今更閉じた本を開く気にもなれず、かといって何を話してよいかもわからないロビンにできることといえば、コーヒーカップを口に運ぶことぐらいだ。

けれど、一口飲み下したコーヒーからは味を感じることができず、なまぬるい液体がのどを通り抜けていくだけ。

いったい少女の何が、こんなにもロビンを戸惑わせるのだろう?

コーヒーカップを手にしたまま、揺れる暗褐色の水面を見下ろすことしかできないロビンの肌を、少女の視線が容赦なくつらぬいてくるかのようだ。

その一方で、ただただ見つめられるというこの居心地の悪いはずの時間が、失いがたく感じるのは何故なのだろう?

少女はロビンの何を見ているのか。

この前少女が口にした、ロビンの瞳の色なのだろうか。

それとも、コーヒーカップを持つロビンの指先なのか。

何故、何故、何故。

疑問は頭の中をめぐるけれど、答えは少女の中にしかない。

片一方が相手を見つめ、見つめられる当人はコーヒーカップを見下ろすしかないという、不自然な沈黙。

しかし、その沈黙を破るには少々時間が経ち過ぎている。

ただ、本来『沈黙』というものが言葉の不在、つまり『無』だとしたら、今、この場所にあるものは『沈黙』とはかなり違うもののように思えた。

何もないわけがない。

まなざしを向け、まなざしを受け止める、そんな時間を『無』と呼べるはずがない。

それならば、ふたりの間に横たわるこの時間を埋めているものはなんなのか。

「意外と我慢強いんだね、おねーさん」

そう言って沈黙を破ったのは、少女の方だった。

しかしその声の調子は、ふたりの間に横たわっていた無言の時間に耐えかねたというよりは、そろそろ解放してあげようかという、そんな時間の支配者のようなものだった。

あくまで、この場の主導権を握っているのは少女。

それを少女は疑っていないに違いないし、何より問題なのは、ロビン自身がこの力の関係を当然のように受け入れていることだ。

「我慢強いっていうか、頑固?」

「そうかしら……」

ロビンはちらりと視線を上げたけれど、そこには予想通り、意地悪を楽しんでいる子どものような笑顔を浮かべた少女がいた。

「すぐに本を読み出すかと思ってたら、読まないし」

少女がグラスの中をストローでかき回すと、からりと氷とグラスがぶつかる涼しげな音がする。

「じゃあ何するのかと思ったら、何もしないし」

「それが、頑固につながるの?」

「普通、黙って見られてたら音をあげるわよ。理由とか確認したくならない?」

「そう、かもしれないわね」

「おねーさんはどうなの? 確認したくならない?」

「どういうつもりなのか、とは思ったわ」

淡々と答えているつもりではあるが、どうにも間の取り方や受け答えの仕方に戸惑ってしまう。

いつもなら……この少女が相手でさえなければ、簡単に自分を偽り隠すことができるのに、そうすることをためらわせる何かが少女の瞳にはある。

「じゃあ、何で確認しなかったの?」

「さあ……どうしてかしら」

それは目の前にいる人間の『ほんとう』を見抜いてしまうような、少女の大きな瞳のせいなのか、それとも……

「それとも、確認できなかったの?」

矢継ぎ早に少女の口から繰り出される質問は、どれもロビンの心の奥底の核心の部分を暴きだすようなもので、ロビンは遂に答えに詰まってしまった。

「無言は肯定」

少女はチェックメイトを宣言するように、ロビンを指差した。

「確認できなくて、拒否もできなくて、黙るだけ、と」

少女は腕を組み、自分に言い聞かせるようにうなずきながら言う。

そんなことないわ、と今更言ったところで、少女の前では墓穴を掘るだけのような気がしたから、ロビンは口を閉ざしていた。

何か言いたいことが、他にも間違いなくあるようにも思えたけれど、胸の中でもやもやとわだかまっているそれを言葉にするのはひどく気力を使うことのように思えたし、それを声にするとなるともっと困難なことのような気がした。

「こんな年下の子どもからの視線を切ることも流すこともできず、受け止めるだけ、と」

「そういうわけでは……」

それでもさすがにこれ以上好きに言わせておくわけにもいかなくて、ロビンが否定の言葉を紡ごうとすると、少女は視線を上げてまっすぐにロビンの瞳をまなざす。

まただ。

また、この瞳。

はじめて会ったときと同じ、いとも簡単にこころの内を暴き出す、そんな危険な瞳。

その瞳を前にして、ロビンが口に出そうとした言葉を飲み込むと。

「かわいいね、おねーさん」

「……っ!」

まったく予想していなかった言葉を、少女がやさしげでおとなびた笑顔で言ったから、ロビンは思わず立ち上がってしまった。

「……失礼するわ」

声は憮然としていたけれど、顔に集まった血液が染めた頬を、自分の手のひらで完全に覆い隠すことはできなかったに違いない。

そんなロビンの仕草は少女の目に滑稽に映っただけかもしれないと思うと、余計に頬が熱を持っていくような気がして、一刻も早くこの場を去りたかった。

「ちょっと待って」

バッグとコーヒーカップを手にしてその場を後にしようとしたロビンを制止すると、少女はカバンの中から小さなノートを取り出して、白紙のページに文字と数字を走り書いた。

早く立ち去ろうとしていたのに、何を律儀に立ち止まり待っているのだろうと思いながらも、一度止めてしまった足を動かすには、タイミングを外し過ぎている。

「はい、連絡先」

「え?」

「だから、連絡先」

そう言って少女は椅子から腰を浮かせると、ロビンのバッグの中に紙片を押し込んだ。

「気が向いたら連絡してよ。お茶でもおごって?」

少女は言い終わるとグラスの中のジュースを飲み干し、席を立ってロビンに背中を向け去っていった。

先に立ち上がったのはロビンだったのに、またもや少女のすっと伸びた背中を見送ることになって、ロビンの記憶にそのきれいな背中のすじが深く刻まれる。

お茶でもおごって?

普通なら逆ではないか、と問う間も与えず去った少女の言葉は、それにしても少女らしい言葉だったなと思った。

ロビンはコーヒーカップを再びテーブルに下ろし、カバンに押し込まれたノートの切れ端を取り出すと、ついたしわを伸ばして財布の中にしまう。

連絡をする気などなかったけれど、この紙切れぐらいは持っていてもいいかなと、そう思った。

たとえ未来につながることはなくとも、今、この瞬間、オレンジ色の髪の毛を持つ少女がロビンのこころを揺らした、確かな証として。




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