俺の呪いをといてくれ | ナノ


▼ 68 守りたい -クレッド視点 回想7-

兄貴が魔術仲間と出かけるのを見送ってから、俺はいつも通り風呂に入り、その後一人で夕食を取っていた。
食事が終わった後自室にいたが、数時間経っても兄貴は帰って来なかった。

もしや何か起こったのかと思い、じっとしていられなくなった俺は玄関へと向かった。そこには乳母のマリアがいた。両親が留守の中、きっと俺と同じように兄の帰りを待っていたのだろう。

「セラウェ坊っちゃんがまだお帰りになってないんです。私心配で……」
「大丈夫、マリア。俺がちょっと外の様子見てくるから、家にいて」
「でも坊っちゃん、こんな時間に一人で外出なんて危ないですよ。それにどこにいるのか……」

マリアはおろおろしながら、俺達兄弟の身を案じているようだった。申し訳無さを感じた俺は、少しでも安心させるつもりで目をしっかりと見て口を開いた。

「俺、兄ちゃんがどこに居るか知ってるんだ。そんなに遠くない場所だから大丈夫だよ。すぐに帰るから、心配しないでね」

マリアを説得した後、すぐに玄関を出て厩舎に向かおうとした。兄貴がいるはずのシュタール美術館は街の端に位置し、ここから馬で数十分ほどの距離にある。
すると門の前に人影を発見した。一瞬兄かと思い安心したのだが、それは思わぬ人物だった。

「あ、クレッド! 今日お前んちの母ちゃん達居ないんだろ? 明日休みだし泊まりに来たぜ!」

一人で緊迫している所に気の抜けた声が響き渡り、すぐに親友のカナンだと分かった。手には菓子類や飲み物が入った袋を抱え、いつもの調子でこちらに向かってくる。

「カナン、兄ちゃんがまだ帰ってないんだ。俺今から迎えに行くから、家で待っててーー」
「え!? セラウェお兄ちゃんこんな時間まで遊び歩いてんの? 危ないじゃん!」

急に真剣な顔で言われ、胸がさらにざわついた。そうだ、遅くならないときちんと約束したのに、帰って来ないのはおかしい。もし危ない目に合っていたらと考えると、気が触れてしまいそうな感覚が襲った。

俺はカナンの両肩に手を乗せ、ある言伝を頼むことにした。一人で敵のいる場所に乗り込むのは、得策ではない。手段は一つに絞らないほうがいい。

「よく聞いて、カナン。今から家に戻ってキシュアを呼んできてくれ。それからシュタール美術館に来るように言ってほしい。兄ちゃんに何かあったのかもしれない」

目を見開いたままの親友にちゃんと自分の意図が伝わったか確認し、俺は独りで先に目的の場所へと向かうことにした。


以前美術館だった建物に着くと、そこは当然ろくな明かりもない廃墟になっていた。黒い館風の建物自体ははっきりと残っているが、内部は古びた家具や備品が散乱しており、不気味に寂れた雰囲気だった。

ランプを手に、入り口から奥のロビーへと進む。すると二階へと続く階段の先から、微かに物音がした。
不審に思い上階へ向かうと、廊下の突き当りの部屋から数人の話し声が聞こえてきた。

兄貴はおそらくここにいる。そう思った俺は音を立てないように近づき、扉の影に周って聞き耳を立てた。

「あー、あのおっさん無茶するよな。こいつどうすんだよ、まだ起きねえぞ」
「まあ待てよ。……ちゅーしたら目覚ますかなぁ」
「ちょっと止めなさいよ、ルカ。あんた本気でやりそうだから怖いわ」

一人を除き、声の主が判別出来た。二人はあのケイナとルカだ。
だが何故か兄貴のいる気配がない。おぞましい会話の内容からとてつもなく嫌な予感がした。

俺は我慢できずに扉を完全に開け、部屋の中に足を踏み入れた。
そこは壁一面を赤いカーテンに覆われた密室空間だった。だだっ広い部屋に木目調の床が目に入るだけで、余計なものは一切ない。

三人は俺の顔を見た瞬間、はっと目を見張って身じろいだ。直感的に不穏な空気を感じ取り、奴らの足元にある影に視線を移した。
皆に囲まれるように床に寝そべっていたのは、紛れもなく俺の兄だった。

「何、してるんだッ!」

その光景を見て一気に血が上った俺は、頭のぐらつきを感じながら真っ先に兄の元へ駆け寄ろうとした。
しかし目の前に立ちはだかったのはルカだった。不機嫌そうな面をして、褐色の瞳が再び俺を見下ろしてくる。

