俺の呪いをといてくれ | ナノ


▼ 55 猛獣と猛獣使い

遠征先の騎士団宿舎の廊下を、制服姿の弟と話しながら歩いていた。
行き先は師匠の尋問部屋だ。正直、気が乗らない。

「なあクレッド、師匠の尋問ってエブラルがやってるんだろ?」
「ああ、そうだ。予定よりも長引いているらしい。今も居るんじゃないか」

奴が捕まって数日が経った。皮肉なことに、あの巨体の化物が敵の勢力、悪魔崇拝の魔術師たちを一掃してくれたおかげで、聖地周辺には平穏が訪れていた。
しかし何事もなく日常らしきものが戻ってきたことが、逆に不気味に感じる。

「あの師匠が大人しく捕まってると思えないんだよな……」
「まあ、正直俺も疑念は湧くが。結界師と呪術師の特殊結界で囲っている限り、そう簡単には抜け出せないだろう」

珍しく断定的な言い方を避けるクレッドを横目で見やる。
俺の視線に気づいた弟は険しかった表情を一変させ、穏やかな顔を向けてきた。

「大丈夫だ、兄貴。言っただろう? あんな男だが、一応兄貴の師匠だ。奴がこれ以上おかしな動きをしなければ、悪いようにはしない」
「……う、うん。それはありがたいんだけどね」

そのおかしな事をしそうだから怖いんだよな。
ったく、なんであの師匠、弟子の俺に面倒ごとをふっかけてくるわけ?

陰鬱とした気持ちを抱え地下に続く階下へと潜ろうとした時、ふと思い出した。
そういえばあの男はどうなってるんだ。この地下には、まだあの獰猛な黒獣がいるはず……

いや今は余計なことは考えるな。一つずつ問題を解決していけばいい。
そう自分に言い聞かせ、階段を一段一段降りていく。

「ああ! セラウェ! ……俺に会いに来てくれたのか?」 

そうそう、この耳障りなザラついた声質。
何度も俺を悩ませ苦しめ、地獄の底に突き落としたあの男の……って、え?

現実に耳に届いてきたナザレスの呼びかけに固まる。
恐る恐る振り向くと、階段の踊り場に何故か真っ白な服を着た筋肉隆々の男が立っていた。

「わああああぁ!!」

恐怖のもとに絶叫した俺は、すぐさま体を引っ張られ、クレッドの後ろに隠された。

「おい、貴様……どうやって抜け出したッ!」
「ああ? てめえに関係ねえだろ。おいセラウェ、久々にあんたの顔見せてくれよ」

弟の背の後ろで身震いする。つうかこの前もこんな事があったよな。
絶望を感じながら奴の様子を伺うと、ナザレスがにやりとした目つきで俺たちを上から眺めていた。

「な、なんでお前、放し飼いになってんだよ……!」

俺は震える声で率直な疑問を投げかけた。こいつだけは絶対に放しちゃ駄目だろ、騎士団の拘束どうなってんだ。
だがそんな俺の動揺を、奴の後ろからゆっくり階段を降りてくる男の声が掻き消した。

「こら、ナザレス。全く君は……少しは僕の言う事を聞きたまえ。セラウェ君が怯えてるじゃないか」
「うるせえ、クソ司祭。俺とセラウェの時間を邪魔すんな」
「僕は助言してやってるんだ。そんなんじゃ更に嫌われてしまうぞ?」

教会の白い司祭服を身にまとったイヴァンが、呆れた面持ちで告げる。
……いやいやいや、何普通に会話してんのこの二人。

「イヴァン、何のつもりだ。何故この男に自由を与えている」

クレッドが静かに怒りを込めながら問いかける。
すると司祭はナザレスの肩にぽん、と手を置いた。だが嫌そうな顔をした奴にすぐに払い除けられ、苦笑を浮かべる。

「自由だって? とんでもない。彼はきちんと僕の拘束魔法のもとに置かれているよ。安心してくれ、セラウェ君には近づけさせないからね」
「ふざけんな! もっと近くにいかせろ!」

