▼ 98 奇妙な友人(弟視点)
「団長。夜の幹部会合の資料、こちらにまとめておきますので。では私はこれから教会のほうに参ります」
「ーーああ。ネイド、この書類も司祭に渡してくれ。来月の人事に関わるものだ」
「分かりました。それでは失礼します」
騎士団本部棟の上階にある団長室で、制服姿の側近が完璧な角度で礼をする。
もうすぐ昼休みだ。
午前の業務が一段落し、すこしの間息をつける。そう思った時だった。
「あっ。こんにちは、アルメアさん。団長に御用ですか」
「そうだよ。君いつも忙しそうだね、ネイド。気力の消耗が見えるよ。クレッドにこき使われてるんじゃないの」
「あはは、いえ…そんなことは。……あっ団長!」
わずかに開いた扉から聞き捨てならない会話が響き、俺は書斎机を離れると、奴らを冷たく見渡した。
長髪の騎士の前に、小柄な黒髪の少年が立っている。
白い肌に闇のローブをまとった、赤目の不気味な子供だ。
「やあ、クレッド。君っていつも不機嫌そうな顔してるね。わざわざ僕が月二、三回来てあげてるっていうのに」
「来すぎだ。もう少し頻度を減らせ」
「なにその冷たい言い方。ねえネイド、君の上司は友人に対して酷いと思わないか?」
「……え、ええと……これが平常運転といいますか……あっいえ。そういえば団長の交遊関係って広いですよね。お二人は一体どこでお知り合いになられたのかーー」
焦り気味に話題を逸らそうとする側近を睨みつけ、視線で指示をする。
はっとなった奴はもう一度頭を下げ、「では私はこれで。ごゆっくりお過ごしくださいませ」と述べて颯爽とその場を去った。
ああ。せっかくの昼休みがつぶれたな。
庭園に出れば、もしかしたら兄貴と会えるチャンスだったかもしれないのに。
苦く思いながら、魔術師の少年を団長室へと招いた。
不本意ではあるが、こいつを邪険には出来ない。その節は色々と世話になったからだ。
中央の低い机を挟み、俺達は広い革張りのソファに向かい合わせに座った。
「じゃあ、僕の呪いの近況報告といこうか。発情のほうの変化はどう?」
「段々マシになってきている。最初はどうなることかと思ったが、兄貴への粗暴な振る舞いも、少しは自制出来るようになったかな……」
「へえ、すごいじゃないか。成長したね、クレッド」
「愛する人を傷つけたくないからな。俺も必死だ。……とはいえ、お前の呪いはやはり強いぞ。せめて発情を月一度にしてくれれば、遥かに負担を減らせるのに…」
なんだかカウンセラーと話してるような気分になってしまうが、これは奴とのやり取りにおいて、通常の流れだ。
しかし兄との秘密の関係について他人と話すことは、正直言って、俺の中で気分が高揚する行いでもある。
「まぁ君もともと性欲強そうだもんね。普段のほうを抑えれば済む話じゃないの?」
「論点をずらすな。その選択肢はない」
「頑固だなぁ。セラウェも納得してるのそれ。ほんとは多すぎとか思われてたりして」
「な、なんでお前にそんな知った風な口を聞かれなきゃーー」
痛いところを突かれとっさに狼狽えてしまう。
というか何故いつの間にか込みいった話になっているんだ。
この男が外見通りの年齢ではないことは知ってるが、子供のようなナリをした者と、これ以上進んだ話はしたくない。
そうだ、子供で思いだした。
「アルメア。そういえば、この間はよくも兄貴にきわどい呪いをかけてくれたな。もうあんな事するなよ。俺の心臓がもたない」
「なにそれ。……ああ、セラウェを子供にしたこと? 可愛かったでしょう」
呪術師でもある少年が、大人びた笑みでにやりと笑った。
俺は無心で頷く。
「そりゃもう……可愛かった。すごく」
「じゃあいいじゃないか。ちょっとしたプレゼントだよ、二人を和ませようと思ってね」
「……もちろん事実和んだが、問題はその後だ。いきなりあんな事……駄目に決まって……なんて恐ろしい呪いだ。俺じゃなかったら絶対に許さないぞ、あんな年にそぐわない、破廉恥な行為は……!!」
「いや口にキスだけでしょ。それに君たち専用のまじないだってば。クレッドって思い込みが激しいよね」
呆れ声の魔術師が、薄ら笑いを向けてくる。
反論したい気をぐっと堪える内に、少々無駄話が過ぎた気がしてきた。
用件は済んだし、そろそろ出てってもらおう。
端的にそう考えて立ち上がろうとすると、アルメアが急に俺の目をじっと見てきた。
普段人を恐れることのない俺だが、奴の不気味な赤目には、何か不思議な念のようなものが漂うのを感じる。
「ところで、前にセラウェから聞いたんだけど。君たち今度旅行行くんだってね。もう場所決めたの?」
アルメアがどこかそわそわした様子で、何気なく尋ねてきた。
