「ねえ、ちょっと、聞いてる?」
「え?」
考えに沈んでいたロビンは、少女の声で現実に引き戻される。
少女はあきれたような、不機嫌なような表情をしていて、そんな表情もロビン相手ではもっともだと思った。
「その反応、聞いてませんでした、って言ってるようなものよね。ひとを目の前にしてぼーっとしすぎよ」
「ごめんなさい」
ロビンが謝ると、少女は幾度目かのため息をついた。
「謝るなら、ほんとに悪いと思ったときだけにしといた方がいいわよ。じゃないと、あんたの『ごめんなさい』がどんどん力をなくすから」
少女にそう言われて、確かにその通りだとはっとしたけれど、そもそも自分の言葉にははじめから力などないのだということに思いいたって、ロビンは小さく笑った。
「……なに? ばかにしてんの? 子どもじみたきれいごとだって」
「いいえ、そうじゃないの」
ロビンはゆるく首を横に振る。
「自分に対して、笑ったのよ」
そう言うと、少女はロビンの言葉の真意を問うように疑問の目を向けた。
「どういうこと?」
「あなたの言うとおりだと思ったの。私の『ごめんなさい』にはもう、力はないわ」
「とりあえず謝っておくタイプなんだ」
にっと笑って言った少女に、「そうね」とロビンはうなずいてみせる。
「じゃあ、『ありがとう』は?」
少女は表情を戻すと、真剣な面持ちでロビンに尋ねてきた。
「『ありがとう』も、絶賛安売り中?」
「なあに、それ?」
絶賛安売り中、という表現が、何故だかとても少女らしいなと思って、ロビンは口元に手を当てて笑った。
そうすると、少女は意外そうに目を大きくする。
「どうしたの?」
ロビンが問うと、少女はいったん口を開いて何か言いかけたけれど、その言葉は結局飲み込まれてしまったらしく、声にはならなかった。
「……別に、何でもないよ。それはそうとさ、とりあえず、おねーさんの名前、教えてよ」
「名前?」
「何、教えられない理由でもあるの?」
「いえ、そういうわけではないのだけれど……どうしてかしらと思って」
ロビンがそう答えると、少女は「あのねぇ」とあきれたように言った。
「どうしてもこうしてもないわよ。あたし、連絡先まで渡してるんだから、名前ぐらい知りたいに決まってるでしょうが」
「それは……そうね」
「それはそうね、って、あんたねぇ……」
少女は頭を抱えるようにしてうつむいてしまった。
「いえ、あまり興味を持たれたことがないから、ぴんとこなかったの」
そんな適当な言い訳を重ねるのは、いったい誰のためなのか。
深入りすべきではない。
そうわかっているのに、ロビンの中に渦巻く矛盾。
ふたりの距離を近づけるような言葉は、口にしないと決めている。
しかし、ふたりの距離を遠くしてしまうことも選べない。
どういう種類の好奇心が少女の中にあるとしても、ここで断りさえすれば、波風ひとつ立たないロビンのこころの平穏な世界は、安定を保ち続けるはずなのに。
それなのにロビンは、断るでもなく、受け入れるでもなく、ただ、適当かつ曖昧な言葉で、この時間が続けばいいと思っている。
唇が勝手に、何の意味もない、ただこの時間が続くための……少女といる時間をつなぐための言葉を紡いでいく。
もしも少女がロビンと同じように好意を抱いているとしたならば、残酷なことをしているのだと知りながら。
それでも、たやすくロビンのこころの動きを読み取ってしまう少女のことだから、いずれはロビンのそんなずるさに気づき離れていくに違いないと、そんな言い訳をしてみる。
その言い訳が何になるのだろうと、再び自分に問いかけながら。
「おねーさん、どういう思考回路してんのよ」
「さあ……」
それは自分が聞きたいぐらいだと思いながら、ロビンは小さく首を傾けた。
「罰として、連絡先もね」
そう言いながら、少女は自分の携帯電話を取り出す。
「罰?」
脈絡のない言葉に自然と笑いながらも、ロビンもまたバッグから携帯を取り出していた。
自分からは少女に近づく言動は選ばずとも、少女がロビンに近づいてくることは避けようとしない。
むしろ、そうされることに胸が騒ぐ。
歓びにふるえる。
……どうかしている。
ほんとうにどうかしている。
少女に赤外線通信のやり方を聞きながら、このつながりを絶ち切るなんてできないと、そう思っている自分。
「ニコ・ロビン、ね」
ロビンの名前をつぶやいて、屈託なく笑った少女を見て。
絶ち切られるまでは、絶ち切れない。
そんな想いの泥沼の中に、ますます自分が引きずり込まれていくのを感じた。