▼ 19 クッキー
あれは先週末、クレッドの部屋で俺が一人、ぽりぽりとお菓子を食べていたことが発端だった。
「兄貴、それなんだ? クッキーか?」
「えっ。ああ、うん。オズから貰ったんだけどさ。あいつすげえよな、焼き菓子も作れるんだよ。お前も食べてみる?」
持っていた袋から一枚差し出すと、弟もソファに腰をかけ、礼を言って受け取った。
まじまじと眺めだした後、ぱくりと口に入れる。
「あ、美味しいなこれ。オズは料理だけじゃなくて、甘いものも得意なんだな」
クレッドは感心したように述べ、俺の弟子お手製のシナモンクッキーを、その後も賞賛しながら何枚か食べ続けた。
……え? そんなに美味しいの?
よほど気に入ったみたいじゃないか。
「まあ確かにな〜。俺もクッキー作れるけどね、実は。まぁ簡単なやつだけど」
自分で勧めておきながら、弟子に対抗心が湧いてきた。
ちなみにそんなの作ったことなんかない。
けれど弟は完全に信じ切ったようで、俺にバッと目を見開いてきた。
「そうなのか……? 俺、食べてみたい。兄貴のクッキー……」
やばい。
時折現れる、こいつの「食べてみたい」を呼び起こしてしまった。
蒼い瞳が尋常じゃなくキラキラしてるし。
でも俺は弟の、この可愛い顔に弱い。
「そ、そう? じゃあ今度持ってきてやろうか? お前がどうしてもっていうんならーー」
「本当か!? 是非頼む! 俺、チョコクッキーがいいな」
は?
この野郎、早速注文つけてきやがった。
あ然として見ると、すでに心待ちにしてる感いっぱいの笑顔を向けられる。
……しょうがない。
そんなこんなで、結局俺は初めてのお菓子を作ることになったのである。
***
それから一週間後。
俺は騎士団領内にある仮住まいで、苦戦を強いられていた。
「はあ、どうすんだよこれ。全然上手くいかねえよ」
「マスター、もっとちゃんと生地まとめて、ボロボロこぼれてますよ」
台所で手が粉まみれになりながら、弟子にクッキーの作り方を教わっている。
なんで俺、こんな面倒くさいことしてんだろう。
「ったく、お前のせいだからなっ」
「何言ってんですか。自分がクレッドさんに食べてほしいんでしょう? ……ふっ、俺に負けたくなかったんじゃないですか?」
童顔を嫌らしくニヤつかせる弟子が腹立たしく、無性につねりたくなる。
まぁだいたい図星なんだが。
数十分後、オーブンにいれたクッキーが焼きあがった。
チョコの香ばしい匂いが漂い、途端に成功を確信する。
「うおっ、超うまそう、やべえ俺初めてなのに天才だわ。やっぱこれまでの経験値かな〜」
「いや俺の教え方がいいんですよ。ていうか半分俺がやりましたからね」
いけしゃあしゃと宣う弟子をぎろりと睨む。
「……いいか、お前に教わったことは内緒にしとけよ」
「言いませんよ、そんなこと。今度は一人で出来ると良いですね、マスター♪」
笑顔で嫌味を言われるが、ムカっときながらも一応礼は言っておいた。
さあ、これを無駄にかわいくラッピングして、今日の夜持っていかなければ……。
弟の自室へ向かう俺の足取りは、なぜか浮き浮きしていた。
いい年した男が、何をやっているんだ…
そう思いつつも、弟の反応を想像して不気味な笑いが起こる。
風呂から出てくつろいでいるクレッドに、もじもじしながらクッキーを手渡した。
「あの、クレッド。これ作ったんだけどさ、……いる?」
弟はびたっと動きを止め、突然ソファから立ち上がった。
大きく腕を広げ、俺を勢いよく包み込む。
「……ありがとう兄貴、本当に作ってくれたんだな……!」
「え、うん。美味しいといいんだけど……」
まだ食べてもないのにこの喜びようーーハードルが上がった気がして、心臓の音が迫ってくる。
弟はにこにこしながら大事そうに袋をあけ、クッキーをゆっくりと口に入れた。
「う、美味い……! 兄貴のクッキー、すっごく美味しい!」
珍しく大声を上げて感動の面持ちになっている。
そんなに喜んでくれるとは。
あれ、オズのやつ食べたときより、テンション高いよな。
ふふ…。
「ありがとう、兄貴。俺のために作ってくれて。最高に嬉しい……」
「そ、そっか。俺もお前に食べてもらえて良かった。はは、初めて作ったからちょっと心配ーー」
あ、あああああ!
俺は素に戻ったあまり、自ら本当のことを暴露してしまった。もう馬鹿じゃないのか。
恐る恐るクレッドを見上げると、なぜか奴は肩を震わせ、目をうるうるさせていた。
「え……初めてのクッキーだったのか? ほんとに? 俺が初めて?」
やけにしつこく強調され、俺は羞恥から全身が沸騰しそうになっていた。
まぁ実際は弟子に味見してもらったけどな。人にあげたのは弟だけだ。
「そ、そうだよ悪いかっ、本当はうまくいくか不安でオズに教えてもらったんだよッ」
逆ギレのように告げた口が、突然弟の唇に塞がれた。
そのまま熱いキスをされてしまい、ふんわりと甘いチョコの味が広がる。
「全然悪くない。頑張ってくれたんだな……ああ、俺嬉しい……ありがとう」
心から喜んでいるような声だった。
急激に照れが募り、気の利いたことが言えなくなった俺は、無言でぎゅっと抱きしめ返す。
ああ、別に誰かに勝とうなんてしなくても、こいつは俺で満足みたいだ。よかった……
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