▼ 21 来訪者
僕とクローデはその日、森の中で休憩をしていた。天気がよく日光が当たる樹木の下で、土の段差に腰かけている。
彼の膝に前足を乗せて休む僕の背が優しく撫でられ、試験のことを忘れそうなほどゆったりした一時だった。
「今日で15日目か。半分まで来たな、オルヴィ」
「うんっ。この生活にも慣れてきたよね! 僕達」
頭を上げると、背を折り曲げたクローデが僕の獣耳に鼻を近づける。いきなりくんくんと吸いとられた。
「わぁぁっ。何っ?」
「なんかお前、森の匂いになってきたな」
くすりと笑いながら冬の柔らかい毛並みをといてくる。僕は自分では分からなかったため驚いた。嬉しいような、ちょっと寂しいような複雑な気持ちだ。
「じゃあクローデは……本当だ、家の中と違う! 獣みたいだー」
立ち上がって首の近くに鼻先を当てると、彼はさらに笑ってくすぐったがった。長めの黒髪が日光でキラキラして、青い瞳も輝いて見える。今日のクローデは珍しくリラックスした様子で僕も嬉しい。
きっと外での暮らしが順調だから緊張が取れる瞬間が出てきたのだろう。
僕はといえば、少し不謹慎ではあるけど、こうして一日中彼と一緒にいられることに幸せを感じていた。いつも仕事が忙しいハンターの彼を、寮で待っている毎日だったから。
でも、ひとつだけ今我慢していることもある。それはここに来て以来、まだ一回しか人化していないことだ。
「はあ……」
「ん? なんだよ。どうかしたか? オルヴィ」
僕のため息が聞こえたのか、彼は視線を落とし尋ねてくる。でも僕は「なんでもないよ」と明るくごまかした。
二人で頑張っているときに、わがままなんか言えないよね。人間の姿になって、クローデと抱き合いたいなぁ。なんて。
正直、キスも交尾も禁止だなんて思わなかったよ。
クローデは何も言わないけど、平気なんだろうか。僕達番同士なのに。
僕の獣人化した姿のこと、忘れちゃわないかな。ただのカエサゴの獣だって思ってないかなーー。
それから僕は時折訪れる悶々とした気持ちとともに、森を散策していた。その時だった、予期せぬことが起きたのは。
「待て、オルヴィ。人がいるーー」
緊張が瞬時に上り詰め、二人とも息を潜めた。十数メートル先の木の辺りに、ハンターの制服の上着を着た男が武装して歩いていた。こういう時、クローデは気配を殺して見つからないように場を離れる。
ここへ来て以来、幸いなことに密猟者には出くわしていないが、保護局のハンターの姿はたまに見かけた。でも僕らはある意味特別な任務中なので、姿が認識されないほうがいい。
遠くへ離れようと思ったがクローデがばっと振り向く。後方にはもう一人のハンターがいて、僕らを見て「あっ」という顔をした。
そして長い銃を構えたのでクローデも背にある武器に手を添える。
「違うよ、僕達怪しいものじゃないよ!」
「オルヴィ、静かにしてろ」
「でも……!」
クローデは彼らを警戒していた。制服を着て変装している密猟者もいるからだ。しかしやがてにらみ合ったあと、「俺はハンターだ」とこの前のようにバッジを掲げた。
相手は僕に視線を落とし、怪訝な顔をした。だが、銃を下ろし首をひねって考える素振りをする。
「ああ……もしかして、あんた……名前は?」
「……クローデだ」
「やっぱりそうか。ーーなあおい! こっちだ!」
男は離れた場所にいたもう一人の仲間に声をかけた。右往左往する僕の周りに、屈強な男達が三人集まる。どうしよう。
不安に思ったのだが、事は意外な方向に進んだ。もう一人の男が愉快そうに笑いながら僕達を見た。
「あんただったのか! いやあ、センターから通達があってな。この区域で追跡隊の訓練してるハンターとサゴがいるから、気をつけろってよ。中々見かけないから本当にいるのかって皆で言ってたんだよ」
「そうそう。あんた相当の手練れだな、クローデ。にしてもすごいな、保護局初のカエサゴのパートナーとは。まだ小さいようだが、俺らの仲間に入れば頼もしいよ」
「……あ、ああ」
二人の話に僕は目が点になってしまったが、クローデも頷きながら困惑した様子だった。
僕がパートナー? 仲間って、どういうことなんだろう?
もしかしてもう認められちゃったのかな?
