俺の呪いをといてくれ | ナノ


▼ 67 決意の芽生え -クレッド視点 回想6-

十三歳になった頃、俺は騎士学校に通い始めた。学校では剣技のみならず格闘技を含む武芸一般を学び、他にも騎士の精神や作法を叩き込まれた。
普通学校の友人とも離れ、急激な環境の変化に身を置いたが、自分を追い込むことはかえって都合の良いことだった。何故なら余計な事を考えずに済むからだ。

その頃は自分の体にも大きく変化が現れていた。筋力がつき身長も伸び、成長痛のせいで睡眠が妨げられるほどだった。父の教えのもと食事をたっぷりと取り、体を鍛えることにも重点を置いていた。

朝と放課後の稽古の後、毎日二回風呂に入るのが日課だった。その日の朝も浴室を出て濡れた体を拭いていると、突然扉が開かれた。
顔を上げると目を丸くした兄貴が立っていた。

「うわっお前なんで鍵閉めないんだよ!」
「え……いつもこの時間俺が入ってるって、皆知ってるだろ?」
「俺は知らねえよっ」
「それは兄ちゃんがいつも昼まで寝てるからだろ」

冷静に指摘すると兄貴は何も言い返せなくなったのか、ぎろっと赤い顔で睨み、扉をバタン!と閉めた。
その頃の俺は以前のように、自分の兄にベタベタと甘えることをしなくなっていた。
もうすぐ家を出て行ってしまう事実を考えると、どんよりと気が滅入る。それを隠す様に、自分なりに一定の距離を保とうとしていた。

食卓へ向かうと、乳母のマリアと兄の姿があった。配膳の準備をしているマリアに朝の挨拶をし、席に着く。

「坊っちゃん達、今日は旦那様も奥様も騎士団の社交会へお出かけになられて、出先で宿泊されるようですよ。息子のヴィレも同伴しているんです。夕食はいつもの時間にご用意するので、お二人で取られて下さいね」
「えっそうなんだ。お母さん達帰って来ないのか……」

兄貴がぽつりと呟いた。俺は皆の外出を聞いていたが、普通学校を卒業して以来、毎日好きな時に寝起きしダラダラしている兄が知らないのも無理はなかった。
家を出るにあたり両親とーーとくに父との衝突があり、兄貴はわざと時間をずらして父と顔を合わせないようにしていた。この時から二人は長く膠着状態にあった。

マリアが部屋を出て二人きりになると、兄貴が急に真剣な顔で俺を見てきた。

「なあクレッド。お前その年で、すでに凄い良い体してんだな」

二人で朝食を取っていて何の前触れもなく放たれた言葉に、俺は飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。

「……な、何言ってるんだよ? 兄ちゃん」
「騎士学校に通い出してから体つき変わったよな、お前。もう俺より背も高いし。……まぁ俺もまだ身長止まってないけど、たぶん」

背の話をすると兄貴は苦々しい顔になった。弟の俺に抜かれることが気に食わなかったのだろう。
とくに反応をせず食べ続けていると、身を乗り出した兄に突然腕を掴まれた。

「どんぐらい力あんの? ちょっと俺の手首握ってみて」
「……は?」

テーブルを周り隣に腰を下ろした兄貴が、袖を捲って腕を差し出してきた。何がしたいのか、よく分からなかった。
とりあえず手首を掴み観察してみると、三つ年上なのに、俺よりも細いことを知った。

「兄ちゃん、俺が本気出したら痛いと思うよ」
「いいよ全然。俺なんでも試したいんだ。貴重なデータになるから」

意味不明なことを言われたがその時は無視した。この細い手首を握るのは危険だと思い、手を握る。
けれど大事な兄の手に本気で力を入れるなんて、出来るわけがない。そんな俺の気持ちもこの人は何も知らないんだろうと思い、寂しさが募った。