「おい、なんでお前がここにいんだよ。部外者は出てけ」
「ふざけるな、退け! ……兄貴に何をしたッ!」

俺は激昂して叫んでいた。男の妨害を振り切ろうと足を踏み出すと、突然胸ぐらを掴まれた。自分より背が高く体格にも恵まれた、おそらく兄貴よりも年上の男だ。
けれど怯むつもりはなかった。手を掴み返し全力で振り解こうとするが、ルカはその様子を見てただ嘲笑の笑みを浮かべるだけだった。

「はっ、威勢がよくてもまだ子供だな。力で俺に勝てるわけねえだろ。騎士の訓練とかいうやつ、全然足りてねえんじゃねえの?」
「……このっ……離せッ」

悔しいが奴に反論する術が無かった。兄貴を守りたいと思ったのに、俺の力ではこの男にすら敵わないのか。
当時十三歳だった自分が痛烈に感じた敗北感でもあった。
行き場のない怒りを感じて睨みつけていると、突然後ろから甲高い声が響いた。

「ああ! バカじゃないあんた、弟くんに何すんのよ!」

怒った口調で俺達の近くに寄ってきて、ルカを下からキッと睨みつける。だが男は依然として苛つきを滲ませた目つきを向けていた。

「うるせえな。こういう生意気なガキは一回シメといたほうが良いんだよ。この先何度も邪魔されちゃ、うざくてたまんねえだろ」
「はあ? あんたセラウェにもっと嫌われーーいや殺されるかもよ? いいから離しなさいよ、かわいそうでしょ!」

二人が口論している間に、もう一人の男が近寄ってきた。視線をやると、金髪でシャツをはだけさせた、柄の悪そうな男だった。この中で一番大人に近い年齢に見えた。

「おいお前ら静かにしろ。誰か来るぞ」

真面目な声色で放たれた忠告を聞いて、二人はすぐに黙った。心当たりがあった俺は開かれたままの扉に目をやった。すると足音を鳴らし走ってきたキシュアが、俺たちを発見した途端慌てて立ち止まり、ぜえぜえと息をついた。

「えっ誰? 結構いい男……」

ケイナがぼそっと呟き目を丸くした。キシュアは凄まじい形相で俺達の元へ向かってきた。

「てめえ何してんだよッ!!」

普段の飄々とした態度からは考えられないほど、憤怒の表情で俺を掴んでいたルカに飛びかかった。同時に俺は胸ぐらを解放され、気が付くとキシュアがルカを勢いよく殴りつけているのを目撃した。
ドサっと床に尻を着いた男が、赤くなった頬を押さえてキシュアを睨みつけた。

「……クソッ何すんだてめえ! いきなり殴りやがって、お前誰なんだよ!」
「うるせえ! てめえこそ誰だ! ……おいクレッド! セラウェどうなってんだ!?」

皆が唖然とする中、我に返った俺は急いで兄の元へと向かった。この騒ぎでも横たわったままの兄のそばに跪き、顔を覗き込んだ。目を閉じて邪気のない表情で眠っているように見えた。

「兄ちゃん、どうしたんだ!」

口元に耳を寄せ呼吸の有無を確認すると、寝息を立てているようだった。胸もかすかに上下し、調べてみると脈も体温も正常だった。
しかし声をかけても目覚める様子がなく、目の前が真っ暗になりそうだった俺は、必死に体を揺さぶった。

「なんで起きないんだよ、兄ちゃん!」
「セラウェ、起きろ! 何やってんだよお前! おい!」

キシュアもそばに来て、二人で声をかけ始めた。すると俺達のそばに、もう一人の派手な男とケイナがしゃがみ込んだ。

「おい、あんたら。こいつ寝てるだけだから心配すんな。たまに起こることだよ」
「そんな言い方しちゃ駄目よ、デナン。……あのね、二人共。しばらくしたらちゃんと起きるから大丈夫よ。今日はね、セラウェが心酔してる人の秘術のお披露目があったのよ。それでセラウェが自分が実験台になるって言い出して……」

耳を疑った俺がケイナを凝視すると、気まずそうに苦笑された。
俺の兄は自ら進んでこんな状態になったのか? 何故そんな馬鹿なことをするんだ。
途端に胸が潰れそうになり、兄の頬に手のひらを添えた。指で撫でると、わずかに頬が動いた気がした。