「じゃあ、あんまり邪魔しちゃ悪いだろう。二人とも、頑張れよ。応援してるぜ」
強面に対して気の良い二人組はそう声をかけてくれて去ろうとするが、クローデが引き留める。
「すまん。この辺の密猟者達の出入りはどうなっている? 俺達はまだ一度も遭遇していないんだが、形跡もなかった」
「ああ。この辺りか。渓谷を隔てて入り組んだ場所にあるからな、元々安全地帯だったんだが。最近境界線から遠くない場所で荒しがあった。だからハンターも動員を増やし始めてーー」
彼らの詳しい情勢をクローデが真剣に聞き取っていた。どうやら不穏な雰囲気だ。
礼を言って別れたあと、僕らはまた歩きだした。ひとまず拠点に戻ることにする。
彼は打って変わってピリッとした空気をまとい口数も少なかったため、何か考えてるのだろうと思い僕は並んでついていった。
「ねえねえ、クローデ。追跡隊ってなんのこと? 僕らそれになっちゃったの?」
「いや……センター長のお達しらしいが、何も聞いてねえ。だが……」
拠点に着いたのち、丸太に座って手を組み、考えこむ彼を見上げた。
「追跡隊っていうのはな、もとは訓練された軍用犬や猟犬を伴う部隊のことだ。匂いや痕跡を辿るのに強い獣の習性を生かして、密猟者なんかを捕まえる人間の手伝いをさせるんだ」
へえーっと僕は素直に感心した。そういえばテレビでも人間の役に立ち働いている動物達を見たことがある。
「もしかして、僕それになれるのかな。だったらすごいよ! クローデと一緒に仕事が出来るんだ!」
単純に喜びわくわくした自分が、頭をふわっと触られ、彼のあまり機嫌のよくない表情に見つめられる。まるで反対だと言わんばかりの顔だった。
「簡単に言うな。どれだけ危険だと思ってるんだよ。俺は嫌だ。お前にそんなことはさせたくねえ」
はっきり断られて僕はしょぼんと落ちこむ。予想はしたけれど…。
「知ってるよ。僕弱いし子供だもんね。こんなんじゃクローデのパートナーにはなれっこないよね。いつも守ってもらってばっかりだし」
「そうじゃねえって、なんで分かんないんだよ。俺はお前には安全でいてほしいんだ、危ない目に合うのだけはーー」
そう言いかけて彼は髪をぐしゃぐしゃと掻き乱す。
また彼に僕のことを心配させ、気をやきもきさせてしまっている。僕が信頼に足る強い雄にならない限り、これは変わらないのだと申し訳なく思った。
僕は彼の隣に飛び乗り、肩にすりすり横顔をこすりつけた。そして甘えるように彼の頬を舐める。
「ごめんね、クローデ。でも僕もいつか立派な雄になって、頼ってもらえるぐらいに強くなるから」
「……オルヴィ。きっとお前がどれだけ強くなっても、俺はお前のことを考えずにはいられないんだよ。そういうもんなんだ……なぜなら俺は、お前をーー」
消えそうな声が耳元で囁かれ、どきりと鼓動が鳴る。クローデの腕の中にしまわれて、目をつぶった。
僕は完全に彼の真意を分かっていなかったけれど、クローデがやるせなさそうなのは感じた。
でも一匹のカエサゴとして、心の中で、いつか彼と一緒に肩を並べて行動するんだ、働くんだ。今みたいに。そんな願いが生まれていった。
それから数日が経つ。僕らはずっと同じ拠点にいたが、そろそろ移ろうかということになった。ここは過ごしやすく安全だとはいえ、これから寒くなるし、より良い場所を求めようとした。
そんな最後の夜だった。突然の来訪者が現れたのは。
夕暮れ時、クローデが何かの気配を感じて振り向き、立ち上がって周辺の木々へ向かおうとした。すると革装備をまとった大柄な男が、大きな荷物を持ち息を切らしながら歩いてきた。
「ああッ、やっといやがった! この野郎!」
「……なっ、お前、なんでここにいるんだっ」
懐かしく感じる二人の話し声に僕は喜び勇んで、尻尾を振る。金髪の坊主頭でいかつい風貌のベックが、なんと遊びに来てくれたのだ。
彼はニヒルな笑みで登場し、僕らの拠点に入ってきて大荷物をどさりと下ろした。
「おいクローデ。もっと喜べよ、このチビのようにな。わざわざこの俺様が様子を見に来てやったんだから」
「……おい、その荷物なんだよ。つうか俺達の場所よく分かったな」
