お父さんにお世話してもらう僕 | ナノ


▼ 27 イライラする父

「行ってきます、お父さん」
「ああ。また帰りの時間な。気をつけろよ」
「うんっ」

朝、ロシェを車から下ろした後、車椅子でゆっくり学校の玄関口へ入っていく姿を見送った。
それからまた車内に乗り込み、店の事務所へと向かう。

受け入れがたい事実を聞かされてから、数日が経った。息子は以前と変わらぬ様子で、だいぶ元気を取り戻したようだった。俺に話したことで重荷が減ったのか、ニルスとの距離も深刻でないレベルまで戻ったらしい。自宅でもメールのやり取りをする様子を見た。

走りながら考える。息子が苦悩するならば俺が全部預かり背負ってやると思い生きていたから、この状態には胸をなで下ろしている。だが理性と感情には、常に隔たりがあるものだ。

中々青にならない信号を睨みつけながら、やっとのことで色が変わりアクセルを踏み出す。しかしほんの数十メートル先の信号で再び停止させられた。

「なんでまた赤なんだよ!」

俺は一人運転席で声を荒げ、苛つきが簡単に最大を越えそうになっていた。こんな姿はロシェの前では出さないが今は一人だから問題ない。
その後も店に着くまで、様々な悪態を発したのだった。


事務所で同僚のセルヴァと合流し、仕事場に向かう。事務のコルネさんから改めて書類を提示され、予定どおり客の自宅へと向かい、途中だった作業を再開する。

がらんとした住居のリビングには俺達しかおらず、壁に取り付けた多くのコンセントの仕上げをした。脚立を使い、天井の暖房機器のネジ止めをしている時だった。

ネジが外れ、床にコロコロと落ちる。それすらも俺の怒髪天をつき、思わず「クソッ」と悪態をついた。
近くを通りかかった茶髪のセルヴァが、きょとんとした顔で見上げてくる。

「おっかねーな。何イラついてんだよ。最近お前変だぞ。ロシェと喧嘩でもしたか?」

好き勝手に言い、拾い上げて俺に渡してきた後、んなわけねえかと笑う。喧嘩のほうが遥かにマシだと心の中で毒づき、「違うよ」とだけ答えた。
すると奴はいけ好かない笑顔でにんまりと面白がった。

「えっ、なになに? あ、あいつ好きな子でも出来たのか。そりゃ寂しいなぁお父さんは、またひとりぼっちで悶々とーー」

仕事をさぼり無駄口を叩くセルヴァを見下ろすが、ひとまず俺は注意するのを見送った。そしてあることを尋ねる。

「なあ、お前さ……大事なものにちょっかい出されたら、お前だったらどうする」

突拍子もない問いだが、ノリの良い同僚はわざとらしく首をひねって考える素振りをした。

「そうだな。力の差を見せつけて恫喝するわ、とりあえず。……でもお前、それは同性の場合だぞ。女の子にそんなことすんなよ?」

焦り顔で指摘されるが、するわけがない。もし将来、ロシェに好きな異性の相手が出来て「お父さんごめんね」と言いながら俺の元を離れ幸せになったとして、俺は喜んで潔く身を引ーーけないかもしれないが、とにかく、同じ男だから問題なんだ。

結局、抽象的な相談ほど意味のないものはない。そう諦めつつ、俺はまた作業へと戻った。



週末、自宅にニルスが泊まりに来た。俺の意向であるとは知らず、ロシェが誘ったためだ。もう何度目かであるから、皆慣れているし、滞在することには何の問題もない。

だが当然、事実を知ってからだと、奴を殴り飛ばしたくなった。 
大きいリュックを背負って満面の笑みで入り込んでくる赤髪の少年。俺が全て承知済みだということも気づかないまま、相変わらず息子にべたべた絡んでいる。

しかしロシェはニルスと、友達としての関係を継続することを望んでいる。それは俺の単純な怒りよりも、重視しなければならないことだった。

『うめー! 母ちゃんと同じぐらい旨いです、デイルさん!』
「……ああ、そうか? 流石にそんなことはないと思うが……」

夕食時、ロシェに彼の言葉を訳してもらいながら、時おり会話をした。やたらと料理を褒められ謙遜をするが、何か裏があるんじゃないかと常に疑いの目を向けていた。

「そうだよ、美味しいよお父さんの。僕の好きなやつも作ってくれるんだよね。オニオングラタンとか」
「まあな。お前の好物は一番に覚えとかなきゃならないだろ。逆に言えば、それさえ押さえておけば小さかったお前も静かに食べてたからな。……ああ、そうだ。ロシェが二、三才の頃はな、人参が大好きだったんだよ。それで肌がだんだんオレンジ色になるまで食べ続けてーー」

