▼ 69 渇望の始まり ※ -クレッド視点 回想8-
深夜を過ぎた頃、天井の小さな明かりが照らす兄貴の部屋で、俺達はベッドの上に横になっていた。一度目を閉じたものの、全く眠ることが出来なかった俺は、あどけない子供のような兄の寝顔を近くで見つめていた。
まぶたをぴくりと動かし、時折むにゃむにゃと寝言を言う兄が、年上なのに可愛らしく思えた。
飽きる事なくじっと見ていると、やがて兄貴の目が薄っすらと開かれた。どきりとした俺はすぐに寝たふりをした。何となく、見ていたことがバレたら恥ずかしいと思ったのだ。
「……クレッド、最近お前……あんまり俺のとこに、来なくなったよな……」
寝言にしては明瞭な台詞に、驚いた俺は即座に目を開けた。すると眠そうな兄の顔が、真っ直ぐ自分に向けられていた。
「起きたの、兄ちゃん」
「……なあ、なんで……来ないんだ?」
ぼんやりとした表情で再び尋ねられ、俺は言葉に詰まった。唐突な問いに聞こえたが、実際に正しい指摘だった。
「別にそんなこと、ないだろ。……学校とか忙しくなって、前みたいに時間がなくなっただけだよ」
「……そうなのか。俺、ちょっと寂しいなって……思ってたんだ」
思わぬ感情の吐露に俺は驚愕した。兄貴が気持ちをはっきりと口に出すことは滅多にない。
けれど自分と似た寂しさを同じ様に感じていたのかと考えると、胸がじわりと熱くなった。
「兄ちゃんも寂しいって、思ってくれてたのか?」
「うん……だって俺達、いつも一緒にいただろ。お前とした約束だって、忘れたわけじゃない……」
そう言うと、兄貴の顔が少しつらそうに歪んだ。去年、家を出ていくことを告げられた時、ずっと一緒にいるという約束を忘れたのかと、感情の赴くままに兄を責め立てた。
もしかしたら兄貴はその事を気にしていたのかもしれないと、自分の行動を悔み胸が痛んだ。
「……あの時のこと、覚えててくれたんだね」
「覚えてるよ。お前は大事な弟だし……俺、お前のこと好きだからさ」
それはごく自然に、穏やかに告げられた。でも俺はその瞬間、感情を大きく揺さぶられた。
小さい時に何度も言ってもらった言葉だ。成長してからお互いに言わなくなったことでもある。
密かに望んでいた兄の言葉を手に入れ、普通なら嬉しく思うはずなのに、どうしてこんなに胸が苦しいのだろう。
「俺も、好きだよ。兄ちゃん」
そう呟くと、どこか虚しく響いた。俺は兄の弟であることに幸せを感じているし、それはこの先も変わらない。
けれど、きっと兄の好きと俺の好きは、同じ意味を持たない。たぶん俺はそれ以上のものを望んでしまっている。
兄からの言葉を聞いて、その事実が容赦なく突きつけられた気がした。
けれど兄貴はその後、俺が閉じようとした心をこじ開けてきた。
深い緑の瞳にじっと見つめられ、伸ばされた手が俺の頬に触れられる。優しく撫でられて、体にびりびりと何かが走った。
「…………っ」
心臓がドキドキして、頭がぼうっとしてくる。このままでは良くない。どういうわけか危機感を感じた俺は、体を起こしてベッドから抜け出そうとした。
「どこ行くんだ? ……行くなよ。一緒に、いてくれ」
手を上から握られ、俺は動きを止めた。邪気の無い澄んだ瞳に、そばに居ろと求められている。
この気持ちは何なんだ? 今まで感じたことのない危うさが、そこら中に漂っている感覚がした。恐怖すら感じた俺は、兄の目を焦りの表情で見ていた。
「駄目だよ、兄ちゃん。俺、自分の部屋に帰らないと」
「……なんで? ここに居ろって」
腰に腕を回されて抱きつかれ、どうすればいいのか分からなくなった。
危険なのは兄じゃない。この俺だ。直感的にそう思い、俺は兄貴を引き剥がし、仰向けに寝かせた。上から見下ろすように眺めると、ぼんやりとした目つきで見返される。