予期せぬ質問に一瞬止まった俺だが、すぐに意図を読み取る。
「……ああ、もしかして、ハネムーンのことか?」
兄貴、俺達の大切な旅行計画のことを、他人のこいつに話していたのか。
そうか……。
なぜか俺の中で、嬉しい気持ちがわき起こる。
「は? なにそのネーミング。その旅行ってハネムーンなの? 君たちいつ結婚したんだよ!」
「年末だが。何か問題があるか」
「ちょっと、さらっと認めてるし。すごい男だな君!」
なぜか興奮した表情で詰め寄られたが、何が悪いのか俺には見当もつかない。
まぁ旅行の提案と順序は逆になってしまったが、これで準備は整った。
年が明けて、ようやくまとまった休みが取れそうなのはよかったのだが、まだ肝心の目的地は決まっていない。
その旨をアルメアに話すと、奴は涼しい顔をしていたが、実際は興味津々のようにも見えた。
「セラウェもそんなこと言ってたな。まだ考えてないの? せっかちなのに珍しいね」
「……ああ。やっぱり特別な意味を込めた旅行だからな、ありきたりなものにはしたくなくて……」
「ふうん。君のことだから、誰にも考えつかないことで、かつ完璧な計画立てようとか思ってるんでしょ」
「当然だ。兄貴の好きなものをふんだんに盛り込んで、喜んでもらいたいからな」
だが、考えれば考えるほど、難しくなっていく。
俺はそもそも、妥協が出来ない性分なのだ。
「ねえ、僕にいい考えがあるよ。セラウェが気に入りそうで、その上世にも珍しい場所。一般人は中々たどり着けないとこなんだけど」
目元を細め、いっそう怪しげな空気をまとい出す少年をいぶかしむ。
「どこだそれは? 物騒な場所じゃないだろうな」
「まぁ危険といえば危険だね。魔界だから」
簡単に述べたアルメアに、俺は目を見張った。
……この男は、ふざけているのか?
「魔界だと? 馬鹿を言うな。なんで甘いハネムーンに、任務でも行かないような危険度振り切れてる極地なんかに向かわないとならないんだ!」
「落ち着いてよ。僕はいいとこだと思うけどなぁ。魔術を嗜む者なら一度は絶対行ってみたい、好奇心の宝庫のような場所だよ。自然も種族も物質も、目に映るもの全てが新しいんだからね」
それは二人きりの旅行で選ぶべき所か?
いの一番に反論したくなったが、奴の言葉を聞いて、頭の中に目を輝かせるかわいい兄の顔が思い浮かんできてしまった。
さながら「マジで?! すげー! 俺行ってみたいクレッドっ」と腕を掴んでせがむ姿が想像出来る。
「……だが、危険すぎる。そんなとこ、完全武装で行く羽目になるぞ。せっかくの旅行なのに」
「それは大丈夫。まぁ軽装備はいるかもしれないけど、僕に考えがあるし。他にも、二人が楽しめそうなとこ教えてあげるよ。もちろんセラウェには内緒でね」
にこりと笑うこいつは、一体何者なんだ。
まさか魔族なのか?
あの炎の魔女タルヤの甥であり、裏の界隈では名の知れた血族の一員だ。ただの人間ではないと思ってはいたが。
全てを鵜呑みに出来るほど、信頼関係の構築はまるでないーー。
しかし話を聞くだけならば、その価値はあるかもしれない。
兄への大きな気持ちと、弟として男として、大事な沽券に関わる思いに突き動かされた俺は、考えが揺らぐのをじわりと感じていた。
「まあいい。話を聞かせてくれ。頼むアルメア」
「急に素直になったね。さすが切り替え早いな」
「兄貴のためだ。喜ぶ顔が見たいからな」
限りない本心を告げると、少年が楽しそうに微笑んだ。
そしてしばらくの間、考える素振りをする。
「僕も同じ魔術師だから、だいたいセラウェの好きそうなものは分かるんだけど。でも君の希望も一応聞いておこう。なにかある?」
俺はしばし思案した。
だがすぐに考えがまとまる。
「そうだな……所構わずイチャイチャ出来る場所がいいな。俺の希望はそれだけだ」
「……随分はっきりしてるね。潔いのか何なのか分からないな」
「兄貴に対して我慢するということが、ものすごく根気がいることでな。まぁその分、叶えられた時の喜びは半端ないが」
「なんの話してるの君。まぁいいや。分かったよ、でもそこらへんは心配しなくていいと思う。きっと二人が、心行くまで楽しめるハネムーンになると思うよ」
上機嫌に話すアルメアに、俺も希望を込めて頷く。
またこいつの世話になるのはしゃくだが、もちろん内容を吟味して最上の計画を練るのは他でもない、この俺の役目だ。
兄貴の驚く顔と幸せな笑顔を想像すると、異常にやる気が出てくる。
二人きりのハネムーン、絶対に成功させるぞ…!
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