▼ 96 兄の呪い
弟のクレッドが魔女タルヤから受けた呪い、それは『男と百回性交しなければならない』というものだった。性的欲求を高めさせ、奴の精液に媚薬成分をもたらし、欲望の標的を兄である俺に向けさせる。
タルヤが刻みつけた呪印には『兄弟に呪いあれ』と書かれていることから、これは俺達二人への、二重の呪いであるに違いないと俺は踏んでいた。
数日前、同僚の呪術師エブラルにより、呪いの件と俺達の禁断の関係が暴かれて以来、俺は何をするにも気もそぞろで落ち着かない日々を送っていた。
表面的には次の任務が決まるまでの間、いつものように家でダラダラと過ごし、時折弟子に小言を言われながらも白虎の使役獣の毛並みに顔を埋め、心地よさを堪能するーーそういった変わらぬ日常を過ごしていた。
その時、玄関からベルの音がした。
「あれ、誰でしょうね、マスター。はーい、今行きますよ〜」
台所で夕飯の準備に勤しんでいた弟子のオズが手を止め、パタパタと廊下に出て行った。
すぐさま慌てた様子で戻ってきた奴は、ソファに横たわるロイザの上でだらんと寝そべる俺に、とんでもない事を言い放った。
「マスター、お客さんですっ。ローブ姿の、たぶん魔術師かな? アルメアさんていう名前の子なんですが……」
「は!?」
俺は即座に飛び起きた。あの炎の魔女タルヤの甥っ子がなぜ俺の家まで来るんだ。エブラルの紹介で、確かに呪いの相談にのってもらうことにはなっていたが。
完全にしどろもどろになりながら、オズには「ああその子ね、休暇中に偶然知り合って友達になったんだわ」などと嘘をつき、速攻でひとり玄関へと向かった。
そこには黒髪赤眼で黒ローブをまとい、左手には魔法杖を持っている幼い顔立ちの少年が立っていた。
斜め後ろにはスーツ姿の執事が待機しており、俺に笑顔で会釈をしてきた。
「お久しぶりです、セラウェ様。突然の訪問をどうかお許しください」
「は、はあ。二人ともお揃いで。つうかアルメア、お前どうやって俺の居場所が分かったんだ」
「エブラルに聞いたんだよ。僕がわざわざ来てあげたのに、なにその嫌そうな顔。さあ早く呪いの話を始めようか。クレッドはどこ?」
淀みない口調で早速本題に入ろうとする少年に、唖然とした。
おいはっきり呪いとか口にすんじゃねえ。廊下の奥の部屋にはオズもいるんだぞ。
焦った俺はすぐに居間に戻り、弟子に小一時間ほど外出する旨を伝え、二人を弟のもとへと連れて行くことにした。
◆
いつも仕事が終わるのが遅いクレッドは、まだ騎士団本部にいるはずだ。
合鍵を持っている俺はいつでも部屋に来ていいと言われていたが、こんな怪しげな魔術師と執事を勝手に連れ込んだら、さすがに怒りを買うだろう。
冷や汗を流しつつ、目的のためならば仕方がない。そう腹をくくって弟の部屋の扉を開いた。だが中には予想外の光景が広がっていた。
「うわッ、……兄貴?」
扉を開けるとすぐに驚愕の形相をしたクレッドと目が合った。しかし奴は瞬時に顔を輝かせ、俺のもとにずんずんと向かってきた。
でもちょっと待ってくれ、なぜか弟は金色の髪を色っぽく濡らし、鍛え抜かれた肉体を惜しみなく披露した、下着一枚の姿だった。
「クレッド。ふ、風呂入ってたのか?」
「ああ。今日仕事早く終わったから。なんで部屋に入らないんだ? 早くこっち来て、兄貴……」
俺が頑なに扉を全部開けるのを拒むと、目の前までやって来た弟が、俺の背後に立っている存在に気づき、顔を引きつらせた。
途端に冷酷な表情になり、ぎろっと睨みつける。
「貴様、何故こんな所に……どうやって領内に侵入した」
「はあ。君までそんな失礼な態度取るの? 本当に僕に呪いのこと相談したいのかな。いいから早く中に入れてくれる?」
呆れる魔術師の肩に手を添え、執事がクレッドに頭を下げる。
渋々と室内に招き入れる弟だったが、着替えをする為に自室へ戻ろうとしたところを、アルメアが引き止めた。
「服はまだ着ないでいいよ。ちょっとそのままでいて欲しいんだ」
