花束を君に(otherより)
2016/12/07 13:05

市街地から少し離れた場所にあるとある丘陵からは、広い海原が見渡せるようになっていて。
晩秋にしては柔らかな日差しの下で、頬を撫でる風も幾分穏やかで心地よい。
そんな昼下がり。

「おや……?」

いつもなら何も置かれていない筈のその場所に鎮座する花束に眉を顰めた。
しかも、それはつい先程まで誰かが其処に居た事を物語るように、花たちは瑞々しく露を湛え日差しを受けてきらりと光を放つ。

「先客……かな」

久方ぶりの自分以外の訪問者に疑問符を浮かべながらも、まだ忘れられていない事を目の当りにしてほんのり胸が暖かくなるのを覚える。
そうして、置かれていた花束の隣に寄り添うようにして手にした花束を手向けた。

「やあ……ルイーザ。今日は嬉しい報告があるんだよ」

真っ白な墓標の前に跪き、嬉しそうに話し掛けようとしていた矢先の事。

「国王様!」
「……?」

遠くから呼ばれる声に顔を上げ、きょろりと辺りを見渡すと、少し離れた小屋の付近で深々と頭を下げる一人の老人の姿が目に止まった。




『君は……一体どちら様なんだね?』




己へと向けられる明らかに不審者を見るかのような訝しげなその表情は屋敷に仕える門番としたら至極当然の事であり、故に恐れというよりかはこの屋敷の警備は大丈夫だ、と安堵してにっこりと笑顔を返したのがまるで昨日のことのようで。

「あなたは……」
「ご無沙汰しております」

近付いてきたその老人は再び頭を垂れ、懐かしげに目尻を下げて微笑んだ。
肌には年相応の皺が深く刻まれてはいるものの、その表情からしても往年の面影は失われてはいない彼は、亡き妻の実家の屋敷に仕える門番である。

「このような所で会うとは……何年ぶりでしょうか。お元気でしたか?」
「滅相もございません。どうか私めのような者に敬語などお止め下さい」

そう言って申し訳なさそうに手を振って恐縮する姿に優しげに笑顔を向けるのは、今やアルタリア王国を統治するその人。

「何を仰る。今でも初めて屋敷を訪れた時の事を覚えていますよ。いやあ……あれは本当に怖かったなあ」
「国王様……!」
「ははっ、冗談ですよ。でも……貴方が居てくれるお陰であの屋敷は安泰だ、と安心したのは本当ですよ」
「……勿体ないお言葉です」

頭を下げ、次いで視線を送るのは墓標に刻まれたひとりの女性の名前。

「もう……何年になりますか。時折こうして花を手向けに参っておりましたが、いつも綺麗になさっておられて……」
「此所に来ると……落ち着くんです。ルイーザとふたりきりになれるので」

ついつい時間があると来てしまいます、と苦笑混じりに話す姿は国王などとは程遠く、ただひとりの女性を愛する男性と何ら変わりはなくて。

「……ご存知かとは思いますがルイーザ様は生まれつきお身体の弱いお方でしたので、幼少の頃は郊外の別荘でお過ごしになる事が大半でした」
「ええ……窺っております」
「実は私はもともとその別荘におりまして、そちらの方で家内と共にルイーザ様のお世話をさせていただいておりました」
「そうでしたか」

ルイーザと結婚してからロベルトの誕生、王位の継承と多忙を極めていたこともあり、彼とこんな風に話をしたことが無かった事に改めて気付く。

「ルイーザ様は本当に心根の優しいお嬢様でして、こんな私にでさえ欠かさず誕生日のお祝いをしてくださるようなそんなお方でした」
「彼女らしいですね……」

海原から吹いてくる風が墓前に手向けられた花束の花弁を揺らし、その柔らかな香りが鼻腔を擽る中、今はもう居ないひとりの女性にそれぞれの思いを馳せる。

「そんなルイーザ様をアルタリアの王子様が見初めたという話を耳にした時、本当にこの国の人間で良かったと思ったものです」
「……?それはどういう……」

ルイーザとの結婚の承諾を得るために訪れた屋敷で彼女の両親に反対された事を彼が知らない訳はない。
しかも、身内の者が王族に仲間入りする事で喜ぶような浅ましい人物では無い事を知っているからこそ彼の台詞に疑問符を浮かべた。

「ルイーザ様は他の令嬢のように学校へ通うことは叶いませんでしたし、満足な教育が受けられたかどうかなんて私には分かりません。しかし、私はルイーザ様は何処に出しても恥ずかしくないレディだと信じておりました」
「ええ……その通りですよ。彼女は……ルイーザは本当に素晴らしい女性でした」
「そして貴方様が数多居たであろう名家の令嬢や著名な女性達の中からではなく、恐らくは社交界でも無名であった筈のルイーザ様を選ばれた」
「……」

