桜の花が終わる頃に(アルベルト係長)
2019/12/27 22:43



様々な人生の節目に出逢う人たちに溢れんばかりの感謝を

















桜の花も満開の時期は過ぎ、入学式には間に合わなくなってしまったのは一体いつ頃からだったか。
そんな事を考えながら既に葉が姿を現し始めている公園の桜の樹を窓からぼんやりと見つめていたのは昨日までのこと。


「こんなものか……」


鏡の中に映る首元は何とか形になったようで、ホッと胸を撫で下ろす。
ネクタイの結び方を確認すること無く普通に結べるようになったのは大学3年の就職活動に入ってからだが、やはり新品は何処と無く馴染みが悪くて。
本来ならば身体に馴染んだスーツが一番適しているのであろうが、流石に今日だけはそうもいかないだろうと袖を通したグレーのスーツは先日届いたばかりのオーダーメイド品。


「忘れ物は……ないよな」


幾度となく確認したカバンの中身に先程から殆ど進むことの無い腕時計の針に『ふう』と思わずため息をつく。





『残念だよ。君のようなゼミ生には是非とも僕の下で研究の道に進んで欲しいんだけどなあ』





ゼミの教授からは再三にわたりそのまま院へと進むように促されたものの、その道は己の人生の選択肢には入学から一貫して存在していなくて、大学は普通に4年間で卒業を迎えた。
故に……迎える今日の『新しい日』。
何事も最初が肝心だから、と独りで言い訳をしながら、指定されていた時刻よりかなり早い電車に乗ってしまったのはただ落ち着かなかったからに他ならない。


「……」


今日という日が来るまでに何度も確認した道程は間違えることなく目的地まですんなり到着した。
そして、正面玄関へと続くエントランスに置かれたの石碑には『ノーブル・ミッシェル商事』と社名が大きく刻まれており、ここへ来る者達を出迎えてくれるようだ。


(やっぱり……早過ぎたか)


まだ薄暗く通勤の人も見当たらないオフィス街。
そこでじっと目の前に聳え立つビルを見上げるひとりの背高な姿に。


「ふおっふおっふおっ。いやはや、こんなに朝早くにどうしたのかね?」
「え?」


突如背後から聞こえる声に驚いて振り返ってみると、そこには早朝の平日のオフィス街には些か不釣り合いなひとりの老人が立っていた。
真っ白い見事な鬚髯を湛えたその姿は独特のオーラを纏っていて、不釣り合いというか、どちらかと言うとこの世のものでは無いような雰囲気を纏っている。


「いや、その姿からしてビジネスマンとは思うがのう、まだ始業時間にしては早過ぎるのではないのかのう」


当然と言えば当然の問い掛けに。


「あ……いえ、その今日からここで働く者なのですが、早く着いてしまったもので……」
「ほほう」


格好からして、どう見ても朝のウォーキング中であろう見知らぬ老人に自分はこの会社の新入社員だと知らせてしまっているのは何故か。
アルベルトの台詞に驚いたと言わんばかりに皺だらけの顔は大きく瞳を見開く。


「お恥ずかしいお話ですが、落ち着かなくて……」
「若いのにしては珍しいのお。いや、恥ずかしい事など何ひとつとしてないぞ」
「え……?」
「ついてきなさい」


楽しげにぱちんと目配せを送ってくるその老人は、なんの迷いもなく目の前のオフィスビルへと向かって歩いて行く。


「え?ちょ、ちょっと……おじいさん?」


散歩中の老人が勝手に侵入出来てしまうこのオフィスの警備体制は一体どうなっているのか?と入社前でありながら懸念事項が脳裏を過ぎるものの、そのまま彼に好き勝手させる訳にはいかないと慌ててその後を追う。