奴が叫びながら身を乗り出し、今にも俺に襲いかかってきそうな勢いに見えた。
その様子が奴本来の獣姿を彷彿とさせ、まじで恐ろしくなる。

「いやだあっ来るなッ!」
「ふざけるな貴様! 大人しくしていろ!」

俺をかばう弟の背に恥も外聞もなくしがみつき、身を隠そうとする。
この司祭本当に馬鹿じゃないのか。こんな獰猛な獣を外に放つなんて。

「ああ、ナザレス。悪い子にはお仕置きが必要だな」
「……あ? やめろ……っ!」

司祭がため息混じりに呟いた瞬間、ナザレスは即座に力が抜けたように膝をつき、大きな体をくたっと床にくっつけた。

すごい、本当に支配下に置いてるのか。ロイザが師匠に動きを封じられた時のような状態だ。
司祭の見事な芸当に一瞬感動したが、いくら憎い男とはいえ若干同情を誘う姿が憐れに映った。

「てめえ……拘束を解きやがれっ」
「解いたらどうするつもりだ、君は」
「決まってんだろ、セラウェのとこに行くんだよ」

こいつの執念、凄まじいよな。何故俺はここまで好かれているのだろう。
ふと冷静になった俺は、弟の顔を覗き込んだ。想像通りギリっと奥歯を噛む顔つきで鋭い眼光をナザレスのもとに向けている。

「……兄貴、動くなよ」
「ああ、分かってる」

だが奴がこうして司祭の支配下にあれば、俺の身は一応守られるんじゃないか。
そう思ったときに、もう一つの面倒ごとが突如として湧いて出てきたのである。

「おいてめえら、うるせえんだよ人の部屋の近くで。……バカ弟子、この騒ぎはなんだ?」

平然と発せられた男の声は、何故か今から向かうはずだった尋問部屋の方から聞こえてきた。
その方向に目をやると、廊下からあからさまに不機嫌な面をした巨体の化物が歩いてくるのが見えた。

「し、師匠……あんたなんで……どうやって抜け出したんだよ」
「ハッ。愚問だな、セラウェ。俺に解けぬ拘束など無い」

腕組みをして仰々しく断言するおっさんに、もう目眩が止まりそうになかった。
だって地下の尋問室は防音防護で、この建物の中でも特に強固に隔離された場のはずなんだけど。

「……メルエアデ、貴様ーー」
「ああ、そうか。ハイデル、彼がエブラルの言っていた男だな。いとも簡単に教会の結界を解くとは、噂に違わぬ手練の妖術師らしい」

怒りの形相をする弟を遮り、大して驚いた様子もない司祭が、ゆっくりと階下へ降りてくる。その後を顔を俯かせたナザレスが力なくついてきた。

俺は黒獣と化物に距離を詰められ、意図せず両者に挟まれる形となった。
途端に逃げ場がなくなった気がして内心焦りまくる。

「当然だろ、こんなしけた結界。俺はなあ、早くこんな陰気くせえとこ出て行きてえんだよ。もちろんそこの弟子と一緒にな」
「は? 俺は関係ないだろ師匠っ」
「何言ってやがる。お前の用はもう済んだだろ? つけ狙ってたクソ野郎もすでに捕まったんだろうが」