無防備な表情を向けられ、さらに焦燥が募った。
「俺、お前が離れていったら、寂しいよ。クレッド……」
そう言って、俺の体に身を寄せてくる。離れてしまうのは兄の方なのに、素直な気持ちを述べられ困惑した。
子供みたいに体を丸め、まるで小さい時と立場が逆転してしまったかの様に、俺の胸に顔を埋めようとする。
俺はその時、とっさに身を引いた。顔を上げて無垢な表情を浮かべる兄に対し、すでに無視できない自分の感情に、触れさせてはならないと思ったのだ。
「待って、もう少し、離れて」
肩を優しく押して制止しようとするが、兄は構わず俺に抱きついてきた。
何故だろう。喜ぶべきはずの抱擁が、その時はただ早く終わってほしいと願っていた。
「お前の体、温かいな。気持ちいい……」
けれどそう言われた瞬間、俺は突如湧き出た衝動が抑えられなくなってしまった。
兄の頬に手を当て、もう片方の頬に顔を寄せた。一瞬だけ頬に口を触れさせ、すぐに離す。
衝動的な行為をした後、俺は我に返り、恐る恐る兄のことを見た。すると、兄貴はぼうっとした表情を向けていた。
「嫌だった? 兄ちゃん……」
思わず尋ねると、兄貴は首を横に振り、夢見心地な顔をしていた。
俺は頬の感触が忘れられず、もう一度同じことをした。優しく触れてはまた口を離す。何度か繰り返していると、兄貴の体が段々とビクつき始めた。
「あ……んぁ……」
小さく漏れた声に驚き、俺はばっと起き上がった。すると口を少し開けた兄が僅かに眉をひそめていた。
ドクン、と心臓が鳴り響き、思わず息をのむ。吐息がかかるほど間近に顔を迫らせ、俺は兄貴の唇に視線をさまよわせた。
「口にしても、いい……?」
何を考えてるんだ、それは駄目だーー脳内に響き渡る言葉を無視して、俺は問いかけた。
兄貴は浅い息をつくだけで、何も答えなかった。俺は堪えきれず、互いの唇が触れそうな距離まで近づいた。
一度タガがはずれてしまうと、もう自分を止めることが出来なかった。
「んん」
唇を押し付けると、兄の声がわずかに漏れ出した。やり方なんて知らない。ただ見様見真似で触れさせただけだった。
けれど兄の口が少し開かれた。舌が出され自分も舌をゆっくりと這わせる。もどかしく絡み合わせ、その後は無我夢中で口を貪った。
「兄ちゃん、キス……好きなの?」
俺は何故か悲しくなる気持ちを抑えながら、兄に尋ねた。まだ口を半分開いたまま、うっとりとした顔で見つめられる。
「分からない……初めて、したから」
ぼそりと呟かれた台詞は信じられないものだった。三つ年上の兄との口付けは、お互いに初めてだったのか。
「本当に? 俺としたの、初めて……?」
胸の高鳴りとともに問いかけると、兄貴は静かに頷いた。
言い知れぬ感情が沸き起こりそうになりながら、俺は再び兄の口を強く塞いだ。
「ん、ん……っふ……ぁ……」
こんな事、して良い訳がない。許されない事に決まっている。
俺は兄を守りたいと思っていたのに、こんな風に自分の欲望をぶつけてしまうなんて。大事に思っていた気持ちを、大切な兄のことを自らの手で汚してしまったんじゃないか。
頭の中はぐちゃぐちゃだったのに、俺の下で浅く息をついている兄貴を見ていると、感情を抑えることが出来なくなっていた。
「んむっ、んんっ、んう」
抵抗されないのをいい事に、何度も唇を重ね合わせた。そうする度に気持ちが溢れそうになり、口を離してはすぐにまた名残惜しくなって、絶え間なく繰り返してしまう。
「はあ、はあ、はあ」
キスする合間に、兄が俺の背中に腕を回してきた。ただ仰向けになっていただけだったのに、突然自分から体をぴたりと密着させてきて、俺は身を強張らせた。
兄貴が腰を少し浮かせ、すり合わせてくる。体を引こうと思っても、中々離れなかった。焦った俺は兄の目をしっかりと見て訴えようとした。