「分かるわけねえだろが、半日歩き回ったわ。ここ入り組んだ場所のわりにすげえ広いのな」
はははッと高笑いして彼は説明をした。なんでもミハイルが僕らのことを毎日心配だ心配だと唱えていたらしく、しびれを切らした同僚のベックが寮長の彼に代わって、遠いところを訪ねてきてくれたのだという。
「ありがとう、ベック! 会えて嬉しいよ〜久々に友達に会ったよ!」
「おう。お前はほんとに試験中か? 相変わらず能天気な面しやがって。ほら、お前の好きなお菓子たんまり持ってきてやったぞ、食え」
「わあい! やったぁ」
彼の荷物の中にはスーパーにあるような食料が詰まっていて、一瞬野生を忘れた僕は目を輝かせた。
隣でクローデは肩を落とし「お前今回の趣旨分かってんのか」とぼやく。対してベックは丸太の中央に陣取って座り、大股開きで笑っていた。
「いいじゃねえか、こんぐらい。お前らの目的はいかに30日耐えるかであって、何も修行僧のように節制することじゃねえだろ。時々楽しみがないとなぁ、なあチビ。お前もこの仏頂面に厳しくされてんじゃねえか?」
「えっ? ううん、クローデは優しいよ。ちょっと心配性だけど」
「ははっ。そんなこったろうと思ったぜ」
声や仕草が大きいベックが来てから一気ににぎやかになったが、僕はとても嬉しかった。彼は最初怖い人なのかと思ってたけど、仲間思いで優しいお兄さんのような人間だ。
それにもうすぐ寒くなるからと、ふわふわの防寒着や寝具まで背負ってきてくれたらしい。食料も含めてクローデは「んな荷物増やして持てねえよ」と文句を言ってたが、結局ありがたく受け取っていた。
「俺達明日、場所を移るつもりだったんだ」
「そのほうがいいだろうな。来週雪だぜ、いよいよ試験の醍醐味がやって来るぞ。気をつけろよ」
「ああ、わかってる」
大人二人が真面目に話している間、僕も獣耳をぴくりと立てる。雪なんか初めてだ。大丈夫だろうか。
その後辺りも段々暗くなってきたため、僕達は暖かい火を囲んで食事を取り始めた。
「ところでよ、追跡隊創設おめでとう、二人とも」
「……あのな。聞いてねえんだよ、そんな話。ここのハンターに教えられたが」
「くくっ。不満そうだな、クローデ。まあミハイルも勝手に決めた親父さんと衝突してたけどな。……俺はいい案だと思うけどねえ」
コーヒーを飲みながら、ベックは僕をちらりと見た。尻尾を振って頷くと笑われる。
だがクローデはしかめっ面を直さないままだ。
「どいつもこいつも……危ねえだろうが。こいつの命をなんだと思ってやがる」
「あのなあ、危なくねえ仕事なんかねえんだよ。男なら覚悟決めやがれ。つうかな、それしかねえだろ? お前らが共存できる道は。周りにもチビの存在を認知させられるし、センター長の粋な計らいってやつじゃねえのか。……まあ、当然利益を見込んでのことだろうが。あのおっさん優男に見えても局長だからな、したたかだぜ」
喉の奥を鳴らしながら、ベックはなんだか楽しそうだ。クローデは反対してるけど、危険がいっぱいなのも承知だけど、僕の存在が役に立てるなら参加したい。
強い気持ちが芽生えつつ、一旦その話は彼の「とりあえず後でだ。今は集中するぞ、オルヴィ」という言葉によって、僕も気合いを入れ直すことになった。
談笑は続く。夜になってもベックの上機嫌な笑い声は続いた。彼は今日泊まっていくらしい。クローデはもっと静かにしろと怒っていたが、僕は三人でいることも楽しくて、ここにミハイルもいたらなあと想像した。
早く仲間の皆で会いたい。そんな思いがどんどん膨らんでいった。
「ほう。あのおっさん、予想に反して仕掛けてこねえんだな。変態じゃなかったのか? か弱いサゴを見届ける系ストーカーなのかねえ」
「さあな。今もどっかで見てそうだが。こっちには察知出来ないから仕方ねえ。向こうは完全な玄人だ」
クローデはあくびをする僕に手を伸ばし、引き寄せる。僕は彼の温もりに入るチャンスだと思い、懐に潜り込んで寝そべった。
無意識かもしれないけれど、ジオの話をするとき、クローデは少し緊張感とか苛立ちのようなものを放つため、僕はすぐに感知する。でも同時に僕に触れようともしてくるから、なんとなく嬉しく感じた。