師匠が俺をじろっと睨み、吐き捨てるように言った。
ちょっと待てよ、その男今あんたの目の前に居るんだけど。

「……ああ? クソ野郎だと? 誰だてめえ……」

ナザレスが突然唸るような声を出し、ゆっくりと顔を上げた。
その物言いが癪に障ったのだろう、師匠が奴の前に歩み出て、威圧的に立ちはだかる。

「てめえこそ誰だ。俺はセラウェの所有者だが」
「所有者? ……あんたみたいな暑苦しい男、セラウェに似合わねえだろ」

師匠を下から睨みつける黒獣がふんと鼻で笑う。
お前にだけは言われたくない。俺が心の中で呟くと、司祭の溜息が漏れた。

「止めておけ、ナザレス。さすがに君の肉体も、彼にかかれば無事では済まないかもしれないぞ」

しかし司祭が口にした言葉を師匠は聞き逃さなかった。
クレッドが俺の肩を抱いて、対峙する二人からそっと距離を取らせるようにする。

「おい、その名前聞き覚えがあるぞ……てめえか、俺の弟子を付け狙ってた野郎は。いい度胸してんじゃねえか、俺の所有物に手を出すとはな!」

師匠が黄金色の眉を吊り上げて奴の胸ぐらを掴み、突然激高し始めた。ほぼ恫喝している絵面になり、見てるだけで息が詰まる。
しかしナザレスの黒い瞳は、対象的に冷たい光を映し出していた。

「おいおい、セラウェ……あんた、男の趣味悪すぎだろ」

そう言って馬鹿にした笑いを俺に向けてきた。どの面下げて言ってんだこの野郎は。

「うるせえ、大きなお世話だ。どんな奴でもお前よりマシだろ」
「くく……素直じゃないとこも可愛いけどな……俺にしとけよ、セラウェ」

奴がそう言った瞬間、隣にいるクレッドの気配が殺気立つのを感じた。
この黒獣はいとも簡単に俺と弟を怒らせることが出来る。中々才能豊かな男だと、もはや感心してくるレベルだ。

少しの間不自然に黙っていた師匠の手の力は依然として緩まず、やがてナザレスの体がぐぐっと上に持ち上げられた。

「……あれ? お前、面白い体してんなあ。こうやって近くで感じたら、もっと興味湧いてきたぜ」

えっ。一転して愉しそうに告げる師匠に唖然とする。ナザレスはその言葉に過剰な反応を見せた。

「なんだと? 離せくそ野郎ッ」
「いいや離さねえよ。調べてみてえなあ、お前の体……」

師匠が興味深そうにじろじろとナザレスの顔を眺める。

な、なんか雲行きが怪しくなってきてないか。
この男は普段から戦闘に明け暮れているとはいえ、その目的は主に儀式のための素材集めにある。
当たり前だが師匠は俺以上に、変質的なまでに魔術研究の鬼なのである。

「メルエアデ君。言っておくが、彼は今僕の支配下にあるんだ。幻影と実体両方の特徴を併せ持つ貴重な検体でね。まだまだ調査したいことが残っている」
「ほう? でもあんたには悪いが、俺のほうが奴の使い道を分かってると思うぜ」

割って入ったイヴァンに対し、師匠は気味悪い笑みを放ち、ナザレスをやっとその手から離した。

「どういう意味だよ、師匠。あんた何企んでんだ」
「よく聞けよバカ弟子。俺がそもそも聖地を荒らしてたのは、手頃な死霊の魂と不死者体を探してたからなんだよ。行く行くは不死者の使役体を創造する目的でな。俺の見立てでは、この野郎の体がちょうどいい媒介になりそうだ。お前も面白そうだとは思わないか? セラウェ」

……えっ。とんでもない事言い出したこの人。つうか俺に同意を求めるなよ。
不死者の使役体って、つまりゾンビを奴隷のように扱うってことだろ。明らかに違法行為だろそれ。

「何言ってやがる、てめえ……誰がお前なんかに……」
「そうだ。君のやろうとしている事は完全に教会を敵に回す異端行為だぞ。よくもぬけぬけと司祭である僕の前で、そんな恐ろしい儀式の話を……」
「はっ。俺の働きのおかげでその異端の魔術師連中を排除出来たんだろうが。……それにあんたも興味あんだろ? 俺には分かるぜ。上手くいったら、少しぐらいは情報を提供してやってもいい。ああ、もちろん俺の解放を条件にな」

めちゃくちゃな師匠の提案を受け、司祭は何故か黙って思案している様子だった。
いやちょっと、そこは即答しなきゃだめだろう。あんた教会の司祭だろ。悪事に手を染めようとする妖術師だぞ、この男は。