少年の理解不能な言葉に対し、俺の思考が停止した。
「おいてめえ何言ってんだ。俺の弟をお前の変態趣味に付き合わせるんじゃねえ」
本気の怒り顔で睨みつけると、小馬鹿にするように深い溜息を吐かれた。
なんだその態度は、だってこのガキは自らの屋敷に十人もの少年メイドを所有する、いかがわしい子供だぞ。
「セラウェ。エブラルから話は聞いてるけど、君も魔導師なんだろう? 察してくれないかな。僕が興味有るのはクレッドの体じゃなくて、呪印だよ。ほら、調べるからよく見せてくれ」
「えっ、呪印? ……ああ、そうか。忘れてたわ。すまんすまん」
頭を掻きながら勘違いしてしまった恥ずかしさをごまかすのだが、それでもやっぱりどこか胸に引っかかる。印の場所が場所だからな。
だが俺以上に過度な反応を示したのは当のクレッドだった。
「ふ、ふざけるな……調べるって何をするつもりだ」
「何って、間近で観察しつつ触診して調べるだけだよ。血縁であるタルヤの呪いなら、それがどんなものか僕にはすぐに分かる。逆を言えば、エブラルのように名高い呪術師であっても、僕らの血族でなければ呪いを解明することは出来ないのさ」
少年はふふんと誇らしげに言い放った。それだけ特殊で複雑な呪いだというのか。今更だが頭痛がしてきた。
俺は黙りこくる弟の肩に手を置いて慰めた。きっと刻印の入った太ももを見られるのが恥ずかしいのだろう。
「大丈夫だ、クレッド。俺もそばについててやる。だから安心してーー」
「は? い、いやそれはいい。もっと恥ずかしいだろ。兄貴はここで待っててくれ」
「え、なんだよそれ、二人きりでどこ行くつもりだ? ここでやれよ、ソファの上でいいだろ」
「何言ってるんだ、嫌に決まってるだろ! あっちの部屋に行くから!」
途端に大声を張り上げ子供のように駄々をこねる弟と揉み合っていると、白けた顔をしたアルメアがクレッドの腕をぐいっと引っ張った。
有無を言わさず二人は奥の部屋へと消えて行き、俺は呆然としたまま執事と共に居間に取り残されてしまった。
時間にして二、三十分が経過した。おい長過ぎねえか、あいつら何やってんだよ。
苛々が募り激しく貧乏ゆすりをしつつ、ソファで帰りを待っていた。
「ノイシュさん、あの二人ちょっと長くかかりすぎじゃないですかね。怪しいな」
「ええ、そうですね。けれどご心配はいりませんよ。アルメア様はお姿はお若いですが、呪術師としては確かな腕をお持ちですから」
執事が柔らかい口調で述べる。向かいに座ることを何度か促したのだが、屋敷にいた時と同様綺麗な姿勢で立っている。執事というのはそういうものなのか。正直落ち着かない。
しばらくして魔術師とクレッドが帰ってきた。弟はすでに服を着ていたが、薄っすらと顔が赤らんだままで妙な雰囲気を醸し出している。
訝しんだ俺はすぐさま奴に駆け寄った。
「おい、大丈夫か。何されたんだお前。新しいこと分かったか?」
矢継ぎ早に尋ねると、弟の蒼い瞳はどこか虚ろで、遠くを見ているようだった。
言葉を発しない弟が心配になり、両腕を掴んで揺さぶった。すると突然意識が戻ったかのように、クレッドは俺のことを勢いよく抱き締めてきた。
えーーいきなりどうした。すでに席に着いているアルメアとその隣に佇む執事の視線が突き刺さる。
けれど弟を突き放すことは出来ず、戸惑いながら背中をぽんぽんと触った。
「マジで何があったんだ、クレッド」
「兄貴……俺は……絶対に……」
背中にぐっと力を込めて、声を絞り出すように話す弟の様子がなにかおかしい。
頑なに離れようとしない弟を不審に思い、俺は怒りの矛先をアルメアに向け、思わず睨みつけた。
すると奴は目を細めて不快な笑みを浮かべた。
「君たち、血の繋がった兄弟なのに本当に愛し合ってるんだね。クレッドは僕が話した呪いの内容が、それほどショックだったのかもしれないな」
あ、愛……? 魔術師の発した衝撃的な指摘に意識が奪われかけたが、すぐに『呪い』の内容へと考えを集中させた。