「何してるんだ、駄目だよ」
「……でも俺、もう……我慢できない……」
俺の服を掴み、切なそうに呟かれた文言に卒倒しそうになった。俺だって小さな子供ではない。兄が何を意図しているのか分かっている。
けれどそんな事をしたら、何かが崩れ落ちてしまう気がした。すでに後悔しても遅いことを、どこかで知りながら。
「ん、あ……あぁ……っ」
気がつくと俺達は互いの腰を密着させ、前後に揺らし合わせていた。下半身に伝わる熱を感じながら、目線を合わせて共に快感を募らせていく。
「うあ……あ……気持ち、いい……」
兄貴が俺の下で目を閉じながら、小さな声で喘いでいた。悩ましげに眉を寄せ、時折目を開けて、つらそうな表情で俺と視線をかち合わせる。
そんな顔、するのかーー衝撃的だった。それと同時に、俺は絶対に、兄貴のこの表情を他の誰にも見せたくないと、強くそう思ってしまった。
「駄目だ、そんな顔……したら」
「ん、んぁっ、は、あ」
「俺の、前だけに……して、兄ちゃん」
「……あぁっ……クレッドっ」
俺は腰をさらに強く押し付け、動きを速めた。お互いに服を着たままで、ただくっついて刺激を求めているだけだったが、どうしようもなく気持ちが昂ぶった。
自分の下で小さな声を出し、表情を変える兄のことを、今までとは違う更に大きく湧き起こる感情を胸に、見つめていた。
もう止められない。引き返せない、その言葉が脳裏に深く刻まれた。
「……まって……服、邪魔だ……」
兄貴が俺の腰を引っ張って動きを止め、自分の服をめくった。
俺はその行動に目を見張ったが、下を脱ぎづらそうにしている兄貴を助けるように、緩めのズボンに手をかけて少し引いた。
下半身を浮かせ身じろぐ兄を凝視する。途端に現れた白く細い腰と勃ち上がった性器に目を奪われた。
艶めかしい様子に直視するのを躊躇ったが、俺は恐る恐る兄の腰に手を伸ばした。
「…………ぅあっ」
脇腹を少し指でなぞっただけで、兄貴は声にならない声を漏らした。口で浅く息を吐き、顔を薄っすら紅く染めて俺のことを見ている。
触ったら、どうなってしまうんだろう。恐れを感じながら、俺はそこに手を触れた。
「……ん、あ、あぁっ」
硬くなった状態を初めて見る、自分のと形も大きさも違う兄貴のものを、手でそっと握り上下に動かす。
指の腹できゅっと力を入れると、兄貴の腰がビクっと過剰な反応を示した。
「うあっ、あ、だ、め」
刺激を受け入れながらも、時折否定の言葉を口にする兄の様子が、可愛いとすら感じてしまった。
色々な仕草を見ているだけで、自分まで熱におかされたかの様に、頭がぼうっとしてくる。
「兄ちゃん……気持ちいい?」
兄の様子から聞かなくても答えは分かる。でも確認したかった。兄貴がこんな風になっている所を見て、俺は全て夢なんじゃないかと思っていたのだ。
「う、ん、…きもち、いい……」
うっとりとした顔で告げられ、俺は何故かほっとした。
性器の先の濡れてぬるっとした部分を親指で押し、反応を確かめた。すると兄貴は腰を浮かせ、また眉を寄せて刺激に耐える素振りを見せた。
「……クレッド……もっと、こすって」
予想だにしなかった言葉が兄の口から放たれ、瞬間的に目眩が襲ってきた。
言われた通り兄の性器を強めに擦り上げる。腰をびくびくと動かし、その度に何度も淫らな喘ぎが響いた。
「こうすると、いい……?」
「んあ、い、良いっ」
その妖艶な姿を上から見て、俺はどうすればこの兄を誰にも触れさせないでおけるのか、真剣に考え始めていた。
俺は恐ろしくなった。もし他の誰かが兄を手中に収めるとすれば、絶対に我慢ならない。考えただけで、気がおかしくなるかもしれない。
認めたくはなかった自分の中の異常な独占欲が、淀んだ欲望の淵から姿を現したかのように思えたのだ。
