愛すべきもの | ナノ


▼ 12 クローデ

目が覚めた時に、誰かの温もりがあることに、俺は慣れていない。
最小限の音を出すアラームに手を伸ばし、体を起こそうとすると背中に何かが乗っていた。オルヴィだ。

「お前は……だんだん寝相が悪くなってきたな」

寝起きの掠れた声で呟くが、うつぶせで下半身を俺に乗せた奴はあどけない横顔で寝息を立てていた。
最初の頃は行儀よく隣で丸まっていたのに。人を信用するようになったのかもしれない。

オルヴィをそっと下ろし、寝顔を確認したあと俺は朝風呂に向かった。いつもは夜だけで済ませていたが、最近森の中で出会ったカエサゴに、匂いを嗅がれて感づかれたのだ。
幸い彼はすぐに去ったが、俺の体にオルヴィの匂いがついてるのだと反省をした。
短い時間ならば問題なさそうだとはいえ、周りに気づかれるわけにはいかない。

シャワーを浴びて仕事場に向かう前に、まだ慣れない料理を始めた。するとオルヴィが目をこすりながら起きてくる。

「クローデ、またご飯作ってるの? 僕食べてもいいの」
「お前に作ってるんだよ。俺は食わん」

焼き上がった綺麗とは言えない卵とハムを皿に入れて差し出すと、奴は顔を輝かせて居間の散らかった机の前にしゃがみこんだ。朝の日課である獣耳と尻尾の毛繕いをしながら、食べ物にも手を伸ばそうとしている。

「お前、猫舌だろ。まだ熱いから、落ち着いて体の掃除してから食えよ」
「うん。でも早く食べたいんだ。っていうか僕は猫じゃないよ。カエサゴだよ」

笑いながら手振りが急がしそうなオルヴィは、最近さらに口が達者になってきた。
仕事前に、楽しそうに食事をする子供を眺める時間ができるとは、俺は自分に対し世も末だと思っていた。

以前ならば酒場で飲みギリギリに帰ってきて、ただ寝て起きて仕事に行くだけの生活。それが今や、家にこんな小さな話相手がいるのだから、驚きだ。


その日俺は、いつも通り保護センターに出勤をしたあと、仕事道具を持って森に出た。車は置いて武器を背負い、馬の台車を走らせて現場へ向かう。
基本的には一人行動だが、地理や保護対象であるカエサゴの数、流れてきた密漁者らの情報により、ハンターは二人から複数に増やされる。

今日は、相手がミハイルだった。金髪を結わえた優男で、若いのに相当な手練れだ。寮長としてハンターらをまとめる役割もある奴は森をとりわけ熟知しており、仕事はしやすかった。

「クローデ、この辺は大丈夫みたいだ。この間罠を全て除去してから、奴らが入り込んだ形跡はない」
「ああ。一応、彼らに警告をしてから次の地点へ向かおう」
「そうだな。じゃあ、ちょっと待っててくれ」

そう言って彼は指笛を使って合図をした。森林に響いたそれは、やがて一頭のカエサゴを呼び出す。濃い茶色の毛並みをもち、ひっそりとした気配で佇む大型の獣だ。俺から距離がある二人は、なにやら親密に話したあとで別れた。
この仕事を始めてもう六年ほどだが、カエサゴと親しくしているハンターを見たのは初めてだった。

森の樹木を抜けて歩いているときに、俺は切り出した。

「ミハイル。お前はどうやって今のカエサゴと仲良くなったんだ?」
「ん? ああ。彼か。昔の任務でね、ちょっと。自慢じゃないけど、俺は小さい時からこの森が好きでよく訪れてたから、あまり警戒されないんだよ」
「……そうか。野生児みたいだな」
「はは。確かにな」
「ところで、オルヴィが世話になったらしいな。あいつお前から貰った菓子を、大事そうに溜め込んでたよ」

視線をやり告げると、普段は余裕をかもす奴が明らかに動揺して立ち止まった。  
だが俺に向き合い、真摯な表情で話し出す。

「そうか、見つかっちゃったか。オルヴィのことは怒らないでやってくれよ。俺が勝手に話しかけたんだ」
「ああ。別に怒ってねえ。あいつが嬉しそうにしてたんでな、礼が言いたかっただけだ」

肩をわざとらしく竦めて言うと、ミハイルは驚きの眼差しをする。

「君が? それは、びっくりだな。大事にしてるんだろう? 彼のこと」
「まあな。だが、俺もお前にビックリだ。なぜ上にチクらない? お前は寮長で、センター長の息子だろ」

俺の指摘に、奴は言葉に詰まったようだった。この男は保護センターの責任者である局長の倅なのだ。それを普段まるで鼻にかけず人当たりもいい青年なため、皆からも忘れられてるほどではあるが。

「そうだけど……俺はただ、オルヴィに悲しんでほしくなくて。彼は君に、すごいなついてるみたいだからさ。たぶんだけど、事情があるんだろう? 行くところがないとか…」

心配げに尋ねられた俺は素直に頷いた。こいつはオルヴィがカエサゴだとは分かっておらず、ただ身寄りのない少年を俺が匿っていると信じているんだろう。

「ああ。親戚みたいなもんでな。しばらくは、俺が面倒みたいと思っている」
「……そうか。でも、しばらくって、いつ?」

なぜか視線をまっすぐ合わせて問われ、今度は俺がすぐに答えられなかった。詳しい事情はなにも知らないはずの同僚に、ふいに核心をつかれたためだ。

「いや、ごめん。俺が口出すことじゃないよな。とにかく、報告はしないから安心してくれ。周りには気を付けてるけど、オルヴィもすごく良い子だもんな。……ああ、呼び出しちゃってるのは俺だけどさ」

