○ マイムマイム人体模型

「ミルクチョコがよかった」


 ビターチョコレートに手を伸ばしながらサイタマ先輩がぼそり呟きます。出されたものに文句を言うのはとてもよろしくないことです。ですが……同感でした。

 最近購買からミルクチョコレートが消え続けているのです。いえ、単に売り切れなのですが。


「食べられないとわかると」
「食べたくなるんだよなあ」
「そうなんですよね」


 食べたい食べたいという思いが増し、ついついチョコレートのことを考えてしまいます。はしたない、恥ずかしいとは思いながらも舌の上でとろけるチョコレートの食感を思えばささやかな恥じらいなど吹っ飛んでしまうのでした。
 ああ、ミルクチョコレート……。

 準備室奥側の机端で、無表情ながら嬉々としてカルメ焼きの準備を続けていたジェノス先輩がはじかれたような反応を見せました。


「スーパーで買って帰りましょう」
「うーん帰るとそうでもなくなるんだよなあ」
「わかります。やっぱりストレス溜まりますものね」
「終わったら一気に受験モードで片づけにも手が着かなくなるような時期に文化祭なんかやるなよって話だ」


 くわえタバコが唇にあわせてアタマをふります。


「いっそ辞めちまえばいいのに」
「そんな! 花園の百年伝統を誇る文化祭を今更中止にしようなど!」


 理科準備室の目線は「別にいーじゃん」の一色です。とてもアウェイ感でした。仮にも我らが学びやホームゲームだというのに! 地元チームを地元人が応援しなくてどうするのですか!


「……ゾンビマン先輩だって人体模型相手にフォークダンスの練習してらっしゃるくせに」


 げっほごほ!!


「してねえよ!!」


 あまり触れてはならない所だったかもしれません。

 花園学園文化祭の締めといえばフォークダンスでありまして、意中の方と手をつなぎ踊れば恋がかなうとかなんとかいう眉毛に唾でも塗りたくりたくなる伝説があります。
 フォークダンスなんて相手をとっかえひっかえするダンスではありませんか。全校生徒強制参加、来場者もばんばん参加可能のこの行事で手をつなげたからと言って叶う恋なら昼寝してても叶います。

 しかしくだらない伝説があろうが花園の文化祭です。


「今が辛ければ冬に生まれるのは『文化祭を乗り越えた私にできないことはない』という強い意志です」
「マジか、嘘だろ」


 サイタマ先輩は半信半疑ならぬ信は四分の一、後は残らず疑という顔をしています。


「学級頼りにはそう書いてあります」
「でも部長さんよ、文化祭のスローガン知ってるか? 『時よ止まれ俺たちは美しい』だぞ」

 む。なんということでしょうか。昨年までとスローガンの趣向が異なっているではありませんか。こうなられると私としてもなんとも……。
 いえ! いいえ!


「歴代の先人もそうして進学していき、だからこそ花園文化祭の由緒は作り上げられてきたのですから。ここで逃げては女が廃ります!」


 準備室の外の実験室の外の廊下の奥の奥、ドアが開くとても乱暴な音が立ちました。


「もういやあ――――――――――――!!」
「待て! 待つんだ! 主演代行の君!!」


 ばたばた走る気配に、「廊下を走るな!」とでっかい声がしました。


「おおでけー声」
「おそらく風紀委員……ゾンビマン先輩は相も変わらずタバコを吸われていますが、見つからない自信があるのでしょうか」
「実験準備室なんてふつう誰も来ないからな。臭いなら気をつけてるし」
「なるほど、亜硫酸ガスとコーヒーの粉か」


 実験をする真剣さでザラメが溶け行くおたまを眺めていたジェノス先輩が、なにやら得心した様子です。


「ばれたか」
「わからん」
「どういうことです?」
「硫化水素は臭い。1.15 ppmはごくわずかな臭気だが、わずかだからこそクサさが屁のようだ。そちらに意識が行き、タバコ臭をごまかす。実験室の床に落ちていたコーヒー豆には無数の極小の穴があいている。そこへ臭い成分が吸着される。臭い消しになるわけだ。大方そこの消火缶に撒いてから帰ってるんだろう」
「床? いつこぼしたんだろうな」


 中庭でけんけんがくがくとした二名が話し合っています。「もう終わりよ」「僕もつき合う、一緒にがんばろう」「できっこないわ」などと痴話喧嘩じみた言い争いをしていました。主演代行の声には聞き覚えがあります。クラスメイトです。


「あれは女が廃った結果か?」
「演劇部ですね、文化祭直前で神経衰弱した主演女優が失踪したので代役を立てたら代役主演女優も神経衰弱気味になって修羅場っているそうです。今年の演目はサロメだそうですし、台詞も動きも立ち位置も踊りも覚えなければならないと涙目です。あと抱きしめる予定の生首がとてもとても精巧でキスしなければならないのがイヤだ気持ち悪いとも言っていました」
「失踪?」

 事件のにおい! という顔つきでサイタマ先輩が頬杖から顔を起こします。期待に沿えずに残念なのですが……。

「というよりかは不登校ですね。生首がディープキスを迫ってくるから恐いなどと言っていたそうです」
「なんだ。……いや恐いな」
「恐いですよ」
「妙なことばっか起きやがる」
「サドルの代わりにカリフラワーを刺されたり?」
「……なんだその怪奇事件。もうちょっとスタンダードなヤツだ、便所に花子が出ただの鍵閉めした音楽室からビッグバンドみてえな音が聞こえるだのダルマの大名行列をみただの喧嘩でぐっちゃぐちゃになった教室が勝手にきれいになってただの。オカルト学校かここは」
「学校というのはいわゆる磁場というか、気と言いましょうか、そういうものの吹き溜まりです。心霊現象が起きやすい場所なわけです。『人体模型と踊りたい』と誰か……」

 ゾンビマン先輩からそうっと目をそらして、

「誰かがものすごく強く願ったならもしかするとひょっとします。思春期の不安定な心あるいは精神は言い換えれば不安定な可能性です。ロシアにESP学校があるのはその可能性の発現を信じるあるいは思春の頃に実際体験した方が多いということなのでしょう。コックリさん的な集団催眠だという反駁は耳にしがちですが一概にそうと否定しきれない事例も多数ありまして、たとえば……なんですかその目は」
「オカルトオタクだ」
「正直引く」
「ごめんちょっと気持ち悪いとか思っちまっ……た……」
「……!」
「…………!!」
「ひ、ひどいですそんな顔することないじゃないですか! まるで人体模型が踊っているのを見ているかのような目で!」
「……!」
「?」


 指でくいっくい振り向くよう指示されました。
 後ろには当たり前の室内がそこにありました。ガラス戸の中、整然と並ぶ劇薬たち。丸められてダンボールに刺されたポスター、諦め顔であさっての方向を見つめる人体模型のケイちゃん。
 ……?


「なんでしょうか」
「今! 今動いたろ!」
「なにがです?」
「人体模型!!」


 なるほど。

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