「でさ、ここからがまた笑えるんだけど」
いつものようにナミがロビンに明るく語りかけるのは、ふたりが出会ったカフェではなくて、一人暮らしのロビンの部屋。
ナミと知り合ってから季節がひとつめぐり、ナミがまだ学生であることを理由にロビンの部屋を訪れて夕食をねだることは、もはや日常と化していた。
ナミとロビンのアパートが近いとわかったことも、この日常が生まれた一因なのかもしれない。
ナミと会わない日は1週間に1、2回あればいい方で、大学、あるいはバイト帰りにナミがロビンの部屋を訪れて、夕食をともにしながら少し話し込み、ロビンが車でナミをアパートに送り届ける、そんな日々が続いていた。
ただ、一度許してしまえば、もはやその存在なしでは夜を越えていけなくなりそうだったから。
泊まることだけは断っていたし、ナミもその線を越えようとはしなかった。
そんな半同棲のような中途半端な関係をナミがどう思っているのか、ロビンは知らない。
「聞いてるの、ロビン?」
「え?」
不機嫌そうな声が耳に届いて、ロビンは宙にさまよわせていた視線をナミに戻す。
ああ、またやってしまったのだな、とロビンは思ったけれど、ナミはいつものように拗ねることなく、少し曖昧な笑みを浮かべた。
その表情の意味がわからず、ロビンは戸惑う。
もともと口数の少ないロビンは聞き役に回ることがほとんどだったから、こういう状況ははじめてではない。
むしろ、何度も繰り返した状況だ。
ナミの話の途中でロビンの考えが別のところに飛んでしまって、相槌は打っていても、ロビンのこころがふたりの間にないことはもちろんナミに伝わってしまう。
そのたびにナミは「聞いてるの?」とロビンに問いかけ、拗ねてみせるのだった。
そんなとき、ロビンは拗ねてしまったナミに素直に謝って、冷凍庫からナミが好きなオレンジシャーベットを取り出し、「もう一度聞かせて」という。
そうするとナミは「仕方ないなあ」と笑うのだ。
言うなればそれは、儀式のようなもの。
ふたりの時間を、成立させるさせるための。
「また、考えごと?」
でも今日、ナミは拗ねなかった。
その代わり、あきれたような、疲れたような、そんな笑顔を浮かべてそう尋ねる。
ああ、終わりなのかな、と思った。
ロビンに許されるきっかけを与えてくれないナミは、いい加減ロビンにうんざりしていて、ふたりの時間をつなげる意味を失ったのだろう、と。
「……ごめんなさい」
ごめんなさいを安売りするな、と最初のころに言われたけれど、今でもやはり口をついて出るのはこの言葉。
あのときは反射的な、想いもこめない『ごめんなさい』だったけれど、今はほんとうにナミに悪いことをしたと思う。
ちゃんと話を聞いてあげられないことも、あまり反応がよくないことも、想いを受け取ってあげられないことも、想いを伝えようとしないことも、そんな全部をこめた『ごめんなさい』。
その想いがどこかしら伝わるところがあったのだろうか。
ナミは困ったように眉根を寄せた。
「別に、謝んなくてもいいんだけどさ。慣れてるし」
また、いつもとは違う反応。
ため息混じりに発された言葉は、あきらめを含んでいる気がした。
ナミがロビンに何を期待していて、そうして今日、何をあきらめたのかはわからなかったけれど、それはとてもただしいことのように思えた。
そう。
ナミはただしい。
ロビンはナミの時間を分け与えてもらっていて、それはふたりでいるだけでとてもとても満たされる時間だったけれど、ロビンはナミに何も返せてはいない。
だから、ナミはただしいのだ。
そう考えて、それがただしいことであるのはひどくさみしいことだと、そう思った。