学校は好きだ。だからといって憂鬱にならないわけではない。
<彼>は勉強もできたしスポーツも得意だった。ややまじめすぎるが故に冗談が通じず、正義感が強すぎて血の気が多い部分もあったものの、小学一年生にしては駄々もこねないしわがままでもない、良い子だった。
ただただ顔が怖かっただけだ。
「先生」
「ひっ、」
教師だってビビる。
「……あ、×××君、どうしたのかな?」
<彼>だってこうも毎度ビビられるとちょっと悲しい。
悲しい気持ちをこらえているときの彼はものすごく不機嫌に見える。
故に教師の笑顔はひきつるのだ。より一層。
「メダカの餌がもう無くなりそうです」
「そうなの? 生き物係じゃないのに、ありがとうね」
しかし中身が非常に良い子であったため、一回ビビられるのを我慢すれば大人は普通に接してくれる。
問題は子どもの方で、基本的に話してくれないし目も合わない。カードゲームやバトル鉛筆など、受けの良い趣味でもあれば別だったろうが生憎<彼>はそもそもおもちゃを学校に持ってくることをよしとせず、よく注意しては大泣きされていた。
「あの」
扉の方から声をかけられた。振り返る。
女の子が顔をのぞかせていた。
髪の毛は乱れていて、服だって洗濯されているらしいのに薄汚れている。焦げた跡があるのだ。
「あ、」
昨日の子だった。
「……りんこちゃんね?」
先生が、警戒むき出しの固い声で呼んだ。
りんこというのか。
廊下から体を教室につっこんで、どことなく反抗的な目で先生を見ている。
「一年生の教室に、なんの用なの?」
<彼>は、りんこはなにもしていないのになぜ先生がそんな叱るような声を出すのだろうかとむっとした。
りんこは怒ったような泣きそうなような顔で俯いている。地の顔、昨日河原で見せた、気の弱そうなすぐに泣きそうな顔には全然似合わない。でも妙になじんだ表情だった。
「ちょっと!」
「……」
先生の制止も聞いちゃいない。りんこは足早に教室へ入ってきた。一年生の教室に上級生のりんこは不釣り合いに大きい。悪目立ちしている。
手には、日曜の朝に活躍するヒーローがプリントされたタオルが畳まれている。
<彼>の目の前で立ち止まった。
じっと<彼>を見た。
<彼>は女の子とそんな長時間目を合わせた事がなかった。急激にほっぺたが熱くなり、胸がどきどきして、でももっとずっと目を合わせていたくてじっと見つめ返した。
なにかを思い出しそうになる目をしていた。
なんだろう。
「こらあーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
廊下に響く怒声で見つめ合う時間は終わった。象でも逃げてきたかのような激しい足音を立てて、<彼>が見たこともない、大きな体のハゲが走ってくる。廊下を走るな。
りんこは素早かった。ぱっと窓の方へ走る。教室は狭い。すぐ窓ガラスにぶつかる距離になって、でも勢いを一切ゆるめない。
「あぶなっ」
一年生の教室だって、窓までの高さはそれなりにある。<彼>からしたって胸まであるしりんこからしたって腰よりちょっと高いくらいだろう。
そんなものは知ったこともないしそもそも問題じゃないとばかりだった。
最後の二歩は、踏み切り板もないのに軽やかに弾んだ。
ボールのようにぽうんと跳ねたりんこは、右手をすっと滑らせて桟を乗り越えた。教室からグラウンドへもののまばたき一つの内に移動してしまっていて、流れるように駆けだしたからいつ着地したかも気づかなかった。
窓にとりついたハゲが「くぉるああーーー!」と威嚇のように吠えるが、りんこはもうどこかへ行ってしまった。
固まっていた<彼>の担任が息を吹き返し、
「……×××君」
「はい」
「タオル、りんこちゃんに取られたの?」
全く理解できず、顔に疑問符を浮かべて、
「貸してあげたんです」
教師が顔をひきつらせた。
<彼>は、不思議に思っても怖い顔になる。