プリンセスのお気に入り(ノーブル&ウィル)
2019/05/01 15:31

大丈夫、君は……君のままでいいんだよ。








薄く開かれた窓からは新緑の心地好い風がふわりと流れ込み、室内の人物の柔らかな前髪を悪戯に優しく揺らして行く。
サラサラとペンを走らせる音だけが聴こえるそこはこの城の主が一日の中で一番長く滞在する場所であり、室内の調度品も歴史を感じさせる重厚で格式高い物ばかり。


「……」


手にしたペンを木製のペン皿に戻すや否や響くノック音、そのまま返事を返す間も無く忙しなく開く扉。
そうしてそこから姿を現したのは美しい金糸のような髪に深海の様に澄んだ深く蒼い瞳の持ち主。


「おや、珍しいお客様だ」
「あら、随分なご挨拶ね。もっと他に言う事があるんじゃなくて?」


突如視界も空気も賑やかになる室内、そこで少し不服そうに頬を膨らませて机上の人物を睨み付けるその美しい令嬢はフィリップ王家第97代を継ぐべきその人。


「やあ、いらっしゃい姫。君のためにと用意した茶菓子があるんだが、お茶でもどうかな?」
「もう……!そうじゃなくて!」
「シャルルの有名店のフォンダン・オ・ショコラだよ」
「……っ!?」


頬杖を付きにっこりと微笑むその人物は、目の前の彼女に負けず劣らず美しい容姿であり、彼のトレードマークとも言える綺麗な銀糸の髪をゆっくりと揺らしながら首を傾けた。


「では、お茶にしようか」









テーブルに置かれる茶器の奏でる音がまるでハーモニーのように聴こえてしまいそうな程、彼の執事の所作も優雅で卒が無く、その様子をぼんやりと見つめる綺麗な蒼い双眸。


「久し振りだったね。元気にしてたかな?」


そう声を掛けられてハッと我に返ったのか、彼女はその瞳を大きく見開いて目の前の人物を見遣った。


「え、ええ。元気よ。ノーブル様もお変わり無いかしら?」


ふふっ、と微笑むその姿も絵になるほど美しく、さすが『フィリップの宝石』と呼ばれる程のことはあるな、とノーブルは感心したようにカップを手にした。


「ああ、見ての通り私は相変わらずだよ」
「そう、それは何よりだわ」


そう言って返ってくる反応は何処か上の空で。


「……」
「……」


何か言いたげな様子は見なくとも分かるが、それでも語ろうとしない姿に肩を竦める。


「……それはそうと、何か用事があって来たんだろう?」
「……」
「姫?」


カップを握り締めたままテーブルに置かれたフォンダン・オ・ショコラを見つめる『フィリップの宝石』は、意を決したかのように顔を上げ、目の前のノーブルに向けて口を開いた。


「あのね、ノーブル様……私、結婚するの」
「そうか。それはおめでとう……と言ってもいいのかな」


そう言って優しげに瞳を細めるこの城の主は、彼女の蒼い瞳を見つめながらゆっくりと微笑んだ。


「……それはどういう意味?」


意外な反応が返って来たのか、驚いたような瞳をノーブルへと向ける。
やんわりと湯気を上げるカップは彼女が特に気に入っている春摘みのダージリンで、同じ物が注がれているカップに口を付けると再びノーブルは彼女に笑顔を向けた。


「……喜んでいるようには見えなくてね」
「っ……!」


まるで心の中を見透かされているようで、羞恥で赤くなった顔を悟られないようにと彼の視線から逃れる様に顔を背けた。


「仕方がないでしょ。今のフィリップを継ぐことが出来るのは私だけなんですもの」
「姫……」
「それに……目の前の御仁はのんびりと独身貴族を気取ってらっしゃる事ですし!」


キッと睨み付けるようにノーブルを見遣ると徐に椅子から立ち上がって窓の方へと歩み始めた。
窓の外には芽吹き始めた若い青葉が茂り、緑と一言で表現するには申し訳ない程の色味で視界を楽しませてくれる。