ルイーザの墓標に再び跪く老夫の姿をじっと見つめる。

「ああ……この国の王子様はどんな小さな花でさえ気付いてくれるようなお心の持ち主なんだ、と」

ザア……と大きな風が靡いて2人の足元の芝生が風の流れに従って波を作っていく。

「いいえ……そんな事はありません。ルイーザに見付けてもらったのは私の方なんです」
「え……?」

驚いたような瞳を向ける目の前の彼に微笑み、そうして空を仰いだ。

「ルイーザは私を『アルタリアの王子』ではなく、ただひとりの男として接してくれました。彼女の前では王子という立場を忘れることさえ出来た……」
「国王様……」
「彼女に命を貰ったのは私の方ですよ」



名前を呼ぶ優しい声に、柔らかな微笑みに、生きている実感を貰った。

王子ではない自分でもいいんだ、と心から思えた。

彼女だけは……特別だった。


「でも……そんな彼女に私は何ひとつとして返せていない事が今でも心残りです」
「国王様?」
「彼女は……ルイーザは本当に幸せだったのか。彼女の義父上があの時言っていたように、王室に迎えた事が彼女の負担になってしまったのではないかと今でも思っています」

今ではもう……確かめる事すら叶いませんが、とやるせない表情で苦笑する姿は、愛する伴侶を亡くしてから永年独り身を貫くこの国を国民を背負う統治者のもの。




『……私、本当に幸せよ。嘘じゃないわ。彼に出会えたお陰で自分がこの世に生まれてきた理由が今なら分かる気がするの』




「え……?」

驚いたような瞳で見つめる国王へと向けてにっこりと微笑むのは、先程まで彼の話を聞いていた老夫。

「生前……ルイーザ様がお屋敷にお戻りになられた時に私に仰った言葉です」
「ルイーザが……?」

自分の預かり知らぬ所でそのような会話がなされていたのか、と驚きつつもその次の句を求めるかのように老夫へと歩を進める。

「ええ……ちょうどロベルト様を身籠られた頃でしたでしょうか。今でもあの時のルイーザ様の笑顔は忘れられません」
「……」
「今までに見たことの無い位に本当に……本当に嬉しそうで、そして幸せそうでございました」

その頃の情景を思い出しているのか、老夫の瞳は優しく細められ皺の刻まれた顔は笑顔に包まれる。

「ルイーザがそんな事を……」
「ええ……この老いぼれの言うことなど信じられぬかもしれませんが、本当の事です」
「……」
「ルイーザ様は国王様と結ばれて幸せだったに違いありません」



私が……この世に生まれてきた意味が今なら分かるの。

寒い冬を超えて若葉が雪を割り芽吹くこと
小川のせせらぎの中を跳ねる魚の水音が響くこと
小人の掌のような小さな楓の葉が色とりどりの錦を織り成すこと
音も無く降り続く雪を照らす夜の月のこと

その……ひとつひとつに全て意味があるように、私がこの世に生まれてきた意味が。



「アルタリア王室に嫁ぎ、ロベルト様をご懐妊されてこの上無くお幸せだった……とこの老体には見えました」


(ルイーザ……)

君が居なくなってからもうどれ位経ったのかなんて数える事もしなくなったけれど。

それでもまだこんなにも恋焦がれてる。

いや、前よりもっともっと好きになってるよ……。



「そうでしたか……今日はルイーザに吉報を持って来たつもりでしたが、逆に私の方がプレゼントを貰ったようです」
「吉報……でございますか?」

きょとんとした瞳で自分を見遣る老夫へとにっこりと微笑む。

「ええ……実は漸くロベルトの結婚が決まりましてね。それの報告を」
「え……?お、おお!そうでしたか!それはそれはおめでとうございます。それは、いつぞや新聞等で騒がれていたお嬢さんです……か?」
「はい。他国出身の一般人の娘さんなのですが、とても気立てが良くて……そうですね雰囲気が何処と無くルイーザに似ているような気がしますよ」
「そうですか……そうかそうか、それはめでたい」

『うんうん』と何度も何度も頷く老夫の目にはきらりと光るものが映り、つられて胸の奥が暖かくなってくる。

「これは……何としてもこの目に焼きつけてルイーザ様にお会いした際にご報告せねばなりませんな」
「え……?」

老夫の思いもよらぬ台詞に小首を傾げるアルタリアの国王に。

「いえ、実はもう余命幾ばくも無いと医者に告げられておりまして……。数年前に家内を亡くしたのですが、漸く迎えが来るようです」

そうは言うも、目の前の彼の表情は穏やかで一片の曇りも無い位にさっぱりとしている。

「それは淋しくなります……。年々ルイーザの思い出を話せる方が居なくなってしまう」
「国王様……」
「それに……そう待たずして奥方の下へ行く事が叶うなんて、私にしたら何とも羨ましい話です」

一体どの位待ったでしょうか……未だその迎えは私の下には来てはくれません、と苦笑する横顔には普段の彼からは想像もつかない様な淋しさが見え隠れする。

「そんな……!国王様にはまだまだ長生きしていただかないと。ロベルト様もまだお若くていらっしゃいますし……」
「ロベルトももういい大人です。それにあの子を支えてくれる相手も出来たことですし、そろそろ私も引き際かな、と思う時がありますよ」
「国王様……」
「いや……すみません。戯言が過ぎましたな。どうも歳を取ると弱気になっていけないな」

ばつが悪そうに肩を竦めるその姿に何と声を掛けたらいいのか、と老夫はじっと目の前の統治者を見つめる。

「……これではルイーザに叱られてしまうな」
「……」






勿論君以外には誰も考えられないのは昔と変わる事はないけれども



俺にもそろそろ……そちらからの招待状が届いてもいい頃だとは思わないかい?