頭に手をやり苦笑する様子が、憎めない奴に思えた。それにあのオルヴィが直感的にいい人間だと感じているのだ。柄にもなく、俺もそれを信じようとしていた。

「まあ、時々あいつの話し相手になってくれたら、助かる。……けどな、これだけは言っておくが。大人っぽい話はあいつとすんなよ」
「……えっ。もしかして、あのことか? そうか、彼はちゃんと相談出来たんだな」
「ああ。教えてやったよ」
「ええ!」

大袈裟に反応するミハイルにはそれ以上、この話はしなかった。
俺も未だに自分がした行為の是非を、自信をもって決められなかったのだ。


「ただいま」
「おかえり! クローデ!」

お疲れさま、と夜なのに瞳を大きく開けて抱きついてくる少年を受け止める。茶髪の髪の間に生える獣耳が嬉しそうに立ち、つい撫でた。
不思議な感じだ。この俺をこんなにも明るく出迎える存在がいるとは。

さっと湯で体を流し、俺達は遅い夕食を取ることにした。だが台所を見て唖然とする。

「お前、何やった? 台所が粉まみれだぞ」
「料理だよ。僕、ハンバーグ作りたかったんだ」
「小麦粉と卵でハンバーグは作れねえぞ。出来てパンケーキだろ」
「そうなの? すごーい、クローデ。物知りだね! じゃあ今度はそれにしようっ」

失敗してもまるでめげていないオルヴィを見下ろし、俺はしゃがみこみたくなった。実際にそうして奴の前に膝をつき、華奢な体を抱き締める。すると、上下に動いていた尻尾がぴたりと止まった。

「どうしたの? クローデ。僕、ごめんね。汚くして。……それとも、また元気ない?」

恐る恐る様子をうかがう不安げな目元を見つめる。また、というのはこの前俺が酒を飲んだ時のことを思い出したのだろう。管轄区での仕事がうまくいかず敵にカエサゴを奪われた日だ。

「いや、違う。別に汚くても構わねえ。俺は……お前が頑張って何かをしようとしてるのは、嬉しいぞ。ただし、怪我はすんなよ。心配だからな」

そう言って頭を撫でると、オルヴィは一転して顔色を明るくし、何度も頷いた。
こうやって分かりやすく、ストレートに気持ちを伝えようとすることは、俺にとって最初は簡単ではなかった。

知っている自分ではないようで、いい年をして気まずさや恥ずかしさのようなものが起こる。
だがこいつは、オルヴィはまだ子供で、とくに素直なやつで、俺の言葉や態度に敏感だ。だから繊細な心を踏みにじりたくない。俺のことで、怯えさせたくない。
そんな風に考えていた。

結局その後、朝御飯と大差ないソーセージを焼いただけのものを出したのだが、オルヴィは美味そうに絶賛して食っていた。この世にはこれより美味いもんが五万とあるぞと言っても、「クローデが作ったものが一番いいんだ」と知らないくせにせがまれて、また調子が狂う。

早く食い終わった俺は机に肘をつき、一生懸命頬張る奴を眺めていた。

「オルヴィ、そういやお前、何かあったら連絡しろって言ったのに全然してこねえな」
「え? だって、何もないんだもん。僕、ちゃんと大人しくしてるよ。それにクローデは仕事で忙しいんだし」

うんうん頷く奴をじっと見るが、その後も様子は変わらなかった。オルヴィには電話のやり方を教えたが、携帯が鳴ったことは一度もない。
こいつはカエサゴの子供であるサゴだが、れっきとした獣だ。彼らは概して温厚で大人しく、冷静で知的な種族であるものの、オルヴィに関しては聞き分けが良すぎる気もした。

「なあ、もっと俺を困らせてもいいんだぞ。変な気使うなよ。それでなくても、お前には我慢させてんだからな」
「……ええっ? してないよ、僕、全然大丈夫だよ。クローデが一緒にいるだけでいいんだ」

そう言ってどこか不安な顔つきで俺の胴に抱きついてきた。
一瞬驚いたが、俺も腕を回し奴のことを抱え込む。背を撫でていると落ち着いたようで時々上目遣いで見上げられた。

「おい、そんな顔するな。もっとわがまま言ってもいいんだぞって話なだけだ」
「……でも、僕もうわがままでしょう?」
「違えぞ。どこがだよ?」
「だって、もっとクローデと一緒にいたいなって思っちゃってるから…」

オルヴィの見上げる目元が赤らみ、照れたようにはにかんだ。
普段の様子から、こいつは今勇気を出して俺にそう言ったのだと気づく。だから自分も、奴の気持ちに応えなければならないと感じた。

「俺もだ。お前と一緒にいたいと思ってる、ずっとな……」
「……そうなの? 本当っ? クローデ」
「ああ」

奴は可愛らしく瞬きを繰り返し、感極まった様子で、いっそう俺の体に掴まってきた。
撫でていると、もう覚えてしまった温もりが手に伝わる。

いつまでもこいつをこの場所に閉じ込めてはいけないのは、分かっている。
だがオルヴィに伝えた言葉は、このタイミングで明かそうとは思っていなかった俺の本心だった。



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