この野郎、弟に何を言いやがったんだ。
「呪いのことが分かったのか、アルメア。頼む教えてくれ」
依然として俺を離そうとしないクレッドを見ていると、尋常でないほどの緊張が襲ってきた。それほど恐ろしい事実が分かったというのか。
まさかやっぱり弟の気持ちは呪いのせいだとか言わないよな。……いやそんなはずはない。俺は弟から真っ直ぐに注がれる深い愛情を信じている。
それに俺だって、本気の気持ちでこいつのことをーー。
「勿論教えてあげるよ。話も色々と聞けたし、僕の考察もまとまった。じゃあ二人とも、きちんと座ってくれるかな」
不気味に微笑む少年に促され、俺は弟をなだめて隣に座らせた。
腰を下ろした途端、顔を押さえてまだ相当なショックを受けたままの弟に、言い知れぬ不安がよぎる。
アルメアはそんな俺達の様子をとくに気にも止めず、淡々と事実を述べだした。
「タルヤの呪い、これは本当に君たち兄弟への呪いだ。弟のクレッドには兄に対し、暴力的なまでの性欲を植え付け、欲望のはけ口にさせる。男と百回性交などという一見くだらない内容も、高潔さを求められる聖騎士にとっては、最も屈辱的な行為といえるからね」
魔術師は一字一句を、確信的かつ滑らかな口調で話している。
自分の中で鼓動がトクトクと音をたてるのを感じた。
「そして兄であるセラウェは非力な魔導師だ。憐れにも屈強な騎士である弟に組み敷かれ、兄本人にしか作用しない媚薬成分を体内に注ぎ込まれる。その事によって、君の体は次第に変化を遂げていく。君ももうその事実に、気がついているんじゃないかな? それこそが、自分への呪いだということに」
耳を塞ぎたくなるような言葉の数々でも、俺は必死の思いで聞いていた。だが奴の台詞の締めくくりに、胸が異常なまでにざわついた。
「え……話の途中までは俺も覚悟していた内容だけどさ。俺の体の変化って……なんだ? それが呪いってどういう意味だよ。まるで理解が追いつかないんだが」
「クレッドの精液のせいだよ。まさか君を楽しませるためだけに、催淫成分が付与されたとでも思っているのか? タルヤはそこまでお人好しじゃない。目的は君の体を作り変えることだ。そうして次第に、君はところ構わず欲情するようになる。その矛先が弟だけに向けられるなんて、誰にも断言できない。自分でも抑えきれず、いつしか淫欲の渦へと飲み込まれ、溺れていってしまうのさ」
自分の叔母が与えた呪いを、まるで心底くだらないとでもいうように、嘲笑を含み吐き捨てた。
だが黙りこくっていた弟は突然大きな反応を示した。横顔は険しく、怒りで肩が震えている。
「ふざけるな……俺以外の者に、そんな事、絶対に許さない……兄貴は俺のものだ……触れていいのは、永遠にこの俺だけだ……ッ」
激情に駆られたかのように声を上げる弟を見て、思わず言葉を失った。
俺は、最近の自分自身に潜む渇望に気がついていた。
でもそれは、弟への強い想いのせいで、弟をさらに求めてしまうようになったのだと理解していた。
その気持ちも欲求も、決して呪いのせいではない。自分ではそう確信している。
この先も、クレッド以外をこの体が求めることなんて、有り得ないのだ。
けれど隣に座る弟は勢いを止めることなく激高していた。瞳には焦燥の色を宿し、何かに追い立てられるように、自らの怒りを全身に表している。
痛ましいほどに感情をあらわにする弟を前に、急に胸が締めつけられた。
いても立っても居られなくなった俺は、弟の顔に触れ、そっと自分の方に向けさせた。
「クレッド、大丈夫だよ。俺がお前以外の奴に、そんなこと……あるわけ無いだろ。何も心配するなって」
だからそんな風に恐れる必要なんてないんだ。俺は変わったりなんかしないから。
人前であることも気にせずに、弟の手にそっと自分の手を重ね合わせた。するとぎゅっと力強く握り返された。
俺はただ弟を安心させたかったのだ。
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