「おやおや困ったな。どうやらお姫様はご機嫌ななめのようだね」


やれやれと言った風にため息混じりの苦笑を浮かべるのは、この聖地周辺の磁場を治める能力を持つと言われる若き主人。


「私が結婚しないのは今に始まった事でも無いだろう?」
「分かってるわ。紛争を避ける為にも6カ国からは妃を取らない事もね。でも私が言いたいことはそんな事じゃないの」
「……?」
「貴方こそ……いいの?ノーブル様。貴方、本当にずっとそのまま独身を貫く気なの?」


それは……ずっと心の奥底に仕舞い混んだ『想い』に。





『私は……此処には居られません』




思い出すはそう言って目の前から姿を消した運命の人。


「そう……だな」


同じ立場だからこそ分かるから。
だから……。


「そうか、君は……前に進む事を選んだ訳だね」
「そうよ。だって国民が待ってるんですもの」


そう……微笑む凛とした姿に。





『貴方は……これからもずっと此処を護っていくべき大切なお方です』




真っ直ぐと己を見つめる彼女の瞳に重なる面影。


「君は……強いな」
「あら、いつだって女は覚悟を決めたら強いものよ」


ぱちんと目配せをくれるその蒼く美しい瞳は先程とは打って変わって生気を取り戻していて。


「それに……彼は誰よりも私を大切にしてくれて……誰よりも私を愛してくれてるわ」


『何処かの誰かさんと違ってね』


言葉にならない思いはそのまま中庭を通り過ぎる風に託すことにした。


「そうか……それは盛大なロイヤル・ウエディングを開催してあげなくてはな」
「ふふっ、楽しみにしてますわ。ノーブル・ミッシェル13世殿」
「ああ……任せておくれ。フィリップの宝石の名に恥じないように世界一の花嫁を祝福させて貰うよ」


そう言ってお互いの『主』は微笑み合うと、それぞれの立場、進むべき道を再認識する。







大丈夫、君は……君のままで。







どうか……ひとりの女性すら幸せに出来なかった私の分まで幸せになっておくれ_______________。











◇◇◇◇◇









目の前に飾られる先人の肖像は、美しくて気高くて、そして凛とした表情ながらも慈愛に満ちた笑みを湛えていて。


「本当に綺麗な方……」


ほう、と溜息をつきながらうっとりとその立姿を見つめる姿へ向けて近付く影は、背後から近付くと悪戯にその両目を覆った。


「きゃあ!」
「……そんなに見つめると流石にヤキモチを妬いてしまうんだがな」
「え……?え?ウィルっ?」


慌てて振り返るとそこには肖像画に負けず劣らずの美しいこの城の王位継承者の微笑み。
まるで目の前の肖像画から抜け出してきたのではないかと錯覚しそうな程に美しい金糸のような髪に、深海の宝石のような深い蒼く澄んだ瞳で。


「どうしたの……?こんな所で」
「え?……あ、いえ。時々来るんです」


そう言って目の前に飾られた先人の姿を嬉しそうに見つめる。


「そうなんだ……」
「ええ……何だか元気を貰える気になるので」
「そう……」
「あ、そう言えばウィルのひいおばあ様って大恋愛の末に結ばれたって聞いたんですけど、そうなんですか?」


キラキラと瞳を輝かせて笑顔を向けるその表情とは正反対で隣に佇む人物は不服そうな表情で彼女を腕の中に抱き留めた。


「ウ、ウィル?」
「さあ……そうだったかな?」
「え……?」


驚いたような声が腕の中から届き、僅かな抵抗を感じるも、ウィルは彼女を抱き締める腕の力を更に強める。


「それよりか、俺では……足りない?」
「え?」
「俺は…君じゃないと元気にならないんだけどな」


耳元で囁かれるその甘い声に全身が粟立つ。


「そ、そん……な。…ん、……ん………」


抵抗する間を与えられず塞がれる唇に。
深く長く与えられる口付けは勿論胸を熱くさせるには充分過ぎる程で。


「……は……っ、ウィ……」


漸く解放された唇に再び軽く触れるその感触までもが計算されたかのように完璧で、思わずその腕にしがみついた。


「どうした……?俺のプリンセス」
「もう……ずるい……です」
「では、お詫びにお茶でもどうかな?シャルルの美味しいフォンダン・オ・ショコが手に入ったんだよ」
「え?本当に?」







プリンセスのお気に入りはいつの時代も同じ。







どうぞ素敵なティータイムを。















fin
2019.5.1


令和元年もよろしくお願いします(*^^*)



















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