豪快に泣くりんこに手のひらを押しつけて、故障寸前のワイパーよろしくの動きでブルーファイアは頭をさする。どこまでもぎこちなくて、撫でているという感じはしない。優しい手つきで黙りこくる。
口を開いたところでかけられる言葉なんてないのはわかっている。
わかっていても何か言ってやりたいとは、思っている。
りんこは卑劣だ。
人を助ける力があるなら使えばいいのだ。
自己保身なんて考えるべきではない。
ブルーファイアの正義を司る部分はそう断じる。
仕方がないことだ。
そうしてしまったが最後、ようやく築いた彼女の居場所はひねりつぶされるのなんて、火を見るよりあきらかじゃないか。
ブルーファイアの情を司る部分はそう訴える。
眼前には不意打ちの真冬に息絶えた花壇がある。未だ公共交通機関の復旧は遠くブルーファイアだってZ市市外から歩きでここまで来ている。人的被害とて決してゼロではない。
確かに。
りんこの決断によってはいくばくかましな結果だったろう。
おそらくは抱きつきたいのを我慢して、頭に当てられた手のひらひとつに心を添わせてどうしようもない葛藤に耐えているただのちっぽけな成人女性であるりんこに、全てをおっかぶせればいいだけの話しだ。
全ておっかぶされても背負い込める能力を持っていることも知っている。
うらやましいとさえ思う。
もはや天井の見えつつある自分の才能の、その低さ。重ねた努力でA級ヒーローになったところでS級超人にはなれないキャパシティを知ってしまっている。パイロキネシスで通していても袖の下に隠しこんだ火炎放射器無くしてできることは決して多くはない。装備なしで鍵の開かない部屋に閉じこめられたとしても、自力での脱出はどこまでも困難だ。
りんこが怪人化すればイアイアンを待たず脱出できたことも怪人を倒すなんてわけないことも、とっくのとうにわかっていた。
りんこが迷ったこともわかっていた。
迷い迷ったすえに、死んでも人間でいることを選んだのだ。
それを責められる筋合いはない。
自分が責めていい筋だって勿論ない。
だけど、どうしたって肯定もできない。
だからブルーファイアはへたくそに頭を撫でる。
ブルーファイア……すまん。
イアイアンは心から申し訳ないと思う。
かなり失礼な疑い方をしたことにも。
現在進行で出歯亀していることにも。
りんことブルーファイアの背中からやや離れて、中庭の煉瓦道に沿って本当は鮮やかな花を咲かせていた生け垣がある。今はご多分に漏れず枯れかけで茶色いが。
そこそこの高さがあるので身を屈めれば成人男性でも隠れられる。
というわけで身を屈めるどころか第五匍匐のイアイアンとうんこ座りのサイタマが潜んでいる。
なんか、つい、隠れてしまった。
致し方がない。到着時にはすでに割り込めるような雰囲気ではなかった。
りんこは泣きじゃくっているしブルーファイアはなにを思い悩んでいるのか、ものすごく険しい横顔が覗けた。口べたなのが災いしているのかもしれない。りんこの勇気ある行動を誉めたりもしない。
ただ黙って頭を撫でていた。
りんこもそれを望んでいるように見えた。
ため息が出た。柄になくものすごくがっかりきた。「どうした」と言いたげな目をサイタマに向けられて、ぽろっと、
「……かわいらしい子犬を飼う気満々で拾ったら、すぐに飼い主が迎えに来てしまった気分だ」
「あーわかるわ」
「しっぽを振ってついてくるものだからなついてくれたものと思っていたのに、心を全開で開いてくれていた訳ではなかった、かのような」
「ていうか失礼だな。りんこは人間だぞ」
全くだ。
どうにも自分はどうかしている。
イアイアンには明るい笑顔ばかりを見せていたりんこの、あられないような泣きじゃくりだ。おそらくその、みっともないくらいの泣きっ面を拝んでいいのはブルーファイアだけなのだろう。きっと。そういうものだ。
ブルーファイアの迷いに迷った横顔が、ようやく口を開いた。
肯定も否定も諦めた。
「退院したら、なにを食いたい」
結局、ブルーファイアにできるのはりんこの結論を包容することただ一つだ。
濁流のようだった涙がうじうじしたものに変わって、垂れそうな鼻をすする。しばらくの間えぐえぐ嗚咽を飲み込んでいた。
ようやっと口を開く。
「き」
き。
ブルーファイアの頭にキムチ鍋が最初に浮んですぐ打ち消された。今は夏だ。きりたんぽ……だから夏だ。金柑の甘露煮……夏だ!!
「きらっ、」
「きら」
オウム返ししてしまった。脳内のレシピ本が一瞬で飛んだ。
きら、の後に続く料理が何一つ思いつかない。索引を見ても載っていない。
当たり前だ。
りんこがリクエストしているのは、食いたい物なんかじゃないのだから。
「きらいにな、らないで……」
すっかり手も止まってしまった。
見るに耐えないほどの泣き顔がある。真っ赤にふやけた目元に鼻、べそかきの跡がくっきり入った頬、鼻水はかろうじて大丈夫だ。
やっとわかった。
ブルーファイアの登場にあろうことかあのりんこが怯えた理由、怒られることを恐れたわけでもなく自分の決断に後悔があったからでもなく、ただ、ただブルーファイアに嫌われることだけが怖かった。
呆れた。
潜めた眉をを悪い方向に解釈したらしい。りんこの息づかいが荒れた。肩を跳ねさせてかろうじて耐えようとしているものの、涙が再び汚濁となってせり上がっていく。
ため息。
「うぐぶっ」
「……」
指先でりんこの鼻を摘んだ。
ブルーファイアの意図が読めず目を白黒させる。涙腺も閉まる。
ブルーファイアも困惑する。発作的に手が伸びていて、意図も意味も全くない行動だった。
ともあれ、
「当たり前だ」
りんこは泣きやんだのだ。
りんこは予言の怪人だ。いずれなにかしらとんでもない悪さをする。その行いでヒーロー協会がヤバくなる。らしい。シババワが言うのであれば、そうなのだろう。
わかった。
「お前は」
避けられない運命ならばせめて、
「俺の手で灰にしてやる」
その瞬間まで精一杯の愛情とともに隣にいよう。