「俺、もう、出る……っ」
体を大きくビクつかせる兄の動きを見て、俺は思わず前のめりになり、跳ね上がる腰を押さえつけた。すると背中に兄の腕が伸ばされ、服をぐっと掴まれた。
「ん、あ、ああっ、い、いくっ」
耳のすぐ近くで声を出しながら腰を何度か痙攣させ、俺の手の中で果ててしまった。
白い液が飛び散り、手の甲にだらりとかかる。下腹部に落ちた残りの液を見て、俺は何とも言えない感覚に襲われた。
兄貴はぜえぜえと息を吐いて、胸を激しく上下させていた。
ーーなんて、かわいいんだろう。
年上の兄に対して、初めて心から強くそう思った。
俺の手により達した兄のことを、今すぐ抱きしめたい思いに駆られた。
「……お前も、する……?」
けれど兄の口から、何度目か分からない衝撃的な言葉が発せられ、頭が真っ白になった。
知らなかった兄の姿を目にしたことよりも、更に動揺を隠せなくなっていた。それなのに俺は、その言葉に抗うことが出来なかった。
「……っあ、……ッ」
気がつくと、片手をついて仰向けに寝そべった兄を見下ろし、俺は自分の性器を擦り上げていた。こんな事をするのは、異常としか言いようがない。
けれど興奮が抑えきれず、自分でも止められなかった。
兄にしてもらおうなどとは思っていない。これ以上自らの欲望で汚すつもりはなかった。
「……ん、……っ、兄ちゃ……っ」
自分でしたことはある。体に変化が現れてから何度か必要に迫られてやってはみたが、何故か兄の顔が思い浮かび、それ以来俺は大きな罪悪感を抱えていた。
にも関わらず、今さらに許されない事をしているなんて、正気の沙汰ではないと思った。
「クレッド……もう、いきそう?」
少し顔を赤らめた兄の声が下から聞こえてきて、俺は衝撃に身を震わせた。そんな事を聞かれて、平気でいられる訳がなかった。
「ん、あ……にいちゃん、もう……出、る……ッ」
「いいよ、いって……」
息も絶え絶えに告げると、視線を合わせていた兄が服をぐっと握ってきた。どこか恍惚とした表情で見つめられ、俺は汗ばんだ体がさらに熱くなるのを感じた。
堪えきれず、俺はすぐに前屈みになった。兄の服をまくり上げ、体をさらに近くに寄せる。
「……い、く……あ、あ……兄ちゃん!」
限界は早く、腰を数度震えさせ、俺はあっという間に達してしまった。兄の腹の上に出して、まだ残っていた兄の液と混じり合うのが目に入った。
激しく息を吐きながら、兄の肩に汗の滲む額をつけた。しばらく休息を取った後、ゆっくりと顔を上げた。
「に、いちゃん……キス、したい……」
うっとりとした兄の顔を再びじっと見つめ、その唇がわずかに開いた隙に、俺は強引に自分の口を重ね合わせた。
さっきよりも更に強い口付けを施し、快感が異常なまでに高まるのを肌で感じた。
こんなに気持ちが良く一気に心まで満たされるのなら、兄のをしている時もキスすればよかったと、頭の隅で考えた。
この気持ちは何なのだろう。ただの欲求なのか、欲望なのか。
俺は兄のことが大切で、たまらなく好きで、その温もりを純粋に求めていたはずなのに。
こんな事をしてしまい、もう自分でも境目が分からなくなってしまった。
けれど兄を間近で感じ、やっと自分の手の中に収めることが出来たと思った俺は、ただその事に心から喜びを感じてもいた。
「好きだよ、兄ちゃん……」
今この瞬間は俺のことだけを見てくれる。それが嬉しくて、溢れ出そうな感情を表したくて、たまらなくなった。
頬を指でなぞり、そこにまた口付けを落とす。すぐに足りなくなって、今度は唇に触れる。
いつか自分のものになってくれるかもしれない。そんな恐ろしい願望が俺の中で生まれ始めたのも、この時だった。
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