俺の呪いをといてくれ | ナノ


▼ 43 男の願望

エブラルに案内された場所は、騎士団宿舎の地下にある、厳重に防護結界が為された一室だった。
胃がぎりっと痛むのを抑えながら、扉の中へと進む。窓もなく薄暗い中にポツンと灯る照明の下に、そいつの姿があった。

ナザレスは大きめの寝台の上で、鎖に手足をくくりつけられていた。
なるべく遠くから、目を閉じて顔を横に向けている奴の様子を伺う。すると、びくりと体が動いた。

「……来てくれたのか? セラウェ」

耳障りの悪い声が発せられ、俺は心の中で舌打ちをした。こいつに名を呼ばれるだけで、途端に忌々しさが湧く。
奴は顔を上げ、俺のほうを見た。いつもの荒々しい態度は影を潜め、憂いを帯びた表情を浮かべている。

「随分可愛げのある姿になったじゃねえか、ナザレス」

俺が皮肉たっぷりに吐き捨てると、奴は不敵に笑って手足をぐっと動かそうとした。拘束されていて為す術はない、そう分かっていても、俺はとっさに距離を取る。

「俺が怖いか? こんな風になってんのに。……なあ、あいつら酷いんだぜ。俺に何してきたと思う?」
「知らねえよ。拷問でもされたか」
「ああ。言葉責めから快感責めまで、なんでもありだ。あの騎士、清純そうな顔してよくやるよな。ちょっと感じちゃったぜ」

何だよそのおぞましい言葉の数々は。まさかあの鬼畜の騎士がやったのか? つうかお前の感想なんて聞きたくもないんだが。

「お前が俺にやった事よりマシだろうが、この変態野郎」
「はは、もっと罵ってくれよセラウェ。……ああ、昨日のあんた最高だった。気持ち良すぎて……忘れらんねえ」

恍惚とした表情で話す男を見て、ぐっと拳を握り締める。駄目だ、こいつとまともな話なんて出来るはずがない。
拷問だと? 俺が今すぐに加えてやりたいぐらいだ。

「なあ、また俺とやろうぜ……幻惑プレイ。あんた、よがってたもんなぁ……そんなに良かったのか? 俺の……」
「うるさい黙れ。殺すぞ」

普段あまり表には出さない口汚い言葉が、心の底から溢れてくる。こいつだけは、許せねえ。

「くく、正直に言えよ、セラウェ。なあ、俺とした時のほうが、あんた淫らに喘いでたはずだ」
「……お前とした覚えなんてない。あれは幻覚だ」
「寂しい言い方すんなよ、感覚は本物だ。確かにあんたの中を、俺が犯してやった」
「やめろ……ッ」
「お綺麗なセックスしかしなそうなあんたの弟より、俺のほうが良いだろ?」

何を言ってるんだ、この野郎は……何故俺の弟のことを口にするんだ。俺達の何を知っているというんだ。

「おい、ナザレス。お前、クレッドとどういう関係なんだ? 何故俺に、執拗につきまとう」

怒りに震える声で、いやらしく笑う男に問いかけた。もう我慢ならない。こいつとの関係を、今日こそ断ち切ってやるんだ。

「やっぱあんた、酷い男だ。俺のことなんて、欠片ほども思い浮かばないんだから。……こう言えば分かるか? 俺はあんた達の呪いのことも、全部知ってるんだよ」

呆れた顔で述べる男に、俺は愕然とした。………呪い、だと? どういうことだ。なぜこの実体のない男が、俺達の呪いのことをーー

「俺はあの女が大嫌いだったんだよ。いつも俺をこき使いやがって。呪いを受けたのはあんたらだけじゃねえ。あの魔女は気に入らない奴に、手当り次第呪詛を植え付けるようなクソ女だったんだ」

……おい、待てよ。何勝手に喋り始めてんだ。……今、魔女って言わなかったか? こいつの言ってる女って、まさか……

「タルヤだよ。あんたが燃やした使役獣の居住区の、所有者だ」
「…………は?」

憎悪を一瞬忘れ、俺は呆然と奴を見つめる。ナザレスはふっと笑みをこぼした。
それは俺を小馬鹿にするような表情だった。

「あんた、普段はかわいい顔してるけど、今最高にアホ面だぞ?」

男がくくく、と不快な笑い声を漏らす。駄目だ。こいつの言葉が頭に入ってこない。理解がまるで追いつかない。
必死に整理しようとする。……いやそんなこと、あり得ねえだろ。
 
「……お前、炎の魔女の、使役獣なのか?」
「今は違えよ。あんたの弟があの女を殺してくれたおかげで、俺は完全に自由になった……と言いたいところだが、それも違う」

平然と言ってのける男に、俺は言葉を失う。嘘だろ。信じられねえ。
こいつは俺に、助けられたと言っていた。弟との関係も、何度も仄めかしていた。それなのに。なぜ気が付かなかったのだろう。