「……久しぶりだね、手握るの」
「ああ、そうだな。お前の手もう俺のよりでかくない? 成長早すぎだろ」

手のひらを見て懐かしく思った。そういえば、兄貴に家を出ると告げられて以来、頭を撫でられた事はなかった。自分の成長を考えると妥当なのかもしれないが、どこか胸にぽっかりと穴が開いたような感じがしていた。
考えながら少し力を入れると「痛えッ」と声がした。全く本気を出してないのに、兄の薄弱さに驚いて笑いがこぼれそうになる。

「大丈夫? ……ねえ、今度は兄ちゃんが俺の手握ってみて」
「おい何笑ってんだよ。俺が力ないこと知ってるだろ」

文句を言いつつ言う通りにする兄の温もりを感じ、俺はどこか嬉しくなっていた。
二人だけでこうして話をするのも久しぶりだ。気持ちを表立って示すことはしないが、束の間の時間が幸せに感じていた。


学校から帰宅すると、師匠による剣術の指導が始まった。場所は家の敷地内にある、庭園の隣に位置する広場だ。
自主練習とは別に週に三度行われた個別の稽古は、騎士の鍛錬に欠かせないものであり、俺が十七歳で騎士学校を卒業するまで続けられた。
師匠は父が昔いた騎士団の元団員で、当時騎士見習いの若者達に指導を行っている人物だった。

俺は稽古用の模擬刀を構えて立ち合いを行っていた。正面を見据え、間合いを取りつつ隙を見ては何度も剣を交じり合わせる。

「クレッド。相手の装備によって狙う場所は変わる。臨機応変に対処しろ」
「はい、先生!」

助言を汲み取り関節や首元を狙っていく。動きが簡単に読まれているのか、全ての攻撃を容易にいなされる。
しばらく続いた後、師匠はそれまでの厳しい顔つきから、一転してにこりと笑みを浮かべた。

「よし。少し休憩するか。……お前、今日やけにやる気があるな。なんかいい事あったのか?」
「別にありません。どうしてですか」
「だって凄い上機嫌じゃん。その年でいつもピリピリしてるのに」

汗を拭う俺とは対象的に、常に涼しい顔をしている男が茶髪を掻き上げて言った。
師匠は剣術の稽古の時以外は気のいい男だった。師としては尊敬しているが、馴れ馴れしい振る舞いは時折うざいと感じることもあった。

「先生。魔術師ってどんな修行するか知ってますか?」
「えっなんだ急に。……まさかお前まで魔術勉強したいとか、言い出さないよな」

ぎくりとした顔で見られ、思わず自分の師に呆れ顔を向けそうになるのを堪えた。

「言いません。俺は騎士になりたいんです」
「そうだよな、良かった。兄貴に続いてお前が騎士になんなかったら、俺先輩に殺されちゃうよ」

先輩とは父の事だ。この男は昔から異常に父のことを怖がるフシがある。過去に何かあったのかもしれない。
しばらく考えていた様子の師匠がおもむろに口を開いた。

「クレッド。騎士の世界には一定のルールがあるだろ? 元は無法者に近かった戦士達をまとめる為に作られた体系だ。高潔な精神を持ち、女子供や弱者に優しくし、主君に忠誠を誓って奉仕する。あくまでその枠組みの中に存在しているんだ。だけどな、魔術師っていうのは一概にこういうものだって言えないんだよ」

すごく大雑把に述べられた騎士観よりも、その後の言葉が気になった。

「つまり色んな類の人間がいるってことですか」
「そうだ。お前を脅すわけじゃないが、何の分野を学ぶか誰に師事するかでかなり変わる。セラウェが何やろうとしてんのか、具体的に聞いたことあるか?」

急に兄の名を出され、言葉に詰まった。俺は魔術には興味がない。兄が夢中になっている事を知りたいと思った時期もあったが、それに兄の関心を奪われるたび、心のどこかで反感を持つようになっていた。

