ようやく先々週のオペレート報告をまとめ終えたりんこはうんと伸びをひとつ。背もたれがきしむ。
机に置いた時計を見た。怪人通報も応援要請もないままに午前が過ぎようとしている。
出前の発注がまだだ。
「そろそろ、電話しますー」
「私お弁当です」
「俺カツ丼セット。盛り蕎麦」
「クラブハウスサンドとブレンド」
さて。
しばらくみんな無言になる。
りんこが三人を見回しても知らぬ存ぜぬ関与せぬを貫く顔つきで業務画面に戻っていた。
ふんぞり返って「待ち」の姿勢を構えるマッコイ室長は、どうせ声をかけないことには返事をしてはくれないというのに。
うう。
イヤだな……。
「……室長」
「どうした」
「昼休憩の出前、かけますけど」
「ほおう」
いらっ!
「し、室長は」
「出前か……。あの健康をおもんばからない塩気や油こさがなつかしいものだが」
誰も頼んじゃいないというのにマッコイ室長はわざわざ通勤鞄を開いて、
「残念だが妻が弁当を作ってくれてね」
女の子向けっぽいかわいい風呂敷でつつまれた弁当を見せびらかした。わざわざ。わざわざ!
「ワアーステキナオクサマー」
「りんこ君もウチのを見習えばいい……いずれ」
うるさいなバカ!
哀れんだ目で見るな!
タケノコ掘り出すぞ!
などという暴言は心の宝石箱にしまっておく。奥方と三歳の娘にまつわるゲロ甘トークが炸裂する前に自分の席へ逃げ戻る。
りんこの席はマッコイ室長のふんぞり返る中央の後ろ、メインディスプレイの光も届かない端っこにある。
ただの事務机だ。
オペレーションマシン備え付けで黒一式に統一された室内の中、灰色でとても浮いている。置き場がないから仕方なくほっぽらかされているようじゃないか。
いかにも事務用の固定電話に、ごく普通のパソコン。他の人のようにエアレーザーフィールド機能はない。
ディスプレイの脇にフックで引っかけてある、けったいなサングラスに見えるのはヘッドマウントディスプレイだ。一枚レンズが顔面を半分覆い、耳の後ろにごちゃごちゃ色んな機械が来る。いかにもそれっぽいのでつけるとコスプレみたいで恥ずかしい。
それっぽい雰囲気があるのはその一個だけで、今まさに被ったインカムもご家庭用だったりする。
画面に指を滑らせて連絡帳を開いた。協会所属ヒーローの連絡先、協会の内線がずらっと並ぶ中、最新履歴をてちてち叩く。
いつものデリバリーサービスを呼び出す通話を最小化して、片手間で報告書を予備サーバーに上げる。三年分を詰め込まれてフォルダいっぱいだ。
やたらコールが長い。
いつもすぐ出るのに。
「は、っはい!」
ようやく出たのは店名も担当も名乗らない、いかにも新人っぽいやつだった。
「いつもお世話になっておりますヒーロー協会Z市支部、第2オペレーション室です。出前お願いしますー」
「……」
「……」
「えっ」
えっ、って!?
そのままふつりと黙り込まれた。もしもーし。
受話器の向こう、少し離れたところからぼんやりとした声がする。
――新入りどうした
――ヒーロー協会から電話が……
――……言われた通りにやれ
「わかり、ました。どうぞ」
ようやくうながされて注文を読む。
なんか変だな。
「以上です、いつもの時間でお願いします」
「いつもの?」
「……12時10分までに」
「了解しました!!」
ガチャ切りされた。
とても不安。
「先輩自分のはいいんですか?」
「あ」
りんこが動揺する暇も与えない。
怪人は唐突に出てくるから。
スピーカーを突き破る大音量のビープにソリティアをやっていた大仏君がびくっと顔を上げた。
オペレーター席、画面が真っ赤に翻る。黒い明朝体で『入電』『怪人』
最初につぶらが動いた。警報を教える赤をキーの一打で通常モードに切り替える。
空中表示されている200/1倍率のZ市地図上、赤いぽっちが明滅している。
自動で空中表示される階級と胸部から上の写真、
「応援要請! 発信元、A級、バタフライスター! Z市平和通り、戦闘は継続可能ながら苦戦中! 怪人個体数の報告はなし!」
「商店街か。また苦情がきそうだな」
やれやれと首を鳴らしながら大仏がキーをたたく。付近GPSをオン、範囲指定は市内、C級とB級下位は容赦なく除外、残った数名にねらいを絞る。
デジタル変換されて走る参戦要請が、ヒーローの携帯をふるわせているはずだ。
その一方でさらに大仏が動いている。掲示板、ツイッター各種SNS、ちょっと見にはソリティアに続くサボり第二段だが、違う。
「ありますあります。複数目撃証言から怪人、5体の可能性!」
早い。もうコールが戻って来た。
モニタに写る精悍な顔写真はA級のデスガトリング、申し分ない戦闘力だ。インカムをオンにしたダンディが音声指示を飛ばす。
「Z市平和通商店街。敵怪人は複数個体、一体ずつが推定レベル虎だが鬼に移行する可能性もある。付近の一般市民は避難済みだが万一を考え逃げ遅れがいないか見つつ出動を頼む。気をつけてくれ」
「りんこ」
マッコイ室長が横に立つりんこへ声をかけた。すでにヘッドマウントディスプレイをインカムの上から装着済みで、網膜に直接投射されるマシン語を読んでいる。
やる気である。
「はい!」
「ドーナッツを選んで休憩に入れ」
「……」
またハブられた。
○
オールドファッションを口にくわえてICカードをタッチする。階を上がるごとに認証コードが必要なのでちょっとめんどくさい。
マッコイ室長の考えていることが分からないわけではないのだ。いや、むしろ多分第2オペレーション室のだれよりも理解をしている。……つぶらにいたっては舌打ちまでしていたし。
それでもりんこはつまらない。
ちょーつまらない。
タッチアンドゴーで守衛前扉を開いて、
「だからね!? 入館証ないと入れないんだって! そもそもアンタ本当にヒーローなの見たことないよ!?」
「そんな! お願いします時間までに持ってかないのをネタに降級とか除籍とか――」
おとなしそうなメガネが騒いでいた。
防弾で防刃で難燃のアクリル扉のオープンとともにものすごい勢いで顔を向けられた。ビビッったりんこはしつけ悪くくわえていたドーナッツをぼとっと落とす。
「うわもったいない」
「オペレーション室の人ですよね!」
首から下げたIC社員証を読まれた。
あれ、この人って……。
「よかったこれ!! カツ丼と、そばと、サンドイッチと、コーヒーです!」
コンビニ袋を突き出される。中には確かにカツ丼とそばとサンドイッチとコーヒーがある。
「……」
りんこは受け取ることもできない。
自分のしたことを理解してしまった。
……うん。
「あの、」
「はい!」
「申し訳ありません……」
誰がどう見ても、どこからどう見ても会社員といった黒スーツにメガネのお兄さんは、
「……?」
頭を下げるりんこに、困ったような愛想笑いを浮かべている。