「どういう事だ。お前のその実体のない肉体と、関係があるのか」
「その通りだよ。魔女が死んで魔力供給を絶たれた俺は、黒獣としての肉体も完全に失った。ほぼ魔力が尽きた状態で、まるで幽霊のようにこの世に繋がっているというわけだ」

だから幻影のような存在なのか。そんな事が可能なのか? 今まで一度も実例を聞いたことのない話に愕然とする。

「皮肉だよな。自由になったと思ったら、本来の姿には戻れないんだから。だが俺にはあんたがいる、それで十分だったんだ……」

遠い目をして話すナザレスを見て、俺は何を言えばいいのか分からなくなった。

この事態を巻き起こしたのは、他でもない自分だったのか。
長く目覚められなかった悪夢の原因は、俺だったというのか。俺は一体、どこまで愚かなんだ?

「ああ、燃え盛る炎の中、残酷な笑みを浮かべて立ち尽くすあんた、綺麗だった……俺を解き放って、自由の味を教えてくれたんだ……」

ナザレスが恍惚の表情で俺を見つめる。もう乾いた笑いすら起きない。俺は自分自身に、絶望していた。


※※※


あの時のことを思い返す。あれは、今から六年ほど前のことだった。その頃はまだ弟子がおらず、俺は使役獣と二人で炎の魔女の家を訪れていたのである。
商人でもある魔術師の悪友デナンの紹介のもと、儀式のために依頼した素材を受け取りに来たのだが。

「おい。俺が頼んだ黄金砂が見当たらないぞ。これ原石のままじゃないか。どういう事だ」

魔女のアトリエで作業台に乗せられた大きな木箱を漁りながら、文句を言い放つ。目の前で俺をじと目で睨むタルヤが長い赤髪を掻き上げて口を開いた。

「ああ、それちょっと前に来た紳士的な魔術師のおじ様にあげちゃったのよね。どうしてもって言われちゃってさ。悪いんだけど、あんたそれで我慢してくれる?」

「はあ? 俺は二週間前から依頼してたんだぞ、こっちの方が先だろうがっ」
「うるさいわね、もとは同じものでしょ。自分で加工して砂にすりゃ良いだけじゃない。若いうちから労力惜しむと後で苦労するわよ?」

全く悪びれもせず、魔女が豊満な胸を見せつけながら言いくるめようとしてくる。このクソ婆……男だったら胸ぐら掴んで脅してやるとこなんだが。

「その手間を省くためにわざわざこんな遠い谷底までやって来たんだが? 砂と石じゃ全く別もんなんだよ! 新しいもの用意しろ。仕事に責任持てよ」
「あのね、あんた何様? 新規の客のくせに生意気過ぎだわ。この依頼はこれでお終い。さあ早く帰って」
「ふざけんじゃねえ、じゃあこの石お前が黄金砂にしろ。俺より経験高そうだから簡単だろ?」

この素材は儀式の要となるもので稀少価値が高い。自力で入手するのは困難だと分かっていた俺は必死に食い下がった。
魔女は意外にも、にこりと笑顔を作って妖艶な紅色の口を開いた。

「……そこまで言うなら条件があるわ。あんたの隣の良い男、一日だけ私に貸してくれない?」

タルヤが急に俺の横に色めきだつ視線を向けた。さっきから無言で立っているロイザをちらりと見る。
使役獣は俺達のやり取りに全く興味が無い様子で、いつもの仏頂面を晒していた。
 
「何言ってんだ。こいつは俺のだぞ。誰にも貸さねえよ」
「やだ、何その言い方。どういう関係? 彼、人間じゃないわよね。凄くミステリアスで興味あるんだけど」

この女、さすがに魔力の保有量が高く、外見は美しいが年増なだけはある。俺の使役獣ロイザの正体に勘づくとは。感心していると、ロイザの鼻で笑う声が聞こえた。

「俺はお前のような下品な女に興味はない。この部屋も臭くてかなわん。さっさと俺の主の言う事を聞け」

使役獣が言い放った言葉にその場がしん、となった。え、おい、お前ちょっと辛辣すぎだろ。
恐る恐る魔女を見ると笑顔が消え去り、額に似合わぬ血管が浮き出ていた。

「……なんですって? あんたいい度胸してるわね。もしかして、違う意味で私とやり合いたいのかしら?」
「いいや。そっちの意味でも興味はない。小手先の妖術師では俺を興奮させることなど出来ないからな」

ロイザがにやりと笑みを浮かべた。あ、これはまずい。目の前の魔女も煽られて完全に殺気立ってるし。
すると何を思ったか、突然魔女が右手を掲げた。まさか自分の家で魔法を放つつもりか?