「いいんじゃないか? その話……」

俺の予想を覆して口を開いたのは、まさかのクレッドだった。形の良い目元が明らかに冷たい笑みを示している。
おいおい、この悪どい連中に名を連ねる気か、お前は。

「てめえ、クソ騎士……余計なこと言うんじゃねえ」
「何故だ? 新しい飼い主の申し出だぞ。無下にするなよ、ナザレス」

えっこの弟、もしかして邪魔者二人をいっぺんに処理しようとしてないか。恐ろしいんだけど。

「飼い主だと、ふざけんな! 俺はエロくて可愛いセラウェに飼われるんだ! こんなムキムキのおっさん嫌に決まってんだろ!」

……は? 今なんつったこの淫らな黒獣は。途端に忘れかけていた殺意が芽生えてくる。

「そうか、ナザレス。お前、今すぐ俺に殺されたいようだな。……ああ、それとも飼い主はユトナのほうが良かったか?」
「ああ? お前と同じ変態騎士なんか御免だよ!」

そういえばあの鬼畜の騎士のことを忘れていた。あいつもこの黒獣の飼い主候補になると思ってたんだが。
でも師匠を見ると本気の目をしていた。結局この男には誰も敵わないのかもしれない。

「静かにしろよ、クソガキ共。おいお前、そんなに俺の弟子が諦めらんねえのか。病的なブラコン野郎つきだぞ?」
「はっ。弟だけじゃねえ、てめえも十分うぜえんだけど」
「物分りの悪い野郎だな。セラウェはな、お前のもんじゃねえ。俺のなんだよ。……だが俺の言う事を大人しく聞いてりゃ、ちょっとぐらいはお前にも良い思いをさせてやれるかもしれねえぞ?」

師匠がナザレスの顎を掴み、自分に向けさせる。この巨体の前ではもはや奴がか弱く見えるから不思議だ。

「……へえ。具体的にどんなだよ」
「それはまだ教えねえ。だいたいてめえの体がどんだけ俺を満足させられるか、まだ未知数だからな」
「っざけんな! 気色わりいこと言ってんじゃねえ!」

ほんとだよ、師匠の考えがよく分からない。ナザレスをどうするつもりだ。
というか何故俺が餌のように扱われるんだよ。

「貴様……兄貴を利用するような真似を、俺が許すと思っているのか」
「安心しろよ、聖騎士。俺が愛弟子を危ない目に合わせるわけねえだろうが」

自信を漂わせる琥珀色の瞳がキラっと怪しげに光った。今までの師匠の行いからして、全く信じられないんだけど。

「師匠、何考えてんだ。俺、嫌だぞ」
「はは。逆に考えろ、セラウェ。こいつが俺のとこに居る限り、お前の身は安全だ。……なあ、司祭。それでいいだろ?」

話を振られ、様子を見ていた司祭が再び考えたような顔をした。
まさかマジでこのおっさんにナザレスを託すつもりか?

「まあ……試すだけなら許可してあげてもいい。実験データは貴重だからな。幅広い結果を得られるのならば、それに越した事はない。だがもし失敗して検体が失われでもしたら、君には責任を取ってもらうぞ」
「俺が失敗なんかするわけねえだろ。まあ見てろって」

信じられないことに、どうやら二人のやばい談合に立ち会ってしまったらしい。
汗がじんわりと背中に滲む中、隣のクレッドに目をやると、涼やかな顔で笑いかけられた。こ、怖い。

「おい勝手に決めんなよ……セラウェ、あんたも何か言ってくれよっ」
「……あ? なんで俺がお前を助けなきゃなんねえんだ。つうか俺ですら師匠を止めることなんか出来ねえんだよ、諦めろ」
「なんでだよ、冷たいぞ!」

黒獣の責める声が聞こえたが、俺はあえて目をそらした。
こうして長い間俺を苦しめてきた男が、俺の師匠によってある意味囲われることになったのだがーー

師匠の思惑は、どこか俺の考えとズレていた。まさかナザレスがこの猛獣使いによって、あんな事になってしまうとは……まるで想像していなかったのである。



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