ねえ、ルイーザ……?









◇◇◇◇◇◇◇











真っ青な空に薄い筋状の雲が広がる中を一対のコキジバトが飛んでいく。

「……」

それを見上げながら何故だか胸がきゅっと痛みを覚え、ふるふると頭を振った。

「パパーっ!」

遠くから澄んだ声が聞こえ、振り返るとこちらへと向けて一生懸命に駆け寄ってくる小さな姿に思わず笑みが溢れる。
手にしていた花束を一旦足元に置くと両手を拡げてその肢体を迎え入れ、ぎゅっと抱き締めた。

「よく転ばずに走ってきたな〜。でもママはどうしたんだい?」
「あ!そうだった!ママーっ!」

『ママ』という単語に何かを思い出したのか、するりと腕から抜け出すと今来た道を慌てて駆け戻る小さな背中を愉しそうに見つめる。
すると、暫くしてからゆっくりとした歩調で現れた彼の右手は、優しくレディをエスコートしていた。

「大丈夫だった?」

少し心配そうにそのレディへと向けて微笑むチョコレートブラウンの瞳は、今やこのアルタリア王国を背負う統治者のもの。

「ええ、そんなに勾配も無いし大丈夫よ。それに、この子がちゃんとエスコートしてくれたから」
「でも途中までじゃなかった?」
「もう!パパ!」
「ははっ、冗談だよ、冗談。そもそもパパがママをエスコート出来なかったのがいけないんだしな」

ぷうと頬を膨らませて不服そうに睨みつける小さなナイトの頭に優しげに乗せられる大きな掌は真っ白な手袋に覆われていて。
公務の都合で現地での待ち合わせとなった故に、真っ赤な正装姿のその人は優しく微笑むと足元の我が子を抱き上げた。

「パパ、お仕事もう終わったの?」
「ああ、終わったよ。だから一緒に帰ろう」
「うん!」

父の瞳の色をそのまま受け継いだ澄んだチョコレートブラウンの大きな瞳が嬉しそうに笑うのを見て、つられて瞳を細めた。

「じゃあ、おじいちゃまとおばあちゃまにお花をあげてくれるかな?」
「はーい!」

足元に置かれていた二対の真っ白な花束を手にした姿は、まるで花束が歩いているかのようで思わず微笑ましくなってくる。

「よ……っと」
「よーし、頑張れ頑張れ」

大丈夫かしら……と心配そうに見つめる母の瞳にぱちんと目配せを送ると、そのまま小さな背中を追った。

「こっちの青いリボンがおじいちゃまでいいの?」
「おー、そうだよそうだよ。さすがだな〜」

海から吹く風にはたはたと手元の青いリボンが泳ぎそれをゆっくりと宥めるようにして墓前へと供えた。

「……で、こっちがおばあちゃま」

そうして、ピンクのリボンが飾られた花束を隣の墓前へと手向ける。

「おじいちゃまとおばあちゃま、仲良しだね」

仲良く隣同士に並べられた花束、そしてそれぞれの墓碑には前アルタリア国王とその妻である王妃ルイーザの名前が刻まれている。

「そうだな……。やっと、一緒になれたね。父さん」

妻亡き後、数多来る再婚話に一切耳を傾けること無く生涯ただひとりの女性を愛したアルタリア国王の逸話は人々に語り継がれ、時にはドキュメンタリー番組になるほど支持されている。

「良かったね……って、言ってもいいのかな?」
「ああ……いいと思うよ。父さん、ずっとずっと母さんに会いたがってたからね」
「あんなに愛されて……何だか羨ましいな」

口には出さなくとも義父がどれだけ亡き妻を愛していたのか、嫁いでからずっと見てきたからこそ分かる故に胸の奥がきゅっと痛みを覚える。

「あれ?俺だって父さんの思いに負けないくらい君の事を愛してるのに伝わってない?」
「そ、そんな事言ってないでしょ!もう、ロベルトってば!」

至近距離で見つめられ、思わず頬が赤くなるのを誤魔化すかのように彼の腕に抱き着いた。

「冗談だよ……。俺達も、父さんたちみたいに素敵な国王と王妃だって語り継がれるようにならなきゃね」
「ロベルト……」

そっと重なる唇に誓う数え切れないくらいの『愛の誓い』。






愛してるよ……世界中の誰よりも。







そうして間もなく……アルタリア王室にふたり目となるロイヤルベビーのプリンセスが誕生する。








その名は……ルイーザと名付けられるとか。








fin



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