「お、おい何する気だ。こんなとこでやめーー」

俺の言葉を無視して、タルヤが指先から炎を発現させた。咄嗟に防御魔法の構えをとる俺だったが、矛先は俺とロイザではなかった。なんと、俺が依頼していた素材が入った木箱に火を付けたのである。

「ああー!! 何すんだてめえ! 正気かクソ女!」
「黙れ糞ガキ。全部は燃やしてないだろう? デナンの紹介だからな、多目に見てやったんだ。感謝するがいい。分かったら二度とここへは来るな」

さっきとは打って変わった冷たい口調で俺に告げるが、魔女の燃え上がった赤い瞳は依然としてロイザを睨みつけていた。

魔女の家から追い出された帰り道、俺は綺麗に半分消し炭になった木箱を手にし、沸々と怒りが湧き上がってくるのを感じていた。

「どうすんだよ、これ。師匠からやっと教えてもらった秘伝の儀式に使う材料だったんだぞ……長い時間かけて色んな秘術書漁って研究してたのに……あのババアッ!」
「落ち着けセラウェ。また集めればいいだけの話だろう?」
「簡単に言うんじゃねえっ、全部稀少価値のあるものなんだ! そもそもお前があの女を焚き付けなけりゃこんな事には……」

人型のロイザを下から恨めしそうに睨むが、この孤高の白虎には全く効く様子がない。

「文句を言うな。ただの防衛本能だ。あの女の匂い、血にまみれていたぞ。お前は俺があの魔女の実験台になっても構わないというのか?」

珍しく眉に皺を寄せて尋ねてくる使役獣に、言葉が詰まる。それを言われたら反論の仕様がない。
タルヤのやばい噂は耳にしたことがあったし、魔術の使い手としての力の格差は明らかだ。でも本当に大事な素材だったのに……

「分かったよ、お前のせいじゃねえ。全部あの女が悪いんだ。依頼の約束破りやがって……おい、仕返しするぞ」

使役獣を見ると、俺の危ない言葉に反応したのか、目の色を変えてにやりと笑っていた。

俺はまだ若かったのだろう。いわゆる若気の至りというやつだ。この時余計な事をしなければ、今こんな事態には陥っていなかったというのに。

後日、俺達は魔女の留守を狙って、奴の家から少し離れた所にあるレンガ造りの建物の前にいた。
最初はほんの悪戯心だった。タルヤのどうでもいい持ち物に、奴のお得意の火をつけてちょっとばかり憂さ晴らししてやろうと思ったのだ。

場所はロイザに探らせた。何故か奴が「俺に似た匂いがする」と言い出したので、気になった俺は建物の周辺を探り始めた。
すると、大きなケージに入れられた黒い獣が、だるそうに寝そべっているのを発見したのである。

「うわ、こいつすげえ。獅子っぽい顔つきだな。お前と同じ幻獣か?」
「さあな。俺と同じではないと思うが。ただの使役獣だろう」

二人で見下ろしていると、黒獣はぴくっと耳を立て、のっそりと体を起こした。ロイザほどではないが、黒い毛並みの綺麗な獣だ。

「可哀想に……こんな狭い場所に入れられて、自由に動き回れないのか。あんなババアに飼われて、不憫な奴だ。きっと酷いことされてんだろ?」

動物好きな俺は、独り言のように話しかけた。しかし獣は喋れないのか、それとも喋ることを禁じられているのか分からないが、無言で俺のことを見つめ返していた。

「……よし、決めたぞロイザ。こいつの小屋を燃やそう。外に逃してやれば、あの魔女慌てふためくんじゃねえか?」
「それはいいが、使役獣ならば完全に逃げることなど出来ないぞ。特殊な契約が結ばれてるに違いないからな」

こいつの言うことはもっともだ。主従関係である以上、使役獣の行動を掌握するのは主だ。たとえロイザと俺のように使役獣の方が強い力を持っていたとしても、本当の意味で使役者に逆らうことは出来ない。

「分かってるよ。まあ束の間の自由だとしても、知ることに意味があるだろ?」

なんて無責任な言葉なのだろうと今の俺なら分かるが、その時は若干自分に酔っていたのかもしれない。
勿論魔女への怒りに対して溜飲を下げたいという思いもあった。それに黒獣の黒い目を見つめていると、本当に可哀想になってきたのだ。

「そうか。俺はこの薄汚れた獣に興味はないが、お前がそう言うのなら協力しよう」
「は?」

ロイザはそう呟くと、小屋の扉に向かって高速で自らの蹴りを入れた。途端に凄い音を立ててバラバラと崩れ落ちた入り口の前で、俺は唖然とする。だが気を取り直して黒獣を手でおびき寄せた。