「おい、それ本当か? ……こいつ馬鹿じゃねえのか! 早く起きろよセラウェ!」
「ま、待ってキシュア、兄ちゃんが……」

再び体を揺さぶろうとするキシュアを制止し、異変が現れた兄の様子を見守った。
すると兄貴は徐々に目を開けた。虚ろな表情で一点だけを見つめ、そのまましばらくぼうっとしていた。

「兄ちゃん、起きたのか。大丈夫か?」
「……クレッド。キシュアも……なんでお前ら、こんなとこに居るんだ?」

段々と意識がはっきりしてきた兄貴を抱き起こし、目の動きを見て異常がないか確認した。
頭を抱え、記憶が定まっていない素振りを見せる兄が心配になった。

「ああ、良かった。もう、今回は中々目覚めないから心配したじゃない。あんたの弟くんと友達? も駆けつけてくれたのよ」

ケイナが声をかけると、デナンと呼ばれた男が兄貴の頭をポンとはたいた。その無礼な振る舞いに怒りが湧いたが、兄貴のへらっと笑った顔を見て気が抜けてしまった。

「悪い悪い。俺、途中から全然覚えてなくてさあ。やっぱあの人の秘術ってーー」
「……ふざけんなよてめえセラウェ! 俺達心配したんだぞ、馬鹿なのかお前は!」

兄貴の声を遮り本気で怒った様子のキシュアが、その胸ぐらを掴んだ。すると兄貴は一瞬で怯み、申し訳なさそうに「本当にごめん。反省してるから」と目を泳がせながら謝罪の弁を述べた。

俺も心配の余り責める言葉が思い浮かばなかったわけではないが、先ずは兄貴が無事だったことに心の底から安堵した。
色々な思いを胸にじっと兄の瞳を見つめると、頭にそっと手を置かれた。

「ごめんなクレッド、心配させて。迎えに来てもらって、ありがとな。……俺こいつが言うように、馬鹿だった」

人前ではあるが頭を撫でられ、兄貴から言葉をかけられると、一気に胸が詰まりそうになった。
何も言うまいと思っていたのに、気がつくと俺は、人目も気にせず兄貴をがばっと抱きしめていた。

「兄ちゃん、危ないことしたら駄目だって言っただろ。約束してくれ……」
「……ああ、分かった。これからは、気をつけるから」

予想に反して素直に抱擁を受け入れられ、感極まった俺はさらに力を込めた。
背中に手を添えられ、乱れていた心がすうっと満たされていくのを感じた。

「おいセラウェ。俺達の間ではこんなの珍しいことじゃねえだろ。つうかお前、やっぱり魔術止めようとか言わないよな?」

振り返ると、腕を組み不遜な態度で俺たちを見下ろしているルカがいた。
俺はぎりっと奥歯を噛み締めて、再び湧き起こる憤りを必死に抑えた。

「言うわけないだろ。あと余計なこと喋るな」
「なんだよ、俺はただお前と一緒に研究続けたいなあって思ってるだけだろ?」

にやにやと笑いながら楽しそうに言う男を見て、怒りを通り越して目眩がした。
自分でも何故この男にここまで不快な感情を抱くのか分からない。
自分への敵意を感じるからなのか、俺の知らない兄の顔を知っているからなのか、無意識に兄を奪われるかもしれないと、恐れているからなのかーー。

「おい黙れ、ルカ。これ以上面倒ごと増やすんじゃねえ。お前も今日は帰れ、セラウェ」
「そうね。デナンの言う通りよ。もう遅いし、今日はこれでお開きにしましょう」

皆が一斉に出口へ向かう中、依然として兄貴にぶつぶつと小言を言うキシュアだったが、こうして幼馴染の助けもあり、無事に兄貴が家に戻れることに俺は胸を撫で下ろした。

不気味に俺のことを見ているルカの視線を感じたが、もうこの男の存在を視界に入れたくなかった。本当ならば兄にも触れさせたくない。けれど当時の俺は、自分にその強制力がないことを知っていた。
もどかしい気持ちを感じながら、俺達はようやく帰路へと向かった。


キシュアに礼を言って別れた後、兄貴を後ろに乗せ馬を走らせた。小さい頃は反対だった座り順がどこか新鮮に感じた。
しっかりと腰に手を回してもらい、暗い夜道を駆けていく。静かになった兄を少し心配しつつ、家の前に着いた後、厩舎に向かい元の場所へ馬を戻した。
黙って様子を見ていた兄貴は眠そうに目を擦りながら、俺に向かって信じ難い言葉を口にした。

