○ 自転車と青春
私たちが超能力活動をしていた新校舎三階地学準備室を出てすぐ、旧校舎へ通行可能な渡り廊下が残っています。
マンモス校である花園です。文化祭の出店や展示が、まだペンキ塗りたて引越ししたてダンボールまみれだったりしてしまう新校舎だけには収まりきらないので、旧校舎は今一時その命を長らえているのでした。
しかし文化祭が終わり次第渡り廊下は閉鎖、冬の長期休暇で一気に取り壊す計画だという旧校舎はじきにお別れです。
あちらには思い出がたくさんあります。きゅうと胸が締まる心地でした。
昇降口を出れば、空はすでに星まみれ。グラウンドには怪獣のごときシルエットのやぐらが立ち尽くして眠っています。
私は旧校舎の裏手へ向かいます。駐輪場です。
「コガラシ君!」
「無免ライダー先輩!」
やはりいらっしゃいました!
「お疲れさまです。自転車整理ですか?」
「いや、これを見てくれ!」
そう言って無免ライダー先輩がばっと指した先、誰のものかはわからない自転車に、
「カリフラワー」
言葉を覚えたての子どものように、見たままつぶやいてしまいました。
いえ、しかし無理もありません。
「そう、カリフラワーだ」
「自転車のイスに、」
まるで生えてきたように、まっしろなカリフラワーが駐輪場のライトを浴びています。
「ここはサドルという部分だよ。なんでこんなところにカリフラワーなんか。ブロッコリーならまだしも」
「ブロッコリー、お好きなんですか」
「普通かな……。スキキライはしないさ! でも、緑黄色野菜の方がまだ良いと思うんだ。このカリフラワーを抜いて、正しいサドルを差して、あとはいつも通りまっすぐ並べ直している。みんな文化祭の準備で疲れているのに、帰るときカリフラワーが刺さっていたらがっかりするだろうからな!」
……なんてすばらしい御仁なのでしょうか……!
「お手伝いさせてください!」
「ありがとう、さすがコガラシ君だ!」
あ、ああ、頭に無免先輩の手が、ぽんと置かれてしまいました! 洗ってしまうのがためらわれます。身に余る光栄でした。でもお風呂には入りたいです、どうしましょう。
身を打つテンションに合わせて自転車からカリフラワーを収穫していきます。しかし一体誰がこのようなことを。謎です。
しかし謎よりときめきが勝ります。
いつものヘルメットにいつものゴーグルにわれらが学び屋の標準制服を身につけて自転車整理に身を粉にする無免先輩の、なんと美しいことでしょう!
同じ空間で同じ息を吸って同じ事ができるが幸せでなりません!
マナーのよろしくない停め方の、歴史的風格さえ漂う自転車の持ち主たちへは憤りを感じざるを得ないものの、どこかでこっそり口実を与えてくれたことに感謝をしています。
「ふう、やっぱり学生服だと動きづらいな。ところでコガラシ君は課外活動だったのかな?」
「はい! 部長ですから、活動報告日誌を書きまして部室の戸締まりを点検して生徒会に報告して顧問の先生にも報告して鍵を返却しておりました」
「すばらしい活動ぶりだ! こんなに遅くなるのにサイタマ君は待っていてくれなかったのかい?」
「サイタマ先輩もジェノス先輩もヒーロー活動のお忙しい身ですから。部室でおきがえなさって今日も正義を成そうと町まで走って行かれました!」
「それはいいことだ!」
「はい! 生徒会長君に廊下で呼び止められるのもなんのそので駆け抜けて行かれました! やはり鍛錬のたまものでしょうね」
「そうか! ……童帝君も大変だな……。ではコガラシ君は、毎日これくらいの時間に一人で帰ると言うんだね?」
「はい!」
「うん、今後は俺が送ろう!」
「えっ!」
カリフラワーが次々手からこぼれていきます。
「えってだめなのかい」
「だめです! 滅相もありません!」
「そんな力一杯に否定しなくても!」
「私にかかわずらう時間は正義の活動に費やすべき貴重な一分一秒、申し訳なくてそんなことしていただけません!」
「そうかな……いや! 女性を守るのも正義の活動だ! やはり送ろう!」
「そそそそんな!!」
このままでは押し切られてしまいます! いえ、押し切られたい! しかし下校を共にするなどハイリスク過ぎました。でもハイリターン! 一緒に歩けるなんて考えるだけで頭が真っ白になりそうです。
「その必要はないわよ」
肩をさっと抱かれました。この凛々しい声!
顔を見上げて胸の内側が喜びでパンクしそうになりました。
「フブキ君か!」
「フブキお姉ちゃん!」
犬のように飛びつくはしたない私を、お姉ちゃんはまっふりと抱き留めてくださいます。
前門の無免先輩、後門のフブキお姉ちゃん! バターレーズンサンドのごとき幸せの挟み撃ちです。どうすれば!
「コガラシ、迎えに来たわ」
「はい! フブキお姉ちゃん敷地内は制服を着ないとしかられますが」
「かまわないわよ、今更学生なんてやってられないわ」
「そうか、お姉さんが来てくれたか」
ああ、そうでした。私はとことん頭の鈍い子です。
無免ライダー先輩と共に帰路へ着くことはなくなりました。
ありがたすぎるお申し出を拒んでしまったこと、急に渦のような後悔になりました。お姉ちゃんと共に帰れる。それは疑いようのないうれしいことです。ですが、ですが……。
私の中に生まれつつあった暗雲は、やはり無免ライダー先輩の笑顔が吹き飛ばします。
「うん、ならば安心だな! さよならコガラシ君、また明日」
また明日!
なんてすばらしい響きでしょうか!
明日も明後日も明明後日とその次の日は土日だから別ですが、とにもかくに無免先輩と明日もお目にかかれるというのですから!
「はい、また明日! 途中までになってしまって心苦しいです」
「あなたの仕事じゃないでしょう」
「しかし一度自ら手を出すと宣言しておきながら……」
「いいんだいいんだ! コガラシ君が来てくれたおかげでとても助かったよ」
そんな。私なんかカリフラワーを引っこ抜いていただけです。その間にも無免先輩はバラバラ自分勝手に駐輪していたママチャリ達をきれいな一列に直していました。私などなにもしていないも同然です。
「行くわよ。……じゃあね、C級1位」
「気をつけて帰るんだよフブキ君!」
なにやらむっと言いたげな顔をしましたが、結局なんと言うこともなく踵を返されます。フブキお姉ちゃんは私の手を取って腕に絡めると、進路希望表やら進学資料やらで今日もいっぱいに膨れ上がった鞄を持ってくれました。
超能力で。
鞄は安定して浮かんでいます。糸や針金やワイヤーなどもちろんありません。浮遊の周囲360度どこにフラフープを差し込んでも、鞄はこゆるぎもしないのを私はよく知っていました。
私にはできない芸当です。
「やっぱりフブキお姉ちゃんはすごいですね」
フブキお姉ちゃんは格好良いほほえみを浮かべて、「当然よ」と言いました。
私にもしも超能力があれば――。
一瞬で自転車整理を終わらせて、無免先輩ともっとお話しできたというのに。
○
その翌日です。
朝一番で再会した無免ライダー先輩は、
「今日はブロッコリーだった……」
と、まるでこの世の終わりが来たような顔で言うのでした。誰がなぜ。謎です。
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