「俺は、何も知りません……。やっぱり危険な目に合ったりするのかな」

独り言のように呟くと、師匠に頭をくしゃくしゃと撫でられた。子供扱いされたようで腹が立ち咄嗟に睨みつけるが、逆に優しく目を細められた。

「あいつのこと心配なんだな。じゃあお前が大きくなったら守ってやれよ。お前の兄貴、どっか抜けてるとこあるから、誰かが見ておいたほうが良いと思うぞ」

何気なく発せられた師匠の言葉に驚愕した。
俺が兄貴を守る……? そんな事は考えたことが無かった。三つ年上の男を年下の俺が守れるのか。
疑問には思ったが、もう幼い頃とは違い、俺のほうが背が高く力も強くなったことを改めて考えた。

「先生。俺に出来ると思いますか?」
「今のままじゃ駄目だな。かなり修行しないと」

にやりと笑い、再び頭に手を乗せられた。
俺は単純だったのか、その言葉を鵜呑みにした。毎日鍛錬を欠かさず立派な騎士になれば、いつか兄貴を守れる男になれるかもしれない。人知れずそう決心したのだった。


稽古が終わり、師匠と別れた俺は家へと向かった。すると玄関の真正面にある門の前に、一人の男がいた。
黒髪で背が高く、がっしりとした体つきの見知らぬ人物だった。不審に思った俺はその男の顔を見た。するとすぐに思い出した。
あの日、校庭で兄貴の肩を抱いて一緒に連れ立っていた男だ。

「うちに何か御用ですか」

目が合ったのを確認し尋ねると、男はふっと笑った。近くにやって来て見下され、じろじろと不躾に観察される。

「……ああ、セラウェの弟か。今お前の兄ちゃん待ってんだよ。あいつ遅えから呼んできてくんねえ?」

初対面でも感じ取れる横柄さと馴れ馴れしさ、俺は当時からこういう手合が大嫌いだった。兄貴の名前を口にされた事にも無性に腹が立った。

「嫌です。ここで好きなだけ待っていたらどうですか」

自分の気持ちを率直に述べ素通りしようとすると、突然後ろから肩を掴まれた。力強く引っ張られ正面に向き直される。

「感じわりいなぁ。だから騎士はムカつくんだよ。ガキのうちから気取りやがって」

無礼な言葉の荒さとは対象的に、にやにやと嫌らしい笑みを浮かべていた。
こいつも魔術師になるような奴なのか、兄貴はこんな輩とつるんでいるのか?
怒りが沸々と湧いてきて思わず拳に力が入った。

「なんだよその目。生意気だなあ。つうかお前全然セラウェと似てねえな。血繋がってんの?」
「……似てない兄弟だっている。あんたに関係ないだろ」

衝動に駆られそうな気持ちをなんとか抑えようとしていると、突然顎を掴まれた。間近で舐めるように顔を眺められ、全身に鳥肌が立つ。

「ほんとだ、目の色も全然違え。あいつのはもっと濃い緑だよな。……すげえ魅惑的で、そそられるーー」
「……なっ……離せッ!」

勢いよく手を振り払うと、男の褐色の瞳が不気味に細められた。
この男は駄目だ。兄貴には近づけてはいけない。俺は本能的にそう感じた。

すると玄関の奥から「わっ!」と甲高い音が聞こえてきた。見知らぬ声に驚いて振り向くと、そこにはあのブラウンの長い髪の女の子が立っていた。驚きの眼差しで俺を見ている。
後ろには口をあんぐり開けた兄貴の姿もあった。