俺が昔を思い出し、得意気に話すと息子は口を開けたまま黙った。食卓の向かい側でどんどん赤くなり、縮こまる。

「なにそれ、嘘でしょそんなの、初めて聞いたよ僕」
「嘘じゃないよ。心配になって病院に行ったらな、医者に食べ物のせいだって言われて気づいたんだ。それから反省して気をつけるようになった」

しみじみと明かすと、ニルスが「なに、なに?」と興味津々の顔で尋ねてきた。ロシェは恥ずかしいからと拒んでいたが、やがて渋々教えていた。
思えば初めは分からないことだらけの子育てだったが、記憶にはすべて大切に留まっているし、つい最近のようにも感じるから不思議だ。

普段は無口な自分であるものの、息子の話ならいくらでも話せるぞと二人に説明すると、ニルスは聞きたがり、ロシェは聞かないふりをしていた。

和やかな空気の中で食事が終わり、食洗機の中に皿を入れている間にふと思う。俺はいったい何を普通に歓迎してるんだ。
台所の片付けを終えリビングに戻ると、息子とその友人が肩を寄せ合って雑誌のテレビ欄を見ていた。

一瞬その親しそうな姿に感情が沸き立つが、なんとか抑えて声をかけた。

「今日はここで映画見るか」

最初から部屋に二人きりにさせるつもりはなかった。
大画面の前のソファでは、俺が真ん中だとおかしい為ロシェを中央に座らせた。

二人が時々手話で会話するのを、体を傾けてじっと見ていた。
俺も手話を勉強するか……そう思ったことがなかったわけではないが、仲睦まじい息子と友人の間に親が割り込むのはどうかとも考えていた。

「ねえねえお父さん、ニルスくんこの俳優好きで、映画全部持ってるんだって。すごくない?」
「ん? ああ、そうだな」

目をキラキラさせながら話しかけてくるロシェを抱きしめたくなる。
こいつは、この隣の男に何されたか分かってるのか?自分の息子ながら警戒心の無さと心の寛容さを憂えた。

『デイルさんは、何の俳優が好き?』

無邪気なニルスの質問を息子に伝えられる。

「俺か。俺はあの……スキンヘッドの……なんだっけ、アクション俳優のさ」
『あー! ○○○ね! いいよね、俺も好き。ていうか、俺の父ちゃんもすぐ名前出てこないことある』

楽しそうに笑うニルスに眉がひくつく。こいつ馬鹿にしてるのか?俺はまだそこまで年じゃないと言えとロシェに主張した。

二時間以上の映画が終わり、二人は和気あいあいと感想を言い合っている。なんだかんだ言っても、息子がこの友人を変わらず大事に思っているのだということは、身近で過ごして伝わった。


そして就寝時間になる。これまでと同じく、ニルスはリビングの広いソファで寝かせ、ロシェはきちんとベッドにたどり着くまで、俺がそばで見守った。

「おやすみ、お父さん。今日はありがとう」
「なんだよ、何もしてないぞ」

頭をさらっと撫でて、おでこに軽く口づけを落とす。ほんのり赤らんだロシェは、俺を見上げて布団の中から少し顔を出した。

「だってね、僕、ちょっと心配だったんだ。もしかして、何かするのかなって」
「…………」
「え? お父さん?」

俺はとくに答えずに出来るだけ優しい表情を作り、「心配することはないって言っただろ」と息子に告げた。
そして今度はドアがきちんと閉まっていることを確認しーー別に閉まってなくてもどうでもいいがーーロシェの唇にキスをして、おやすみを伝えた。

息子の部屋を後にする。自分はまだ着替えずに寝室へ戻る。
ベッドに横たわり、ただ無心で時間が過ぎるのを待った。

二時間ほどそうしていただろうか。起き上がり、俺は自分の部屋を出た。廊下を進み、リビングに入った。ニルスの寝息が聞こえる。
聞こえないというのもあるのだろうが、気配にも気がついていない。

