▼ 92 問題児
稽古場の暗がりから突如現れたのは、短く刈り上げられた銀髪が目立つ、色黒の少年だった。
筋肉質ながらも華奢に見えるほど細い体に、薄手の衣類をまとっている。しかしそれは、なぜか血のごとく真っ赤に染まっていた。
聖騎士達のどよめきが上がる中、そいつは裸足で木の床に赤い跡をつけながら、こちらに向かってきた。
「あれぇ、こいつら何? 親父。今日なんかあんの?」
「前から話していただろう、キイラ。ソラサーグの皆さんがお越しになられている。……また狩りをしていたのか、そんな血生臭い格好で失礼だぞ。早く洗ってこい」
「へーへー。分かったようるせぇな」
少年がまるで親の小言を受け流すように舌打ちをし、俺たちのほうを睨み付けた。
同時に、俺を背後に隠すクレッドの意識が強く奴に向けられるのを感じた。
……なんというか、見るからにやべえ奴だ。顔にも返り血浴びてるしどんな野生児だよ。うちの使役獣とキャラかぶってんだが。
側にある水場で体を拭く少年を警戒してるのか、皆が静まりかえった稽古場で、ヴェスキア団長が俺に振り返った。
「驚かせてしまいましたかな、申し訳ない。こいつはあまり協調性がないもので……年頃は従者殿と変わらないと思うのですが。よければ仲良くしてやってください」
「……えっ? 僕ですか? なんでいきなり……い、いや、……あのー随分大きな息子さんがいらっしゃるんですね。びっくりっす」
「はっはっはっ! さすがに私も30であんな大きな息子はいません。奴は前身の教会騎士団の頃に、私が森で保護した子供なのです。それ以来剣術を叩き込み騎士にすべく面倒を見ているのですが……中々思い通りにはいかず」
この人俺と同年代なのかよ、師匠と同じぐらいに見えた…などという失礼な感想はさておき、少年の生い立ちに仰天する。
もしかして、ここの内部調査を行うにあたり俺が適当に立てた仮説ーー人間離れした化け物を飼いならしているのでは、という予想が一番近いんじゃないのか、今のところ。
「なるほど。ヴェスキア殿のご苦労お察しします。しかし騎士業の傍らその様な崇高な行いに身を捧げるとは、簡単に出来ることではありません。深く尊敬の念を抱きます」
「ありがとうございます、ハイデル殿。そう言って頂けると嬉しいやら恥ずかしいやら、ですな。まあこいつも戦闘においては、ようやく私共の役に立ってきた次第で…」
「おい親父。なんだよその言い方? 親父の次に強えの俺じゃねえか。はっきりそう言ってもらわねえと困るなー」
二人の会話に入ってきた少年、キイラは群青色の瞳に薄い笑みを浮かべて言い放った。
明らかにラザエル騎士団の屈強な面々が、ぴりりと緊張した空気を放ち始める。
この生意気なガキは完全に大人に喧嘩売ってる風だ。思春期なのかな?
「へえ。お前強いのか? 騎士のくせに剣どこだよ。まさかその腰についたちっちぇえ刀で闘う気か」
突然嘲るような声を発したのが、うちの巨体の騎士グレモリーだ。
すぐに眉を上げ、不快な顔つきを露にした少年を、大きな体と態度で見下ろしている。
こいつバカなの? 血気盛んなのはいいが年頃の男の子からかっちゃいけないって教科書で習わなかったのかよ。
「ああ? なんだおっさん、うぜえな。誰がくそ面倒くせー騎士なんかになるかよ。強けりゃなんでもいいだろうが」
「ふうん、でもお前そこまで強くねえけどな。少なくともうちのソラサーグには入れねえわ」
「別に入る気ねえし、ここの騎士団だってしょうがなく居てやってんだよ! 俺がいなけりゃ大した戦歴も上げられねえんだからな!」
血管を浮き上がらせながら展開される口論に、二人の団長が呆れ顔で頭を抱える。
誰か止めるやついないのか、このままじゃ確実にめんどい事になるぞ。
本気の喧嘩に発展することを恐れた俺のそばで、クレッドがユトナに視線を投げた。
呼応するように美形の騎士が静かに頷く。
「グレモリー、若者いじめはその辺にしておけ。保護者の前で可哀想だろう」
「ちょっと相手してやってるだけだろーが、この井の中の蛙野郎をよ。なんならお前がやるか? ユトナ」
「……俺か? 悪いが子供は俺の守備範囲外なんだ。弱者を傷つける騎士なんて言語道断だしな」
「なんなんだこのいけ好かねえ野郎は、俺は弱者じゃねえしガキ扱いすんな!」
まずい、少年の怒りが爆発している。
次々に火に油を注ぐ騎士達に業を煮やした俺は、とうとう口を開いた。
「あ、あのーもうその辺にしといたらどうすかね、今日は懇親会なんだし。皆さん仲良く…ほら…」
「お前は一番弱えんだから引っ込んでろよ従騎士」
「んだとこのバカデカ騎士ッ」
「落ち着けセラン。確かに君は最もか弱い存在なんだから、ここは先輩の俺達に任せるといい」
いや悪化してるし任せるの無理だろう。
しかし右往左往する従騎士の俺に突如、恐れていた反抗少年の訝しげな瞳が向けられた。
「なぁ、お前……なに?」
「……はっ? なにって何?」
「だからさ、マジで従騎士なの? 動きも鈍いし全然鍛えてるように見えねえけど……なんかの冗談?」
ああーー!!