「ふむ。確かにまだ誰も来ておらぬようだな」
「それは……まだこの時間帯ですし」


自動ドアというものは、自動で開くからいいものであって、開かない時はかなりの厄介者でしかなくて。


「まあ、そうでなくてはな」
「?え?ちょっと、今度は何処に行くんですかっ?」


正面玄関が開かないのならば、と今度は慣れた様子でビルの横をすり抜け、その老人が向かった先は恐らく通用門であろうか、聳え立つ黒い鋼鉄の扉の前で彼は立ち止まった。


「確か……ここじゃったかな」
「?」


独り言のように何かを呟く銀髪の老人は、迷いも無くその扉の横にあるボタンを押した。


「ちょ……っ!待って……」


アルベルトの制止も聞かずに押されたそのボタンから聞こえる『ピンポーン』という電子音に続いて解錠された事を知らせる『カチャリ』という機械音がふたりの間に届く。


「ほれ、開いた」
「ほれ、ではなくて……あっ!」


そうして、驚くアルベルトを他所に迷うこと無くドアノブを回し中へと入って行くが、このまま彼について行っていいものなのかと足が次の一歩を踏み出せないでいると。


「心配はいらん。とにかく付いてきなさい」
「え……?」


アルベルトの心の中を見透かしたかのように手招きをする老人はにっこりと皺だらけの笑顔を向けた。
迷うこと無く目の前を進んでいく彼の人の綺麗な銀髪が薄暗い廊下の中でも一際目立ち、ともすれば道案内のようにぼんやりと光を放つ。
そのまま廊下を進んで行くと、当然ながら見えてくるのはこの手のビルには必ずと言っていい程ある正面玄関に相対するような裏の「受付」である警備員の詰所。


(やばい……でも止められて当然だよな)


入社初日早々このような事をしているようでは、自分の行く末は決して明るくないな、と深い溜息をついていたアルベルトの想像とは裏腹にその詰所に居た警備員たちは何事もなく2人をそのまま通してくれた。


(え……?)


反対に『頑張れよ!新入社員』等と激励の言葉を掛けられ、アルベルトとしては訳が分からないまま、前を進んでいく老人の背中を追うしかなくて。


「ふぉふぉ、驚いたのは無理もない。実は儂はな、ここの警備員なんじゃよ」
「へ……?」


彼が何の障害も無くここ迄到着した理由としては至極当然のものではあるが、高齢者雇用にしては流石にやりすぎなのではないかと、どう見ても定年数年後とは思えない老人の風貌に、またそれはそれで一警備員がこんなに容易に施設内に入り込んでいいものかという疑問も生起する。


「なあに、ここの会長とは懇意にしていての。入社の初日、こんなに早くに我が社……いや、この会社まで来てくれたんじゃ。君に見せたいものがあってな」
「見せたいもの……?」


そう言って辿り着いたエレベーターホールで彼が選んだのは、一番左奥にあるエレベーター。
『ポーン』という電子音に続いてゆっくりと開く扉の中は当然ながら誰も乗ってはおらず、そこで待つふたりを出迎えた。


「まあ……年寄りのお節介じゃよ」
「はあ…… 」


そうして動き出したエレベーター内、そこでただ階数を表す電子掲示板に表示される数字が数を増していくのを見詰める。


「着いたぞい」


耳に届くは先程と同じ電子音、次いで開く扉に表示された文字でそこが最上階だと気付く。


「ここは……」


開いた扉から一歩足を踏み出せば、先程のエレベーターホールとは比べ物にならないような柔らかな感触にアルベルトは一瞬驚いた。
それは……ひと目で分かるほど高級な絨毯が敷き詰められたホールであって、通常の者が足を踏み入れることの無い領域だと直感した。