「おいお前、出てこい。しばらく外で羽根を伸ばせるぞ。遊び回ってきたらどうだ?」

優しく語りかけると、獣はゆっくりと外に出てきた。近づいてみるとかなりでかい。一瞬びびったが、奴が離れた場所に腰を降ろすのを見て、俺は火魔法の詠唱を始めた。
小屋についた炎を見ながら、不思議と笑いがこみ上げてくる。

「ふふふ、ざまあみろ。あのクソ女……自分の行いを悔い改めるがいい……」

何度も言うが、俺は若かったのだ。この時はとくに魔女の報復なども恐れず、ただ自分の欲求を満たす為に、魔女の持ち物に火をつけた。ちょっとした仕返しのつもりで。

それなのに、静かに座る黒獣がまさか、俺のことを見初めていたなんてーー思うはずがない。自分の行いを悔い改めるべきなのは、魔女ではなく俺だったのだ。



今、宿舎内の地下に再び囚われた元黒獣、ナザレスが俺のことをあの時と同じ黒目でじっと見ている。

「なぁ、俺のこと思い出して、少しは可哀想とか思ってくれないのか? 飼い犬に噛まれたと思って、俺のこと可愛がってくれよ。俺を、飼ってくれよ……あんたの一番があのいけ好かない野郎でも、俺は構わないからさ」

「……ふざけんな。俺にはもう手のかかる使役獣がいるんだ。お前なんて御免だよ」

俺はまだ隠されていた事実に頭が混乱していた。だいたい、飼い主の体を狙うペットがどこにいるんだ。ロイザのほうが何十倍もマシに思えてくる。

「そんな冷たいこと言っていいのか? あんたの弟、呪いにあんたが関わってるって知らないんだよな? 酷い兄貴だなぁ。ずっと騙して」
「な、に……?」

……そうだ。この男が言うことは真実だった。俺は弟の気持ちは呪いによるものじゃないのかと、そればかり気にして、自分の犯した呪いの罪に関しては、棚上げしてきたのだ。

何故か頭から抜け落ちていたかのように。それともただ考えない様にしていただけなのか?

「なんでお前が呪いのことまで知ってるんだ」
「使役獣がいるあんたなら分かるだろ? あの女の思念だよ。それも死ぬ間際のもんだからな、強烈に頭に刻みつけられたのさ」

思念だと? ふざけるなよ。このくだらない運命の巡り合わせは何なんだ。こいつの存在自体が、確実に俺への呪いになってるじゃないか。

「あいつにバラされたくなかったら、俺とも遊んでくれよ、セラウェ」
「……お前、俺を脅してるのか」
「それだけあんたが欲しいんだよ。健気だと思わないか?」

こいつは獣だ。外見は人化したままだが、思考もやり方も人間のそれではない。
勿論ナザレスへの憎悪も嫌悪も消えはしない。俺はこいつに酷い目に合わされた。心も体も蝕まれたんだ。

だが、今の自分の巻いた種とも言える状況を前に、俺はどう落とし前をつければいいのか分からなくなっていた。一人では抱えきれず、もう頭が破裂しそうだった。

「なぁ、あんたの弟、許してくれないかもな。性格悪そうだし」
「うるせえ黙れよ」
「……ああ、でもどうする? あの野郎、もうすぐこっちに来るみたいだぞ。早く言い訳考えた方がいいんじゃないか? セラウェ」
「…………あ?」

ナザレスが急に楽しそうな声で畳み掛けてきた。何を言っているんだ。
来るって、俺の弟が……か?

恐る恐るうなだれていた頭を上げると、いきなり背後の扉がバタン!と開かれた。
振り向くとそこには、凄い形相をした制服姿のクレッドが立っていた。

「兄貴……ここで何してるんだ?」

ズカズカと足音を鳴らし、勢いよく室内に入ってくる。
俺に怒りの目を向けた後、弟はナザレスを睨みつけた。するとクレッドを見返した奴の大きな笑い声が、部屋中にけたたましく鳴り響いた。

「ああ! これを見たかったんだ俺は。今から兄弟ドラマの始まりだ。おいセラウェ、そんな怯えた顔すんな。言いづらいんだろ? 俺が助けてやるよ」
「……貴様、何を言っている」
「心配すんなよ。この野郎に捨てられても、俺があんたを一生可愛がってやるからさ……」

ナザレスが弟を無視して愉悦の声を漏らしながら、俺に語りかけてくる。

ああ、嘘だろ。もう誤魔化すことは出来ない。今になって、ツケが回ってきてしまったようだ。俺が弟につき続けていた、大きな嘘のツケが。


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