この野郎急に真面目な顔で今まで誰も触れてこなかった機密事項に踏み込んできやがったッ、やべえもう俺の任務終わりだわ全部おしまいだ助けてクレッドーー
固まった俺の腕が、後ろからがしっと掴まれた。
恐る恐る振り向くと、怖い顔をした弟が背筋も凍る目つきでキイラを睨んでいた。
しかしその顔を見て俺はとっさに我に返る。バカか俺は任務中なのだと。
いつも弟を頼ってばかりじゃカッコ悪いよな、さすがに。そう思いわざとらしく深呼吸する。
「……ふぅー。ええっと、キイラくん。僕は確かにまだ騎士見習いで他の皆さんの様にガチムチでもないし弱そうに見えるけど、いつかやってやろうという気持ちは人一倍持っているからね。……それに何より、敬愛するハイデル団長の役に立ちたいんだ…! こんな僕の素質をあるがまま認めてくれて従騎士に熱烈なスカウトをしてくれた団長に、少しでも恩返しが出来るようにって、頑張ってるところなんだよっ!」
俺はほぼ事実を巧みに言い回しながら、俳優顔負けの演技で熱弁した。
顔見知りの騎士達のしーんとなった表情が目に入ったが、関係ない。
言いきった感を抱えて満足した俺がふとクレッドを見やると、なぜか奴の顔はほんのり赤く染め上がっていた。
……え? なにその恥じらいの反応、どうしたの?
「あーー……セラン。皆に俺達のなれ初めを話すなんて、ちょっと照れるだろう……もちろんすごく嬉しいが。でも、そんな風に考えていてくれたとは、君はなんて素晴らしい心根の持ち主なんだ。騎士に必要なのは力だけじゃない、君の美しい心意気こそ、俺が求めているものだ。つまり君はすでに、真の騎士だよ…!」
いや俺は魔導師なんだが。
心の中で突っ込みつつ、ひとり感極まっている弟が少し可愛く思えてしまう。
「……ふーん。ほんとにあんたの従者なんだ。……まぁ人の趣味にケチつける気ねーけど。もうちょっとマシなの選んだら?」
嘲笑を含んだ少年の腹立つ言い草に、穏やかだった弟の表情が一瞬にして消え去る。
「あ……? なんだと貴様、俺の従騎士を愚弄する気か」
それまで纏っていた爽やかな団長オーラが一転、どす黒いものになった。
空間にピシッと亀裂が走り、相手方の騎士団までもがざわつき始めている。
「何、本気で怒ってんの。ずっとスカした顔してたくせに、おもしれえ。いいぜ、やろうよ団長さん」
「……俺と何をしたいって? 一方的な虐殺になるが構わないか」
「はは、言うねぇあんた。それが本性かよ」
ちょっと、何を始める気だ。
頼む、任務中なんだから俺の弟もどうにか抑えてくれ、そんな風に最大の一触即発に身震いしていた。その時だった。
後ろからパン!と大きく手を叩く音が響いた。
皆が振り向くと、ずっと影の薄かった参謀のヘーゲルが大げさに溜め息を吐いた。
「はいはい、そこまでにしなさいキイラ。客人であるハイデル殿になんたる無礼を働くんですか。これでは我々の団長の監督不行き届きという事になってしまうでしょう」
眼鏡を直しながら苦言を呈する男に、少年はわざとらしく口を曲げて見せた。
「うっせえな、その通りじゃねえか。邪魔すんなよ面白いとこで」
「全く面白くありませんよ。遥かな格上に喧嘩を売るのは止めなさい。心臓に悪いですよ。ねえ、ヴェスキア団長」
参謀がその名を出した途端に、キイラがさらに不貞腐れた顔をする。
神妙な面持ちで静観していた巨体の団長に、皆の視線が集まった。
「……ああ、まったくお前は何度俺に恥をかかせれば気が済むのだ。誠に申し訳ない、ハイデル殿。後で強く言って聞かせますので、どうかお許し願えますか」
「構いませんよ。彼も色々発散させたい事があるのでしょう。……ただ私もまだまだ未熟なもので、己の許容を越えられると容赦は出来ませんが」
「ええ、はい。それは十分身に染みましたよ。何はともあれ、貴殿のご決意は立派なものですな。このような事柄は、他人に口出し出来るものでは到底ありません」
そう言ってヴェスキアは従騎士の俺に目線を合わせ、和やかな表情で意味ありげに頷いた。
ん?