俺は部屋の壁にある照明のスイッチをいれた。一瞬でリビングが明るさに包まれる。
ニルスはうなり声を上げ、瞼をこすった。そしてゆっくり目を開ける。
緑色の瞳が近くに立っている俺にまっすぐ向けられ、唖然とした顔をした。

『……!!』

大層驚いた様子で飛び起き、ソファの上に変な体勢でよろけている。
俺は構わずに奴の目をじっと捕らえて口を開いた。

「おい。俺の息子の口に、キスをするな。頬にもだ。分かったな」

一字一句はっきりと伝えた。
大人げないと言われようが関係ない。ここで真っ向から示さなければ駄目だ。
息子の友人は、怯んだ様子で俺をぼうっと見ていた。

『わ、分かりまーー』

おそらくそう言いかけて、ふらっと立ち上がろうとする。しかし、俺の前に相対した時、奴の口がこう変化した。

『ーーせん』

なんだと。
間違いない。奴は今明らかに同意を翻したと察し、俺は急激に頭に血が上った。

「……どういう意味だ? 俺の言ったことが分からないのか」

威圧的に問いただす。こいつはもう17歳だ。あと一年で成人する。
俺は息子の父親として以上に、男として対峙していた。

あのジェフリーの息子なだけあって、体格はよく日毎に背も近づいている感覚がする。俺にも息子がいるが、ニルスはロシェよりも積極的で、遥かに男性的な性質が前に押し出されてるようなタイプだ。
だからこそ否が応でも注視しなければならない。

ニルスは手話と口の動きで何かを伝えようとしていたが、俺には分からなかった。

『ノート、使う』

そう言われたような気がしたため、黙って様子を見ていた。奴は近くに置いたリュックを引っ張り出してきて、分厚いノートを取り出した。いつもロシェと使っているものだ。

ぱらぱらとめくった時に物凄い量の字がびっしり見えて、一瞬怯みそうになった。
息子との間の絆は知っているが、それとこれとは別だと気を引き締める。

『俺、いつかデイルさんの身長抜かします』

やけに綺麗な字でペンを走らせ、何を書いてるのかと思ったら、自信ありげに文面を見せてきた。

「だからなんだよ」

短く吐き捨てると、奴はまた筆談で俺に主張をしてくる。立て続けに聞かされたのは、俺のように将来は仕事に加え料理も家事も頑張るし、卒業したらもっとロシェを支えることが出来るとかなんとか書かれてあった。

この少年がそこまで真剣に考えてくれていることは、親としては喜ぶべきなのだろう。だが手を出すということは、少なからず恋愛感情があるということなのだ。

俺は頭を抱え、ひとまず食卓前に座るよう促した。自分もノートを取って書き示す。

「君の気持ちはありがたいが、勝手に突っ走るな。好きなら何をしても言いわけじゃない。ロシェの気持ちも考えてやれ」

彼に示しながら、全ての言葉が自分に跳ね返ってきて頭痛がひどくなる。
俺にこんなことを言う資格はない。一番近くで息子を好きにしているのだから。
もしかしたら、そんな思いもこの少年には見透かされていたのかもしれない。

『デイルさんだって普通親子でキスする? やりすぎじゃない? それであいつ勘違いしてるんじゃないの?』
「……勘違いってなんだよ。やりすぎなのは認めるがな」

実際はもっととんでもないことをしているし、もはや後戻り出来ない関係にもなっている。だがそれは自分が選んだことだ。恐ろしいことに、今の俺はそれを後悔していない。

「いいか、よく聞け。この世に俺以上にロシェを愛してる奴はいないんだよ。端から見たらおかしいことだとしても、スキンシップを求められたらするし、俺が息子を可愛いと思ってしたくなったらする。それを周りにとやかく言われようが直す気はない。以上だ」

自分でも何を懸命にかりかりと書いているのかと思うが、書ききった後に奴の前にノートを叩きつけた。めちゃくちゃな理論なのは重々承知しているが、幼稚だとしてもそれが本心だった。