「クレッド……俺、すごい眠い。……おぶってくれねえ?」
「……えっ?」

兄貴におぶって欲しいと言われたのは、勿論初めてだった。俺は動揺しながらも疲れた様子の兄を気遣い、言われた通りに家まで背負うことにした。

「兄ちゃん、大丈夫? そんなに眠いのか?」
「うん……大丈夫。眠気がおさまんなくて」

想像よりも軽く感じた兄をしっかりと背に抱え、玄関を抜けると廊下の奥から乳母のマリアが駆け寄ってきた。
こんな時間まで起きて待っていたのかと、申し訳無さと同時に有り難い気持ちが沸き起こる。

「どうしたんですか! セラウェ坊っちゃん、大丈夫ですか?」
「平気だよマリア、兄ちゃん寝てるだけだから。なんか疲れちゃったみたい。今部屋に寝かせてくるね」

マリアは兄の寝顔を確認して、ほっとした顔を見せたが、またすぐに憂いを帯びた表情になった。

「はい……ああ、でも何か必要なことがあれば、すぐに言ってくださいね」
「うん。ありがとう。心配かけてごめんね」

両親は留守だが、自分を含めて兄の身を心配してる人々が、こんなにたくさんいる。その事が嬉しく、心強くも思えた。

俺は兄貴の部屋に向かい、背におぶっていた体を優しくベッドの上に下ろした。
布団を掛けて、またさっきと同じようにすーすーと寝息を立てる兄の顔を見ていると、何かが胸に込み上げてきた。

あんな光景を見て、やっぱり胸が潰れるかと思うぐらい心配した。
兄に何かが起きれば、俺はきっととんでもなく気が動転して、自分を見失ってしまうかもしれない。
絶対に危険な目にはあって欲しくない。これからもずっと、危ない目に合わせたくない。

改めて自覚しながら、頬に手を触れてゆっくりと撫でた。そうしている内にまるで幼い頃とは逆だと思い、不思議な気持ちになった。
あの頃はいつも一緒にいたくて、この部屋に押しかけ話をしてもらい、一緒に寝てもらおうとした。
今でもずっとそばに寄り添いたい思いは変わらない。けれど自分と同じ気持ちを、兄から求められることは無いのだと、とっくに知っている。

分かっているのに、その夜はとくに兄のそばを離れたくないと、心の内で思っていた。
もうすぐ家を出て行ってしまう兄と、あとどれぐらい一緒の時間を過ごせるか分からない。寂しくなるからといって、今距離を置くべきじゃないのかもしれない。
こうして寝顔を見ているだけで、幸せな気持ちになれるのだから。

つらつらと考えていると、兄貴の目が突然ゆっくりと開けられた。
またぼうっとした表情で天井を見つめているかと思えば、急に深い緑の瞳が俺の方に向けられた。どきりとした俺は、とっさに立ち上がった。
部屋へ戻らなければーー何故か急にそう思った瞬間、兄貴が口を開いた。

「クレッド、ここに居ろよ。……久しぶりに一緒に寝ようぜ」

体を横に向けて、優しい表情でそう述べた。聞き間違いかと思い言葉を失っていると、布団をめくり手でぽんぽんとベッドの上を示してきた。

「でも、兄ちゃん。もうベッド、二人で寝るには狭いだろ」

俺は動揺を隠すように告げた。すると兄貴は変わらぬ柔らかい表情を向けてきた。
心臓がやたらとドキドキ脈打つのを感じながら、俺は兄の答えを待った。

「狭くたっていいだろ別に。くっついて寝れば……」

そう言って俺の腕を掴み、勢いよくベッドの中へと引きずり込んだ。
気がつくと俺は仰向けになり、兄の伸ばされた片腕に上半身を抑えられていた。俺に半分覆いかぶさるようにして視線を向けてくる兄貴を、恐る恐る横目で見る。

予期せぬ兄からの誘いに、どう反応していいか分からなかったが、兄貴は再び眠気が襲ったのか次第に目を閉じた。
この体勢では、俺は眠ることが出来ない。それにどういうわけか、以前あれだけ一緒にこのベッドで寝起きを共にしたというのに、前とは違う感覚がした。

落ち着かない気持ちを脇へと押しやりながら、兄の腕を少しずらし、横向きになった。
すぐ隣で顔をこちらに向けて寝ている兄貴を見た後、とりあえず俺は目を閉じることにした。

しかしその夜はそれで終わりではなかった。俺の人生の中で、忘れがたい二人の夜になったのだ。



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