なんか、何を納得されたのか分からんが、俺誤解された? いや正確には誤解でもないんだけど。
「では皆さん、だいぶ打ち解けてきたかと思いますが、そろそろ夕食の時間になりましたな。この日の為に腕によりをかけた郷土料理をご用意しましたので、ぜひ楽しんで頂きたい」
団長の一声により、稽古場の緊張が解かれる。
うちの四騎士の二人は腕試しが出来ずがっかりした様子だったが、俺は心底ほっとしていた。
一歩間違えば、一般人の俺も戦闘に巻き込まれていた可能性があったからだ。
皆でぞろぞろと食事場へ向かい、その後、とくに何の問題もなく交流の時間を終えた。
反抗少年キイラの姿がなかったことは気がかりだったが、しばらく様子見をすべきだろう。
◆
そんなこんなで、やたら長く感じた夜も更け、俺達ソラサーグの騎士達は二人一組の部屋を用意された。
俺はというと、団長の意向でちゃっかり奴と同室になる権利を得た。ああよかった、これで明日までは従騎士の仮面を脱ぎ、つかの間の休息を得られるだろう。
そう思っていたはずなのにーー。
クレッドは夕食後、ヴェスキアに「団長同士、一対一で語り合いましょう」との誘いを受けた。一瞬俺を見て不安な表情を示した弟だが、断るのも不自然だ。
俺に自室へまっすぐ向かうよう言いつけ、俺は言う通りにした。しかしそこに、部屋の案内を買って出た細身の男がいた。
「今日は大変お疲れさまでした、セラン殿。老婆心ながら、あなたが無理をされてないか心配です」
「は、はぁ。まだ若いんで大丈夫ですよ、気にしないでください。ハハ」
また参謀のヘーゲルだ。
この人ずっと俺につきまとってきてちょっとキモいんだが。まさかストーカー?
「しかし先ほど目眩がするとおっしゃっていましたし。良ければ、こんなものを持ってるんです。一粒いかがですか?」
「……えっ? なんすかこれ、薬……?」
突然羽織物のポケットから取り出された小瓶に目が釘付けになる。
するとヘーゲルは自身の手のひらに、ばらっと赤色の錠剤を出した。
「体力を修復する増強剤ですよ。一気に疲れがとれるのでお勧めなんです」
「へ、へぇー。それはすごい。……でも僕、団長に知らない人から物を貰っちゃいけないってきつく言われてるんでゴメンナサイ」
「ふふ。そんなこと言わずに。あなたの元気が出ればきっとハイデル殿も喜ぶでしょう。今日知り合ったばかりですが、そのぐらい僕でも理解に及びますよ」
訳知り顔で参謀が瞳を細めている。
なにかとてつもなく嫌な予感がした。大体こんな風に明らかに怪しげな薬を勧めてくるなんて、どういうつもりだ?
しかし……俺は本来、魔法薬研究マニアの魔導師なのだ。
これがただの増強剤なのかどうなのか、確かめたい…。
悩んでいると、ヘーゲルの不気味な眼鏡に顔を覗きこまれた。
「意外に慎重な方なのですね。大丈夫です、僕も時々服用していますから。ほら」
ぱくっと一粒口に入れ、新しいのを俺に差し出す。
平然と笑みを浮かべる参謀に唖然としながら、気づけば俺は「……じゃあひとつだけ」と言い、その薬を受け取っていた。
「ではおやすみなさい、セラン殿。明日またお話出来れば嬉しいです」
颯爽と言い残し、その場を去っていく男を見つめる。
ああ好奇心に負けてしまった。普通に考えりゃこんなの罠に決まってんのに。
だが俺は急いで部屋に入り、どうやってこの薬を分解・試用しようか、すでに考え始めていた。
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