ニルスはまじまじと文章を読み、はあ、と深いため息を吐いた。力なくペンを取っている。

『なんだそれ……分かってるけどさ……そんなの、俺だってロシェ見てても感じるし……』

そこまで呟いて、初めてニルスの筆が止まった。段々子供をいじめているような図になってきて、気まずさが上回る。俺の立場とニルスの立場でぶつかり合ったところで、答えなど出ないのだ。

これだけ親の自分が悩んであいつを懐の奥へとしまいこんだ今ですら、何が正しいのか分かっていないというのに。

でも、ただひとつ確かなのは、俺はロシェを他の奴に渡す気はないということだった。少なくとも他の男相手にはーー。

「もう寝るか。起こして悪かったな、ニルス」

立ち上がり、この時間はとりあえずお開きにしようと思った。神妙な顔でうんうんと頷いた彼の後ろで、音が聞こえた。車椅子の物音だ。 
時計を確認すると三時近かったため、息子が用を足しに起きたのかと思った。

「……わっ! 何してるの二人とも、こんなとこで……」

眠そうな瞳が段々大きく開いてくる。予想外にニルスとのやり取りが時間を要し、見つかったことに俺は若干焦った。ロシェが俺達の近くに来たため、ニルスも肩を跳ねさせていた。

「いや、ちょっと話してただけだよ」
「……ほんとう? 何を…?」

なにやら恐れた顔つきで息子に尋ねられ言葉に詰まっていると、ニルスはなんとさっきまで使用していたノートをロシェに突き出した。何をしてるんだこいつは、そう俺はぎょっとなる。

「……えっ? 僕にラブレター? なにそれ」

戸惑う息子がページをめくり、連なる文字に目を落とした。話していた記録を知られてしまうのは初めての経験で、なんとも言えぬ気恥ずかしさにばつが悪くなった。

ロシェは俺以上に狼狽したようで、みるみるうちに白い頬が染まっていく。

「何恥ずかしいこと話してるの、二人とも。信じられない」

視線をさ迷わせて呟かれ、俺はつい柔らかい茶髪に手を伸ばした。撫でていると困ったような眼差しで見上げられる。

「本当のことだよ」

優しく伝えれば息子はさらに赤くなり、黙ってしまった。ニルスも腕を組み、そうそう、と同調していた。

息子の親友の前で、ここまではっきり自分の気持ちを晒すことになるとは思わなかったが、向かってこられたらやむを得ない。ロシェに関わる事ならば、俺はこれからもこうしてあらゆることに対処していくつもりだった。

二人はしばらく手話で何かを話していた。「だってしょうがないでしょう?」とか「そうだよ。前に話したでしょ」とかロシェの言葉が聞こえたが、話が長引くにつれ、ロシェは黙りこんで片手だけを懸命に動かしていた。

推測するにも出来なくなり、また腹の中が渦巻いていく。
しかしやがて、ニルスは明らかにがくりと肩を落とし、机に両腕を投げ出したまま突っ伏してしまった。

「なあ、何話してたんだ。大丈夫かこいつ」
「えっと……僕もニルスくんのこと大好きだよって」

堪らず尋ねた台詞を後悔する。何気ない一言がこうも胸に突きささるとは。
だが息子はこうも続けた。

「でもね、一番好きなのはお父さんなのって、言っちゃった」

少し照れた様子で笑った顔を見せるロシェに、俺は目を奪われる。
そう告白した時の姿が、苦しそうな様子でなかったことに、この上なく安堵した。

人前ではあるが、腕を広げて息子を抱きしめる。身を屈めた俺の背中を、ロシェも回した片腕で抱き留めてくれた。

「俺もお前が一番好きだよ。もう読んだと思うが」
「うん。読んだよ。ありがとう、お父さん」

椅子の背もたれには、魂が抜けたようにニルスがもたれかかっている。俺は無意識にロシェを抱く手に力をいれた。
やがてまた二人の会話が始まるのを見て、そろそろ寝たいと考えあくびをした。

再び何かを思いついたように元気に話しかける親友に、息子がこう言い返す。

「違うよ、ずっとだもん」

横顔はまた赤くなっていて俺は不思議に思ったが、これ以上踏み込むのも無粋だと考え、二人にそろそろ寝るように聞かせる。

この日、うまくいったかは分からないが、ロシェの顔を見ていると、幾ばくかの達成感は得ることができた。



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