「そうかそうか。お前も心配であんまり寝れてねえんじゃねえか? よし分かった。今日は俺が見張りしててやるから、二人とも大の字で寝てろや」
大口で笑うベックに対し、驚くべきことにクローデはあっさりと「じゃあ頼むわ」と言って僕を抱え、その場にごろんと横になった。
とても嬉しいのだが、そのぐらい同僚のベックを信頼しているのだと知り、衝撃も受ける。
僕はうとうと眠りながら、いいなぁと羨ましくもなった。これが雄同士の仲間意識。自分もいつか本当の仲間に入りたい。そんな風に夢見心地だった。
しかし、事件はその後にやって来る。
僕達は日頃の疲れもあったのか、ぐっすり眠りに落ちていた。珍しくクローデもだ。
なのに突然体を揺さぶられて起こされる。
「おい、起きろ。お前ら」
「……ん……なんだ、何時間経った…? 交代か」
「いや、四時間ぐらいか。ちょっと小便いきてえ」
あくびを噛み殺すベックを前に、僕達は体を起こす。そんなに寝てしまったとは。
まだ深夜だったが、久々の深い眠りが取れたようだった。
クローデも火の番をしながら、彼と交代をした。でも、中々ベックは戻ってこなかった。近くの川辺に向かったはずだが。
ランプを手にやっと彼が現れたころ、一緒に何か小さい茶色のものがまとわりついているのを見て僕らは目を疑う。
しかも二人は騒がしく、喧嘩をしていた。
「ーーだから、悪かったっつってんだろ、ついてくんなって! ほらもう帰れよ!」
「なんだと!? ボクにおしっこかけておいて逃げるのかっ? もっと謝れーっ」
それは僕より少し小さいカエサゴの子供だった。初めて対面する雄のサゴに目を瞬かせる。
クローデは若干顔をひきつらせながらも彼らに近づいた。
「お前な……どうしたんだ、そのサゴは……」
「いやー、ちょっと寝ぼけてたのか、小便ぶっかけちまってよ。だってこいつが小さく丸まって隠れてやがるから、見えねえだろそんなもん」
「なっ、小さくない! お前のおしっこが強すぎるんだー!」
小さいのにかなり怒っていて僕はハラハラした。話しかけようと思い近づく。
少しつり目で大きな緑の瞳が可愛らしく映った。
「ねえねえ、僕はオルヴィ。君は? ベックがごめんね。悪い人じゃないんだよ」
「いや悪い人でしょう。なんで君が謝るの? ……ていうか、どうしてこの人間たちと一緒にいるの?」
じろっと見つめられて言葉に詰まった。でもすぐに気を取り直す。
「僕の大切な仲間だからだよ。お世話になってるんだ。僕はカエサゴだけど……」
「ふうん。……家に帰ったほうがいいよ。たぶん危ないよ。君もひどい目にあってるんじゃないの?」
彼はじっと顔を覗きこんできて、心配が伝わった。まったく知らないはずの僕に対して。
「ううん、毎日幸せだよ。ありがとう、心配してくれて。ねえ、君も一人で何してたの? 危なくない?」
尋ねると、今度は彼がぎくりとした顔つきになった。「別に、ただの散歩」と慌てる。腕を組み訝しむベックの隣で、見かねたクローデがしゃがみこんだ。
「君は家があるのか? 一人で大丈夫か。俺が送っていこうか」
「……ううん、大丈夫だよ。家族もいるし」
そう言って彼は僕を気にしたように見やり、踵を返そうとした。明るめの色の尻尾が揺れてもうお別れなんだと悟る。
「おい、お前マジで帰れんのか? 人間の好意はむげにすんなよ、あとちゃんと体洗えよー」
「わかってるよもう! 悪い人間めっ。……じゃあボクはもういくから。そうだ、ノルテだよっ」
彼は僕にそう言ったあと、すごい勢いで駆け出した。あっという間に暗闇に姿が見えなくなり、呆気に取られる。
ノルテ? きっと彼の名前を教えてくれたのだと気づき、すごく嬉しくなった。
おかしな出会いだったけれど、もっとお話してみたかったなぁ。
「平気かね、あのサゴ」
「ああ。足取りは確かだったしな。疲れた様子もなかった」
「……だよなあ。巣穴は遠くなさそうだが。あんなとこで何してたんだか」
そうして三人とも予期せぬ来訪者に対し、しばらく考えを巡らせていた。
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