俺もセラウェに、俺のことだけを考えて何かを作ってほしかったんだが。ハイデルの薬で我慢するか。……今回は」
にやりと笑いかける騎士の表情に悪寒がしたが、クレッドはぶちっと切れてまた怒鳴り散らしていた。
俺は二人に聞こえるようにため息を吐いた。
「おいユトナ。お前に何か作っても、別にお前のことは考えねえぞ。事務的に淡々とやるだけだ」
「え? それはないだろう、セラウェ。俺たちは仲の良い友人同士だろ?」
「……友人か。なら良いけど。お前が言うと凄い胡散臭いんだよな」
「兄貴、こいつの言うことを信じるな。兄貴を見る目が友人に対するそれではないぞ」
「ふふ。団長、よく分かったな。もしかして同族嫌悪ってやつか?」
「お前と一緒にするなッ」
二人の口論が頭にガンガン響いてくる。
俺にはもうよく分からない。まじで頭痛くなってきた。
隣でユトナが「ひどい兄弟だな」と愉快そうに笑いをこぼす。
なんかごめんという気持ちと元気だせよ、という思いをこめて、俺は弟の肩にぽんと触れて慰めた。
まだ悔しそうな顔をしていた弟が、やがて落ち着いたのかなんなのか、再び人目をはばからず俺に抱きついてきた。
その重さを受け止めながら、こいつにはもう少し癒やしが必要なのかもしれないと、俺は人知れず考えを巡らせるのだった。
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