■ カラス鳴くから帰ろう




「あ――――――っ!?」


 りんこが叫ぶのだって無理はない。
 ゴミ捨て場がカラスに荒らされていた。ゴミ集積所の両脇、咲頃になったひまわりの花壇にまで出したて新鮮なゴミがぶちまけられている。
 二畳に渡る網スチールのゴミ籠、その上にプラスチックの蓋、さらに用心深くはめ込みタイプのストッパーがついているゴミ集積所だ。野良猫野良カラスの餌場としては最悪の部類のはずだ。

 ここまで常識の範囲内でのお話。


「なに、そのお食事セット……」


 ただのカラスのような、かわいげのある奴ならばよかった。
 まず二足歩行である所からして狂っている。
 鳥類なのにきりりと立ち、すたすた歩く。
 いやニワトリだってダチョウだって歩きますよと言う反駁をぶちのめすとてもとても立派な二足歩行だ。歩いていても首を前振りしない辺りがこしゃくで腹立たしい。

 次に翼だ。フォークとナイフを持っている。

 おかしい。
 非常識極まりない。

 およそ指らしい物はない。ゴミ袋片手に立ち尽くすりんこがいくら子細に観察してもどうやって持ち上げているのかわからない。
 きちんと右手にナイフ左手にフォーク。テーブルマナーもちょっぴりわかっているらしい。
 おそらくその構造不明な翼……手なのそれ? そこを使いゴミの蓋を開いてみせたのだろう。

 周囲。

 めちゃくちゃにぶちまけられた生ゴミ。


「そこはカラスのままか……!」


 透明ポリ袋もくちばしでつつき回されて開かれている。
 使え!
 道具使え!
 ごめん嘘ゴミ荒らさないで……。
 どうみたって災害レベルは狼以下だ。むしろちょっとかわいいくらい。が、りんこの出勤時間に対してのみ災害レベル鬼だ。
 目前に広がる道路、見るも無惨な散らかりよう。
 とんでもなくぐっちゃぐちゃなのである。


「わ――――ん化け鴉! バカガラス!」

 捨て台詞を吐いてほうきとちりとりを取りに走るりんこを捨て置かなかった一羽がびゅんと飛んできた。髪の毛を二足歩行もできる足でわっちりつかむ。

「痛い! イタイイタイすごくイタイくちばし!!」

 つんつんかつんつか突っつき回す。
 大急ぎで玄関常備のほうきとちりとりとお徳用50枚入り45リットルゴミ袋を袋のまま取ってきた、ら、

「おおりんこ。はよ」

 ヒーロースーツ姿のサイタマがゴミを出していた。
 無人街まではゴミ収集車は入れない。というか、本来は無人なので入る必要がない。そこに勝手に住み着いているサイタマは平日五回回収にくるゴミを無人街のほとりに建つこのマンションへと出しにくる。
 今日もそうだ。
 パジャマではないのは珍しい。いつもの黄色いオールインワンに、ブーツに、真赤な手袋からしたたるのはゴミを散らかしていたカラス。
 そしてゴミ以外にも散らかっているのは、元、カラス。

 ああ……。
 魔界のオッサンかあんた……。

 全て一撃。それもおそらくはふつうのデコピンだ。

「おはようございます」

 文句など言うまい。
 言っても聞くまい。
 じじむさい伸びを一つして首をゴキゴキ鳴らすサイタマの、朝日に燦然と輝く頭頂部。
 カラスって光り物、好きだもんなあ……。

 失礼なことを考えていたことを察知したのかもしれない。
 サイタマがむっと顔をしかめてこちらへと歩を進める。
 目に、「殺そう」と書いて。

 え、
 私今人間で。
 まずい。


「サイタマさ……!」


 無言で伸ばされた手が、デコピンに変形する。

 死。

 靴を脱いだ。本能が12ある精神拘束を一斉にパージ、偽装を解かせた。
 膨張する下肢にスカートが弾けて裂ける。

 怪人化したりんこの目は、サイタマの手がたんなるデコピンを放つ筋肉の収縮をつぶさにとらえる。
 回避を最優先にソート。
 中指を弾丸としてカタパルトを担う親指に見るも恐ろしい力筋が浮かぶ。総指伸筋が引き絞られる。一秒もあればトリガー。
 予想されるのは申し分なく死を与える速度と威力。算出結果、

『かろうじてよけるのが精一杯』
 かろうじて、よけられる。
 ――追撃は!?

 サイタマは一撃必殺がクセになっている。来るとすれば確実に置かれる一拍あるいはそれ以上がある。
 デコピンさえ回避すれば隙ができる。
 人になりながら人目の着く場所へ逃げきる――逃げ切れるのだろうか。
 ある意味で予言は命の保証だ。ヒーロー協会に害をなすまで生きていられる、はず。でも、どこまで体を倒しても避けきれない殺気が目前に迫った今、生きていられる自信なんてどこにもなかった。

 りんこの顔面横、デコピンがスカる。砲弾が通るほどの風圧に遅れをとった髪の毛束がちぎれて吹っ飛び、


「かあ――――!」


 カラスが逃げた。
 りんこの髪の毛をぐじゃぐじゃにかき乱して。


「あっくそ動くなよ」


 遠く飛び去る一羽の黒を悔しそうに見送る。すでに戦意のたぐいはない。
 りんこは呆然とそのハゲ頭を見つめ、前触れなく四本の足をへたり込ませた。入らない力と止まらないふるえで血浸しのアスファルトに足がすべってもつれ落ちる。
 立ち上がろうとして転んだ音で、サイタマが生まれたての馬のようになったりんこに気づく。


「ほら大丈夫か」
「あ、」どもった。口も足と同じだ。がくがくしている。「ありがと」


 手袋に包まれた腕をさしのべる途中で「ん? ああ」サイタマがなにかに気づいた。
 乱れたりんこの頭を、先の攻撃からは想像もつかない優しい指先が滑った。
 そっと離れた手のひら、

「鳥の糞、ついてるぜ」

 ねっちょり白い粘液がついている。

「……どうも」

 ……イモケンピならまだ良かったのに。

 のぼーっとした顔のサイタマから視線をそらし、りんこは空を仰ぐ。ソーダのパッケージがこぞってまねしたがるような快晴の、下。それはそれは立派な積乱雲。どす黒い。降るだろう。
 旬のひまわりは太陽を向いて――化け鴉の血をかぶり、バブでもつっこまれたような音を立てて溶けていた。
 夏本番の集積所ではただでさえ生ゴミ臭が拭えず、そこにぶちまけられた血のにおいがほとばしってもう感覚は麻痺している。
 なににつられたのだか寄ってきたハエを、馬の方の耳で追い払った。

 遅刻だ。
 涙目。

「はーいいことした」といわんばかりにご機嫌な鼻歌を歌うサイタマのその背中、へたりこんだままマントをくいと引いた。


「サイタマさん、これください」
「え、やだ。なんで」
「今変身したら……ノーパンだから」
「おまっ! おまっ……それはヤバいな……」



 スーツワンピースの裂けて無くなった腰元にマントを巻き付けて、やっと人に戻ったりんこは結局ノーパンのままお家に戻る。
 ドアが閉まるまでの間サイタマはめちゃくちゃ心配そうに見送っていた。
 いや、半分以上あなたのせいなんですけどね。



□ 枯らす、泣く、空……帰ろう



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