「お前、クレッド、何してんだそんなとこで」

兄貴は慌てた様子で俺のそばに駆け寄ってきた。男にちらっと目をやった後、俺の腕を引っ張った。

「おい。あいつに何かされてないか? あんまり近寄るなよ、変な奴だから」

周りに聞こえないようにぼそぼそ伝えてくる兄貴の腕を、俺はとっさに掴んだ。早くこの場から兄貴を連れて立ち去りたい。そんな思いに駆られていた。

「兄ちゃん、ちょっとこっちに来て」
「えっどうしたんだよ、クレッドっ」

すると兄貴の肩を、またあの男が後ろから抱きかかえてきた。動きを強制的に止められた兄貴が前のめりになりそうになる。

「何すんだてめえ、離せよルカ!」
「もう時間だぞ、セラウェ。そんなガキほっといて早く行こうぜ。あのおっさん切れたら怖いだろ」

そう言われた瞬間兄貴の顔が引きつった。
俺が構わず兄貴を家に連れ戻そうとすると、目の前には女の子が立っていた。

「君がセラウェの弟くん? ああかわいい……っていうかすでにカッコイイわね。私ケイナって言うの。よろしくね」

大人びた雰囲気にふさわしい口調で、兄貴よりも年上に見えた。手を差し出され、内心動揺しながら握手に応じると、嬉しそうに両手で強く握られた。
何故かきらきらとした目つきで見つめられ、居心地の悪さを感じる。

「……クレッドです。よろしく」

正直この人を敵視していたのだが、女性に面と向かってそれを表すわけにはいかない。騎士としてあるまじき行為だ。
それに、俺の敵意はすでにこのルカと呼ばれた無法者に向けられていた。

「あのね、今日お兄さんのこと少し借りちゃうけど、心配しないで。この男からは私が守るから」
「おいケイナ、失礼なこと言うんじゃねえよ。俺が危ない奴みたいだろ」
「だって実際そうじゃない。いつもセラウェにまとわりついて」

ーーふざけるな。俺の兄に何だって?

頭に血が上りそうになるのを抑えながら、俺は二人が話している隙にようやく兄貴を捕まえ、玄関の中へと引きずり込んだ。
壁に押し付け、逃げられないように両手をついて囲う。

「兄ちゃん、どこ行くんだよ。あの二人、どんな人?」
「あ、あー……一緒に勉強してる奴らだよ。変わってるけど危険な奴らではないから。心配するな」

目を泳がせて述べる兄の言うことを、そのまま鵜呑みに出来るほど俺は子供ではなかった。
両腕をがっしりと掴み、真剣な顔で見つめる。

「あの男、おかしいだろ。何か嫌な予感がする」
「えっ……お前あいつに何か言われたのか?」

焦った様子で尋ねられるが、俺は答えなかった。嫌な予感を具体的に説明する術がない。ただ兄にとって害になり得ると直感したのだ。
きっとそんなことを言っても信じてはもらえないだろうし、子供じみた行為にも思えた。

「……危ないことはしないって約束してくれる? それに、夜遅くなったりしたら駄目だ」
「ああ。大丈夫だよ。今日、師匠になってほしい人に急に会えることになってさ。だからちょっと重要で……」

言い訳っぽく話す兄の様子に、責めることも出来なくなった。二人で夕食を取れることを、密かに楽しみにしていた自分が少し悲しくなる。
けれど一応所在ははっきりさせないといけない。何故なら今日は、この家に俺しかいないのだ。

「それ、どこでするんだ? 教えて、兄ちゃん」

真剣な声で尋ねても、なぜか兄貴は言葉を渋っていた。
距離を置こうと思っていたはずなのに、俺は初めて兄の動向を詳しく聞き出そうとしていた。
その日師匠に言われた「守る」という言葉が、脳裏に深く刻まれていたのだ。

「……誰にも言うなよ。場所は街のシュタール美術館があった場所で、今廃墟になってるとこだよ。地形的にも魔力を扱った訓練に向いてるんだ」

そんな怪しげな所で度々おかしな魔術の訓練をしていたのか。
俺は文句を言いたくなるのを堪え、渋々兄貴を解放することにした。

家の門の前に立つ二人の奇妙な仲間と共に、俺の知らない顔で立ち去っていく兄を、どこか寂しい気持ちで見つめていた。
けれど約束したにも関わらず、兄貴はその日、夜遅くなっても俺のもとに帰っては来なかった。



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