「いい眺めじゃろう?」


ホールから見える最上階からの景色はこの街を一望出来る程の見事なもので、思わず感嘆の溜息を漏らす。


「まだまだこれからじゃよ、ほれ」
「?」


そう言ってその老人は目の前の木製の扉を開け、室内へとアルベルトを促す。


「入ってみなさい」
「え……?でも、ここは……」


開かれた扉から見えるその室内の光景は、アルベルトでなくとも分かる、普段は『選ばれし者』が居るべき場所。


「いいから、いいから」


背中を押されて入った室内、その正面は一面のガラス窓が広がり、その眼前は薄らと明るさを放ち、間もなく夜が明けるところだった。


「わ………」


ビル群の先、遠くに見える山際から徐々に光を纏い一日の始まりを告げるような朝日が一斉に室内を明るく照らし、その眩さに思わず目を細めた。


「ほほう……入社早々ここまで見事な朝日はそうそう見られるものではないがの。君は幸先がいいのう」
「あ……ありがとうございます」


それ以上何と応えたらいいのか分からず、目の前の光景をただただ見詰める。


「だぞ……」
「……?」


何か言いかけて止めたその姿に『?』と視線を向けると、朝の光を纏ったその老人は、真っ直ぐにアルベルトを見つめており、優しげに眉尻を下げて微笑んだ。


「いや、何でもない。今日が初めての出社といったかな……頑張りなさい」
「は、はい」







『この朝日のように君の前途が明るく輝かしいものであるように祈っておるぞ_______________』






あれから何年経っただろうか。
二度とあの自称警備員のおじいさんに会うことは無かったけれども、毎年、この時期になると思い出す入社式前の不思議な出来事。














今年も既に葉桜になった入口付近の桜の樹の下を通り過ぎる真新しいスーツ姿たち。


「今年は粒ぞろいだなあ、そう思わないか?」


隣の席から楽しそうに耳打ちしてくるのは、腐れ縁とも言える学生時代から何かと面識のある同期の声で。


「どうしてお前が人事職なのか、本当にいつもの事ながら納得出来ないんだがな」


そう言って用箋挟を手に『はあ』と大袈裟に溜息をつくは今年も新入社員の教育を一手に担う営業部のアルベルト。


「そうか?じゃあ、今年は代わってやろうか?俺が女子新入社員の教育係って事で……」
「ゼン、冗談もその位にしておけよ」


呆れたような視線を送りながら手元の書類をパラパラと捲る。


「そう言えば、お前うちの会社の七不思議って知ってるか?」
「七不思議?」
「そう、七不思議」


不敵な笑みを浮かべたまま、アルベルトと共に受付会場を後にする人事課の有望株は楽しそうに語り始めた。


「まあ、若い子たちが勝手に話してただけなんだけどな。その中にお前も入ってたぞ」
「俺がか?」


驚いたような表情を向けるアルベルトにゼンはにっこりと笑顔を返す。


「その6、なんでアルベルトさんは係長のままなのか」
「はっ?」
「お前が昇進しないのを不思議がってる奴がかなり居るって事だよ」
「それは別に……」


俺が好きでやってる事だから……とその『七不思議』のひとつに己が入っている事が不服と言わんばかりに眉間に皺を寄せる。


「まあ、そうは言っても周りは納得しないんだろ」
「そんなの勝手に言わせておけばいいんだよ。ほら、早く行かないと始まるぞ。会長のお言葉」
「あと、それも七不思議のひとつだったな」
「え?」


再び聞かされる『七不思議話』に早足になり掛けていたアルベルトの歩調が少し緩む。


「その7、会長は果たして存在しているのか」
「ああ、それは……確かに…………?」
「……?アルベルト?」




『なあに、ここの会長とは懇意にしていての』




ふと脳裏を掠める数年前の記憶。
会場で緊張しながらも期待で胸を膨らませていた新入社員の頃に遭遇した不思議な出来事。
ふと視線を感じて振り返るも、そこには終わり頃の桜の花弁がひらりと舞うだけで。


「いや……何でもない」


(気のせい……か)
















『目映い朝日のように君たちの前途が明るく輝かしいものであるように_______________』



ノーブル・ミッシェル商事会長






















fin

七不思議のあと五つって何でしょうね?



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